お題 『より道ついでに会いにきた』 3
リビングに続く小さな台所で見つめ合う。
別れた後も完全に連絡を絶つことはなかった。
独特だった沖縄のイントネーションを残した木手の敬語が、綺麗な標準語に変化していっても。
木手の大きな手は私の頬を包んだまま、後ろではお銚子が鍋に浸かったままだ。
「今すぐ忘れる?」
長い付き合いになるが、いまだに何を考えているのか分からなくなる。
その場の雰囲気に流されるような男ではないけれど、
私の前にいる時の木手は分かりにくい甘えを見せることがあった。
落ち込むと私の都合はお構いなしでやってきて人のベッドで寝たし、
突然に沖縄へ帰るからついて来いと飛行機に乗せられたこともあった。
今のキスも木手なりの甘えかもしれない。
私の問いかけに木手は僅かに眉を寄せた。
「いいえ」
「なかったことにしないと困るんじゃないの?」
「俺は困りませんよ」
「嘘ばっかり」
私は別れる寸前だとしても、今はお互いに別の恋人がいる。
ここで過去の恋人たちが見つめ合うのは、間違いなく困ったことになるだろう。
「君と一緒に上京してきて、もう何年になりますかね?」
「大学からだから・・・六年?」
「ずっと一緒だった」
「もう恋人ではないけどね」
「些細な喧嘩だった」
木手が懐かしそうな苦笑いを浮かべた。
そう、別れたのは些細な喧嘩がきっかけだったね。
売り言葉に買い言葉だった。
それでも私たちはあまりに近くにいて、愛情に慣れ過ぎて飽きていた。
意地もあったし、お互いが修復しようとせずに時がたち、気付けば私たちの距離は取り戻せないほどにひらいていた。
「蟹で許してくれませんか」
木手の手が宥めるように私の頬を撫でた。
その優しい仕草を忘れるはずもない。何年も彼はこうやって私に触れてきたのだから。
「許す?」
さっきのキスを?
それとも・・・
「二年前の喧嘩は俺が悪かったと言ってるんです
もういいかげんに許しなさい」
最後が命令形なのが木手らしかった。
『職場で蟹を貰ったんです
ここの近くに用があって、寄り道ついでにきたんですよ』
これを言うためだけに俺がどれほどの時間をかけたか、君は知らない。
君と別れた後に誰と付き合っても本気になれなかった。
いつも君と比べて、いつも君を想う。
こっちの空を見て、やはり沖縄の空が好きだと思えるのと同じように。
愛するものが変わることはない。
「木手の方言が聞きたい」
台所で立ったまま、木手の胸に顔を埋めた。
懐かしい青い空とエメラルドグリーンの海、そして赤い花。
全てが原色で鮮やかだった日々。
「いいですよ。いくらでも」
木手の言葉が独特のイントネーションに戻っていた。
出会ってから十年近く。
急いだり、ゆっくりだったり、近道したり、遠回りしたりで歩いてきた。
違う景色を見ていても、時々は振り返ってお互いを確かめる日々。
離れても、また会いにきて。
そして私も会いに行こう。
より道ついでに会いにきた 3
2008/10/26
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