you are my sunshine 2











壁を隔てているとはいえ他人が同じ空間に居るのに落ち着かない手塚は良く眠れなかった。
枕もとの時計を確認すると午前3時過ぎだ。
リビングからは物音ひとつしてこない。


喉が渇いて水を飲みたいのだが、変な誤解をされても困ると動けずにいた。
だが考えれば、ここは自分の家。誰に遠慮がいるものか・・・と思い直しベッドから起き上がった。


音を立てないように、そっとドアを開けてリビングに足を踏み入れる。
間接照明のライトがぼんやりと灯るだけの室内。
中央のソファには小さな山が出来ていた。


の頭もとを忍び足で通り過ぎ、やっと冷蔵庫にたどり着いた。
冷えたミネラルウォーターを手にして、その場で口にしようとしてやめる。
寝室に戻ってから落ち着いて飲むかと考え、ペットボトルを手に、来た道を帰ることにした。


またソファの頭もとを通り過ぎようとした時、にゃおと子猫の声がした。
見れば子猫が毛布の間から顔を出している。
その隣には、安らかな表情で目を閉じているが居た。
長い睫毛が頬に長い影を作っている。
薄く開いた唇は厚すぎず薄すぎず、女らしい湾曲を描いていた。



よくよく見れば綺麗な顔をしているが・・・歳は幾つなのだろう。



にゃあ、と再び子猫が鳴く。すると、が僅かに身じろぎした。
手塚は自分が立ち止まっている事に気がついて慌てる。
しばし身を硬くしての様子を見ていたが、彼女は目覚めることなく再び深く眠ってしまったようだ。



ホッと息を吐き、黄色い瞳をクルクルさせている子猫に向かって「シッ」と人差し指を口に当てて歩き出す。
何も悪い事はしていないのだが、妙に緊張してしまった。



何があろうとも朝一番にはお引取り願おう。
音を立てないよう気遣いながら寝室に戻った手塚はペットボトルの水を口に含みながら思うのだった。










遠くでインターフォンの音がしているのを聞いた気がした。
ゆるゆると意識が浮上してくる。
暫くすると人の話し声も聞こえてきた。



人の話し声?



ハッとして目が覚めた。枕もとの眼鏡を探し、クリアになった視界で時計を見れば10時を過ぎている。
早寝早起きをモットーにしている手塚には信じられない時間だ。
なかなか寝付けなかった手塚が本格的に眠ったのは朝方だったのだから無理もない。
話し声は一人ではないようだ。


さっきのインターフォンは・・・夢じゃなかったのか?
手塚はパジャマ姿のままでベッドから飛び起きた。


バタンとドアの音をたてて手塚がリビングに入ると、と男が立ち話をしていた。
二人は同時に手塚を振り向き、は笑顔で「おはよう」と言い。男は真顔で『手塚、なんてことを』と呟いた。


男は手塚の右腕ともいえるキムラだった。
キムラは日系アメリカ人で、手塚が渡米してから長く彼をサポートしてくれている親友兼優秀なマネージャーだ。
普段の二人は英語で会話する。まだ手塚の英会話が充分でなかった頃、日本語を使わないと約束したからだ。
だが、もちろんキムラは日本語も出来る。


インターフォンに勝手に出たがキムラを家に上げたのだろう。
突然、降って沸いたように現れた女性にキムラが驚くのも無理はない。
おまけに彼女は手塚に借りたトレーナーとジャージを細身の体に着て、なにやら怪しい出で立ちだ。



はぁ、と溜息がついて出る。



『誤解だ。彼女は昨夜、突然に俺の車の前に飛び出してきて・・・』
『手塚。お前が人身事故を起こしたなんてのがマスコミにばれたら大変な事になるんだぞ!
 だから、車の運転には注意しろって口すっぱくして言ってたのに。もう、お前が嫌がっても運転手をつけるぞ!』


『いや、俺は事故など起こしていない。彼女が勝手に、』
『彼女に聞いたぞ。頭を打って記憶もないと言うじゃないか?
 なのに、お前のことを考えて病院にも警察にも行かなくていいと言ってくれている。』


