遣らずの雨 5
他の部員達も柳君に促されて部室へと戻って行った。
コートに残るのは弦一郎だけ。
「、」
呼ばれて、懐かしい声だと思った。
振り向けば漆黒の前髪から雨の雫を滴らせた弦一郎が立っている。
ずぶ濡れの姿を見ただけで、その胸に飛び込んで泣きじゃくりたいような気持ちになった。
「仁王を追わなくていいのか?」
弦一郎らしくない試すような話し方だった。
ううん、と首を横に振ると緊張した表情が少し柔らかくなる。
何かを言いかけた弦一郎の言葉を遮るようにして私は想いを伝える。
もう、逃げるのはやめたいと強く思ったからだ。
「私、あの・・・弦一郎に彼女がいるのを知らなくて。だから苦しくて逃げたの。
逃げずに、ぶつかっていけば良かったのに。本当のことを知るのが・・・怖かった。
そんな時に仁王君に優しくされて・・・気持ちが揺れたのは本当よ。」
「そうか。」
「でも、」
「でも・・・なんだ?」
「やっぱり、私は・・・弦一郎がいい。」
「ん。」
「弦一郎が・・・好きです。」
弦一郎がラケットを振り上げたように見えた。が、それは一瞬。
彼のラケットは素早く私の横を通り過ぎ背中に押し付けられた。
頬には冷たいシャツ、だけど沁みてくる温もりは熱いほど。
体は弦一郎の腕の中に差した傘ごと抱きしめられていた。
「すまん。俺は濡れているのに・・・」
「いい、いいよ。弦一郎、」
「少しだけ、だ。」
「うん。」
私も窮屈に手を伸ばして弦一郎の背中を片手で抱いた。
大きな体。私を包んでくれる大きな手。
体も心も震えるほど、弦一郎が好きだと思える。
もう二度と揺るがないから。
私は・・・弦一郎が好きだよ。
皆が部室に引き上げていく中、仁王の足が止まった。
しばし止まって。ゆっくりと後ろを振り返ると、が差していた赤い傘が揺れて真田の体と一つになっていた。
柳が軽く仁王の肩を叩くと慰めるように微笑んだ。
「弦一郎とには長い二人だけの歴史がある。相手が悪かったと思え。」
「別に。が目的じゃないけぇ。」
「そうなのか?俺には、そうは・・・」
「真田も彼女ができりゃ、ちっとは柔らかくなるじゃろ。おお、冷えたぜよ。早う、着がえんと風邪を引いてしまいそうじゃ。」
柳の言葉をかわして、仁王は部室に向かって走り出した。
詐欺師と異名を持つ男が、そうそう本心を話すはずもないかと柳も深追いはしなかった。
とにかく大事な友人達は納まるところに納まったと安堵の息を吐いて、自分も部室に向かった。
柳が部室に入ると柳生がスポーツタオルを手に「仁王君は?」と聞いてくる。
「なに?まだ、戻ってきていないのか?俺より先に走って部室に向かったのだが。」
「誰か仁王君を見ましたか?」
「あ、いや。俺らの後ろにいたと思ったけど。」
いつもフラッと現れて、いつの間にか居なくなったりする仁王だから、
姿を消しても不思議はないと丸井やジャッカルたちは騒ぎながら着替えを始めた。
柳は思案顔で、柳生は心配顔で顔を見合わせていた。
その頃、仁王はラケット片手に濡れたウェアのままで体育館の裏口に向かっていた。
濡れた雑草を踏みながら人気の無い裏口に回ると、水色のビニール傘が階段に立て掛けてあるのが目に入った。
「お前も、たいがいなお節介焼きじゃのう。」
「どう?打ちのめされてきた?」
「おう、ボコボコじゃ。」
体育館に上がる数段の階段には、薄茶の長い髪を肩に流した彼女が薄っすらと微笑んで座っている。
仁王はラケットを傘の隣に並べると彼女の前に立った。
「うまく、いったのね。」
「ああ、成功じゃ。アイツは真田の腕ん中じゃ。」
僅かに眉を顰めた彼女だったけれど、口元には笑みを浮かべたまま仁王を見上げる。
「大失恋、おめでとう。」
「なんじゃ、それ。」
「好きだとは言わなかったの?もう一押しぽかったけど。」
「言うか。言えば、アイツが余計に苦しむのは分かっちょる。」
