鬼道忍法帖その6

 

「御屋形さまがお帰りになられたぞぉーーー!!」

ぎぃぃぃ。

村の門が開いた。数日振りの主の帰りに村人たちは沸きあがっていた。

九角天戒は手を振りながら屋敷へ戻っていった。村人たちは主が息災なことに喜び、子供たちはきゃっきゃと周りを走り回り、くいっと九角の着物の袖を引っ張ったりした。

「御屋形さま、ご無事でなりよりです」

御神槌の中忍陣内をはじめ5人の中忍たちが声をかけた。

「うむ、お前たちも変わりないようだな。安心したぞ。ところで辰はどうした?」

「はっ。大分元気になりました。話によればやはり内藤新宿で襲ったのは龍閃組でした。がそのときはまだ龍閃組と名乗ってなかったようですが。大助たちの方はわからないのだそうです」

「そうか・・・。仕方あるまいな。菊のほうはどうだ?」

「それが・・・。どうも錯乱しているようです。無理もありません、大助ではなく、辰が帰ってきたから・・・」

その瞬間、陣内は殴られた。どさっと地面にしりもちをついた。あまりの出来事に村人たちは呆然と立ち尽くしていた。

「ばかもん!誰が帰ってくればよいとかくだらないことを言うな!辰一人でも生きて帰ってきたことをなぜ素直に喜べぬのだ!!確かに大助たちの安否は気になる、だが生きているものを蔑ろにすることだけは許さん!!!わかったな!!!!」

九角は肩で息を切らすと不機嫌そうに屋敷へ戻っていった。

 

「陣内大丈夫か?」

雹の中忍、鶴が陣内の頬を手当てしていた。中忍5人が小屋に集まり会議をしているのだ。もちろん重要な会議は九角屋敷で行うが、村の些細な出来事なら、中忍たちで集まることがある。

「いきなり殴るなんて御屋形さまもひどいことをする」

「まぁな。御屋形さまはああ見えて感情的だからなぁ」

嵐王の中忍草太郎と火邑の中忍紅之介が文句をたれていた。草太郎は元蘭学医だけあって、知的な雰囲気がある。紅之介は右目が刀傷で斬られていた。なんとも恐ろしい形相だが、兄弟には優しい男であるのを村人たちは知っている。

「馬鹿!なにがひどいものか、辰一人だけでも帰ってきたのは喜ぶことなのを、代わりに大助がと言った俺が悪いんだよ。悪いことを悪いという御屋形さまこそすばらしいのさ」

「まあ、それは言えるね」

「問題はこれからじゃぞ。何しろ御屋形さまは次の指令を辰に下すというからのう」

泰山の中忍、石海が言った。実は辰と左金太は石海の部下であった。いまさらで申し訳ないが。

「とはいえとある女を運ぶだけだというから、病み上がりにはちょうどいいかもしれませんね」

「また、へまをして命を落とさなきゃいいがなぁ」

草太郎と紅之介がけらけらと笑いあった。もちろん辰の失敗を願っているわけではなく、単なる揶揄である。

 

「であたしらが菩薩眼の娘をさらってくるから、あんたたちは駕籠屋に化けて待機しておくれ」

ここは内藤新宿。辰は左金太とともに駕籠屋に化けていた。桔梗からお駄賃をもらい、ふたりで屋台のそばを食べていた。

「今度こそ、失敗はできない。がんばらねば」

「とはいえ女は桔梗さまたちが連れてくるからな。俺たちの仕事はそいつを運ぶだけさ。気楽な仕事だよ」

「それはそうだが・・・」

辰は後がないと思った。ここで失敗すれば鬼哭村には自分の居場所がなくなると思った。もちろん辰の勝手な想像なのだが、本人には気が気でなかった。

「ん〜〜〜?あんたらなんの女を捜しているのかね?」

屋台の老人がきいた。

「あん?ああ、最近は世知辛い世の中だろ?せめて菩薩のような女性を見つけてあやかろうって話だよ」

左金太が適当にあしらった。

「おお、菩薩さまか〜。そういや美里先生のところの藍ちゃんは菩薩さまに似ておるのう」

「誰だそれ?」

「小石川診療所でよく手伝いしておるのじゃよ。わしもよく診察してくれとるからのう。ふぉっふぉっふぉ」

「へぇ、一度は会ってみたいものだな」

「そういえば今日は花園神社で炊き出しをするとか言っておったな」

辰と左金太はそれを聞いて、そうなんだと思った。だが辰はその菩薩のような女性が自分とかかわりがあるとは知る由もなかった。

 

さて2時間くらい経ち、桔梗たちと合流することになった。話によれば桔梗の方は茶屋の看板娘と一緒に花園神社に行っているという。さらに九桐たちは娘がよく通っている小石川診療所に行ってみたがやはり花園神社に用事があるとのことだ。

「そういえば蕎麦屋の爺さんも言ってました。菩薩のような娘がいると、その娘は今日花園神社で炊き出ししているとか・・・」

「そうなのかい?どうやら近所でも評判の言い娘のようだねぇ。ますますもって菩薩眼の娘に違いないね。あんたたちはここで待ってておくれ。あとはあたしらがなんとかするからね」

そして半刻後九桐と風祭は一人の女性を抱えてきた。ぐったりとまるで死人のように動かなかったが、たぶん桔梗の術で眠っているのだろう。

「うまくいったようですね。桔梗さま」

「そうでもないさ」

桔梗は否定した。なんでも途中役人に気づかれ、ひと悶着を起こしたのである。戦う必要はなく、桔梗の術で眠らせたが。

「坊や、さっき神社で炊き出ししていた子に伝えておいで。美里藍は具合が悪くなって帰ったと。それとあんたがあの子の手伝いをおし」

「ええ!!なんで俺がそんなことしなくちゃならねぇんだよ!!」

風祭は不平をもらした。

「いきなりこいつが消えたらまずいだろう?それにあの子は・・・」

「・・・?」

「なにかしら力を感じるのさ。放っておいたらとんでもないことになる、あたしの鼻がそういっているのさ」

「鼻って・・・。お前、獣みたいだな」

「いいから、おいき!!」

風祭はぶつくさ言いながら、神社へ戻っていった。さて辰は娘を駕篭に詰めようとしたがその顔を見て驚いた。

「おや?その娘に見覚えがあるのかい?」

桔梗がたずねた。

それはかつて内藤新宿で侍を斬り、その傷を治した切支丹の妖術を使った娘であった。

 

