遣らずの雨 4










今朝は雨。
あのまま普段どおりに努力して時間を過ごした私達は肝心な事を何も話さずに別れた。



眠れないままに一晩を過ごして出した私の答え。
自分でも嫌になるような身勝手な恋心を抱きしめて登校した。


いつもは朝一番に教室へ顔を出してくれる仁王君が来ない。
彼も何か感じているのだろう。昼まで待って、彼が来なければ私が教室に行こう。
朝一番に自分から行けない弱さに落ち込みながら決めた。


一時間目。二時間目。三時間目と、頭の中に何ひとつ入らないで時間だけが過ぎていく。
昼に近づいていくたびに胃の奥が重くなって苦しかった。


そして、昼休み。
のろのろと時間を引き延ばすかのように机を片付ける私の鼓動は落ち着かない。
ふと自分の上に影が落ちてきた。



「今日は雨じゃき。どこぞ、屋根のある所で昼飯を食おうかの。」



ふんわりと微笑んだ仁王くんの顔。それだけで、泣いてしまいそうだった。





体育館の裏にある入り口。そこの階段に並んで座る。
裏の入り口は鍵が掛かっているし、目の前はブロック塀だから人も来ない。
私が話すことが分かっているのだろうか、仁王くんが選んだ場所は二人きりになれる場所だった。


オニギリを一つパクパクと食べてしまった仁王くんがペットボトルのお茶を飲んで両手を膝の上で組んだ。
買ったパンに手もつけられない私は、仁王くんに話すタイミングを探している。



「飯も喉を通らんようやな。それじゃあ、聞こうかのう。」
「仁王くん、」


「遠慮はいらんぜよ。ちゃんと口にしてから、進みんしゃい。」



やっぱり仁王君は、すべて理解したうえで私の前に立ってくれているんだと思ったら胸がつまった。
それでも告げよう。彼の言うとおり、私の言葉で。
私がグズグズとすれば、それだけ仁王君を苦しめる時間も長くなる。そして、弦一郎も。



「私は、」
「うん。」


「弦一郎が・・・好き。だから、仁王君の傍には・・・いられません。ゴメンナ・・サイ」



頭を下げた。他に、どう謝ればいいのかも分からずに深く頭を下げる。
クスクスと笑い声が聞こえてきた。



の気持ちは知っとうよ。ええから顔をあげんしゃい。」
「でも、仁王君に甘えておいて」


「もう謝らんでよか。謝るのは俺の方じゃ。つき合わせて悪かったの。」
「そんなことっ」



顔を上げた私の頬に手が伸びてきて、そっと触れてきた。


すまん・・・少しだけ。
囁くような声と一緒に唇を寄せてきた仁王君からは逃れられなかった。
咄嗟にギュッと目を閉じて、次に感じたのは唇の端・・・口角のあたりに触れた柔らかな唇の感触。
離れていく温もりに目を開けば、目を細めた仁王くんが小さく笑った。



「ファーストキスは真田に残しとうよ。俺は、ちょこっとだけお裾分けを貰うちょく。
 俺に悪いと思うことはない。俺には俺の狙いがあって、を利用したんじゃ。
 だから・・・苦しんだりはしなさんな。分かったな?」



ぽんぽんと軽く頭を撫でると、すっと立ち上がる。
私に背中を向けると「サヨナラじゃ、。」そう残して、仁王君は振り向きもせずに雨に消えてしまった。



行かないで、と心のどこかで仁王君を呼んでいるのは嘘偽りない私。
あなたのこと多分好きになりかかっていた。
こんなにも弱い私がいるなんて、ずっと知らなかったの。



私は携帯を取り出して仁王君のアドレスを呼び出した。削除のボタンを押す。
再度、削除していいかと問われ『はい』のボタンを押すと息を止めて、削除されるのを見届けた。


軒下から雨だれが規則正しく落ちてくるのを眺めながら、仁王君が話してくれた『遣らずの雨』という言葉を思い出す。
優しく切ない雨の糸は仁王君の銀髪みたいで視界が歪む。



ゴメンナサイ。そして、サヨウナラ。



降り続く銀糸に向かって呟いた。












放課後、雨は霧雨になっていた。
弦一郎に借りた折り畳み傘を握り締め、これからどうしようか・・・と考えている私の元に全く知らない女の子が声をかけてきた。


確か上の理数系特別クラスのコ。
男子ばかりのクラスに数名の女子しかいない理数系選抜クラスに在籍している上に、大人っぽく美しい人だから目立っていた。
その人が走ってきたのか息を切らせて私の前に立つと、突然に腕を掴んで引っ張っていこうとする。



「テニスコートよ。来て、」
「ちょっ、ちょっと待って。なにが、」


「仁王と真田君が試合してるの。だから、早く!」



仁王君と弦一郎が試合?何故、二人が?それも、この雨の中を?



