嘘つきな酔っ払い 乾編 5










想う人に想われたい、なのに想われはしない。



「想い想われている人々の後ろには、たくさんの届かない想いがあるんですよ。
 あなた独りじゃない。私も同じです。」



どうして俺じゃ駄目なんだろう?



「あなたじゃないと駄目な人がきっといます。」



忘れられない。



「無理に忘れなくていいんです。
 誰かを好きになった乾さんを丸ごと受け止めてくれる人がきっと現れます。」



いつか・・・



「いつか、きっと乾さんは幸せになります。
 あなたは素敵な人だから。決して諦めない人だから。大丈夫です。」





ハナちゃんの頬を包み顔を寄せたらメガネとメガネが当たってカチッと音がした。
俺はいったん身を引いて、そっとハナちゃんのメガネを引き抜く。


逃げてくれないかな。
そんなことを思いながらも右手にメガネを持ったまま、再びハナちゃんの瞳を覗き込んだ。


やっぱり大きくて綺麗な瞳だと思う。
透明度の高い湖みたいな瞳に近づけば、ゆっくりと瞼が閉じていった。
きっと酷く酒臭いキスになるだろう。



恐れるように重ねた唇は少しヒンヤリとしていた。



おぼつかない手でメガネを広げれば、ハナちゃんが小さく笑って手伝ってくれる。
ハナちゃんは俺の手から自分のメガネを取り上げると明るく言った。



「酔ってますから、覚えてませんよ。」


「ゴメン」



ハナちゃんが首を横に振る。


さぁ、タクシーでも拾いましょうと彼女は元気に言うと、俺の腕を組むようにして夜の街を迷わず歩いていった。


タクシーに押し込められ情けなく顔を上げれば、鼻の頭を赤くしたハナちゃんがバイバイと手を振る。



「一緒に乗らないの?」



この期に及んでこれ以上甘えるのかと呆れるけれど、俺の思考は抑制する事を放棄していた。


だがハナちゃんは頷かない。
俺が恥ずかしくなってしまうほど凛とした目をして「一人で帰って寝てください」と笑うんだ。


俺は人肌が恋しくて、いつもを重ねて誰かを抱く。
そして酷く自分が傷つき後悔もする。
分かっていて同じ事を繰り返す弱い男だ。



「駄目ですよ、自分に勝ってください。負けるのは乾さんに似合いません。」
「え?意味が分からないよ。」


「あなたがテニスをしている姿、とても好きでした。」



なに?テニスって、いつの事だ?
俺は大学進学時にはテニスを辞めたんだぞ。



「さようなら。もう行ってください。」


「ハナちゃん!」



彼女が離れると自動でドアがバタンと閉まった。
俺は慌てて窓を開けるけど、タクシーは容赦なく走り出す。
振り返ったハナちゃんはやっぱり笑顔で、大げさなほど元気に手を振っていた。










どうにかマンションに帰った俺は翌日の昼まで寝ていた。
土曜日は二日酔いの頭痛と吐き気で一日が終わる。
日曜日になって、切れ切れながらも忘れていない記憶に頭を抱えていた。


とんでもない酔っ払いの失態だ。
ハナちゃんが渡米するのが救いというか、あと一週間ほど気まずさに耐えれば済む。
彼女も酔っていたし、ハナちゃんなら酒の上でのことと笑って許してくれそうな気がした。


だが気が晴れない。
自分は酷く悪い事をした気がする。



キスぐらい。ハナちゃん、逃げなかったし。



自分に言い訳しては胸が痛んだ。










月曜の朝には覚悟を決めて、ハナちゃんには謝るしかないと気合を入れた。
研究所について直ぐに彼女がいるだろう研究室に向かう。


データは既に集まっているから、まとめるのは向こうですると言っていたけど、
彼女のことだから最後の最後まで研究を続ける気がしていた。



コンコンとノックをする。
いつもの間延びした返事がなく、まさか又うたた寝でもしているのかとドアを開けて息を呑んだ。


ガランとした部屋。
研究用の備品は全てきちんと片付けられ、彼女が暖をとっていたヒーターにもカバーが被せられていた。
次の主を待っている、そんな無機質な部屋に俺は暫し茫然としていた。