村へ戻った桔梗たちは捕らえた娘、美里藍を九角屋敷へ連れて行った。辰たちは一仕事を終え、井戸水で足を洗い、冷たい水を飲み干した。

「よう、仕事は終わったようだな。ご苦労さん」

石海が声をかけた。

「ああ、石海殿」

「娘ひとり運んだだけですから、楽なもんですよ」

辰と左金太はなんでもないように言ってる。

「そういうが菩薩眼の娘は鬼道衆にとっては大事な体。気をつけるに越したことはないぞ?」

「そうですが・・・。そういえば泰山さまはまだ山を降りてきませんか?」

「ん?ああ、降りてこないな。あの人は平気で山の獣と冬眠できる人だからな。まあ、静かな生活を壊すことはない。土忍はわしが指揮するから大丈夫だ」

泰山とは土の上忍だが、実質は石海が指揮をとっていることが多い。泰山は昔幕府に村を焼かれ、そのとき頭を怪我したのだ。今で言う脳障害で、思考や言語に問題があった。口調は呂律が回らず、大きな体をした子供であった。だがそのためか泰山は獣の声を聞くことができるのだ。そして山の力を借りた技を使えるのである。さらに樵の実績で常人離れした体格の持ち主でもあった。おそらくは鬼哭村では一番の力持ちである。だから下忍の指揮は石海がとっていても、お飾りにしかすぎないのである。

ただ泰山にはひとつ問題があった。それは強い光を浴びると凶暴になる、というか錯乱状態が起きることだ。一種のフラッシュバンクというもので、ある種の光が人間の脳を刺激し、凶暴化させるのかもしれない。あとは幕府に襲われた恐怖が、光がきっかけとなっているかもしれなかった。

「ああ、辰。悪いけどこの娘を屋敷に連れて行くから、ついて来ておくれ」

桔梗であった。その横には菩薩眼の娘こと美里藍も一緒に立っている。駕篭に乗せる際手首を縛り、目隠しをしたのだが、今はそれらをはずされている。

「わたしがですか?」

辰は不思議がった。なぜ自分が連れて行くのだろうか?

「あんた、以前内藤新宿で龍閃組に出会ったんだろ?そのことを天戒さまに話したらあんたも一緒に連れてけと言われたのさ」

「はぁ・・・」

「まったくあたしにゃ理解できないね。こんな女は物置小屋に閉じ込めておけばいいのさ!天戒さまに言われなきゃそうしているのにさ!!」

桔梗は不機嫌であった。辰たちもこんなに怒っている桔梗ははじめてみた。徳川に対する怒りとは違うと思った。

「やきもちですかな?」

石海の何気ない一言に、桔梗は吹き出した。

「ぶふぉ!石海!よけいなことを言うんじゃないよ!!さあ辰、あたしと一緒に来てもらうよ!!」

桔梗はその場にいたくないと言わんばかりに、辰を引っ張った。残されたのは石海と左金太だけであった。だがふたりは気づいていなかった。建物の影から桔梗たちに視線を送っているものがいた。

 

桔梗、藍、辰の3人は村はずれにある屋敷へ向かっていた。藍のための屋敷にだ。来るべき菩薩眼の娘のために作られたという。辰をはじめ、村人は菩薩眼とはどういうものかは知らない。ただ御屋形さまが望むのなら必要なものだろうとしか思っていなかった。

ただ桔梗だけは不満そうな顔をしていた。なにかしらぷりぷり怒っているようだ。

村の広場まで歩いてきたが、広場には子供が5人ほど遊んでいた。その中心に一人の女性がいた。仁王のように体格のいい女性であった。

「おや、鶴。また子供と遊んでいるのかい?」

桔梗が親しげにたずねた。

「ええ、畑仕事に訓練も終わりましたから。おや、桔梗さまの後ろにいる娘は・・・」

鶴はつかつかと藍に歩み寄った。顔を近づけてまじまじと見つめている。

「あ、あの・・・」

「あんた・・・、龍閃組にいた切支丹の娘だね?」

「ど、どうしてそれを?」

「覚えていないのかい?小塚原刑場で会ったはずだがね」

それを聞いて藍ははっとなった。

「ご、ごめんなさい」

藍はいきなり謝った。突然の出来事に鶴は毒気が抜かれたようだが、次の瞬間がっはっはと笑い出した。

「はっはっは、いきなり謝るとはねぇ。あたしは別に恨み言を言うつもりはないさ、どちらも命をかけて戦っていたからねぇ」

藍はちらちらと子供たちの方を見ていた。

「鬼の村に子供がいるのは珍しいかい?」

「え、い、いえ、そんな・・・」

藍は顔を背けた。彼女にしてみれば意外だったかもしれない。

「言っておくけどあの子達の親は、徳川にあらぬ疑いをかけられて斬られたのさ。つまり孤児さ。それをあたしが引き取って育てている。他にも大勢いるよ」

藍の顔が青ざめた。

「今ではこの子達は明るく振舞っているけどね。ここへ来た当時は大変なものさ。あたしらが自分の親を殺した徳川と同じように見えたんだよ。そこから信頼関係を築くのにどれだけ苦労したか、お嬢様育ちのあんたにわかるかい?」

「ご、ごめんなさい・・・」

「おっと、あたしも悪かったよ。しかし、なんであんたにこんな話をしたんだろうね。なんだかあんたは御屋形さまに似ているからかもしれないねぇ」

鶴は大口を開けて豪快に笑った。子供たちも真似してがっはっはと笑った。

「鶴!こんな奴が天戒さまに似ているはずがないんだよ!!くだらないこと言ってないで子守でもしてな!!!」

桔梗はぷいっとそむけると、そのまま藍を連れてその場を立ち去った。鶴は辰にそっと尋ねた。

「今日の桔梗さまはどこか不機嫌だね。どうしたもんだか」

「石海殿が言ってましたが・・・」

「なにをだい?」

「やきもちだそうですよ」

 