「優しいのね。」
「優しいとは違うぜよ。俺は真田を一途に想うアイツを好きになったんじゃ。 簡単に心変わりするようじゃ、惚れちゃあせん。」
「屈折しすぎ」
クスクスと笑う彼女の前に仁王は片膝をついて、しゃがんだ。
彼女の長い髪と同じ薄茶の瞳を見つめ、雨に濡れた手を伸ばしていく。
そのまま彼女の膝に顔を埋めウエストに腕をまわした。
すぐに、そっと濡れた銀髪が撫でられる。
「仁王、冷えきってる。風邪をひくよ?」
「マジ、寒い。凍えて死にそうじゃ。」
「私の膝で凍死しないでね。」
「なら、頼みがある。」
「なに?」
「俺を温めてくれんかの?」
顔を自分の膝に埋めたまま言う仁王の背中をトントンと優しくたたきながら、彼女は雨が落ちてくる空を見ていた。
「お前を抱かせて。」
明日も雨は降るのだろうか。この空模様では続くかもしれない。
今日の夜は、きっと長くなるだろう。
ちらっと頭をかすめながら、流れていく雲を目で追いつつ返事する。
「いいよ。」
「恩にきる。」
抱いてくる仁王の腕の力が少し強くなった。
翌朝、欠伸をしながら廊下を歩いていたら後ろから柳生に肩を掴まれた。
「仁王君、心配したんですよ。昨日、あれから何処にいったんですか?」
「あ〜悪かったのう。ひょっとして、待ちよってくれたんか?」
「暫く待ってましたけど、君は帰って来ないし。皆、体が冷えているから帰るようにと柳君に言われて帰ったんです。
携帯にも電話したんですけど通じないし。何かあったのかと思って。自宅にお電話したら友達の家に泊まりに行ったというし。」
「そうそう、友達の家に泊まりにいったんじゃ。」
「友達の家って・・・君が泊まりに行くような親しい友達いましたか?」
「失礼な。それぐらいおるぜよ。」
神経質で細かい事まで気遣いする柳生がレンズの奥から心配そうに俺を見つめちょる。
俺に一番近い友人は柳生じゃけ、なかなかコイツを騙すのは難しい。
あまり言いたくなかったが仕方がないと諦めた。
柳生に背を向けてから、白状する昨日の泊まり場所。
「んとこじゃ、」
「仁王君っ!」
思ったとおり過剰に反応した柳生が俺の前に回りこんできた。
メガネを人差し指で上げながら早口で聞いてくるのは怒ってる証拠じゃ。
「あ〜間違いさんなよ。俺が泊まらせて貰うたんは、違うじゃ。」
「そんなこと分かってます!だからこそ、私は聞いているんです。何故です?彼女は知らないんですか?」
「知っちょるよ。をコートに招いたお節介はじゃけぇ。」
「じゃあ、さんは全てを知ったうえで・・・君を泊めたと?」
「そうじゃ。アイツは懐の深い女じゃけ。凍えそうじゃから温めてくれと頼んだら抱かせてくれた。それだけじゃ。」
「なんてことを・・・。仁王君、君には彼女の気持ちが」
「おっと、悪いのう。朝一番に英文の小テストがあるんじゃ。急いどるから、またな。」
真面目な柳生を相手にしては速攻で覚える時間がないと話を打ち切った。
さっと教室に入ってしまえば、そこまで柳生も追ってはこない。
教室の入り口で苦々しい表情のまま立っている柳生に「早う、行きんしゃい」と手を振ってやると渋々去っていった。
英語の問題集を出しながら不意に気づいた。
あんなにムキになるということは、ひょっとして柳生はに惚れとるんじゃろうか?
クラスメイトだけというには、いやに反応する柳生の様子を思う。
だとしたら、かなりヤバイことになる。
『』と同じ名を持つ『』を都合よく扱ってきた。
それは一方的なものじゃなく、も納得してのもんじゃが。
真面目で潔癖な柳生には考えられないような事じゃろうし。
まいったの。
予鈴が鳴って、時間がないことに気がついた。
いかんぜよ。今は、英文が先じゃ。
とにもかくにも追試を逃れるために頭を使った。
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