嘘つきな酔っ払い 〜乾偏〜









花ちゃんが居なくなって二ヶ月が過ぎた。


その間に越前が結婚を発表しスポーツ新聞の一面を飾った。
イニシャルになってるの名前を不思議な思いで眺めては、
有名な女優似の美女と形容されているのに『なるほど』と思ったりする。
活字で見ても遠くの出来事のように俺はピンとこないまま、と連絡をとる事もなく日が過ぎていた。


ハナちゃんからは時々だが主任に近況のメールが届く。
最新設備の情報だとか研究に関することの他に、彼女の住む街や面白い発見などが書かれていた。
届くたびに主任は近くにいるスタッフを呼び、彼女のメールを共に読む。
俺もさりげなく主任のディスプレイを覗き込み、機械的な文字を追うのが常だ。


直筆の文字でもないのに、文章のリズムから元気なハナちゃんの姿が浮かんでくる。
使ったことにない最新の分析器に目を輝かせている顔や、
最初に出来た友達に笑顔イッパイで喋り続ける姿が目に浮かぶ。
ハナちゃんは、どこに行ってもハナちゃんだ。



・・・会いたい。



ねぇ、こんなにも会いたいと思うのは・・・何故なんだろう。
ハナちゃんを思い出すたび切実に思ってしまう。
ただ会いたいと思うんだ。


彼女の新しいメールアドレスは主任に聞けばいい。
聞かなくても研究所の名前が分かっているのだから、住所ぐらいネットで調べれば直ぐに分かるだろう。


住所が分かれば手紙だって出せる。
分かっているのに、それをしない俺だった。



だってハナちゃんは俺を必要としていないんだ。
どんどん俺に近づいて気持ちを一方的に告げたかと思えば、何の未練も見せずに一瞬で俺の前から消えた。
ハナちゃんの中で自己完結されてしまった俺は身動きが取れないままだ。





『あなたじゃないと駄目な人がきっといます。

 無理に忘れなくていいんです。
 誰かを好きになった乾さんを丸ごと受け止めてくれる人がきっと現れます。』





君は俺に言ってくれた。


でもね、考えたんだよ。
ハナちゃんはどうなんだい?


君にとって俺は『あなたじゃないと駄目』な人間じゃないのか?
君は俺を丸ごと受け止めてくれる人じゃないのか?



主を失った研究室には新たな機材が運ばれ別のグループが実験を始めている。
ハナちゃんが此処にいた形跡はあっという間に消えてしまった。










二日続けて研究室泊まりの俺は疲れきって駅を目指していた。



何とはなしに裏道を歩いていたのだけれど、その道がハナちゃんと初めて歩いた道だと気づく。
遠くに見覚えのある銭湯の温泉マークを見つけたからだ。


やっぱり銭湯の前に行くと生暖かい湿気と石鹸の香りがする。
しばらく銭湯の明かりに照らされた路上で考えてから、俺は懐かしい暖簾をくぐった。


幸いな事にお喋りなお爺さんはいなかったから、数人の客に混じってゆっくりと足を伸ばした。
身長が高いと1LDKのユニットバスなんかじゃ収まらなくて湯船につかる事など殆どない。
銭湯では遠慮なく足を伸ばせるのが嬉しかった。