「さぁ、今日からここがあんたの家だ。一通り家具とかそろっているから、生活には不自由しないはずだ。屋敷の中は自由に歩き回っても良いが、外へは出られないよ。下忍が見張っているからね」

藍が連れてこられた屋敷は九角屋敷より劣るが、それでも娘ひとりが暮らすには贅沢な作りであった。屋敷は塀に囲まれており、門には見張りがいた。

藍にとって鬼道衆の村は驚きでいっぱいであった。村の中には子供もいる。畑仕事に勤しむ者などがいる。ただ途中村人にすれ違ったが、片腕のない者がいた。だがそれはまだましな方で、両腕や両足のないものもいた。今で言う身体障害者もいた。浅草寺の見世物小屋で見世物になってもおかしくないものもいた。ただ不思議に思ったのは彼らは決して村八分でもなく、村の仕事に従事していた。普通の体の人間もそれらの仕事を手伝っている。それに彼らは義手や義足などを身に着けており、器用に働いているのだ。

藍がもっと驚いたのは彼らの義手が器用に動いたことだった。鍬をぎゅっと握っているのは驚いた。どういうからくりなのだろうか?

辰曰く、これらの義手などはすべて鬼哭村の発明家、嵐王の仕事だという。なんでも戦国時代から九角家に仕えており、200年以上だという。もちろん人が200年以上生きれるはずもない。そもそも嵐王は代々鳥の面と黒装束を身に着けており、その素顔は天戒すらみたことがないのだ。考えればそれも当然だろう。なにしろ彼の発明はひと財産が築けるのだ。もし徳川に知られれば確実にさらわれるか、殺されるかのどちらかだ。嵐王の家系が用心に用心を重ねるのは当然といえた。あと義手が指まで自由に動かせるのは現代の最新技術の節電義手に似ている。これは脳が筋肉に送る電気信号を読み取り、それを義手の動きにフィードバックするもので、腕を無くした人でも手を握るイメージすることができる。腕に微小な電極を埋め込み、その脳の信号をキャッチすることで、義手を自在に動かせるのだ。これは20世紀末に開発されたのを、すでに江戸末期で実用化されているのだから、嵐王がどれだけの発明家か理解できるだろう。

ちなみに発明で有名な平賀源内は、実際はなにも発明していない。せいぜい土用の丑の日にうなぎを食べようというキャッチコピーくらいなものだ。エレキテルは修理できたというだけで、実際発明したわけではない。彼の最後は気が触れて牢に入れられ、狂死したとか、餓死したとか諸説はある。ただ名前だけが当時の江戸では有名人だから、不思議な人間であった。現代でもわが日本ではドクター中松がフロッピーディスクや石油ポンプを発明したのだから、日本人の発明のひらめきは嵐王の血が流れているかもしれない。

「余計なことは言うんじゃないよ。さあお入り」

桔梗に押し込まれるように、藍は屋敷の中に連れて行かれた。

「さて、辰。あんたはこれからあたしと一緒に天戒さまに会ってもらうよ。会って話がしたいんだとさ」

 

「桔梗、ご苦労であったな」

「いえいえ、こんなの苦労でもなんでもありません」

辰は桔梗に連れてこられ、九角屋敷の応接間に招かれた。そこには村の幹部である九桐尚雲もいた。風祭はまだ花園神社で炊き出しの手伝いをしており、欠席である。

「天戒さま、辰を連れてきました」

「うむ、辰、楽にするがいい」

だが辰はそうもいかない。なにより村の長に直に顔を合わせるなど、この村では名誉なことなのだ。天戒もそれを察しているのか、無理強いをすることはしなかった。

「辰、内藤新宿の方は陣内たちに聞いた。ただ桔梗に聞いたのだがお前はあの娘と顔を合わしたとのことだな?」

「え?ただ顔をちらっと見たくらいでして。向こうは私のことなど知らないと思いますが」

「お前に頼みがある。あとであの娘、美里藍に会いに行ってほしいのだ」

辰は驚いた。天戒自身から頼むと言われたのだ。しかも、藍に会いに行けとはどういうことであろうか?

「あの娘から大助たちの安否を聞きだすのだ」

辰は呆然として言葉が出なかった。天戒はそれを見て辰が渋っているのかと思った。

「無論、いやなら構わない。この話はなかったことに・・・」

「いえ、やります、やらせていただきます!!」

辰の突然の大声に天戒たちは驚いた。そのまま辰が藍に会いに行くこととなった。

 

さて時刻は既に午後10時くらいだろう。女性に会いに行くにはいささか非常識かもしれないが、それは現代の道徳であり、当時の江戸では関係ないだろう。辰はちょうちんも持たず、すたすたと藍のいる屋敷へ向かった。門番に挨拶を交わすと、辰は屋敷の中へ入っていった。屋敷は藍が来る前から村の女たちが毎日掃除をしており、手入れは十分に行われている。

「入るぞ?」

藍の返事を待たず辰はふすまを開けた。そこには油に火をともし、暗い部屋にひとり正座している藍がいた。部屋の中の影がゆらりとまるで大入道がふらふら歩み寄っているように思えた。

「あなたは?」

「俺の名は辰だ。実は俺はあんたとは初対面じゃない。覚えているか、弥生の初め頃、内藤新宿で会ったはずだ。あの時は面をかぶっていたから、わかならいだろうが」

それを聞いた藍の表情は、まるで辰が地獄から来た本物の鬼のように思えたのだろう。

「あなたたちは!!」

「!?」

「あなたたちはどうして力以外で解決しようとしないのですか!!」

辰のそのときの表情はまさにはとが豆鉄砲を食らった顔であろう。まさか、いきなり自分が怒られるなど誰が予測できただろうか?

