講演「私の航空人生」・資料

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           1  「日本航空20年史より抜粋」 
         2   私の航空人生「思い出のフライト」
         3  「航空会社における安全の取り組み」
         4  「座席ベルトの重要性」


1. 日本航空20年史より抜粋       (2010年2月16日筆)

1903「明治36」12月17日、ライト兄弟世界初動力飛行

1926年「大正」9月13日、日本航空、大阪―大連営業開始、日本初の海外定期航空

1927年「昭和2」5月20日、リンドバーグ世界初大西洋単独横断飛行

1931年2月、日本航空輸送、日本初のエアガール採用

1938年、大日本航空設立

1945年、9月、GHQ、羽田飛行場を出入国空港指定

1950年、10月、航空交通管制官1期生、米へ派遣、 朝鮮戦争1950年から1953年

1951年8月1日、日本航空「株」設立、 10月25日NW委託により戦後初の定期便、もくせい号

1955年10月17日、DC−4の乗員全員日本人となる

1955年12月7日、日本人初の国際線機長「DC−6B資格取得」

1958年3月15日、伊丹飛行場、大阪空港と改称、大阪国際空港1959年

1960年8月12日、DC−8、サンフランシスコ線就航

1964年10月1日、東京オリンピック

1965年8月1日、ボーイングB727国内線就航、ベトナム戦争、1965年から1975年サイゴン陥落

1966年2月4日、ANAのB−727、東京湾に墜落、3月4日、CPのDC−8羽田で墜落、

            BOACのB−707富士山麓の墜落「乱気流が原因」

この頃、伊丹―羽田、飛行時間27分の記録あり、御堂筋−銀座が100分というコマーシャル

1970年4月22日、ボーイングB−747シアトルで受領、7月1日、太平洋線に就航、

この年に3000m滑走路完成、大阪万博

1975年12月12日から騒音規制で07:00から21:00の使用制限

1978年成田国際空港オープン、1994年関西国際空港オープン

航空経歴

1966年3月22日、陸上単発、陸上多発「23歳」

1967年10月23日、B727副操縦士「24歳」

1968年9月27日、DC−8 副操縦士「25歳」

1974年8月、DC8−61 機長「31歳」

1981年、11月6日、B747 機長「39歳」

1999年、8月3日、B747−400 機長「56歳」

2002年7月1日日本航空定年退職時の飛行時間 19087時間


2. 私の航空人生「思い出のフライト」         (2010年2月16日)

航空大学入学後、一ヶ月余りかけて航空適正検査が行われた。
一般大学では考えられない厳しい面を思い知らされた。
その結果、11期前期として入学した15名の内、3名が適正なしと判定され、元の大学に戻っていった。

1: パイロットとして一生忘れることがない一番の思い出は初めてのソロフライト。何時もは後席に操縦教官が乗っているのが、この日はおもりの鉛が載せられた。野鳥の巣立ちか?

2: B727の国家試験に合格し、訓練生から副操縦士の資格を得たとき、給料が4倍以上になった。金ぴかの肩章、胸章が眩しかった。

3: 連続事故の影響で機長昇格訓練が一年以上になり、長い訓練後が総て終了し、初めて機長として国内線を乗務した。訓練が厳しく、長かったので不安は全くなし。

4: 初めての国際線は北米と北周り欧州線の貨物路線。アンカレッジ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ハンブルグ、フランクフルトを飛んだ。北極上空でみた空からのオーロラは一生の思い出。貨物便はキャビンアテンダントがいないので、食事はおしぼりオーブンで暖める。

5: 忌まわしい御巣鷹山のジャンボ事故当日、123便の次の便、125便を操縦教官として乗務していた。この事故が契機になり、CRM導入。「ヒューマンエラーを防ぐ方法」

6: 成田国際空港が開港し、乗務した成田―クアラルンプールの貨物便が開港前の試験飛行ではありえない騒音が測定され、翌日の新聞で大きく取り上げられた。「注:試験飛行は軽い状態で行われるが、貨物の定期便は最大離陸重量近いので、騒音が大きくなるのは自明」

7: 初めて側でみるジャンボ機の大きさ。シミュレータ訓練のお陰で実機の操縦はそれ程苦労しなかった。操縦はすべて油圧なので、力は要らない。

8: 欧州路線室長時代にソ連からロシアに変わる歴史の移りを現地で体験できた。同様に東西ドイツがひとつになり、ベルリンの壁やブランデルク門を境にして余りにも東西の街が違うこと。

 9: 日本が高度成長時代に色々な路線開発に立ち会えたこと。

    ベルリン、ミュンヘン線開設は欧州路線室長時代。
    宮沢総理のミュンヘンサミットではロンドンーミュンヘン特別便機長を務めた。
    ミュンヘン空港に着陸した最初の便は密かな誇り。

 10: 56歳でB747在来型からB747−400の機種移行を希望し、モーゼスレークでの国家試験を終えたとき、
     これで訓練から開放されたと思った。外観は同じでもー400はパイロット2人で運航するハイテク機。
     アナログ計器からデジタル表示になり、高度計が縦になったのには戸惑った。
     反面、複合計器は目線を左右に動かす必要がなくて楽。

