罪滅し編(16)

 圭一と礼奈の悲観的な未来図はとりあえず忘れておく。

 ブツブツと文句を言ったが、礼奈の「寄生虫」説は結構納得した。

 鬼ヶ淵沼の底から出現したのは鬼ではなく寄生虫。
 鬼が暴れたのではなく、寄生虫に感染した人間が暴れた。
 鬼と人が共生したのではなく、感染した人としていない人が共生した。

 オヤシロさまは寄生虫感染による症状を弱めてくれた医者。

 村に入ってはいけないという掟は感染を防ぐため。
 村から外に出てはいけないという掟は、外の環境に適さない寄生虫の拒絶反応で宿主が錯乱する事を防ぐため。

 腸流しは錯乱した犠牲者を解体し、喰らう儀式。
 だが、この腸流しは寄生虫に対する抵抗力を得るために必要なもの。

 なるほど。
 これなら鬼ヶ淵の昔話が何故作られたのかが納得できる。

 詩音は怒りに捕らわれやすかった。
 圭一は凶行に走りやすかった。

 これは、この病気に感染していたからと考えられる。

 「綿流し」、「目明し」、「祟殺し」編の圭一は最終的には死亡してしまう。
 それも、拒絶反応が強い寄生虫に感染していたとこじつければ、納得できる。
 雛見沢の外に出たためだったのかもしれない。

 そこまでは納得する。

 しかし、この事実を隠蔽しようとする陰の組織があるかについては疑問だ。
 その辺りは礼奈の妄想である気がする。

 礼奈はその寄生虫を研究しているのはイリーだと考えている。
 しかし「祟殺し」編にて、既に燃えているはずの時間帯に圭一と遭遇した鷹野さんも十分に怪しいと思う。

 病院2人組は同じ程度怪しいのだよな。

 イリーが富竹の遺体を見て、「絶対にありえない」と呟いていた意味が知りたい。



 関係ないが、登場人物の誰もが悟史は叔母さんを殺したと主張する。
 そう言われてしまうと否定したくなってきた。

 こんな仮定はどうだろうか。

 悟史は確かに叔母さんを殺そうとする意思はあったと思う。

 ただし、奴が殺害現場に想定していたのはおそらく粗大ゴミ置き場だ。
 実際に叔母さんが死亡していた場所と異なる。

 悟史は誰かに先を越されたのではないだろうか。

やったの誰?

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