「力だけでは何も解決しない。力があるだけじゃ何も生まれません。どうして、あなたたちは・・・」

「・・・知った風な口をきくな」

辰は冷静さを取り戻すと、今度は藍に食って掛かった。

「力だけでは解決しない?力があるだけじゃ何も生まないだと?徳川の狗が偉そうに吠えるな!!」

ばんと藍を突き倒した。

「俺たちはなぁ、徳川のためにすべてを奪われたんだよ!そして俺たちは奴らから奪われたものを取り戻すために戦っているんだ!!何も知らない飼い犬はおとなしく綱に繋がれてりゃいいんだ!!」

辰は怒った。この女の言葉が非常にむかついた。

「俺の住んでいた村はなぁ、たまたま徳川が戦をするから、進軍の邪魔だといわれて焼かれたんだ!生き残ったのは俺と左金太とおふくろさんだけだった!!俺たちは鬼道衆に救われた。そして、その恩を返すために戦っているんだ!!」

「・・・あなたの家族も?」

「いや、俺には家族はない。母親は俺を生んで死んだ。父親は俺が10の時に病で死んだ。それを左金太のおふくろさんが俺を迎えてくれたんだ。そう俺は・・・」

「?」

「・・・あれ?俺はなにをしていたんだ?親父はいったい俺になにをした?確か親父から何かを習っていたはずだが・・・。そもそも俺は本当に辰という名前だったか?」

辰はまるで精神病者のようにぶつぶつ言いながら、部屋の中をうろうろ歩いていた。藍はそれを心配そうに見ていた。

「いや、それはどうでもいいことだ。そんなに鬼道衆が嫌いか、御屋形さまが憎いか?よぅし、今から出かけよう。そして自分の目でこの村の真実を見るが良いさ」

 

村の中は一度屋敷へ案内される前に一通り見てみたが、それでも完全とはいえない。村の子供たちや、身体障害者が人並みに暮らす情景を見たが、まだまだだ。

「あの小屋を見るんだ」

辰が指を差した家は普通のからぶき屋根とは違っていた。まるで西洋のレンガ造りのような家であった。嵐王が村人を指揮して作らせた家だ。とはいえ嵐王は西洋に通じているわけではない。たまたまその方が便利だと思っただけに過ぎない。

「あの小屋には様々な植物が栽培されているんだ。山で手に入れた薬草なんかが植えられているのさ」

「え?でも太陽も浴びずに育つわけが・・・」

藍の疑問ももっともだろう。植物は太陽の光を浴びて育つものだ。なぜ家の中で植物を栽培できるのだろうか?

「そう思うだろう?だが中を覗いてみな。驚くぜ」

辰に勧められ藍は窓を覗いてみた。部屋の中は意外に明るかった。そこにはさまざまな薬草が栽培されてるが、広さは二十畳くらいだろう、種類別に分かれており、今で言う花壇が5つほどあった。それらの花壇には植物の合間に不思議な棒が置かれていた。

「あれは暖棒と呼ぶんだ。嵐王さまの発明さ。あれ自体が暖かいから寒い冬でも植物が育つのさ」

おそらく、ヒーターの一緒かもしれない。

「そんな・・・。まるで魔法だわ」

「魔法か、だがね種明かしは簡単なものさ。あれはエレキテルの力で暖めているのさ。エレキテルって知っているだろう?あれは手で回すと電気が生まれるあれさ。もっとも俺もここに来てから初めて知ったから、偉そうにはいえないがね。おっと、一日中誰からエレキテルを回しているわけじゃないんだぜ?嵐王さまのすごいところはエレキテルを滝の水で回すことなのさ。水車で勢いよく回してな。ちなみに水も滝から引っ張ってきている。水を圧力で送り出す装置があるんだ、わざわざ歩いて水を汲みに行くこともないのさ」

「・・・それであの薬草をどうするつもりなのですか?」

「もちろん、精製して薬屋に卸すのさ。向こうも冬に関わらず薬を持ってくる俺たちにかなりの金額をよこしてくれる。まあ足がつくのはまずいから卸先は変え続けているがね。売るのは中忍の草太郎さんさ。嵐王さまの助手でもあるんだ」

「どうして・・・」

藍にはわからなかった。金がほしければ殺すか、盗むかすればいいことだ。なのに。

「ん〜、なんというか、嫌なんだな」

「嫌?」

「ああ、金を殺したり盗んだりして集めるのが嫌なのさ。鬼道衆は金目当ての集まりじゃない、あくまで徳川をつぶすためにあるんだ。それになんか御屋形さまの名を汚すようで嫌なんだな。だから金策はこうやって薬を作っているんだ」

「・・・」

「他にもおもちゃなどを作って、香具師として売りに行くこともあるな。少なくとも鬼道衆が金目当てで人を殺すことはないな。別に御屋形さまに命令されたわけじゃない、俺たちが勝手に決めていることさ。薬を売ることは草太郎さんが言い出したことだがね」

「・・・」

藍は一言もしゃべらなかった。鬼道衆の金策がこのように行われていることを知らなかったのだ。

 

次に連れてこられたのはまた一軒家であった。辰はこっそりと覗くように命じた。藍は中を覗いてみたが、驚いて声が出そうになった。

家の中には5人の若者がいた。まともな体の人間が混じっていたからだ。。

右目が潰れた男を中心に、入道のような大きな男、手足がぎこちなく動く男、普通なのは飯を食べている男と、おかっぱの女の子だけであった。

「あの隻眼の人は紅之介さんで火邑さま、ああ、お前は火邑さまなど知るわけないな。火邑さまは上忍で、紅之介さんは中忍だよ。5人兄弟の一番上さ。あの入道みたいなのは一番下の弟で末吉。幕府のやつらに殴られて異常に太りだしたんだ。頭も禿げ上がり、顔も醜く歪んでいる。しかも子供並の知能ときた。あの手足がぎこちないのは3番目の弟で火三郎。信じられないだろうが両腕、両足はみんな作り物さ。この村に来た時には手足が腐って使い物にならなかった。まるで芋虫だったよ。それを嵐王さまが義手と義足をつけてくれたおかげでまともな生活ができる。あとはあの男みたいなのは、男じゃない。女さ。名前は椛(もみじ)。2番目さ。下の兄弟を守るために男みたくなったんだ。髪も刈り上げ、女らしくない。鶴さんといい勝負さ。一番見た目でまともなのは4番目の蛍さ。だが彼女は時折火を見ると発作が起きるんだ。錯乱するんだな、なんでも兄弟は自分たちの村が焼ける様を見たそうなんだ、そんな中でも蛍は特に火を脅えている。見ろよ、囲炉裏に火が灯っているか?」