下手なハナちゃんの鼻歌は聞こえない。
水音と桶の音が響くだけの銭湯は、気持ちが良かったけど少し寂しかった。


今日は自分でビン牛乳を買い一気飲みする。
そういえば中学生の頃、越前に牛乳を飲むようアドバイスしたことがあったっけ。



『乾先輩が背が伸びるって証明してるんスから飲みますよ』と、顔をしかめながら素直に飲んでたアイツは可愛い後輩だった。



ここ最近、酷く昔が懐かしいんだ。
俺も歳をとったということだろうか。
一番頑張った季節が、やけに眩しく思い出されてしょうがない。


外へ出れば満月に少し足りないくらいの月だった。
今夜は俺独りを柔らかな黄金色が照らしている。



この月はハナちゃんが見る月と同じだ。
場所は違っても、時間が違っていても、月は一つしかないからハナちゃんも見る月。
そう考えると胸の奥が寂しさに軋んだ。



君は今・・何を見てるだろう。



ハナちゃんに怒られそうだと苦笑しながらも銭湯のタオルは置いてきた。
ついでだからハナちゃんと行った定食屋にも寄って、
バラエティー番組の取ってつけたような笑い声を聞きながら一人でコロッケ定食を食べる。
相変わらずホクホクの美味いコロッケに慰められる思いだった。





その夜、俺はハナちゃんの夢を見た。


俺は青学のレギュラージャージを身に纏い、熱いコートに立っていた。
立ち向かう対戦相手が誰だかは定かでない。
だが正面のフェンスに指をかけ、俺をジッと見つめているハナちゃんだけはハッキリと見えた。


学生時代のハナちゃんは見たことがないというのに、彼女は青学の制服を着ていた。
分厚いメガネはそのままに、化粧っ気のない俺の知っているハナちゃんがこっちを見ている。


俺は渾身の力を込めてサーブを打ち込んだ。
相手は一歩も動けずサービスエースが決まる。
その瞬間に何より早くハナちゃんの表情を確認すると、
彼女は小さな手をパチパチと叩いて嬉しそうに笑っていた。
夢の中の俺はハナちゃんが笑っている事にホッとして、また位置を変え次のサービス体勢に入る。


これで勝ちだ。
夢の中の俺は思って、もう一度ハナちゃんがいるのを確認してから最後のトスを上げた。



『ゲームセット、ウォンバイ 乾!』



やったよ、ハナちゃん!
ゲームセットの声を聞き、額の汗を拭ってハナちゃんの立つ場所に目をやる。



なのに・・・ハナちゃんは忽然と消えていた。



途端に拍手や人のざわめきが消え夢は無音となる。
あんなにたくさんいたはずの観客も消え、俺はジリジリと胸を焼くような焦燥感に追い立てられてハナちゃんを探した。


息を切らせて走り回りながら、
『ハナちゃんはアメリカに行ってしまったんだ』と、もうひとりの俺が教えている。


なのに青学のジャージを来た俺は泣きそうになりながら、闇雲に走ってハナちゃんを探すんだ。
それは全国大会の会場であったり、青学のコートであったり、研究所の裏庭だったりするのだが、どこにも彼女の姿はない。
夢なんだと意識が訴えているのに目が覚めないで俺は探し続ける。
いるはずのないハナちゃんを死に物狂いで探している自分が切なくて、堪らない気持ちになった。


とうとう夢の中の俺はアスファルトに膝を突き顔を覆う。
とても大切なものを失くしてしまった喪失感に震えながら、ただハナちゃんの名前を繰り返し呼んだ。





目覚まし時計の音で夢から覚めた。
緩慢な動作で目覚ましを止め、
じっとりと体に汗をかいているのを感じながらボンヤリと天井を見つめる。



泣いてしまう前に目が覚めてヨカッタ・・・・



額に手を当てて、ふと気づく。
なんてこった。俺はどうも風邪を引いて発熱したらしかった。



久しぶりに寝込んだ俺は、痛む頭と鉛のように重い体を持て余しながら寝るしかなかった。
飲んだ風邪薬が浅い眠りを誘い、俺に何度も繰り返し淡い夢を見せる。
夢の中で俺は後悔をしたり、迷ったり、誰かを探したりとロクな夢を見やしない。


目覚めるたびに白い天井を見上げ、俺は自分の心に問いかけていた。





答えが欲しい。





自分の中にある答えが見つけられなくて、俺は迷子の子供みたいになってるんだ。





秒針の音さえ聞こえそうな部屋の中に、突然不釣合いな携帯の着メロが流れてきた。
これは唯一人にだけ設定してあるメロディだから無視は出来ない。
だるい体を無理矢理起こし、
ベッド脇のテーブルに置かれた携帯を手に取り耳にあてると倒れるように再びベッドへ身を沈めた。



