立海に真田弦一郎あり。
いつから、そう呼ばれるようになっただろう。
学校内で弦一郎の名を知らない人はいないと思われるほどの有名人。
日本男児的な強さを感じさせる整った容姿と何ものにも屈しない強靭な精神の持ち主。
遠巻きに弦一郎を見つめては女の子達が頬を染めていた。
私もその中の一人。
でも少しだけ違っていたのは、私が他の人より弦一郎に近いことだった。
遣らずの雨 2
放課後、美しい夕焼けに目を細めながら歩いていたら後ろから声をかけられた。
振り向けば弦一郎だった。その後ろには柳君も立っている。
「。今から帰るのか?」
「委員会があって遅くなったの。二人揃って、どうしたの?」
「顧問のところに行っていた。なんせ我が部の副部長は交渉に不向きだからな。」
「何を言う?俺は一人で構わんと言ったのに、蓮二が勝手についてきたのだろう?」
「色々と気懸かりで弦一郎ひとりでは行かせられなかったのだ。」
「なんだと?」
相変わらず楽しい二人のやり取り。
弦一郎にハッキリものが言えるのは柳君と部長の幸村君ぐらいのものだろう。
私は笑いを耐えながら口を挟んだ。
「確かに。弦一郎には不向きだよね。」
「ほら。も認めている。お前も自覚しろ。」
「知らん。、今から帰るのでは暗くなる。俺が送っていこう。部室の前で待っていろ。
コートの様子を見たら戻ってくる。」
何でもないように弦一郎は言って、私の返事も待たずに背を向ける。
焦る私が「いいって!」と止めるのに全く無視。
柳君は困った私を見て、クスクス笑いをしている。
「。弦一郎は超がつくほどの鈍感だぞ。はっきり、口にしてやらなければ何も通じない。」
「え?だから、いいって・・・」
「違う、気持ちの事だ。弦一郎に一番近いのがだ。自信を持って想いを告げてみるのも打開策だと思うが?」
思わず口元を押さえた私に柳君は益々笑みを深くする。
「弦一郎はを大事に思っている。これは、間違いないと思うぞ。」
「・・・ありがとう。」
「いや、お節介だったな」と、柳君が微笑んだ。
同い年とは思えないほど思慮深く落ち着いた彼。
彼にはバレバレな私の気持ちでも、肝心の想い人には全く通じてないのが辛いところ。
弦一郎はテニスを恋人にしてしまってるから。
私たちは小学校からの同級生。
柳君は途中から転入してきたけれど、弦一郎とはずっと一緒だ。
小さい時から子供らしからぬ雰囲気を身に纏っていた弦一郎は、ここ最近さらに近寄りがたい人になっている。
彼を怖いとか取っ付き難いと思ってる人は多いようだけど、実際の弦一郎はとても優しい。
ただ自分に厳しい分、他者にも同じ厳しさを求めるから誤解されているだけ。
テニスで全国的にも名を馳せ、いつの間にか有名な人になってしまったけれど、今でも変わらず私に接してくれる。
男女を意識する頃より前から、弦一郎に恋をしていたんだと思う。
気づいたときには彼しか視界に入っていなかった。
片想い歴は十年以上の大ベテラン。
想いを言葉にする勇気もなく、
私だけが知っている優しい弦一郎を独り占めできる心地よさを手放せなくて長く片想いを続けてきた。
恋愛になんか目もくれない弦一郎。
ちょっと寂しいけれど・・・安心もしてる。
私もだけど、他の人とも恋をすることは無いだろう。
もうしばらく居心地のいいポジションでいたい。
私は甘く考えていた。
「。待たせたな、帰るぞ。」
「あ、うん。ね、いいの?他にやる事があったんじゃない?」
「かまわん。後は蓮二が引き受けてくれた。アイツがおれば、心配ない。」
「そう、なんだか悪かったね。ごめん。」
「なんだ?お前が謝る理由が無いぞ。こういう時は『ありがとう』だろう?」
言って、大きな手がクシャと頭を撫でてくれた。
それは一瞬だけど、いつも私の心を温かくしてくれる弦一郎のクセ。
私の身長を越えてからは、こうやって頭を撫でてくれるようになった。
とても優しい仕草だ。
隣を見上げれば、夕日に照らされた端正な横顔。
前だけを見つめている強い瞳の力に見惚れてしまう。
大好き。
いつも心のうちだけで。もう数え切れないほど想いを呟いてきた。
ずっと先でいい。あなたの隣に友達ではない私が立っていられたなら・・・
願うたびに胸が甘く締めつけられた。
『お前さんのことは俺が引き受ける。じゃから、真田のことは諦めんしゃい。
そうでもせんと一人で泣く事になるじゃろ?』
あの時の返事を私はしていない。
頷きもしなかったが、拒否も出来なかった。
『かわいそうにな、』
そう言って、弦一郎と同じように頭を優しく撫でてくれたから。
私は何も言えず、ただ泣いてしまったのだ。