そういわれて、見てみれば囲炉裏には火が灯っていない。ただ黒くて楕円形のようなものが置かれており、みなそれにあたっているようであった。もしかしたらあれも嵐王の発明なのだろう。おそらくは火を嫌う蛍のために作られたのだろう。

「彼らがこの村に来たのは5年前だ。ちなみに俺と左金太は6年前ここへ来た、俺の年は19だ。まあ俺のことはどうでも良いさ。当時嵐王さまが連れてきたんだ。寒い冬だったよ。5人ともがちがちに震えていた、火三郎は下忍の一人に抱きかかえられていたよ。はじめのうちは村になじめなかった。兄弟以外心を許さないからな。特に紅之介さんは他の兄弟に手を出すものなら噛み付かんといわんばかりさ。それでも今では村のみんなには心を許している。みんな御屋形さまのおかげさ」

藍は辰の説明など耳に入ってなかった。家の中の彼らは仲むつまじかった。彼らは互いが互いに支えあい、励ましあっている。

「ほら、末吉。もっと食え、遠慮するな」

「えへへ、あんちゃん、今日の飯はうめぇなぁ。えへへ」

「ほら、末吉。飯がこぼれているよ。だらしない」

「はは・・・、椛姉さんもがつがつするからこぼれているよ」

「うふふ、ほら、火三郎兄さんも」

「ああ、すまないな。蛍。嵐王さまの義手は調子が良いけど細かいのはまだまだ難しいな。これが火邑さまだったら」

「火三郎!人には人でできることが違うんだよ。あんたは少し、自傷気味だよ」

「ね、姉ちゃん、じ、じしょうてなにぃ?」

「自分で傷つけることさ。何、足りない部分は俺たちが補えばいいことさ、なぁみんな?」

家の中に微笑があふれた。紅之介という男は顔自体が怖く、猛々しさを感じるが、家族の前ではにこやかな笑みを浮かべていた。

 

次に連れてこられたのは、一軒家であった。中では坊主が5人お経を唱えていた。

「ここは泰山さまの中忍、石海殿の家さ。俺の上官でもある。ほら、真ん中に座っている布袋さまに似ているのが石海殿だ。他の4人は弟子さ。石海殿は元は京あたりの山奥の村でひっそりと暮らしていたそうだが、幕府が山に金が出るということで、焼かれちまったんだ。間一髪逃げ延びて、それで鬼道衆の噂を頼ってここへ来たというわけさ」

「そんな・・・」

おそらく幕府はその山を天領したのだろう。当時の幕府は貧乏だ。貿易に必要な黄金を手に入れるために、金鉱山に望みをかけたのだろう。もちろん、元から住んでいた村人は、「ここは幕府のものになるから出て行け」など、納得できるわけがない。自然に抵抗したくなるのもわかる。が、結果は惨敗だからお話にならない。

「そして、その横の建物を見てごらん。あっと驚くぜ?」

辰の指差す先にはひとつのレンガ造りの建物であった。それは教会であった。イエスの十字架が誰はばかることなく建てられているのだ。もちろんステンドグラスなどはなく、作りも雑であるが、どことなく暖かさを感じさせる造りであった。窓から覗くと一人の宣教師が村人に教えを説いていた。村人は十字架に向かい、祈りをささげていた。ただ中は本だのなんだのが床に積まれており、お世辞にも綺麗とはいえなかった。藍はちらっと礼拝堂を見回したがそこには見知ったものもいた。宣教師は以前切支丹屋敷で戦った御神槌であった。そして、村人は旗本屋敷で戦った陣内や豆六たち、吉原で戦った守太郎もいた。

「この村では宗教など関係ないのさ。この村へ来て切支丹になる奴も珍しくない。別に石海殿や御神槌さまは仲が悪いわけじゃないぜ?ここには信仰の自由があるのさ。幕府のような器量の狭いことは言わないのさ。お前さんもこの村で暮らせば自由にお祈りができるんだぜ?」

「・・・」

藍は答えなかった。彼女にとってはあまりにも衝撃的な出来事が多すぎたのである。

「・・・最後は鶴さんの家があるが、まあ、夕方会ったからいいか。あとこの村は、元は古くからの家臣である嵐王さまが作ったのさ。御屋形さまの家は10数年前はそれなりの家柄だったそうだが、幕府にあらぬ疑いをかけられて滅ぼされてた。そのときの当主が御屋形さまの父君九角鬼修さまなのさ。その人も幕府に殺されてしまったんだ」

「九角、鬼修?」

「ああ、そうさ。当時まだ幼子だった御屋形さまは家臣たちと共に逃げ延びたんだ。ちなみに母君は御屋形さまの妹を産んで亡くなったそうだ。その上その子は死産、かわいそうだよ。そして逃げ延びてこの村を作った。ちなみに村の名前は鬼哭村というが、山のある滝の音が、鬼の哭き声に似ているからそう詠んでいるのさ。鬼修さまや、鬼道とは関係ないよ。でもまあ最初から御屋形さまはみんなに信頼されていたわけじゃないな。俺もこの村へきたばかりはまだ嵐王さまが仕切っていたし、当時はなんか生意気そうな餓鬼だと思ったよ。だけど成長するにつれ、元服した後は俺たちを見事に指揮してくれるあの方に惚れてね。今じゃ御屋形さまのために村人全員が、御屋形さまのために命を捨てる覚悟ができているのさ。もっとも、それは御屋形さまが一番嫌う行為だがな・・・」

辰は一通り村を案内した。まだ嵐王の工房や、雹の屋敷なども残っていたが、さすがにそこまで紹介する気にはなれなかった。ただ下忍、村人の生活を見てほしかっただけなのである。

「どうして・・・」

「あん?」

藍の屋敷の入り口まで二人は無言であった。帰ろうと思ったとき、藍が呟いたのである。

「どうして復讐などをするのですか?村を一通り回りましたが、この村には幸せがあります。その幸せをなぜわざわざ潰そうとするのですか?」

「・・・なんだと?」

「復讐は何も生まない。復讐したって失ったものが帰ってくるわけでもない。たとえ復讐を成し遂げても今度はあなた方が復讐されるのですよ?そのとき大切な人たちを守れるとおもうのですか?」

「・・・それは奪われたことのない人間の言う台詞さ!お前にわかるのか?すべてを奪われた人間がどれだけみじめか、どれだけ悔しいか。口だけ言ってりゃただだからな。俺たちはこの村に来て大切なものを守ることを学んだんだ。当時の家臣はみんな病で死んじまった。村も2年前まではろくに飯も食えなかった。外法を使っても治せない病もあった。それが嵐王さまの発明と、御屋形さまの采配のおかげで豊かに暮らしているんだ!そんな御屋形さまの願いは徳川を滅ぼすことだ。そして、二度と御屋形さまのような、俺たちのような人間を出さないためだ。龍閃組だか、なんだか知らないが、奴らが幕府に組するなら俺たちは命をかけて戦うんだ!それが俺たちの大儀なんだ!!」

「それで!!仲間を鬼に変えるのも大儀なのですか!!」

藍の言葉に辰は唖然となった。仲間を鬼に変える?いったいどういう意味なのだろうか?

