約束 8
『手塚。調子はどうだ?今度こそ優勝かと、試合を見るのが楽しみだよ。
センターコートに立つお前とテニスをしてきたなんて、
凄いことだったんだな・・・って、英二とも話したんだ。
とにかく、もう少しだ。お前の言葉を借りるなら・・・油断せずに行ってくれよ。
ところで。今日、さんに会ったよ。本当に偶然。
仕事で原稿を取りに行くところだったらしくて、あまり長くは話せなかったけど元気そうだった。
綺麗だったよ。駅で会ったんだが、まだ赤い定期入れを持っていた。
見たわけじゃないけど、あの定期入れには・・・手塚の写真が今も入っている気がして。
一瞬、訊ねようかと思ったけれど、やめたよ。彼女に訊ねるのは、お前だと思ってね。
手塚、不器用すぎると思っていたけれど。俺は感動もしてるんだ。
ひとりの人を想い続けるなんて。小説か、ドラマの話ぐらいだと思っていた。
お前は凄い奴だよ。ホント。
俺がさんの情報を送るのも、これが最後になるといいな。
まぁ、別に頼まれて始めたことじゃないけどさ。
とにかく。頂上は見えた。夢を掴んでくれよ!
大石 』
深夜に開いたノートパソコンのディスプレイに浮かぶ言葉を目で追って、手塚は大きく息を吐いた。
親友からの定期便。
彼とは、ずっとメールでやり取りを続けていた。
大石は手塚の近くにいたから、彼の性格もよく分かっている。
との事も、手塚が口にしなくても察する部分があった。
そんな大石が、の噂を聞いてはメールにしてくれた。
『彼女、本屋のバイトを続けているらしい。不二が駅前で会って話したって。』
『同窓会にさんもきてたよ。元気そうだった。
大丈夫。恋人はいないって、友達と話していた。
けど、彼女。綺麗になってたから・・・他の奴らが声をかけてて。
仕方ないから俺が間に入っといたぞ。』
『さりげなくさんがバイトしている本屋に寄ってみた。
ここ最近、全く彼女の話を聞かないから・・・ちょっと心配になってさ。
俺を見て驚いてたけど、元気だった。小さな出版社の就職試験を受けたって。
嬉しそうに話してた。他の私生活の部分までは、さすがに聞けなかったよ。』
この四年間に大石のくれたメールは、どれひとつ消さずに保存してある。
僅かな彼女の様子でも、手塚にとっては何より知りたい事だった。
あとは毎年送られてくる、誕生日カードとクリスマスカード。
それだけが自分とを繋いでいる。
毎年、カードが送られてくる時期になると落ち着かない。
もしも、カードが途切れたら。
に大切な人が出来た時だと思っていたからだ。
毎日毎日、ポストを覗いて。
からのエアメールを見つけると安堵感と共に胸がいっぱいになる。
丁寧に封を切れば、彼女らしいカードと文字。
たった一行の文を何度も読み返し、手書きの文字を指でたどる。
そのたびに『会いたい!』と心が叫んで苦しい。
突き上げるような想いをねじ伏せて、翌日もラケットを手にコートに立つ。
会うためには・・・強くなるしか道がないから。
パソコンの電源を落とし、椅子に深くもたれた。
デスクの上には青いブックカバーの小説とバスの定期入れ。
明日から試合に向けてマンションを離れる。
その準備は、ほぼ終わった。
手塚は本と定期入れを手に立ち上がった。
最後に入れようと思っていた大切なふたつを荷物の中に仕舞うために。
そう。もう一息だ。
油断などするはずもない。
カバンのファスナーを閉めたあと、ふと思い立ってブラインドを上げた。
都会の空は明るくて星も少ない。
それでも一番輝いている星に向かって願いをかける。
『夢が叶いますように』と。
は電気屋のテレビの前で立ち尽くしていた。
手塚が無数のフラッシュを浴びながらトロフィーを掲げている。
駅前では号外が配られた。
繰り返されるニュースを、まるで夢でも見ているような気持ちで聞いている。
日本人初と連呼され、最後のショットが決まった瞬間が繰り返し放送される。
トロフィーと共に、副賞には1カラットのダイヤモンドが贈られたとか、
興奮気味のアナウンサーが話し続けていた。
そして、手塚が英語でコメントしている姿が映し出された。
アーケード内で聞く手塚の声は、の耳にざわめきと共に響いてくる。
焼けた肌、引き締まった大人の顔になった手塚を見つめていたら・・・視界は歪んでいった。
「手塚君、おめでとう」
小さく呟いて。目じりの涙を拭い、は会社に戻るために歩き始めた。
腕には新人作家から預かってきた大事な原稿がある。
早く戻って、じっくり読み込んで。金田さんにも相談しなくちゃ。
きっと、いいものになる。
そう思える出来だから。
遠のいていく喝采と手塚の話す英語を聞きながら、は前を見て歩いていた。
それからも、しばらく。
日本中、テニスと手塚の話題で持ちきりだった。
も新聞を切り抜き、いつもと同じようにスクラップにした。
テニス雑誌の手塚特集も買った。
だが、日常は何も変わらない。
会社と家との往復。たまに、大好きな店主のいる本屋に寄る。
彼は来ない。連絡もない。
昼間、原稿を取りに電車に乗った。
人の少ない時間だったから、シートに座ることが出来た。
見上げた天井には、週刊誌の中刷り広告がぶら下がっている。
どれにも大きな文字で『手塚国光』という名前が載っていた。
『まるで雲の上のような人だ』と、頭に浮かんだら泣きたくなった。
この四年。
ただ、彼が夢を掴む日を待っていた。
待って。彼が夢を掴んだとき。
自分と彼との間には、埋められないほどの距離があいてしまっていた。
届かない人。
彼は・・・世界の手塚国光になってしまった。
目を閉じれば、青学のレギュラージャージを風にはためかせていた背中を思い出す。
詰襟の学生服をキッチリと着た彼が、振り返って『』と優しく呼んでくれた。
図書室で本を読む横顔。
メガネを外した無防備な寝顔。
照れたように視線をはずのも。
口元を押さえて言葉を捜すのも。
困ったときメガネをあげる仕草も。
全部・・・遠い記憶。
何度も揺れた心。
優しくしてくれた人もいた。
恋心をぶつけられたこともあった。
それでも、やっぱり彼が好きだった。
挫けそうになるたびに『彼が夢を掴むまで』と心を強くしてきたけれど。
今は・・・本当に辛い。
彼が優勝を決めて、もうすぐ1ヶ月がたつ。
そして、自分の誕生日は・・・今週末だ。
今日も帰ったらポストを確認してしまうだろう。
何もないことに心は傷つくだろう。
それでも待つのが分かっているから・・・哀しい。
この誕生日にカードが途切れたら。
約束は捨てよう。
昼間の電車。
周囲の人間が他人に無関心なのが、今は救われる。
溢れてくる涙が流れないよう必死で止めながら、窓の外を見た。
今日も、空は真っ青だった。
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