遣らずの雨 3












あの日から、私と仁王君の距離が縮まった。
仁王君は今まで以上に私を一人にしないよう気遣ってくれる。
私と帰る約束の待ち合わせも学校近くのコーヒーショップになった。


反対に弦一郎とは距離があく。
今まで一日一回は顔をあわせて挨拶ぐらいはしていたのにと考えて、
それは私が会いたくて弦一郎の姿を追っていたからだと気づく。
私が努力しないと何日も会えない人。自分と弦一郎の想いの差を今ごろ理解した。



「あ、。髪に葉っぱがついちょるぜよ。」
「え?」
「じっとして、取っちゃろ。」



私の前に長くて奇麗な指が伸びてくる。無骨な弦一郎の指とは全く違う仁王君の指。
そんな事を考えていたら、いつの間にか彼との距離がとても近くなってることに気がついた。
思わず顔を上げれば、吐息を感じられそうなほど近い仁王君の顔。
あっ、と咄嗟に目を閉じる。
頭を掠めた覚悟。けれど、触れてきたのは前髪かきわける指と柔らかい額へのキスだった。
遠ざかる温もりに目を開けば、バツの悪そうな顔をした仁王君が頭をかいている。



「あーっと、すまん。つい、な。なんか可愛らしくて・・・ああ、いかん。いかん。」
「仁王君、私は」



何もかも仁王君に奪って欲しかった。
弦一郎のことを忘れてしまえるぐらい、根こそぎさらって欲しいと願った。
なのに、言いかけた唇を仁王君の人差し指が止める。



「待ちんしゃい。ヤケになったらいかんぜ。もっと、自分の気持ちを大事にしんしゃい。な?」



瞳を細めた仁王君が「あーあ。腹が減ったのう」と話題を変えて歩き出す。
私には彼の考えている事が分からなくて、縋りたいのに放り出されたような気持ちになってしまった。
とても優しくて甘えさせてくれるのに、私から飛び込もうとすると身を翻す。
仁王君の気持ちも何処にあるのか掴みきれない。
色々な思いに囚われて沈んでいたら、急に冷たい缶が頬に押し付けられて飛び上がった。



「冷たいっ」
「ほら、奢りじゃ。しょぼくれた顔せんと、スマイルスマイル!」


「うん、ありがとう。」
「もう、そろそろじゃ。」



そろそろ?何が?



問いかけようとしたけれど、仁王君はポンポンと私の頭を撫でて鼻歌交じりに歩き出した。
そろそろの意味。私には何も見えていなかった。










試験期間になり、校内の部活はすべて禁止される。
柳生君にノートを写させてもらうという仁王君とは、少し離れた場所にある大型書店で待ち合わせの約束をして別れた。
ちょうど欲しい本があったし、いい時間つぶしになるだろうと思ってのことだ。


朝のうちは曇り空の間から陽射しが射していたのに、今は黒い雲が空を覆っていた。
書店に向かううちにポツポツと雨が落ちてきて、折りたたみ傘を教室に置いてきたことを思い出した私は溜息をつく。
小振りのうちに・・・と足を速めたけれど、雨脚の方が早くに強くなってしまった。
一斉に大きな雨粒が落ち始め、私は書店がそこに見えている軒下で雨宿りをせずにはいられない状態になってしまった。
まだ学校に残っているだろう仁王君に傘を持ってきてもらえばいいかと、
携帯を取り出し開いたところへ水を跳ね上げる靴音が飛び込んできた。







呼ばれて携帯を片手に顔を上げる。
そこには、弦一郎が肩を濡らして立っていた。


カツン、と。雨の音に紛れて携帯が落ちる。
弦一郎は黙って私が落とした携帯を拾い上げ、ディスプレイに目を落とすと眉間のしわを深くした。
険しい表情のままで差し出された、開かれたままの携帯には『仁王雅治』の文字。
仁王君に電話しようとアドレスを呼び出したところだったから。
胃の辺りが、ぎゅうっと締め付けられて下を向いた。
顔が上げられない。弦一郎の顔が・・・見られない。



