鬼道忍法帖その5
「で、大助たちがどうなったかはわからぬのだな?」
「はい。私も命からがら逃げ出したのでさっぱり・・・」
今鬼道衆の鳥面の軍師嵐王が、以前内藤新宿から一人だけ帰ってきた辰に質問していた。辰の友人である左金太の家に嵐王が直々にやってきた。嵐王とは戦国時代より九角家に仕えてきた影である。その顔を烏のような鳥面を被り人前には顔を出さない。そして嵐王は代々世襲されていくのだ。嵐王と辰は正座していた。幼い子供たちは久しぶりに見る嵐王を物珍しそうに家の中を覗いていた。それを雹の部下である鶴が追い返したりしているのだ。中忍たちも事の成り行きを見守っていた。
「なるほどな。ところでお主らと戦ったのは龍閃組という集団ではないのか?」
「りゅうせんぐみ?なんですかそれは?」
辰は首をかしげていた。ちなみに戦った相手は無手の使い手、着流しの浪人、上品そうな娘だということだ。しかも、その娘は斬り殺した幕府の侍の傷を切支丹の術で治したというのだ。今まで鬼道衆の作戦を邪魔し続けた龍閃組に間違いないだろう。
「他の連中はどうした?龍閃組、いや、無手の使い手たちに殺されたのか?」
一瞬家の中の温度が下がった気がした。大助たちが龍閃組に殺された可能性もあるのだ。しかし、辰は否定した。皆殺されはしなかったが自害したのである。それを聞いた御神槌の中忍、陣内は憤慨した。
「なんたる奴らだ。任務に失敗して帰れば御屋形様に殺されると思っているのか?安っぽく命を捨ておって馬鹿めが」
「そういや、龍閃組と戦うようになってから死人が減った気がするなぁ、なあ豆六」
「そうそう。あいつら絶対俺たちを殺そうとしないしな。でも強いけどな」
「あいつら本当に幕府の犬なのかねぇ?」
陣内の部下たちが話している。彼らは昼間は野良仕事に勤しみ、夜は鬼の面をかぶって見張りの仕事をしているのだ。
「奴らが何者だとしてもだ」
嵐王がおもむろに立ち上がった。
「公儀隠密ならば我ら鬼道衆の敵だ。我らは御屋形様、九角天戒様のために命をかけねばならぬ。皆も努々忘れぬようにな!」
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
家の周りに雄たけびが上がった。
「そうだ!我々鬼道衆は徳川をつぶすためにあるんだ!!」
「そうとも、徳川壊滅が我ら御屋形様の悲願!!!」
「徳川、滅すべし!!」
なんとなくみんな嵐王の口車に乗せられたような気がする。もっとも嵐王は16年前天戒の父親、九角鬼修が没する時殉教できなかった引け目があったから、そういったのかもしてない。
「そうだ。今日はわしが発明した武器を皆に見せよう。今御屋形様は京へ旅立った。御屋形様が留守の今、村を守るのはお前たちだ。よいな?」
おぉぉぉぉぉぉぉ!!!
再び雄叫びが上がる。みんなのりのりだ。ちなみに村の主天戒は幕府が秘密裏に京へ新兵器を運ぶという情報を手に入れた。積荷は陸路と海路の二つに分かれていると言う。そのうち二つとも囮の可能性が高いが、ここに龍閃組が積荷の護衛をするのだという。それなら二つの内どちらかが本物の可能性がある。そこで天戒と九桐尚雲は陸路、桔梗と風祭澳継が幕府の船に密航することになったのである。嵐王は留守番として残ったのだ。
「では一刻後に広場に集まるのだ。そこで発明品を見せよう」
辰の詰問はいつの間にか嵐王の発明に話題がすり替わってしまった。
広場には5体の案山子が立てられていた。発明を試すために使うのであろう。
「まずはこれだ」
嵐王は左金太に一本の刀を差し出した。見たところ無名の刀だが、刀身になにやら黄色くて丸いものがはめられていた。
「これは鬼岩窟で手に入れた攻撃用の玉を組み込んだものだ。赤いのが火神之玉。灰色のが星神之玉。黄色いのが雷神之玉。白いのが天津神之玉。水色のが荒神之玉じゃ。それぞれが陰陽五行を元に作られておる。例えば火神之玉が組み込まれた刀じゃ。草太郎(そうたろう)、お主が見本を見せてやれ」
「わかりました」
嵐王に呼ばれて前に出てきた男が一人。長身で総髪の気の弱そうな青年で名前は草太郎。元は長崎で蘭学医を務めていたが、幕臣の息子より、農民の子供を最優先に治療したため、追われる身となったところ鬼道衆に救われたのである。草太郎は西洋の蘭学で今まで治療が不可能だった村人の病気を治した。今では嵐王の右腕として活躍している。嵐王は基本的に発明で忙しいので普段は草太郎が中忍として、木の下忍たちを率いていた。
さて草太郎は渡された刀を手に取ると、案山子に振り下ろした。
ぶわぁ!!
