嘘つきな酔っ払い 乾編 6
乾さん、お元気ですか?
こちらにきて早いもので三ヶ月が過ぎました。
主任さんに送ったメール、乾さんの目にも触れたらいいんだけど。
研究所のことを知りたいって言ってたから・・・ついつい乾さんが好みそうな内容をメールに書いたんですよ。
さて、この研究所にはテニスコートがあります。
大らかなアメリカらしいっていうか、仕事の途中でも好きな人はテニスを楽しんでます。
先日は私の直属の上司が白衣のままボールを追いかけててビックリしました。
その上司は中国系アメリカ人なんですけど背が高くて髪が黒いから、ついつい乾さんの事を思い出してしまいます。
ついでに銀縁のメガネもしてるんですよ?でも性格は完全なアメリカ人ですけどね。
私が覚えてる乾さんの第一印象は『背の高い人』だったなぁ。
友達に半ば強引に連れて行かれたテニスコートで、
ストップウォッチ片手に記録しているTシャツ姿の乾さんは目立ってました。
レギュラージャージは着ていないけど、レギュラーたちの輪の中にいて動いている。
有名な手塚さんや不二さんの隣に立って、何事か指示を出している姿は立派なコーチのようでした。
「え?あのツンツン頭の人?三年の乾先輩だよ。春に越前君に負けてレギュラー落ちしたんだって。」
生徒だったんだ!
初めて乾さんの名前を知った会話はある意味衝撃的なものでした。
私は思いました。
三年生の乾さんが一年の越前君に負けてレギュラー落ちしたのは、どんなにか悔しいことだろうって。
でも乾さんは常に淡々として、黙々とコーチのような仕事をしていました。
クールな人なんだな。
乾さんの試合を見るまで、私は思い違いをしていました。
いつも他の人の指導ばかりをしていたのに、
どこで鍛錬していたのかと驚くほどに筋肉質な体から、目で追うのも難しいような高速サーブが打ち込まれる。
あの日、風を切るボールの音を初めて聞きました。
乾さんは打ち返されたボールをどこまでも追いかけて打ち返す。
アウトもセーフも関係ない、徹底的に拾って攻める。
流れる汗を拭いもせずに前を見つめ、ひたすらにボールを追う乾さんはクールな人なんかじゃなかった。
私は息さえ耐えるようにして試合にのめりこみました。
胸がドキドキして勝手に涙が溢れたことが昨日の事のようです。
そしてレギュラーの座を取り戻した試合で、空を見上げ僅かに微笑んだ乾さんの満足げな横顔。
ああ・・この人はレギュラー落ちをクールに受け止めていたんじゃないんだ。
本当は悔しくて、それでも自棄にならず努力を重ねてきた人なんだ。
強い人、とても輝いて眩しいほど。
私は感動にも似た気持ちで胸が高鳴るのを抑えながら、コートに立つ乾さんに拍手を送りました。
今思えば、あれが乾さんに恋をした瞬間だったのかもしれません。
いつもいつも探していました。
廊下で、食堂で、校庭で、そしてテニスコートで。
私は何処にいても乾さんの人より飛び出た頭を探していました。
チラッとでも見かけることが出来たなら一日が薔薇色、一目も会えない日にはドンヨリ曇り空。
テニス部のレギュラー陣は誰もかれも人気がある。
乾さんも例外ではなく、おまけに一年生の私なんかが三年生の乾さんに近づけるはずもない。
でも少しでも近くなりたくて、どんな遠くの試合でも電車を乗り継ぎ見に行きました。
乾さんは強くて、そして絶対に諦めないテニスをいつも見せてくれました。
試合を見ながら何度泣いた事でしょう。
好きだと何度思ったことでしょう。
恋心は日に日に募るばかりでした。
でも私の恋は実るはずもない。
いつも見ているから分かったんです。
乾さんはテニス部の美しいマネージャーさんを目で追っている。
その美しいマネージャーさんは越前君を見つめていました。
私と同じ片想い。
切なげにマネージャーさんの背中を見つめている乾さんの背中を私も見ている。
振り向いてもらえない人を追う切なさが分かるだけに、乾さんの彼女を見つめる眼差しに胸が痛みました。
結局、私は見ているだけ。
ただの一言も言葉を交わすことなく乾さんは卒業してしまいました。
高等部に進学した乾さんが誰かと付き合い始めたのだと教えてくれたのは、越前君を好きな友人でした。
乾さんの姿が消えたテニスコートで面影を追っている私にはピンとこない話だったけど、
偶然に駅で寄り添う二人を見たときは同じ電車に乗ることも出来ずホームで泣いてしまいました。
あなたは片想いしていた美しい人の隣で微笑んでいた。
私は、ただ悲しくて泣いたんじゃありません。
乾さんは私が見たこともない優しい目をして大事そうに恋人の手を包んでいました。
乾さんの想いは届いた。
幸せになったんだと・・・悲しかったけれど嬉しくもあった。
だから私は悲しいだけじゃない涙を流したんです。
高等部に進学してから一年間、
再び私は乾さんの姿を探し、あなたが心から想う人に微笑む姿を遠くから見ていました。
そうだ、覚えていますか?
