約束 最終章
「ちゃん、れいの新人クン。編集長から許可が出たよ。おめでとう!」
「本当ですか?!」
思わず立ち上がったの肩を金田がポンポンと叩いた。
「どうだい?最高の誕生日プレゼントだろ?君の探してきた新人の書いたものが本になるんだ。」
「ありがとう・・・ございます。夢が、叶いました。」
頭を下げたら、勝手に涙が出てきた。
金田が泣き出したに焦って
「あっ、いや。気持ちは分かるけど・・・参ったなぁ」とオロオロする。
周囲のスタッフが「金田さんがちゃんを泣かした」などと、はやしたてて
小さなオフィスは笑いで包まれた。
も笑いながら涙を拭った。
昨日は哀しくて泣いたけれど。
今は嬉しくて泣いている。
これでいい。
私は、信じた道を歩いていこう。
気のいい同僚達に祝福されながらは心を新たにした。
『ちゃん。今日、誕生日だったろう?
おじさんから誕生日プレゼントがあるから、会社の帰りに寄ってくれるかい?』
そういって本屋の店主から電話があったのは、その日の夕方のことだった。
急なことに驚いたけれど、おじさんにも夢が叶った事を直接知らせたくて
『行きます』と答えて電話を切った。
誕生日だし出版決定祝いも兼ねて飲みに行こう!と盛り上がっている同僚に頭を下げて
は会社を出た。
『なぁんだ。彼氏との約束があるんだ。そりゃそうだよね、同僚より恋人が大事さ。』
『そんな人いませんって。ただ、お世話になった方と約束があって。すみません。』
『じゃあ、日を改めて。ちゃんと、付き合えよ!』
『もちろん!楽しみにしてます。』
店主との約束がなければ行っても良かった。
家族が祝ってはくれるが・・・彼からのカードが届かなかった誕生日。
それをどうやって乗り越えていけばいいのか・・・今朝までは暗い気持ちだった。
ラッシュの電車に乗って、本屋を目指しながら昨日からのことを思い出す。
手塚からのエアメールは来なかった。
いつも、誕生日の2-3日前には届いていたカード。
一度だって誕生日を過ぎた事はない。
昨日は泣いたのだ。
僅かに望みを託した誕生日の今日も、配達が来る午後に確認の電話を家にしてみた。
今日は休みの母親が『ダイレクトメールしか来てないけど?』と答える声を
絶望的な気持ちで聞いた。
消えた約束。
皮肉なことに。約束の消えた今日に自分の夢が叶った。
もう、哀しい涙は出なかった。
つり革に捕まりながら微笑む。
どこかで神様が見ているとしたら。
ここまで想い続けた私に、ご褒美をくれたのかもしれない。
ずっと諦めなかった。
ずっと信じていた。
そんな私を『えらかったね』と慰めてくれてるの。
そんなことを思っては、一人で笑った。
本屋に続く、通いなれた道を歩く。
コツコツと闇に響くヒールの音に、自分が大人の女になったことを思った。
電車を降りるときに出した定期入れ。
随分と古びて皮もはげている。
明日にでも・・・新しいものを買いに行こう。
写真は捨てられないから。
綺麗な小箱に、青春の思い出として仕舞おう。
そして、いつか。
懐かしく見られる日が来たなら・・・捨てよう。
テニス雑誌は資源ごみに。
スクラップも。
彼と交換した小説もブックカバーも。
すべては綺麗な小箱に封じ込めよう。
大丈夫。私には、まだ夢の続きがある。
出版の許可が出ただけだ。
まだまだ、これからやらなくてはならないことが山のようにある。
週明けには作家に会いに行こう。
本の装丁をしてくれる人を探さなくちゃ。
ここ数日にない、爽やかな気持ちだった。
胸の傷は大きくて痛むけれど。
歩けないほどじゃない。
『私も頑張るよ、手塚君。』
一番星を見つけて、は心の中で誓った。
本屋につくと、臨時休業の札がかかって古びたカーテンがガラス窓のうちに引かれていた。
どうかしたのかしら?と、引き戸に手をかけると簡単に開いた。
ガラガラと戸を開けて、カーテンの隙間から顔を出せば店の奥から出てくる店主と目が合った。
「こんばんは。もう、店を閉めちゃったんですか?」
「」
問いながらカーテンを抜けて店内に足を踏み入れたとき、名前を呼ばれた。
何の心構えもなく。無防備な心のままに聞いた声。
は反射的に、声の聞こえてきたレジカウンターを振り向いた。
そこには。手塚が立っていた。
の抱きしめていた茶封筒が音を立てて落ちる。
あ・・・大事な原稿のコピーなのに、とか。
テレビで見ていたより体が大きいな・・・とか。
髪が伸びてる・・・とか。
今、考えなくてもいいようなことが頭をめぐる。
信じられないのだ。
彼が目の前に立っていることが。
彼の瞳に自分が映っていることが。
彼が名前を覚えていたこと。
彼の口から名前が呼ばれたことも。
全部。全部。信じられない。
息をすることさえ忘れていたかもしれない。
黙って見つめ合った時間は、酷く長かった気もするし、数秒だったかもしれない。
真っ直ぐにを見つめた手塚が、固い表情で拳を差し出してきた。
その手のひらに握りこまれた物が、の目の前で開かれる。
手塚の硬い手のひらに輝くのは。
ダイヤモンドの指輪。
「これは、優勝した副賞で貰ったダイヤモンドだ。指輪に直すのに・・・時間が、かかった。
遅くなったが・・・夢は掴んだ。
だから、迎えに来たんだ。
あの約束が・・・有効なら。受け取って欲しい。」
瞬きも忘れたに、一歩、また一歩と手を差し出したまま近付く手塚。
触れられるほどの距離まで近付いた手塚が、そっと右手での目元に触れた。
躊躇いがちに触れた手。
伺うような瞳で、の顔を覗きこみながら優しく頬を包む。
「。泣かないでくれ・・・」
そう囁かれて。
目の前のダイヤモンドが涙で、きらめいているのだと分かった。
キラキラと星のように輝く。
手塚が四年以上をかけて掴んだ夢が、形となってに差し出されている。
こんな幸せが、あっていいだろうか。
震える指を持ち上げると、頬に触れていた手塚の右手が素早くの指を取る。
「左手の薬指でいいか?」と問われて。
は小さく頷いた。
薬指に指輪をはめると、が微笑んで言った。
「おかえり・・・なさい」と。
彼女の泣き笑い。
笑顔の頬に、ダイヤモンドに負けないくらい美しい涙が滑り落ちていく。
やっと、会えた。
やっと、のもとに帰ってきた。
もう・・・二度と離しはしない。
言葉では、とても伝え切れなくて。
手塚の伸ばした手はの細い肩に触れ・・・。
次の瞬間には、力いっぱい自分の胸の中に抱きしめていた。
「ただいま。・・・。」
懐かしい彼女の香り。
の肩に顔を埋めて、やっと搾り出した言葉に。
会いたかった・・・と。手塚の声にならない言葉が続いた。
店主はの指にダイヤモンドの指輪が納まるのを見届けてから、黙って店の奥へと入っていく。
もう、可愛い彼女の寂しそうな顔を見ることはないだろう。
若い二人の想いの強さには、この年寄りさえ胸が熱くなった。
彼女の心のうちにある本は、素晴らしいものとなるだろう。
彼とて・・・同じ。
ただ幸せを祈ろう。
彼らの未来に光りがありますように。
長い月日を越えて。
二人の約束は果たされた。
戻る テニプリ連載TOPへ 次へ