案山子は斬られた部分から火が上がり、燃え出した。周りの村人から歓喜の声が上がった。刀にはめられた玉はひびが入っており、赤い色が少し薄くなりつつある。
「一度斬りかかれば玉の力を消費し、敵を焼き殺す。もちろん使い続ければ威力も弱まる。頼りすぎんようにな。さて豆六、今度はお前がやってみろ。この灰色の奴をな」
「えっ!?は、はあ、わかりました」
いきなり呼ばれ豆六は前に出た。灰色の玉をはめられた刀を手にし、案山子に斬りかかろうとした。村人の誰もが口を利かず、静かにしていた。
ぶぴぃ!!
誰かが大きなおならをしたようだ。静寂だった空間がいきなり崩れた。豆六は驚き刀を手放してしまった。飛んだ刀は地面に突き刺さった。幸い怪我人はいなかった。豆六は刀を手にしようとしたが、玉がぱちぱちと鳴り始め、ばぁんと弾けた。一瞬村人たちは目を背けたが視界がよくなると驚くべき光景を目にした。刀は凍っていた。地面も刺さった半径1メートルほど凍っていた。もし豆六が手をしていたら彼は凍傷を負ったかもしれなかった。
「なっ!大丈夫か豆六!!」
陣内たちが心配して豆六に駆け寄る。陣内は豆六の手を取るが無傷であった。
「え、ええ。大丈夫です」
「そうか。嵐王さま、どうなっておるのですか、もう少しで豆六が怪我をするところでしたよ!!」
陣内は声を上げて抗議した。
「どうやら接続が悪かったようじゃな。すまないことをした。もしかしたら他のも危ないかもしれん。一度点検しよう」
嵐王は頭を下げた。そして下忍に命じて刀を片付けさせた。
「でもおならの音がしなかったら、豆六は怪我をしたかもしれんなぁ」
「あのおっさんじゃないのか?」
下忍がひそひそと話をしていると、嵐王は発明品を取り出した。
「今度は女子供でも扱える武器じゃ。見るがよい」
それは一種のピストルにも似ていた。
「こいつは最新の西洋銃を応用したものだ。鉄の玉の代わりに様々な薬品を牛の膀胱に詰めた弾じゃ。鶴、お前がやってみよ」
「ははっ、それでは」
鶴は銃を両手で構え撃った。案山子の頭部にぱんと薬が舞い上がった。それを近くで見ていた左金太がうとうとし始めた。どうやら眠り薬が入っていたようである。
「おや?左金太、眠りこけているな。おい、こいつを家に運んでやれ」
陣内に命じられ、下忍が左金太を連れて行った。
「次に蛍(ほたる)。おまえがやってみよ」
「えっと・・・、どうしてもやらねばなりませんか?」
蛍は村の女たちでは別格の女であった。年は15くらいで前髪を切りそろえていた。村を留守にしている火の上忍、火邑の中忍、紅之介の妹だ。彼女は火薬の調合がとても上手で普通なら雹の元で働くものを、特別に火邑の元に所属しているのである。ちなみに彼女は5人兄弟で彼女は4番目。紅之介は長男で一番上の兄である。
「いやなのか?別に人を撃つわけではない。それに当たったとしても弾は牛の膀胱でできておるから死にはせん」
「いえ、そういうわけでは・・・」
「なら、早く撃つのじゃ。まだ後が使えておるからな」
蛍は渋々案山子に向かって玉を発射した。ばふぅと玉は弾け、薬が舞い上がる。
「ん?ぐ、ぐぐ!!」
近くにいた土の下忍馬念(ばねん)が苦しみだした。なにやら顔が青くなり、地面に倒れこんだ。
「むむ、馬念どうした?やや、これは毒じゃ。毒に犯されておるわ!!」
土の中忍、石海(せきかい)が馬念の顔を覗き込み叫んだ。石海はまるで七福神の大黒天に似た風貌で、愛想の良い男である。昔はとある山の村で、寺の住職をしていたのだが、幕府が村に言いがかりをつけ焼き討ちにされたのである。石海は弟子を数人連れて逃げ出したのである。ちなみに馬念も石海の弟子の一人で、顔は馬並み、男の逸物も馬並みとも呼ばれていた。上忍は泰山だが、彼は滅多に山を降りてこないので実質石海がリーダーとも言えた。
