エピソード6(マフィア)
俺は暴力団新法という厄介な法律が出来てからの新人類といった言葉が流行っていた頃の極道だったので、様々な国の外国人マフィアとの取引きを経験した。その中で特に印象深かったのが、新宿歌舞伎町で東京全域を任されているというチャイニーズマフィアのボスと密会した事があったのだが、数回そのボスとは会ったが、いざ取引の本題に入ろうかというその日、ボス本人は身長170センチ位の痩せ型で髪型は七三でメガネをかけたあまり見栄えのしない男だったのだがボディーガードはボブ・サップがスーツを着てサングラスをかけているようなのが2人も付いてきた。防弾ガラスのフルスモークの車内で、そのボスは、日本の極道より俺たちの方が知らない土地に来て大金を手に入れようとするハングリー精神が根本的に違うのだと俺に豪語した。彼は福建の出身だが今は上海に日本円で3000万の豪邸を建て暮らしていると言う。また、チャイニーズマフィアは、仲間がもし不慮の事故やトラブルに巻き込まれたり逮捕されたとしても、本国の家族には充分すぎるほどの生活費を組織から与えてもらえるのだとも言っていた。日本円で3000万で上海には豪邸が建つのかぁと思いながら、色々とその男と話をした。なんだか昔の古き良き時代の日本の極道社会の話を聞いているような気がした。裏切りに対しては物凄く厳しいが義理と人情は中国にもあったんだなぁと思った。

エピソード7(デリヘル)
デリヘル(要は売春婦の出張版)の外国人の女性を2人程、1ヶ月ほど30万円でレンタルし、東京都内某所で俺は3人で暮らしていた時期がある。2人ともブラジル人で話す言語はスペイン語のみで日本語は、まるで通じなかった。その娘達のプロダクションからきちんと栄養が偏らないような食事をさせてくれだの野菜を嫌がるけど無理にでも食べさせるようにしてくれだのいちいち注文をつけられた。2人の娘と初対面で、言葉が通じない俺はジェスチャーで会話するしかなかった。初めての夜、晩御飯は何を食べるのか?とジェスチャーすると、2人は一生懸命「マ・ダンナ」と言って食べる素振りをするのだが、笑いながらマドンナは歌手だろ食べ物じゃねえよとジェスチャーする俺に泣きそうになりらがら「マ・ダンナ」と2人は繰り返した。考える事10分、やっと分かった。彼女達が食べたかったのはマクドナルドだった。スペイン語ではマドナかマダナとしか俺には聞こえなかった笑!ちなみに俺はその2人にアミーゴと呼ばれていた。友達という意味らしい。1ヶ月でどの位、その2人は稼げたのかは知らないがお別れの日、お世話になったお礼にとマクドナルドをご馳走された笑

エピソード8(出所後)
早朝出所を希望した俺は刑務所から支給された新幹線のチケット1枚とムショで働いたわずかな金を握りしめ東北B級刑務所からシャバに出た。帰る場所も無い俺はこれからどうすればいいのだろう?不安でたまらなかった。重い荷物をかつぎ先ずは電話ボックスへ…刑務所の中で知り合った人の所へ電話したが、その方の奥さんが出て、「うちのバカはこの間出所したばかりで1週間でまた覚醒剤で逮捕されましたっ!」…他にも組織の方に出所の日に出迎えに行ってあげようか?と言われていたが断っていた俺には出迎えも無く、ゆっくりその土地で美味いものを食べたり温泉につかって懲役の垢をおとしている暇も無く、トボトボと行くあてもないのに、とりあえず歩いた。早朝のため、まだ人気も無く車も走っていなかった…50メートルほど歩きタクシー会社を見つけ、最寄の駅まで行ってもらい、駅でタバコを買った。目が回らないようにゆっくりと吸った。過去に東京拘置所を出る時に、組の出迎えが来て、姐さんが差し出してくれたパーラメントを一気に吸って身体が1回転したことがあるからだ笑!新幹線に乗って住む所も無い俺はとりあえず東京を目指した。服が防虫剤で物凄く臭かったので隣りの席の人達には申し訳なかった。東京の地元の駅に降り立ち、知り合いに電話をするが、2年しか経っていなくても、電話番号が変わっていたりして通じなかった。荷物だけで50キロ位あるのを担いであてもなく歩くのは悲しかった。環状7号線をひたすら歩きつづけ5キロくらい歩いたところで、足の裏の皮がめくれ痛かった。途中で電話をしたりして、やっと連絡が取れたのは、英二の兄弟だった。俺が懲役に行く前の兄弟は一人者だったが、引っ越していてS県で女と同棲していた。俺はそんな二人の愛の巣にしばらく泊めてもらうことに抵抗はあったが、仕方が無いので世話になった。数日後、舎弟と連絡もつき、まとまった金を用意し、都内のオートロック式マンションに一人で住む事になった。俺は自分の名義では何の契約もできないので、舎弟が保証人になり家財道具や衣服などをN区近辺の環状7号線沿いにある24時間やってるスーパー、ドンキホーテで最低限揃えた。生活に最低限必要な物を揃えるはずが、パソコンや電話機3台とスキャナやプリンタまでも買い揃えた笑!携帯電話も買いi-modeというのがあるのを知った。そして、出会い系なんてのが無料でたくさんあるのを知った…もちろん色んなところに登録した笑。英二の兄弟に負けない為に…笑