「やぁ。」


『久しぶり、元気?』
「久しぶりだっけ?ああ、君の名前は活字で見てたから久しぶりの気がしないな。」


『活字?ねぇ、それより声が変よ?どうしたの?』
「何年ぶりだろう。今、体内でウィルスを増殖させてるんだ。」


『大丈夫なの?病院は?』
「ウィルスに薬は効かないよ。辛い症状を緩和させるためだけの薬をもらいに何時間も待てるもんか。」


『もう、乾ったら・・』



久しぶりに聞くの声は懐かしくて心地いい。
携帯から聞こえてくる彼女の声に耳を傾けて目を閉じると、心地よさとは別に痛む想いがあった。


それはに対するものじゃない。
ハナちゃんに対する罪悪感みたいな不思議な感情だ。


俺はにアメリカでの暮らしぶりを訊ね、彼女は遠慮がちに聞かれたことにだけ答える。
無意識にの住む街がハナちゃんの住む街とはどれ位離れているのかを
廻らない頭で計算していた俺は気づいてしまった。
の言葉すべてをハナちゃんに結び付けて考えている俺。



『こっちはね、お天気が好くて』 お天気はハナちゃんも好きなんだ。


『大陸が大きいっていうか、空が広いのよ』 彼女もきっと大きな空を見上げて、眩しそうに目を細めているだろう。



ああ、どうしよう。
会いたくて、胸が痛いよ。



『乾?ね・・・何かあった?具合、そんなに悪いの?』


「胸が・・・痛くて」
『胸?それ、ただの風邪じゃないんじゃないの?直ぐ病院に、』


「無理だよ。医者なんかじゃ治せないんだ。」
『どうしたの?』



は子供にでも問いかけるように語調を和らげた。
俺は汗ばむ額に手を当て、目を閉じたまま携帯を握っている。



「会いたいと思う人がいるんだが・・・会っていいものか分からずに困っているんだ。」


『近くの人?』
「ああ。とても近くにいると思ったけれど、遠くに行ってしまった。」



が黙り込んでしまった。
ひょっとして誤解させたかもしれないと、俺は言葉を継ぎ足す。



「言っとくけどじゃないよ?だけど、がネックなのは事実だ。」


『私が?』


「そう。こんな事を君に相談するのも馬鹿みたいだが・・・病人だと思って聞き流してくれ。
 俺は今もが好きだと思う。それは本当だ。
 だけど、もうひとりね・・・とても会いたくて堪らない人がいる。
 そのコが俺の前からいなくなって、どうしようもなく寂しくて懐かしくて・・・会いたくて堪らないんだ。

 追うのは簡単だよ。彼女の居場所だって、直ぐに分かるんだ。
 でも、まだを好きな俺が『会いたい』って理由だけでは追えない。
 それは彼女を悲しませる事になる。
 分かっているのに・・・会いたいと思う気持ちが抑えられないんだ。」





携帯が不通にでもなったみたいに静かになった。
電波が途切れたのかと思った時、穏やかなの声が耳に届いた。



『乾・・・馬鹿ね』



「自覚してるけど?」


『違うわ。乾は大事なことに気づいていないから馬鹿と言ったの。』


「なんだい?教えてくれよ。」


『乾・・私が連絡しなかった二ヶ月間、そんなにも私に会いたいって思った?
 昔は思ったかもしれない。でも今は違うでしょう?

 あなたが会いたいと思うのは、誰?
 どうしようもなく会いたいなんて・・・恋以外にないわ。』



先に進むって言ったのは乾なのに、何を迷って立ち止まってるの?



は笑いを含んだ声で優しく俺に問いかけた。





















嘘つきな酔っ払い 7  

2006.12.05




















戻る     テニプリ連載TOPへ     次へ