後ろを誰かが通る気配がして我に返る。
振り向けば眠たそうに欠伸をしながら歩く水谷だった。



「お、乾。おはよう。」
「おい、ハナちゃんは?」



水谷は俺の肩越しに片付いた研究室を覗き、ああ・・と納得したような顔をする。



「彼女は一週間早く渡米する事になったらしいよ?
 この土日に全て片付けて所長とか主任にも挨拶していったって。」



突然の事で言葉も出ない俺に水谷は目元を下げて肘を突付いてくる。



「それよりさ、ハナちゃんとはウマくいったのか?」
「ウマく?何が?」


「とぼけちゃって。お前はハナちゃんの王子様なんだろ?
 二人で帰ったから、てっきりイイ感じになったのかと思ってさ。」


「王子様?」


「ハナちゃんは青学出身、お前の後輩だろ?
 で、お前がテニスに打ち込んでるのをいつも見てたって・・・あれ、乾は聞いてなかったのか?」


「青学・・・」


「中等部からずっと応援してたって嬉しそうに話してたけどな。」





何で気づかなかった。
ハナちゃんは何度もヒントをくれてたじゃないか。



『あなたは、そんな人じゃない!
 何があっても諦めない、どんなボールでも追い続けてた日を忘れたんですか?
 もっと自分の気持ちを大事にしてください!』



『あなたがテニスをしている姿、とても好きでした』





水谷は思い出すよう頬を緩ませて言う。



「ハナちゃんがお前の事を話す姿は可愛らしかったよ。
 本当に憧れてるんだなぁって分かってさ。
 研究一筋みたいな彼女にも可愛いところがあるんだなってね。

 で、乾はどう思ってたの?やっぱタイプじゃなかったのか?
 お前の連れてる女って、いつも綺麗だもんな。面食いの乾にハナちゃんはツラかったか。」



面食い?いいや違う。別に誰でも良かった。
声をかけてきたのが綺麗な人だったというだけで顔なんか見ちゃいなかったんだ。



けどハナちゃんの素顔は知っている。
色が透けるように白くて、触れた頬は手のひらに吸い付きそうなほど滑らかだった。
赤い唇、零れそうに大きくて綺麗な瞳。


とても綺麗な顔をしていたんだ。



「水谷、ハナちゃんの電話番号分かるか?」
「へ?いや・・・主任は知ってるだろうけど。けど、もう今日の便で発つはずだぜ?」


「主任か、ありがとう」



主任の元に行こうとして足を止めた。
水谷を振り返り、多分予想は当たっているだろうと思いながら確認した。



「ハナちゃん、お前の事を好きだったかな?」


「まさか!彼女はお前しか見てなかっただろ?」



頷いて、俺は主任の元へ急いだ。
頭の中は酷く混乱している。
彼女の声を聞いて何を言えばいいのかも分からない。
ただハナちゃんが俺に見せてきた笑顔ばっかりが浮かんでは消えていく。





「木之本さんの電話番号?知ってるけど、もう使われてないんじゃない?」
「それでも教えてください!」



主任は不思議そうな顔をしつつも彼女の番号が書かれた用紙を出してきた。



木之本 花



本当にハナちゃんだったんだ。彼女らしい可愛い名前だ。
初めて知る彼女の名前と一緒に番号をメモする。



「そうだ、そこに電話するより泊まってるホテルに電話をしたほうがいいんじゃないか?
 確か昨夜から成田のPホテルに泊まるって言ってたぞ。」


「ありがとうございます」



俺は挨拶もそこそこに自分のデスクに戻り、すぐにホテルの電話番号を調べた。





廊下の突き当たりにある喫煙所兼休憩室に立ち、ホテルに電話をかけた。
居て欲しい。居て欲しくないという気持ちに勝っている思い。



「木之本花さんの部屋に繋いでください」 



そう告げて、ガラスから差し込んでくる陽射しに目を細めた。
くぐもった呼び出し音が鳴り始めると俺の鼓動もシンクロしたように速くなる。



『もしもし?』



ああ、君の声だ。



「俺、乾だけど。」


『乾さん?どうしたんです?なんで、ここが・・・』
「主任に聞いたよ。酷いじゃないか、挨拶もなく行くのかい?」


『あ・・・あの、すみません。』



違う、そんなことが言いたかったわけじゃない。
君が黙っていく事に腹が立ってないといえば嘘になる。
だけど、それよりもっと複雑な気持ちなんだ。



「ハナちゃん、ずっと前から俺のことを知っていたんだね。水谷から聞いた。」


『・・・水谷さん、覚えてたんですね。
 新人歓迎会の時に、うっかり話してしまって。その一回だけだったのに。』


「いつから?」


『中学・・一年でした。私、越前君と同じクラスだったんですよ。』
「越前と?」


『友達が越前君のファンで、なかば無理矢理にテニスコートへ引きずられて行ったんです。
 そこで乾さんを見たんです。あの頃の乾さんはレギュラージャージを着ずに、白いTシャツ姿でした。』



ああ、あれは越前に不覚を取ってレギュラー落ちしたんだよ。



『それが目に付いて・・・いつの間にか乾さんを探すようになりました。
 いつも淡々と部員のために働いてましたよね。私は乾さんをクールな人だとばかり思ってました。
 だけど違った。あなたは諦めない、どんなに泥だらけになっても一心にボールを追う人だった。

 私、ずっと見てたんです。乾さんに憧れてました。』


「知らなかったよ」



電話の向こうでハナちゃんが微かに笑う気配がした。



『いいんです。知らなくて当然です。
 私って地味で目立たない人間なんですよ、だからいいんです。

 でも・・・だからこそ憧れたんですよ。
 乾さんは私にとって太陽みたいに眩しくて元気をくれる人だったから。』


「ハナちゃん、俺はそんな大層な・・」


『いいんです。私が勝手に思ってるんですから。
 太陽が曇ってしまったらツライです。私まで元気がなくなっちゃう。
 だからね、乾さんはいつも明るく輝いていて欲しいんです。
 たとえ大事な恋を失っても、ずっと輝いていて欲しい。
 我儘なファン心理ですけど・・・』



俺には君がお日様のように見えていた。



いつも明るくて元気で、でもそれが俺のためだったとしたら。
その好意を踏みにじるような事を俺はしでかしてしまったじゃないか。



「ゴメン。送別会の後、俺はハナちゃんを傷つけた。」


『傷つけた?違いますよ、私は嬉しかった。むしろ幸せでした。
 乾さんを慰めるって言い訳して、本当はもっと傍に居たかった。
 でも、駄目。乾さんは後で後悔するって分かってたから・・・だから』


「君は」


『私は乾さんが好きだから、後悔なんてしてません。』



やっぱり君は強い人だ。
そして馬鹿がつくくらい優しいコだよ。



もう出る時間なんですよと、ハナちゃんが震える声で明るく言う。
俺は『ウン』ばかりを繰り返す。



『元気で。』
「ウン、ハナちゃんも」



電話を切れば、きっとハナちゃんの綺麗な瞳から涙が零れるんだろうと思った。


プツッといとも簡単に電話を切ってしまうのが彼女らしいと口元を歪めながら、
俺はいつまでも携帯を耳にあてたまま窓の外の青い空を見上げていた。




















嘘つきな酔っ払い 5 

2006.11.28




















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