『待て。話がおかしいぞ?』



二人が英語で遣り取りしているのを聞きながら、はキッチンに立ってお茶の準備をしている。



「おい、お前!キムラに何を吹き込んだんだ?」
「ありのままですよ。真実。とにかく黙ってますから、もう少しここに置いて下さいねぇ。 あ、コーヒーでいいですか?」


「いらない!真実とは違うだろう?」
「そうですか?まだ、記憶が錯乱してるのかなぁ。」



手塚はに近づいていくと彼女の肩を掴んで振り向かせた。



「明朝には出て行けといったはずだ。」
「でも、」


『手塚、女の子に乱暴は駄目だよ!頭を打ってるんだ、』
『頭はどうかしらないが、いたって元気だろう?さっさと出て行って、おい!?』



キムラがと手塚の間に入った途端、糸が切れたかのようにの体が崩れ落ちた。
肩を掴んでいた手塚の手が素早くの体を支えた。



「おい、しっかりしろ!おいっ」



膝に抱きかかえるようにして肩を揺すると胸元を抑えたが淡く微笑んだ。
顔色が酷く悪い。口紅を塗っていない唇が青く震えていた。



「大丈夫か?」
「あ・・・頭を打ったショックと・・・空腹で・・・」



手塚とキムラは顔を見合わせた。
この手を離して床に落としてもいいか、と手塚の頭を一瞬よぎる。



「体調が戻るまで置いてくださるのなら・・・新聞社に電話したり、テレビ局に駆け込んだりはしません。えへっ、」



手塚の腕の中で顔色は悪いもののが嫌な笑顔を浮かべた。
キムラは片眉を上げて手塚を見つめ、手塚は眉間に皺を寄せて目を閉じた。



とんでもない拾い物をしてしまった。



後悔先に立たず。昔の人は、よくいったものだ。





空腹だと言ったわりには、の食事は僅かなものだった。
料理が得意なキムラが作ってくれたブランチを「美味しい、美味しい」と子供のように喜んでいたが、
量は多く取れないようだ。



「お前、本当に体調が悪いんじゃないか?」
「だから体調が悪いって言ってるじゃないですか?しばし治るまで置いて下さい。」


「・・・いつ治るんだ?」
「さぁ、一週間ぐらいかなぁ。」



明るく言って、差し出された日本茶にフゥフゥと息を吹きかける仕草はとぼけているとしか思えない。
手塚は肘を突いて窓の外を見やると、また溜息をついた。
キムラは営業用スマイルを浮かべ、に話しかける。



「ねぇ、ちゃん。手塚はね、君が知ってるかどうか知らないけど有名なプロテニスプレイヤーなんだ。
 それも今、売り出し中のね。
 スポンサーとかの関係もあって、変なゴシップとかは困るんだ。分かるよね?」


「分かりました。私、絶対に国ちゃんには迷惑かけません。」


「「国ちゃん?」」



手塚とキムラの声がハモっていた。



『手塚、いつから国ちゃんなんて呼ばれる間柄になったんだ?まさか、もう寝たのか?』
『・・・怒るぞ。頭を打っているらしいから、きっと思考回路がおかしいのだろう。』


『怪しいなぁ。この部屋に女の子を入れたの、俺の知ってるかぎりは初めてだよね?』
『そうだが、あの場合は仕方ないと思ったんだ。
 今思えば、あの場で救急車かパトカーを呼ぶべきだったと後悔している。』


『いや、それはマズイよ。例え手塚は撥ねてないとしても状況からして疑われたかもしれないし。
 それだけでもマスコミは面白がって、ある事ない事を書き立てるからね。』


「あの・・・」
「なんだい?」



が口を挟んできて、キムラは営業用のまま微笑んだ。



「私、お世話になる間は家政婦代わりに働きますから!とにかく、今週いっぱいだけ置いて下さい!
 そうしたら絶対に何も言わないし、絶対に消えますから。なんなら念書でも何でも書きます!」




ペコリとが頭を下げる。
の足元で子猫が心配そうに主を見上げていた。



『だって、手塚。どうする?』



手塚は深い深い溜息をついて、日本茶をすすった。



今朝の日本茶はいつになく苦いのを感じながら。




















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