エピソード9(出所後2)
出会い系で先ず初めに連絡が取れたのは中国地方のO県に住む女の子だった。暇な俺はビジネスホテルに泊まりカラオケに行って、その後、その娘のお勧めのカクテルバーに行った。俺が懲役帰りなのも気にせず一緒に酒を飲んだ。翌日、俺は一人でその土地にある黒塗りの名城を見にいき、名物の**団子をお土産に買い新幹線で東京に戻りS県の英二の兄弟の家に遊びに行った。そんな毎日を送っていたところ、俺が住むマンションの隣りの女子大生が試験勉強の邪魔になると苦情を入れて来たため、また何処かに引っ越すはめになった。舎弟と連絡もつかず、保証人が居なくて、部屋が借りれない俺は、ルームメイト探しのサイトで、「お金はあるけど、保証人がいないので部屋が借りられないので誰か懲役帰りの俺でも良ければ連絡ください」と申し込んだところ、何故か沢山、一緒に暮らすだけなら良いですよとメールが届いた。お金を出さなくても部屋が借りられるという利点が良かったのだろう…それと、ルックスが的場浩司や哀川翔みたいです。と書き込んだからか?笑。実際にお会いして一緒に住んでも生活の時間帯がお互いかみ合わなくて、恋愛対象外の13歳も年下のYUKARI(ゆかり)という女の子とシェアリングすることになった。お互いの事情を考え東海エリアに引越し、4LDKの間取りでお互いに部屋に鍵を付け、4畳半の部屋にパソコンルームを作って使用中の札を取っ手にかけて共有している。ノートパソコンでもどっちかが買えば、HPも別々になってグチャグチャな感じにはならないんだけどね笑

エピソード10(抗争)
ある日の夜、自宅で寝ていると突然兄貴分から電話がきた。「オイ!哀川、うちの組ついさっき××会と抗争状態に入ったぞ、国道×号線沿いのスカイ○ークで、うちの山田が派手に今も大勢相手に暴れ回ってるらしいから、他の組に先越されないように1番乗りで哀川お前が応援に行ってやれ!俺は今、群馬にいるからすぐにはそっちに行けないから頼んだぞ…」そう、俺がいた組は超武闘派組織で道具が無くても素手で相手をノックアウトする奴等がごろごろいた。ダッシュで車に乗って、とりあえず、事務所に行くと本部長が「哀川ちょうどいいところに来たなぁ、うちの本部事務所今誰もいないんだよ、誰か一人は本部にいないとなぁ…抗争が終結したら連絡するから今すぐ本部事務所に詰めてくれ。」・…マジかよ俺が?抗争終結まで本部当番をやった。テレビカメラの監視モニターをじぃっと睨みつけ、いつ報復のカチコミが来るんだろうか?相手はやっぱりチャカは持ってくるだろうなぁなどと思いながら抗争終結AM1:00を迎え無事帰宅した。抗争の結果?当然ノックアウト勝ち相手は全員土下座して戦意喪失だったそうだ笑