エピソード86(パトカー)
だいぶ前からパトカーにはパソコンのようなものが搭載されているようでビックリした事がある。ある日の深夜、まだ警察にはマークされていないはずのアジトに、5名くらいで潜伏しているとアジトの前に違法駐車してあった高級外車数台に対し通報があったのか、深夜だというのに赤色灯が窓ガラスに映りスピーカーで、何やら怒鳴っている。
俺と舎弟以外はみんなシャブをやっていた為、顔色は真っ青。仕方なく俺が出て行きパトカーに乗り込むと、パトカーのダッシュボードにモニターが設置してあり違法駐車のナンバーから割り出した持ち主の住所氏名、顔写真、前科前歴、所属する暴力団名までが表示されており、「中に居るのはお前だけじゃなく○○や××もいるだろう?連れて来い!」と言われた。がしかし、捜査令状を持っていない彼等にはその場で帰っていただいた。その後、そのパトカーが所轄の警察署に戻る前にすぐに警察署に先回りして、駐車違反の切符を切られ余計な事までつっこまれないようにシャブをやっていた
奴等は退散した。その後、アジトも移転させたのは言うまでも無い(笑)
エピソード87(ある9月の出来事)
塀の中で暮らして、出所してから行き場のない者達は多いと思う。事実、俺はどこの出所後の収容施設からも受け入れを拒否され身柄引受人すらいなく帰る場所すら無いのに所持金1万円ちょっとと、東京行きの新幹線のチケットだけ渡されて一人トボトボと大きな荷物を持ってタバコが吸えるという自由だけを噛みしめながら俺はこの先、どうすりゃいいんだ…いっそ死んじまおうかとまで考えた。
塀の中では、マグロ漁船に乗ればいいとかムツゴ○ウ王国に行けばなんとかなるとか冗談で話していたけれど実際そんな事をするつもりもなかった。
まぁ、俺の場合は運良く小川英二という兄弟分と連絡が何とか取れ、兄弟分の家に数日転がりこみ、ビジネスホテルに2日程泊まったりしてまとまった銭を必死で運良く作れたおかげで今日という日があるのだが、マジで1万円札1枚だけ握りしめてシャバに放り出されたあの悪夢のようなある9月の出来事は一生忘れない。
エピソード88(回転寿司)
こんな俺も16歳の時、回転寿司で働いた!?事もある。
俺の役目はシャリ炊き(炊いてから酢メシにするまで)と、自動皿洗い機に皿をのせるだけだった。握り担当が4学年上の同じ学校の先輩で、オーダーを聞いたり皿を下げたりレジ担当もやっぱり同じ学校の1学年上の女の先輩ばかり。
育ち盛りの!?俺に先輩が握った寿司は半周も回る事無く女の先輩達によって洗い場にいる俺の元へどんどん運ばれ俺の腹の中へと消えた(笑)。
店長に「哀川ちゃん甘エビ皮むいといて!」な〜んて頼まれた日には喜んで皮むいてるその場から小皿に用意した醤油をつけながら3分の1くらいはやはり俺の腹の中へと消えた(笑)挙句の果てには先輩がレジの金を全部持ち出し寿司屋の上にある居酒屋で宴会を開き、その甲斐あってか俺が働き出した2ヵ月後には回転寿司の運営資金は回転しなくなり潰れた(笑)
でも、朝昼晩寿司を食べた2ヶ月…その後しばらく寿司を見るのも嫌でした(笑)。
エピソード89(超スピード狂)
元々、暴走族ではなく走り屋だった俺は根っからのスピード狂で18歳で免許を取ったその日に納車されたフェアレディZ(チューニング車)に乗り加平IC〜常磐自動車道を時速220キロでクルージング(笑)
週末は幕張ゼロヨンや湾岸市川〜ディズニーコーナーを抜け横浜ベイブリッジ大黒SAで休憩とか、時には茨城県筑波山パープルラインを攻めたりし、そんな車で夜の繁華街の水商売のお店にミカジメ料の集金に伺っていた事もある(笑)
エピソード90(超スピード狂2)
埼玉県越谷市に潜伏していた頃、行きつけの居酒屋が東京都大田区北馬込にある「たけのこ」という店だった為、高速道路移動ばかりしていた。
行きは良いのだが帰りは目がグルグルに回った状態で品川区の戸越IC〜フルスピードで帰る為、店を出てから越谷市の潜伏先に着くまで約30分という超スピード記録を出した(笑)。
しかしある日の事、元・東京音だけレーシング(族)の総長と飲んでいたら飲みすぎて高速にのったはいいが1コーナー目で車体のコントロールを失い運転する自信喪失(笑)
運転を総長に代わってもらい俺は地元に着くまで爆睡してました(笑)。