鬼道忍法帖その8

 

「構えぇぇぇ」

女たちが竹やりを構えている。

「突けぇぇぇ!」

ずさ、ずさ!ずさぁ!!

掛け声とともに女たちはわら人形一斉に突いた。

「よぅし、今日はここまで!また明日ここへ集合、いいね?」

「おー!!」

女たちの雄叫びを上げた。ここにいる女たちは普段は野良仕事に従事ているが、いざ村に異変が起これば対処できるよう、訓練しているのである。

「さて、梅、松、富、竹。あんたらはあたしと一緒に雹さまの屋敷に来てもらうよ」

中忍鶴は、上忍雹の屋敷にやってきた。雹の屋敷は九角屋敷より大きい。間取りも広い。雹は女性で一人で住んでいるのだが、それにしても尋常ではない広さである。

その答えは彼女の傍らにいる人形であった。

名前はガンリュウという巨大な人形である。雹はガンリュウを操り彼の腕に抱きかかえられ、移動をするのだ。彼女の足は動かない。そのための移動手段なのである。

「雹さまってどういった経歴でここへ来たのでしょうか?」

「あたしの聞いた話だと、雹さまの村は人形遣いの村だそうだ」

その村の技術はすばらしいものだという。山奥に隠れ住むのだから、よほど自分たちの技術を外に出すのを恐れたのだろう。だがその秘密を幕府に暴かれ、そして彼らの企みにより村を滅ぼされた。雹自身も足の自由を奪われ、残されたのは村の至宝のガンリュウのみ。

「今回はそのとき指揮した幕臣たちに関わる仕事だそうだ」

6月10日。この日は大川の川開きといい、両国で花火が上がるのである。大川の川開きとは徳川吉宗の時代、死者慰霊の意味で始まり、後に江戸市民の夏の風物詩・花火大会となっていったのだ。現在は、その名残を隅田川花火大会として残っている。その際大阪で長州征伐の指揮に赴いていた将軍徳川家茂が一時帰国することである。それに乗じて家茂暗殺を目論むものもいるだろう。だが鬼道衆の狙いは家茂ではなく、幕臣である。家茂は実際には帰ってこない、江戸城には家茂そっくりな人形があるのでそれを使い、幕府の威信を回復しようというせこい考えなのだ。

作戦の発案者は嵐王である。雹を奴らの中に入れさせ、幕臣らを一網打尽にしようという作戦なのだ。

「あたしらは雹さまの補佐。そして、いざ龍閃組と事を構える時のためさ」

「龍閃組・・・、来るのでしょうか?」

「来る!あいつらがこんな行事に首を出さないわけがないさ」

鶴は確信したといっても過言ではない。正義面した龍閃組は絶対に参加してくるだろう。そのとき雹の復讐を邪魔させるわけには行かないのだ。

すでに天戒たちに説得され、あとはその日が来るのを待つだけである。ガンリュウを運ぶのは下忍の松という娘だ。彼女はこの村の生まれで直接幕府に恨みがあるわけではないのだが、天戒に忠誠を誓う者のひとりだ。

「雹さま、川開きが楽しみでございますね」

鶴と他の下忍も集まっていた。全員正座している。雹の屋敷は広いから人が集まってもまだ余裕がある感じだ。

鶴にとって雹は気難しい上司であり、放っておけない女性であった。彼女はどこか移ろいやすい雰囲気がある、この世の生に背を向け、ただ人形たちとともに時を過ごすことが多い。歳は違うが鶴は雹が愛しい娘に思えるのだ。彼女のことを母親が自分の娘を守りたいと思うように。

「・・・・・・のう、鶴よ。今度の指揮、お主がやってもらえぬか?」

「それはなぜでございますか?」

「わらわは一度たりともお主たちに何を指揮するわけでも、やったわけでもない。むしろ鶴のほうが皆も言うことを聞くであろう。わらわは本当は復讐などどうでもよいのじゃ・・・」