「あなたがわたしたちと戦った後、あなたの仲間の人たちを追ったんです。血が途切れ途切れに落ちているから、怪我をしたと思って。そしてある寺に入ると鬼の面をかぶった人が3人いました。その人たちは苦しそうに頭を抱え、最後には・・・」

藍は口ごもった。おそらく、その後凄惨な情景が眼に焼きついたのかもしれない。

「あの人たちを救うことができなかった。体は崩れ、灰になったのです。切支丹屋敷でも御神槌さんが鬼になりました。ですが元に戻りましたが。あと吉原ではお葉さんという人を外法で蘇らせたではありませんか。それが人のやることなのですか?それほど復讐とは崇高なことなのですか?」

「お前、なにを言っているんだ?」

「え?」

「人を、仲間を鬼に変えるだと?馬鹿なそんな外法は聞いたことがないぞ、せいぜい山の陰の気を集めて鬼を作るくらいしか知らないぞ」

藍は驚いた。てっきり彼らは仲間を鬼に変える人非人だと思っていた。彼が嘘をついているとは思えなかった。辰もはじめて事実に頭がくらくらしたくらいだ。ただ吉原の件はわからないが。

「まてよ・・・。確か聞いた話だと死体が見つからなかったのは大助と他2人。つまり鬼に変えられたのは・・・」

辰はまるで頭を鉛で殴られたショックを感じた。藍の話が本当ならば大助たち3人が鬼になってしまったのだ。

「・・・俺は帰る。じゃあな」

辰は藍と別れ、左金太の家に向かった。まるで酔っ払いのような足取りであった。

「ん?」

辰は途中何かの気配を感じたが、気のせいだと思って通り過ぎた。

 

「よう辰、遅かったじゃないか」

左金太の家に入ると、左金太は忍び装束に着替えていた。夜勤の仕事に入るのだろう。

「今日は門の見張りさ。飯の用意もできているから、食ってくれ」

「ああ」

家の中には辰と左金太の母親の二人だけになった。たまに孤児の子供も一緒に暮らしているが、今日は別の家で厄介になったのだろう。左金太の母親は五十代の老婆であった。辰は昔からよく面倒を見てもらったのである。

今日の夕餉は芋粥であった。鬼哭村は基本的に寒村のようなもので、田んぼなど猫の額の広さだ。ただ村には虫を殺す殺虫剤と呼ばれるものがあり、そのおかげで米も良く取れるようになった。ただ殺虫剤は使いすぎると人体にも影響が出るので、よく虫が湧く場所しか撒かれていない。発明したのは嵐王だが、言い出したのは天戒である。彼は虫が食われなければもっと米が取れると思い、嵐王に命じたのである。

村の貯蔵庫も天戒が温度を一定に保てれば、食料を新鮮なまま保存できるのではと、嵐王に命じ作らせたのだ。これのおかげで江戸の民とはいかないけれど、餓死する心配がなくなったのである。天戒曰く、腹が減ると人は見境がなくなる、自分たちはあくまで幕府への復讐だけで、金銭目当てで人を殺すのは鬼道衆に反するからだと。食料の件は天戒のアイデアだが、薬の製造などは下忍たちの発案で、おもちゃを作るのも彼らのアイデアであった。もちろんそこまで行くのに困難の連続であった。失敗も多かったが、成功した時の喜びはかけがえのないものであった。天戒に頼るも、頼り切らず、自分たちでなんとかする。一種の共同体ともいえた。

「おぅい、辰」

いきなり鶴が家に入ってきた。

「あんた、菊を知らないかい?」

「いえ、知りませんよ。菊がどうしたんですか?」

「小平が泣いてひどいのさ。それに菊自身も鬱みたいだろ?だから心配で・・・」

「さあ・・・」

そのとき辰の頭に雷に打たれたような衝撃が走った。さっき藍と屋敷で別れた後、何かしら気配を感じたのである。あの時は気にも留めていなかったが、あれは菊ではなかったか?そして自分たちの話を盗み聞きしたのではないか?

辰はおわんを放り投げると、すぐさま藍の屋敷へ向かった。残されたのは鶴と左金太の母親の二人だけ。二人とも呆然としていたのはいうまでもなかった。

 

案の定、菊は藍の屋敷に押し入り短刀を振り回していた。主人と最後に会った娘。菊は淡い期待を抱いていた。あの人はまだ生きている。死体がないのがその証拠だ。その希望が絶たれた。話は遠くて聞こえなかったが、夫、大助は死んだのだ。許せなかった、憎かった。また幕府は自分から大切なものを奪った。そして、その幕府の狗が目の前にいる。

殺せ!

菊の心にささやく声。

徳川に組するものは女子供でも容赦するな!怨恨を絶つために皆殺しにしろ!!そうすれば誰にも怨まれることはない。

菊は藍に向かって短刀を振り下ろした。藍はたたみの上に倒れ、ゴロゴロと転がった。それを菊は馬乗りになり、彼女の顔を突き刺そうとしていた。それを抵抗する藍。女同士のためか、なかなかうまくいかない。

ああ、菊の顔を見よ。もし、この世に羅刹が実在するならば、まさしく、今の菊の顔はその見本ではないか!!

殺してやる、殺してやる!殺してやる!!