3. 航空会社における安全の取り組み         (2010 Mar.1)

航空会社の運航ポリシーは長い間「安全」、「快適」、「定時」であったのが、オイルショック後の燃料費上昇を契機としてそれらに「経済性」が加わった。これらの項目を少し掘り下げてみると、経営者は、特に経営が苦しくなると、経済性を最優先として安全、定時、快適性にも配慮するというのが本音だろうし、乗客にとって安全は当然、それより定時、快適性を優先して、チケットが安くてサービスの良い航空会社を望むであろう。しかし、これらの項目を同列には考えられないというのが運航を直接担当する現場部門の本音であり、安全こそ最優先でなければならないと思います。事故が起きて安全の重要性が社会的にも認知されるが、安全はタダでは維持できない。表面には出てこない分野で日常努力が行われている事を忘れてはならない。

航空運送事業が始まった当初は航空事故を防ぐには乗員個人のスキルを上げることによりある程度の効果があがったが、航空の発達とともに事故原因が複雑になってもはや個人の技量による事故原因は総体的に少なく、機材そのものの故障が原因ではなくヒューマンエラーによる事故原因が80パーセントを占めるようになった。

そこで、個人のスキル維持、向上のために従来は6ヶ月毎に技量審査をする、所謂6Monthチェックを一年に一回にし、後の6ヶ月はヒューマンエラーを防ぐ目的で人の行動パターンを自身で認識し、シミュレーターを使用した飛行の場で予期しない時に思わぬトラブルが発生したときにCrewがあらゆる情報を利用して安全に飛行するCRM「Cockpit Resource Management」訓練が定期訓練に加わった。

6Month技量審査は試験官により成績がつけられるが、CRM訓練は失敗から学ぶという考えから評価は行われない。CRMの思想はアメリカのNASAから始まり、全米の主な定期航空会社が取り入れるようになった。シミュレーターのフライトシナリオは予め数種類が準備されていて、同じ内容のシナリオは二度使わないようになっている。

シナリオの一例を挙げると、悪天候の羽田を離陸した直後、脚が上がらなくなるトラブルが発生、関東エリアの天候は何処も着陸できない。かといって目的地の大阪までは脚を出したままでは燃料が足りない。どうする?といった内容でシミュレーターを使って実際に飛行するのである。燃料が足りなくなって失敗しても成績評価はなく、代わりにビデオで録画した映像を訓練後に見ながら自身で評価、反省する仕組みになっています。

以上は個人を対象とした安全取り組みだが、会社組織としては、社長直属の安全推進室を設け、世界中の航空会社と事故やトラブル情報を交換して安全対策に役立てている。定期便にはAIDS[Aircraft Integrated Data System]という飛行記録装置が搭載されていれ異常な運航をした場合などはデータを解析し、搭乗クルーからも事情聴取して事故防止に役立てている。

安全対策は一度で終わりではなく、常に見直し、繰り返し行わなければ効果が上がらない上に実際に効果が上がったのか測定が難しい面があり、これからも試行錯誤することになるでしょう。

4. 座席ベルトの重要性           (2010・Mar.)

飛行中、突然の乱気流に備える唯一の安全対策は着席時には常にシートベルトをしっかり締めることです。

座席をリクライニングして休む時も毛布の上からベルトをしっかり締めることが重要です。

飛行中の乱気流は、レーダーにより事前に把握可能な積乱雲のような反射エコーが強い雲がある場合は、回避する前に余裕をもって機内アナウンスで乗客に注意喚起することが可能ですが、晴天乱流と呼ばれるレーダーでは把握できない乱気流の場合は突然、大きな揺れに遭遇した場合にシートベルトをしっかり締めていない乗客や、作業中の客室乗務員が怪我をする場合があります。ジャンボ機のような大きな飛行機でも所詮は空中に浮いている訳ですから、機体が一瞬にして数百メートルも沈められると、体は天井にたたきつけられるのです。ジェット時代になってからは、プロペラ機に比べ速度が速いので、一般に言われているエアポケットとは呼ばず、乱気流、タービュランス或いはCAT「クリア・エア・タービュランス」と呼んでいます。

シートベルトをしっかり締めていて乱気流で怪我をした人は皆無です。客室乗務員がシートベルトは例えベルトサインが消灯しても常に締めるよう案内するのは、突然の乱気流に対する安全策なのですが、あまり強調し過ぎると、航空会社としては乗客の不安を招くので比較的あっさりとアナウンスしています。

飛行機が怖いといっている人ほどシートベルトには無頓着な傾向がありますが、離着陸時の事故に備えた緊急脱出経路なども搭乗時に把握して、突然の出来事にも落ち着いて行動できる準備をしておくことが大事でしょう。不幸にして突然の事故が発生した場合の客室乗務員の最初の仕事は乗客のパニックコントロールです。乗客がうろたえ、パニックになる前に大声で「落ち着いて!!、大丈夫!!!!」ということになっています。