エピソード246(出所後の生活)
刑務所を出所後、大抵の者が身体の不調を訴える事になる。俺の場合、同じ房で一緒だったS会系組長さんにどんな症状になるのか聞いていたので実際に身体が不調になってもさほど驚かなかった。
まず、刑務所の中に数年もいると動きの早いものなどが周りに一切無いので娑婆に出て出迎えの車に乗ったりして外の景色を眺めていると動体視力が低下してるので目が回って、ものの数分で気持悪くなるそうだ。俺の場合、知っていたので新幹線に乗っても外の景色は見ないようにした。
次に食欲不振だが刑務所の中にいる時は、あれが食べたいこれが食べたいなんて思うのだが数年の間に刑務所の薄味に慣れてしまっている舌の感覚と胃が娑婆のご馳走の味に対し拒否反応を示し食欲が失せる。米なんかは白米が恋しいなんて思ってた筈なのに麦シャリの方が美味しかったなぁなんて思ったりもした。俺の場合、出所後1週間は何を見ても食べる気が起きず確か8日目にして寿司屋に入ったら何故かパクパクと寿司が食べられるようになり自然と食欲も回復した。
次に不眠症だが、これも多くの者がなるらしく刑務所内にいると夜は静か過ぎるほど物音がせず車の騒音や時計の秒針の音ですら全く聞こえない為、それに慣れてしまっているので娑婆の枕元に置いてある目覚まし時計の針の音が聞こえるだけでイライラして寝付けない。そして数年もの間、無理矢理早く就寝させられていた為に夜寝るのが勿体無いような気までしてきて興奮状態に陥り何日も眠れない日々が続き精神不安定状態にまでなり、娑婆に出られたという実感がハッキリとするまで夢と現実の間を行ったり来たりしているような感覚にすらなる。
以上が出所後にみられがちな症状だが、こんな症状になっては娑婆に出てからすぐに社会復帰などできるわけも無いので温泉になど浸かるなどゆっくりしながら身体を休めて徐々に娑婆の空気に慣れるようにしましょう。実際、俺は出所後1週間が経った時にマジで俺、大丈夫なんだろうか?とか色々悩み焦ったが、焦れば焦るほどイライラしたり情緒不安定になったりしたが、いつの間にか知らないうちに娑婆の生活に慣れていた。
エピソード247(塀の中で食べたかったもの)
塀の中で懲役同士であれが食べたいこれが食べたいなんて話をよくした。
最初はどこどこのあれが食べたいとか言い合ってるのだが、最終的には玉子がけご飯でいいから今すぐに食べたいなんて事を言って、皆で「うんうん、玉子がけご飯が食べたい」なんてお互い頷き合ったりした(笑)なぜ玉子がけご飯なんて質素なもの?そんなに刑務所の飯って最悪なものなの?と思う方もいらっしゃると思いますが、刑務所の食事というのは基本的に生物などで集団食中毒になったりしては困るので必ず火を通したものしか出てこないのである。例外として正月のみ刺身が出たりする刑務所もあるらしいが普段の食事には生卵ですら出てこないのである。
そして火を通した料理の味だが、この料理も懲役囚が作ったものを皆食べるので、もちろん料理に使う材料や調味料など税金で賄われているのだろうから調味料も節約で味が無いようなのばかりで非常に不味く感じる。だが、慣れとは恐ろしいもので薄味に慣れてしまうと今日のメニューは何だろう?おっ!○○だっ!あれ美味いんだよなぁなんて喜んで食べていたりした(笑)
納豆がメニューにあったりもして頻繁に出たのだが、関東の俺は美味しく感じられたが関西出身の方は食べられず、おかず無しで少量の麦シャリだけを食べたりしていて見ていて可哀想だった。
まぁ、刑務所の食事について不平不満をこんなところに書いたところで悪い事して捕まるオマエがいけないんだろうと思われてしまいそうですが・・・(笑)
エピソード248(千葉拘置所)