彼女は叫んだ。泣いてるとも、怒っているともわからない。

藍はくたくたになっていた。もともと力仕事とは無縁の娘が、畑仕事に勤しむ山の女に叶うはずがないのだ。ああ、短刀の冷たい刃が1ミリ、2ミリと縮まってくるのだ。それは藍の鼻の上まで降りてきた。そして、藍の鼻が削がれるのだと。

「ばかやろう!!」

助け舟は辰であった。辰は馬乗りになっている菊に体当たりして、短刀を奪った。菊は泣いた。悲しいのか、悔しいのかわからない。とにかく、子供のように泣きじゃくり、藍に向かって一言。

「人非人」

それはかすれた声であったが、はたして藍の耳には届いていたようである。彼女は力なくうなだれた。

かぁん、かぁん!かぁぁん!!

鐘が鳴っている。敵襲の合図だ!辰は藍を屋敷の門番に任せ、門のほうへ向かった。鐘の鳴らし方にもパターンがある。下忍たちならすぐわかる合図だ。

 

広場にはすでに下忍たちが集まっていた。鶴や陣内、石海。そして紅之介もいた。紅之介は家族の前の顔を切り捨て、戦士の顔になっていた。広場は地獄であった。同じ村人が切り捨てられているのだ。犯人はたった一人で、妙な鎧を着た男であった。が、それは人ではなかった。仮面をつけており、目の奥は不気味な光が見えた。

ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。

なんとも不愉快な音を立てながら、男は手に取った刀を振り回した。

ずばぁ!!

「ぎゃあ!!」

斬られたのは石海の弟子の一人伊勢坊(いせぼう)であった。元は盗賊で顔中傷だらけでひげを生やした男であったが、石海に改心させられ、仏門に下ったのである。

「伊勢坊!!きさまぁ!!」

次に弟子の九朗坊(くろうぼう)、岩念(がんねん)が斬りかかった。九郎坊は美男子で、元は役者であったが、陰間に嫌気がさして石海の寺に逃げた。岩念は村一番の暴れん坊で、人一倍体格のいい少年であった。同じく石海の弟子にされたのである。

ずばぁ、ばばぁ!!

「ひぃ!」

「ぐぁ!!」

二人とも胸を斬られた。血が噴出し、二人とも力なく倒れた。

「ああ、九郎坊、岩念!!」

「皆のもの、下がるのだ。ここは私が行こう!」

そういって前に出たのは村の主九角天戒であった。その横には桔梗と戻ってきた風祭がいた。九桐は山にこもっており、この場にはいなかった。

「おい、桔梗!あいつは・・・」

「ああ、坊や。あいつは一度見たら忘れられないよ。お前たち、絶対あいつに近づくんじゃないよ!!」

桔梗はあの男を見たことがあるのか、村人に注意を呼びかけた。

「火だ、あいつは火が苦手なんだ。天戒さま気をつけてください!!」

桔梗が叫ぶ。

かきぃん!!

男は刀を振り下ろした。天戒はそれを刀で受け止めた。だが、力の差が大きいのか押され気味だ。そこを風祭が男の頭に蹴りを入れた。

ぎぃ、ぎちぎちぎち!!

「へへ、気が込めた蹴りだぜ、良く聞くだろう?」

男は頭を押さえ苦しそうだ。そこを天戒が止めを刺そうとした。その時!!

「ぴゅう!!」

天戒の目が潰れた。犯人は山に住む妖怪の河童だ。口から水鉄砲のように吹き出したのである。

「ぐぁ!!」

天戒は目を押さえた。その隙に男は天戒に向かい、刀を振るった。

「御屋形さま、危ない!!」

ずばぁ!!

庇ったのは左金太であった。彼は天戒の前に立ちふさがり、左肩からばっさりと斬られたのである。

「へ、へへ・・・、おやかた・・・、さま」

どさ。

左金太は前のめりに倒れた。

「う、うぉぉぉ!!貴様ぁぁぁぁぁぁ!!!」

天戒は刀に外法を施した。刀に炎が舞い上がり、河童を斬り捨て、男を脳天唐竹割りにした。

「ぎぃ、ぎちぎちぎぎぃ!!」

男は真っ二つになり、ばたばたと苦しそうにもがきながら、どろどろに解けて死んだ。後に残るは鎧のみ。

「こいつ・・・。船で見た奴と同じだぜ」

「船?まさかお前たちが乗っていた船のことか?」

「ええ、坊やがちょいと荷をいじったらこいつらが。こいつは幕府の新兵器に間違いないですよ」

「坊やは余計だ !!それにお前も荷をいじったろうが!!」

風祭と桔梗の漫才を無視して、倒れた左金太を起こした。

「お、御屋形さま、無事・・・、だったのですね・・・。よかった・・・」

「ああ、お前のおかげで助かった。感謝する」

「そう・・・ですか。こ、これで、心置きなく・・・、いけ・・・」

「馬鹿者!!」

天戒が叱咤した。

「左金太、お前が逝くことは許さぬ。そもそもお前は秋に母親とともに紅葉を見に行くのであろう?その母を置いていくことは許さぬ」

「な、なんでそれを・・・」

「俺の夢はお前たちが幸せでいることだ。お前たちの夢は俺の夢。それは誰一人とて欠けてはならぬのだ。だから、死ぬな。お前は生きなければならぬのだ」

「な、なんと、もったいなきお言葉・・・。た、辰を、辰を呼んでください・・・」

天戒は辰を呼ぶと、辰は左金太の手を握った。

「左金太、大丈夫か?」

「辰、悪いが、もう俺はだめだ・・・。頼む、紅葉はお前が代わりに見てくれ・・・。もう、俺は助からない・・・」

「バカ、バカ!御屋形さまもおっしゃったろう、俺にお前の代わりなどできるものか!お前が生きてなきゃだめだ!!」

だが左金太の体はどんどん体温が低くなっていく。おそらく、血が抜け出ているためだろう。ショック死しなかったのが、不幸であった。桔梗は治癒の外法を施すが、まるで追いつかない。他にも伊勢坊たちもいるのだ、このまま死んでいくのは目に見えていた。斬られた下忍で家族がいるものは妻や子供が、泣きだしていた。

「あ、ちょっと待て!!」

集まった村人を押し分けて出てきたのは一人の娘であった。藍である。いったいいつの間に?そんなことを考える余裕はなかった。皆、怪我人が心配だからだ。

彼女は傷ついた左金太に近づき座り込むと、両手をかざし、呪文を唱えた。彼女の手から淡く、暖かい光が発した。それは左金太の体を包み、やがて、左金太の傷は塞がっていった。

「ふぅ、ふぅ・・・」

荒い呼吸が規則正しくなっている。峠は無事に越えたようだ。

「・・・これでもう大丈夫です」

「貴様、なんのつもりだ?」

天戒が藍を見下ろしながら言った。

「お前がやったことは敵に塩を送るようなものだ。せっかく敵が減る機会をお前自身が潰したのだぞ?」

「あなたという人は!!」

ぱちん!!