高校時代に一度だけ、私はあなたと言葉を交わしたことがある。
自販機に入れようとした小銭が落ちて拾ってくれたのが乾さんだった。
突然の出来事にうろたえる私の前に、大きくてマメのある手のひらが差し出されました。
『落ちたよ』
『あ、ありがとうございます!』
たった一言。
だけど私には高校で過ごした三年間の中で、一番の大切な思い出になりました。
自分でも呆れてしまう。
二学年違いの私は乾さんと共に学べる時間もチャンスもない。
それでも他の誰にも心を動かされることはなかった。
私にとって乾さんは輝く太陽のような人だった。
大学も同じだったんですよ。
ただ乾さんが受験した学部はランクが高くて諦めるしかなかった。
それでも研究畑を歩いていれば、いつか道が交わる事もあると努力を重ねました。
そのうちに研究自体が面白くなって乾さんへの恋心より没頭したりもしましたけど、あなたを忘れた日は一日もなかった。
あの広いキャンパスで懲りもせず私は乾さんの姿を探していたのです。
そして、いつの間にか美しい恋人は乾さんの傍から居なくなっていました。
乾さんの顔から幸せに満ちた笑顔が消え、大切なものを失った影が瞳に映るようになっていました。
美しかった恋人に、どこか面差しの似た人を次々と恋人にして歩く乾さんは痛々しかった。
あんなに努力していたテニスもやめてしまい、ただ時の移ろいに身を任せているような乾さんの背中。
乾さんのかわりに私が泣けるのならと思いました。
胸の中に色々なものを飲み込んで苦しんでいるのが私には分かったから。
まだ好きなんですね。
ずっと好きなんですね。
私がそうだから分かるんです。
泣きたいほどに・・・手には入らない人を求めている。
乾さんから二年遅れて研究所に入社しました。
同じ学校だったなんて言えません。だってストーカーみたいでしょ?
でも乾さんに付き纏ってどうにかしようなんて気持ちはなかったんです。
ずっと近くなれなかったから、ほんの少し乾さんの傍に行ってみたかった。
乾さんと話したり、色んな表情を見てみたかった。
ちゃんと決めていたんです、一年だけ傍にいたら他所へ行こうって。
そうしないと私は・・・きっともっと乾さんを好きになる。
知れば知るほど、どうしようもなく好きになってしまうことが分かってました。
そして、やっぱり・・・もっと好きになりました。
乾さんは優しかった。
心の中に失くした空洞を抱えながらも、根っからの優しさで私に接してくれた。
今も失くした恋人に似た人と短い恋を繰り返しながら、それでも変わらぬ光りを私に与えてくれました。
送別会の夜、本当は乾さんの腕にずっと抱かれていたかった。
あなたの寂しさを知り、私を差し出すことで癒せるのなら差し出したかった。
かりそめでも・・・愛されたかったんです。
でも、駄目。
乾さんは愛しても愛されない痛みを知っている人です。
あなたは優しい人だから、同じ痛みを知っているからこそ私を愛せない事に苦しむでしょう。
私は大好きな乾さんに後悔させたくなかった。
あなたがいつか本当に愛する人に愛されて幸せになってくれれば、それでいい。
これは諦めというのでしょうか。
私は追いかけるだけ追いかけて、何もせず諦めてしまう臆病者でしょうか。
でも、それでもいいかなって思うんです。
それが私の精一杯の愛し方なんだと思います。
前を向いていこう!
知りたいことをこの地でもっと知ろうと思います。
大丈夫。
私には私の幸せがきっとあると思います。
無理に諦めたりはしません。
思い出に変わるまで、大事に大事に乾さんを想います。
大陸が大きいせいでしょうか?
コッチは空が広い!
この空も乾さんのいる日本に繋がっているんでしょう。
そう思うだけでも幸せです。
「Hana!」
呼ばれて我に返れば、ちょっとだけ乾さんに似てるボスが分厚い資料を手にやってきた。
また考え事しちゃってた。
青い空を窓から見てたら、つい乾さんに心の中の手紙を書いてしまう。
文字になることのない想いの手紙。
届くことはないけれど・・・それでいい。
嘘つきな酔っ払い 6
2006.11.29
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