「待って、どうして?」
「来れば分かる。仁王の姿を見てやって欲しい。ううん、あなたは見なきゃ。」



名前も知らない美しい人が辛そうに眉間に皺を寄せて言った。
それ以上は何を聞いても「見れば分かる」しか答えてくれなくて、私は彼女に連れられて傘をさしテニスコートに向かった。





テニスコートが近づくにつれ、ボールの音が響いてきた。
中央のコートで審判もなしで試合している弦一郎と仁王君の姿が見えてくる。
フェンスの傍には柳君をはじめとしたテニス部のレギュラーたちが傘もささずに立って見ていた。



「私は、ここまで。あなたは前に行って、ちゃんと試合を見届けてきて。」
「あなたは?」


「私は行けないの。いいから、早く。試合が終わってしまうわ。」



トンと、彼女に背中を押された。
凛とした彼女に強く言われ訳も分からずに、おずおずとフェンスに向かう。
途中で振り向いたら彼女は前を向いたまま小さく頷いた。
そして、静かに背を向けて歩き出す。
華奢な背中が遠ざかるのを不思議な思いで見送ってから、私は足を踏み出した。



私の気配に気づいた柳君が振り向いて、ああ、という顔をした。
霧雨とはいえ、弦一郎も仁王君もウェアが肌に張り付くほど濡れている。
激しいラリーの応酬が目の前で繰り広げられていた。



「どうして、雨の中・・・」
「賭けだ。」
「賭け?」



柳君は真っ直ぐテニスコートを見つめながら話す。



「そう。弦一郎と仁王は・・・お前を賭けて戦っている。」
「ど、どうして?」


「仁王が言い出した。に手を出したのは弦一郎と本気の試合がしたかったからだと。
 を返して欲しければ、自分と試合しろと仁王が弦一郎に持ちかけたのだ。
 俺は止めたのだが・・・弦一郎の頭に血が昇って止められなかった。幸村が知ったら、どんな事になるか。」


「そんな、」


「だが、。お前は見ておいたほうが良いだろう。弦一郎も・・・仁王も、本気だ。」



私は近づき、濡れた水色のフェンスに指をかけて握った。
サービスの構えに入った弦一郎の肩から白い湯気が立つ。
小さな呻き声と共に繰り出されるサーブは水しぶきを上げて仁王君のコートに突き刺さる。
それを見たこともない厳しい顔をした仁王君が歯を食いしばって打ち返していた。


凄い・・・それしか浮かばない試合だった。
仁王君はライン一杯に決まったボールを飛び込んで打ち返す。
そのままコートに倒れこんで水しぶきを上げても、直ぐに立ち上がり打ち返されてくるボールを追った。


仁王君とペアを組んでいる柳生君がポツッと言った。



「あんなに必死で熱い仁王君がいることを・・・私は知りませんでしたよ。」
「弦一郎も手加減はしていない。実力の差は明らかだ。仁王は粘っているが・・・もうすぐ終わる。」



仁王君は見るからに辛そうだ。
どんなボールにも食らいついていく彼の体が悲鳴をあげていることが私にも分かった。
優勢に立つ弦一郎だって肩で息をしている。そんな弦一郎の姿を私は初めて見た。


フェンスを強く掴んだ手が痺れている。
勝手に涙が頬を伝わっていった。ただ、心をぶつけ合うような二人の試合に圧倒されて涙が止まらなかった。


やっとのことで拾った仁王君のボールが高く上がると、弦一郎が捉えてスマッシュを打ち込む。
すぐに体勢を立て直した仁王君が打ち込まれるであろう場所へ走ったが、
最後の最後にきても一寸の狂いもなくボールはコーナーに打ち落とされた。



「ゲームセットだ。」



柳君の呟きに、試合を見ていた全員の肩から力が抜けるのを感じた。
みんな息さえ耐えて試合に見入っていたから。


転がっていくボールを見つめて立ち尽くす仁王君とネットに向かう弦一郎。
「仁王」  と弦一郎に呼ばれて顔を上げた仁王君は・・・確かに笑っていた。


晴れ晴れとした顔をした仁王君がネットに近づいてくると弦一郎は迷いもせずに右手を差し出した。
仁王君も素直に手を出して二人が握手する。



「やっぱ、お前さんは強いぜよ。」
「当然だ。知らなかったのか?」


「知っちょったが、俺に本気で相手してくれたことはなかったろうが?
 俺は、ずっと本気の真田というやつと戦ってみたかったんじゃ。」
「それで、を?」


「そう睨むな。悪かったと思うちょる。心配せんでも手は出してないぜよ。お前に殺されたくはないからの。
 じゃが・・・もう離すなよ。泣かすのもナシじゃ。」
「分かっている。」


「今日は楽しかった。感謝しちょるよ。」
「お前に礼を言われるのは気持ちが悪いものだな。」


「お前さん、酷いな。」



仁王君の明るい笑い声がコートに広がった。
ホッと柳生君が息を吐き、部室にタオルを取りに走る。
柳君は私の背を押して「弦一郎の元へ行ってやれ」と耳打ちしてきた。


フェンスの入り口に近づくと仁王君が先に出てきた。



「ほら、の。俺はを利用したんじゃよ。後は、真田に慰めてもらいんしゃい」  と、ニコッと笑って擦れ違う。


違う。直感的に感じていた。
私の自惚れかもしれないけれど・・・確かに弦一郎と試合したかったのは本当かもしれないけれど。
けれど仁王君の優しさに、微笑みに、温もりに嘘はなかった。
熱い本気の試合には真実があった。そう、思う。
だから、言った。



「仁王君、ありがとう。」



霧雨の中、仁王君は背中で片手だけを軽く上げて去っていく。


彼らしい軽い別れだった。



















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