ある事件で逮捕され千葉県内の警察署に留置されたのだが、この不景気で犯罪が急増した為に拘置所が満杯でなかなか拘置所に移送されなかったので千葉拘置所での生活は1週間ほどで執行猶予の判決を受け釈放された。
この僅か1週間ほどいた千葉拘置所だが、もちろん拘置所と刑務所は同じ場所に建設されているので千葉拘置所=千葉刑務所なのである。この千葉刑務所というところは罪の重い受刑者専用の長期刑務所なのであるが長期というだけあって栄養面のバランスを考えてなのか飯はまぁまぁ美味しかったのだが・・・、訳あってというか、たかが判決が出るまで1週間ほどの間に集団生活はなんだかウザイ感じがしたので初めから独居(一人部屋)を希望した結果・・・、
この独居というのがあまりにも酷かったのだ。なぜなら真冬だというのに閉まらない空気口、あまりにも寒すぎるし一人部屋だから皆の体温で温度が上昇する事もなく誰かと話をして寒さを紛らわせる事が出来るわけでもなく仕方がないからその空気口をゴミ箱で塞いだ。
すると、見回りの刑務官が歩いてきて俺のいる部屋を覗くや否や「おい!1250番!ゴミ箱は所定の位置に置くように!」と言って俺を睨みつけてくるのだった。仕方が無いのでゴミ箱を所定の位置に戻したのだが・・・昼間は震えながらも寒さを我慢したが夜になって就寝、せんべい布団をかぶり厚着(もこもこのダウンジャケット)までして寝たが、まさに外で寝ているのも同然のような寒さに寝てしまったら永久に眠ってしまうんじゃないかと思いながら寝付けない震える夜を過ごした。
本気で凍死してしまうんじゃないかと思ったほどの酷い寒さ、執行猶予判決を受け釈放された日の朝、雪がぱらついていた。まさに塀の中とは命がけの生活空間である(笑)
エピソード249(起訴状)
当サイトの哀川Gallery内で見られる傷害事件の起訴状だが、まだ他の事件の起訴状も前科3犯の俺は残り2件分を保管している。
掲載する前に個人名、団体名などを消去する作業をするのだが他2件については、消去していくと何だか意味のわからない文章になってしまったりしたので掲載を中止した。
中止したもう一つの理由として残る2件の犯罪が傷害などと違い知能犯罪の為、どうしても犯罪の手口を詳しく公開してしまう事になるからだった。いずれも共犯が別件逮捕されたりしなければ永久にバレなかっただろうと思われる犯罪や外国人の関わる犯罪の為、国際問題になるとまずいため掲載を中止した。
そして最近になって掲載をもう一度試みようと思ったらパソコンが古い98からXPに買い替えた事によって98用のプリンターもスキャナーも新しいXPには対応しないんだとか・・・もちろん掲載はあきらめた(笑)
エピソード250(メンテナンス)
チャカ(拳銃)は買えばいつでも撃てるという物では無く、精密機械と同じで潤滑油をさしたり、特にオートマチック式のチャカは定期的に分解して内部のパーツを掃除したりと結構維持するのも大変なのだ。
自衛隊や軍隊などの人は当然の事ながら戦場でも短時間でチャカを分解し掃除して組み立て直す訓練を受けているのだが、極道の場合チャカの所持が法律で認められている訳もないので近くにあるガンショップでメンテナンスを頼むってわけにもいかない(笑)
実際、俺が直接目撃したわけではないが他の若衆から「哀川さん、F兄ぃが本部事務所でトカレフを分解したけど元に戻らないみたいで殺気だってますよ。」なんて電話を受けた事もあった(笑)
いくら相場が安くなったとはいえ1丁あたり数十万円はするのだから不器用で面倒臭がりの俺にはオートマチック式のチャカを維持できる筈もなく、リボルバー(回転式)の38口径くらいしか所持する事ができなかった(笑)