2050年 郡藤クーデター事件



 その名の通り、某国で「郡藤王我」という人物が起こしたクーデター事件の事である。
 結論からいうと、このクーデターは失敗に終わっている。

 その原因としては、クーデターの下準備が完了する前に政府側にその情報が漏れてしまった事が挙げられる。
 そのため準備が完全ではないまま、郡藤側はクーデターを実行に移すしかなくなってしまった。
 半端な手勢では、政府に立ち向かえず敗北したというのが通説だ。

 最終的な結論を見れば、そう判断するしかないだろう。

 しかし、この事件の詳細を調べると戦闘の前半において、郡藤側は非常に有利に事を進めている。
 むしろ、政府側の方が壊滅的なダメージを受けているのだ。

 ここから、政府側がどのように持ち直し、逆に郡藤側を追いつめていったのだろうか?

 その詳細を今日に至っても某国は語ろうとはしない。



 上記の形勢逆転劇と関連するのかは不明だが、この事件にはもうひとつ不可解な事項がある。

 この事項こそが、今も世界の人々がこの事件に興味をそそられる理由となっている。

 クーデターでは、相手が無抵抗でもない限り、戦闘が起きる。
 その規模が大きい程、頻度が高くなる程、死者や負傷者が増えるのは誰でも理解できるだろう。

 当然、このクーデターの前半でも、通常予想される通りの死者や負傷者が出ている。

 しかし、後半では戦闘が同数程度発生していても、死者と負傷者が激減しているのだ。

 後々、裁判にかけられ極刑に処された人間は多くいる。
 しかし、戦場その場で負傷した人間が格段に少なくなっているのだ。

 戦闘というものは必ず死者が出るのだと考えるのならば、これ程に死者が少ないというのは奇跡に他ならない。

 某国が何らかの兵器を作り出したのだという説。
 英雄ともいうべき人間が、勇敢にも戦場の中敵側に赴き説得したという説。
 果てには、何らかの怪しい術を用い、死者を蘇らせたという説まである。

 しかし、どの説も明らかに信憑性に欠ける。

 納得できる理由を説明できるだろう某国はこの件に関しても、現在までノーコメントで通している。

 この謎が解明される日はいつか来るのだろうか…?

 

 なお、この事件の首謀者「郡藤王我」は制圧直前に行方をくらまし、今も居所はつかめていない。

道程

前へ  次へ

戻る