「しまった。間違えて毒薬を仕込んだのが混ざっていたか。安心せい、解毒剤は用意しておるわ」
嵐王は苦しむ馬念に薬を渡した。石海は下忍に水を持ってこさせ、それを馬念に飲ませた。症状はよくなったが、念のために家で休ませるよう下忍に付き添わせた。
「嵐王さま、どうなっておるのですか?さっきから失敗ばかりではありませんか!!」
鶴が怒った。自分の部下ではないにしろ、一歩間違えば大事故に繋がりかねないからだ。
「すまぬ。どうも、本調子ではないようだ。他にも発明品はあるのだが今日はもうやめたほうがいいかもしれんな。すまぬが今日はこれで解散だ」
これでおしまいになった。
「なぁ今日の嵐王さまおかしくないか?」
辰が左金太に話を振った。今はもう夕方、すっかり日が暮れている。辰は左金太の家で夕餉をとっており、その後ひさしぶりに見張りの仕事に復帰するのである。
「おかしいって、嵐王さまだって浮き沈みはあるだろうさ」
「それはそうだけど・・・」
辰は不思議でならなかった。最初に怪我をしそうになったのは豆六であった。確か豆六は龍閃組と数回戦い生き延びてきた。彼は龍閃組はただの幕府の犬ではないと思っていたのだ。ただ次に馬念が毒を吸ったのがわからない。彼は龍閃組と関わったことはないのだ。最初の刀の方は草太郎が試したがなんともなかった。ピストルは龍閃組と関わりあった鶴が最初だが、玉には眠り薬が入っており、左金太が眠ってしまったのだ。たまたま嵐王が失敗することもあるだろうが、なんとなく龍閃組びいきの人間が狙われたような気がした。なんとなくだが。
「それはそうともうじき紅葉の季節だなぁ。早くおっかあと一緒に見に行きたいなぁ」
「ははっ、他に一緒に見に行く女はいないのか?」
「お前だっていないだろうが」
「はは」
「あはは」
ひさしぶりに友との食事に花を咲かせていた。食事を終えると辰は見張り櫓に足を向けた。
「ねぇ、ちょっと・・・」
途中で誰かに呼ばれた。女だ。菊という女性であった。
「ねぇ、あんたうちの人を本当に知らないの?」
「・・・、本当だ。こっちは命からがら逃げてきたんだ。てっきり大助たちも逃げたと思ったんだが・・・」
二人の間に沈黙が流れた。やがてぶつぶつと菊が小声で何か言っている。
「・・・で」
「ん?なんだって?」
「・・・んで」
「?」
「なんであんたが帰ってくるのよ!どうしてあの人じゃないのよ!!」
いきなり菊が辰に掴み掛かった。騒ぎに気づいた村人が家から飛び出すと、もみ合いをしている菊を辰から引き剥がした。
「なんであんたなのよ!どうしてあの人が帰ってこないのよ、どうしてよ、どうしてよ!!」
辰は何もいえなかった。辰自身も自分ひとりだけ逃げ帰ったことを悔やんでいるのだ。どうしてもあの時は逃げねばならない、そして、御屋形さまに報告せねばならないと思ったからだ。
「菊、いい加減におし!さぁ、家に帰るんだ、小平が待っているんだろ!!」
鶴が暴れる菊の腰に腕を巻きつけると、そのままずるずると引きずっていった。
「辰、気にするな。お前は生きて帰ってきた。御屋形さまは決してお前を責めないだろう」
陣内が慰めた。だが、辰はしばし呆然としていた。なんで自分は恥知らずにも逃げ帰ってきたのだろう、どうして帰ってきたのが大助ではなかったのかと。
辰の目から涙が零れ落ちた。ただ、ただ、一筋の涙の痕跡が月明かりに照らされて光っていた。