隣にずっといてくれた仁王君。
確かに私は一人で泣かずに済んだ。
だけど・・・
「。部活の後、一緒に帰ろうか?」
「いいよ。だって、遅いでしょ?」
「今日はコート整備が入るから、早めに切り上げなんじゃ。せっかくやきに、デートでもしようぜよ。」
「でも、」
「4時に部室の前でな。待っちょるから、」
ひらひらと手を振って薄いカバンを小脇に走り去る仁王君を溜息と共に見つめる。
詐欺師とのあだ名通り、テニスも恋愛関係も曲者だと噂されていた彼。
かなりモテるらしいが誰にも本気になったことはないと聞いていた。
優しかったり冷たかったり、いったいどれが本当の仁王だか分からないと。
でも、私の知る仁王君は純粋に優しかった。
弦一郎の前で『キス』という単語が飛び出して、かなり遊んでいる噂と重なった私は怯えた。
だけど仁王君はキスどころか手さえ握らない。
強引に手を握ったのは弦一郎と廊下で会った日だけだった。
穏やかなに微笑んで、ほんの少しハスキーな声で『』と呼ぶ。
『、平気か?一人で泣いたりしちょらんか?』
『気晴らしに何処かへ行くかの?どこがええ?お前の好きなとこに付き合うぜよ。』
『もちょっと食べんさい。そんな細っこい体じゃ、夏がつらかろう。』
『笑うてみんしゃい。お前さんは笑顔が一番ええんじゃ。』
このままでは駄目だと思う。
いつも傍にいて優しい言葉をかけられ続けるのに甘えてばかりはいられない。
弦一郎は・・・諦められない。
余りに長く想い続けてきたの。この年数を覆すのは難しすぎる。
何度も言いかけた断りの言葉は、そのたび仁王君にはぐらかされていた。
今日こそ、断わろう。
そう決心して、私は4時まで図書室で時間をつぶす事にした。
約束の時間。
まだ日が溢れるグラウンド脇を通ってテニス部の部室に向かった私が見たものは、一番見たくないものだった。
弦一郎と彼女。
紺色のブレザーはどこの学校だったっけ?
まわらない頭で考えて、都内のミッション系スクールのものだと気づく。
薄茶の長い髪がカールされた、美しい人だった。
向かい合って話している二人に『お似合いだな』と思えば、胸がどうしようもなく痛む。
笑えたらいいのに。
弦一郎の肩を軽く叩いて『あんな可愛い彼女、なんで隠してたのよ』と、おどけて言えたらいい。
それが言えたなら、せめてもの『友達』というポジションが確保されるはずだ。
でも、どうやったら笑えるの?
あなたの隣に誰も立つはずがないと思っていたなんて馬鹿な私。覚悟すらできていなかった。
柳君に私が弦一郎に近いと言われて、ちょっと自惚れてたの。
私より、もっと近い人がいるのも知らずにね。
好きって気持ち、一瞬で消せる力が欲しい。
好きな人が別の人と立つ姿を見ても、痛みを知らない心が欲しい。
気づけば皺が出来るほど胸元のブラウスを掴んでいた。
膝が小刻みに震えて、遠ざかりたいのに力が入らない。
見たくないのに体が震えて動けずに、ただ大好きな人が私とは違う人を見つめる姿を見つめてる。
壊れてしまいそう。
「っ」
後ろから肘を引かれた。簡単に引かれた私の顔を見た仁王君の眉間に皺が寄る。
「行こう」と、まだユニフォーム姿の仁王君が肘を掴んだまま歩きだす。
弦一郎たちに背を向けて、図書室から歩いてきた道を逆戻りして裏庭を突っ切る。
景色が飛んでいくような速さで歩く彼の後ろを小走りで追いかけるような格好。
途中、仁王君は何度も言った。
「ごめんな。ごめん。もっと、早くに気づいとりゃ・・・あんなとこ見せんですんだに。」
人気の無い校舎裏にまで来て、振り向いた仁王君にいきなり抱きしめられた。
抵抗する間もなく、強く腕の中に閉じ込められると初めて知る男の人の香りがした。
鼓動が早い。体が熱い。そんな腕の中に閉じ込められて。
なのに片手で柔らかく髪を撫でられた。
目を閉じると、目じりから温かい涙が流れていくのを感じた。
そっと頭を胸に押し付けてくれた仁王君のウェアーに顔を埋めて泣く。
「ごめんな・・・」
なんで仁王君が謝るの?謝るのは私なの。
また、甘えてしまう。
ごめんなさい、仁王君。
私の心のうちなど知っているだろう仁王君が何も言わず抱きしめてくれるのをいいことに。
仁王君の胸で。
弦一郎のことを想って私は泣いた。
『ごめんなさい』は、私の言葉。
ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。
どうぞ、あなたが私の恋心を消してください。
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