「お前は、仁王が好きか?」



息が止まった。顔を上げられないまま、緊張した体が震えそうになる。
しばし返事を待つような間があったけれど、縦にも横にも首を振れない私。



「まあ、いい。お前が誰を好きであっても・・・俺には関係のないことだ。」



打ちのめされるような言葉だった。
握り締めた携帯が小刻みに震えるのを感じながら唇をかみ締めて、ぐっと目に力を入れた。
笑顔を浮かべた顔を上げよう。どうか声が震えませんように。



「弦一郎こそ、奇麗なカノジョを隠してるなんて隅に置けないよ。ちゃんと紹介してくれれば良かったのに。」
「あれはカノジョなどでは、ない。」


「だって、柳君が」
「あれは親同士が勝手に決めた許婚だ。」


「許婚・・・」



弦一郎のお嫁さんになる人?雨の音が激しくて、何もかもが音に飲み込まれそうになる。
体中の血液が足元に落ちていくような感覚に膝が震えた。



「だが、やっとカタがついた。すべては白紙に戻り、俺もやっと自分に正直になれる。」



降り続く雨を遠い瞳で追っていた弦一郎が、私に視線を移した。
真っ直ぐに正面から見つめられて、心の中をすべて覗かれそうな強い視線にさらされ身が竦んだ。



。俺は、お前が好きだ。」



弦一郎の唇を見ていた。
すぐそばを車が雨水を跳ね上げながら走っていく。なのに、雨宿りをしている軒下の音が消える。



「お前が仁王を好きでも、俺の気持ちは変わらん。誰に左右されるものではない、俺の気持ちだ。
 もう少し早くに言えばと後悔がないわけではないが、あれがいる間は俺の性格的に想いを伝える事ができなかった。
 柳にも頭が固すぎると言われたのだが、許婚がいる身で先に進むのはどうにも許せなくてな。


 今更、遅いのだろうが・・・言わないと自分がスッキリせん。
 お前は聞きたくない言葉だったかもしれん。つきあわせて、すまなかったな。」



ふっと弦一郎が笑った。
小学生の頃、近所の人に貰ったソーダ味のアイスを真ん中で割って私に差し出した弦一郎の笑顔を思い出した。


『下校時の飲食は禁止だが家に帰っていては溶けてしまう。だから、お前も食べろ。』


人目を気にしながら大急ぎで食べた後『つきあわせて、すまなかったな。』と恥ずかしそうに弦一郎が笑った思い出。



、傘はあるのか?」



問われて思い出から戻ってくる。
首を横に振れば、弦一郎がカバンから折り畳み傘を出してきた。



「使え。」
「い、いいよ。弦一郎が濡れる。」


「いや、俺はこの先のバス停からバスに乗る。本屋で本も買ったし、あとは帰るだけだ気にするな。」
「でも・・・」


「遠慮するな。俺が昔からの同級生である事に変わりはないだろう。
 お前は、すぐに風邪をひくしな。もう少し食事を取って、体も鍛えろ。」



瞳が潤んできて言葉も出ない私に傘を無理矢理押し付けると弦一郎は背を向けた。
気をつけて帰れよと言葉を残し、まだ降り止まぬ雨の中に飛び出していく。
雨に煙る歩道を走り去る弦一郎の背中を見ながら涙が零れた。


握り締めた携帯と弦一郎の傘。
紺色の飾り一つない傘は弦一郎らしかった。



「弦一郎・・・」



私は、しゃがみこんだ。
どうしていいのか分からず、嬉しいのか悲しいのかも分からずに涙ばかりが零れてくる。


パシャッと水溜りを弾く音がした。
顔を膝の間に埋めて泣く私の頭元から聞こえてきた声、それは。



、スカートの裾が濡れるぜよ。立ちんしゃい。」



言葉と同時に腕を引っ張り上げられた。
ほらほら、風邪をひくぜよと、青いハンカチで私の肩を拭う。


仁王君は何も言わない。
眩しそうに瞳を細めると透明のビニール傘を私に差しかけて微笑んだ。



「仁王くん、」
「今は、なんも言わんでええ。というか、聞きたくない。」


「ゴメ・・」
「謝るのも聞きたくないのう。寒いじゃろ?本屋まで走ろうか?」



言いながらも仁王くんの目は本屋を見ていない。


彼の視線は・・・弦一郎が去っていったバス停の方を追っていた。




















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