藍がすくっと立ち上がると、そのまま天戒に平手打ちをかました。あまりの出来事に村人たちは呆然となった。

「あなたたちも同じ命なのですよ!救える命があるならば救うのが人間ではないのですか!!」

「・・・・・・」

「たとえあなたに何を言われようとも、わたしはこの人たちを救います。その後わたしを好きにして結構です!!」

藍はそのまま別の怪我人に術を施し始めた。

「・・・勝手にしろ。辰、あの娘を見張っていろ。おかしなことをすれば斬ってもかまわん」

天戒は背を向けるとそのまま屋敷へ帰ろうとした。

「お、御屋形さま!いくらなんでもあんま・・・」

辰は非難しようとした。

「許せ・・・」

「え?」

天戒は振り向かず、小声で話した。

「俺は鬼道宗頭目として安易に礼など言えぬのだ。仮にもあの女は敵の女。示しがつかぬ・・・」

「御屋形さま・・・」

「あの女の手伝いを頼む」

天戒は帰っていった。辰は藍のほうへ走っていった。

 

村の教会には怪我人が運び込まれていた。木の中忍草太郎の指揮の下、藍の治療が済んだものを中心に包帯を巻いていくのである。傷がふさがったとはいえ、中身はまだふさがっていないから、安静が必要なのである。草太郎もさることながら、藍の手際のよさは、草太郎の舌を巻くものがあった。

「なかなかのものですね。経験が豊富のようだ」

「はい、これでも父の仕事をよく手伝っているもので」

藍は振り向きもせず、仕事に没頭していた。彼女は草太郎から白衣を借り、治療を続けていた。

「ですが御屋形さまに平手をかましたのはあなただけですよ?まったく、命知らずというか、なんといいますか・・・」

「あ、ご、ごめんなさい!!」

藍の顔は真っ赤になった。

「あの時はどうかしてたんです。なぜかあの人と話をしていると頭がかっとして・・・」

「まあ御屋形さまは器量の狭い方ではありませんからね。気にしないことです」

草太郎には弟子が4人ほどいるが、彼らはお湯を沸かしたり、綺麗な布を集めたりとこの場にはいない。いるのは怪我人に冷たい布を頭にのせてる辰だけである。

「・・・あなたも幕府に復讐したいのですか?」

「・・・そうですね。わたしはこう見えてもシーボルト先生の弟子でね。患者の信頼も厚かったのですよ。ここに来るまでは長崎にいたのです」

シーボルトは一度1828年ご禁制の日本地図を持ち出そうとしたとして、故郷のドイツへ帰国された。その後1858年に再び日本へやってきて、1862年ドイツへ帰国。ミュンヘンにて死去した。草太郎はその間に彼の弟子となったのかもしれない。

「ところがいつもの農民の子供の治療をしていたら、幕臣の息子が怪我をしたから、治療しろと割り込んだのです。わたしはそれを拒否すると、その晩わたしの病院は焼かれました・・・」

その後偶然嵐王に拾われ、そして弟子たちとともにこの村へ来たという。

「わたしは幕府を潰したいと思いますよ。今のままでは弱い人間は医者にもかかれず、病になれば死ぬだけです。この村ではわたしを必要としてくれる人たちがいます。わたしはその人たちのために、御屋形さまのために徳川の復讐を成就させたいのですよ」

「・・・怪我を治した人たちがまた戦いに行くにしても?」

「わたしは医者ですが、いざとなれば戦います。この身が裂けてもね。たとえ大義名分を掲げ、復讐を成し遂げたとて、いつの日かその家族に復讐されることは覚悟の上です。だからでしょうか、わたしはなるべく金策は安易に盗まず殺さずに集めようと思ったものです。そのために薬草の栽培を思いついたのですよ。まあ、これは言い訳ですがね」

草太郎はそれっきり話さなくなった。藍もそのまま怪我人の治療を続けた。

 

「遅かったな」

九角屋敷。時刻は大体深夜12時くらいだろう。辰は怪我人の治療を終えた藍を連れてきたのである。応接間には天戒と山から戻ってきた九桐もいた。

「治療は終わったのですが、その後が大変でした。左金太のおふくろさんを中心に、感謝の言葉でもみくちゃにされたんです」

「そうか、美里藍。一応礼は言っておくぞ。辰、今夜はご苦労であった。下がってくれ」

「ははっ!!」

辰は左金太の家に向かった。その途中菊に出会った。なにやら話しづらそうなようだ。

「なんだ?」

「・・・あ、あのさ!!」

「?」

「あの女、なんで敵のあたしたちを助けたのさ!?」

「・・・」

「御屋形さまの言うとおり、あのまま放っておけばみんな死んでいくのにどうして!?」

「・・・お前、みんなが死ねばいいと思っているのか?」

「え、そ、そんなことは・・・」

菊は言葉に詰まった。

「お前にとっては大助さえ生きていればいいからな。俺たちが死んでもなんとも思わないからな。もう、いいだろう。帰らせてくれ」

辰はそのまま歩き出した。

「あ、あたし、あたしは!あたし・・・、は」

菊はへたへたと座り込んだ。ただ、その場を動くことはなかった。

 

翌日美里藍は九桐尚雲が内藤新宿へ連れ帰ったという。村人の中にはどうして切り札を捨てることをしたのかと不満そうであった。だが辰は仕方ないと思った。

ただ辰はまた彼女に会える。いや、龍閃組と戦うことなるだろうと思った。

続く

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