雹は自傷気味に言った。それも無理はないだろう。彼女は自分の家族や村人が死んでいくさまを見た。そして、下劣な幕府の非道も。たとえ復讐を果たしたとて自分の村や足が元通りになるわけがない。雹は人間にも絶望を感じているのだ。せいぜい心を許すのは天戒とガンリュウを診てくれる嵐王くらいのものだ。別に望んで上忍になったわけではない。いつの間にかそうなっていただけだ。余計なことは皆鶴にまかせっきりであった。ずっとそうでいても不便ではなかった。

「天戒さまはわらわを必要と言ってくれた。じゃがわらわの心はもう死んだのじゃ、何も感じぬ、何も思わぬ、ただの人形じゃ。この件が終わってしまえばわらわは用済みなのじゃ・・・」

「そ、そんなことをいうものではありません!」

鶴は思わず立ち上がった。ぽかんとなる雹。

「あんたは人形じゃない、一人の人間なんだよ!生きているんだよ!それなのに自分がまるで要らない人間みたいに言うんじゃないよ!!」

「あ、鶴姉さん・・・」

梅に言われ、鶴は正気に戻った。顔を赤くして再び座った。

「も、もうしわけございませぬ・・・」

「・・・わらわの母上も、粗相をしたときよく叱ってくれたものじゃ・・・」

雹は遠い記憶を思い出すようにつぶやく。

「わらわはわがままじゃな・・・。鶴、わらわは一応出ることにする。そして御屋形さまの悲願のため、わらわの復讐の先に何があるか確かめるために・・・。そのときはわらわのために働いてくれるか?」

「もちろんでございます!」

 

村の広場では他の下忍たちが訓練をしていた。鬼道衆は戦力が少ない。それに普段は畑仕事に夜は見張りと忙しいのだ。最近は弥勒や奈涸、京から連れて帰った壬生霜葉や們天丸など戦闘力ではずば抜けたものが住むようになった。ただ彼らは偏屈だから、なかなか相手にしてもらえない。よく顔を合わす九桐たちに訓練を手伝ってもらっているのだ。

「よし、どこからでもかかって来い!」

ぴぃぃぃ!!

笛の音が鳴り響いた。今の音で他の下忍たちも集まったのである。鶴も面白そうだと鬼の面をかぶり、訓練に参加した。

個人を複数で叩く。忍びではないが戦いにルールなどない。闇討ち、不意打ちなんでもありだ。まあ長屋の井戸に毒を流したり、火付けをするのは気分的に嫌だからやらないが。

相手は九桐、桔梗、風祭の3人。だがこの3人の戦闘力は下忍が100人束になってもかなわないと思う。あっという間にやられてしまったのだ。

「いやぁ、負けてしまいましたなぁ」

土忍の中忍石海である。彼の配下は以前村で襲撃されたときに傷ついた身体がまだ本調子ではないので参加していない。

「いやいや、こちらも油断をすれば負けてしまうからな。いい経験になったよ」

九桐はさわやかに笑った。

「そういや、風祭さまの技って、龍閃組の無手の男に似てると思わないか?」

金忍の中忍陣内が何気なく言った。それに過敏に反応する風祭。

「おい、陣内!俺の技が龍閃組の奴に似ているだと?俺がそいつの技を真似したと言いたいのか!!」

風祭は陣内の襟首を乱暴に掴んだ。

「え、ま、まさか・・・。確かに似ていますが、微妙に違いますし・・・」

「そうだな、俺も戦ったことがあるが、確かに風祭さまに似ていたな、あの無手の男は」

これは火忍の中忍紅之介であった。

「あたしもそう思ったよ」

鶴も口を挟んだ。風祭は古武術使いで、身体は小さいがその威力は強い。鬼道衆の家臣でなくてはならない存在だ。ただ本人は背が低いことと、子供扱いされるのが大嫌いで、桔梗にはそれでからかわれている。鶴たちは古武術は詳しくないけれど、どことなく風祭の技に似ていると思ったのだ。しかし、彼らはしまったと顔を見合わせた。なぜなら風祭の顔が怒りで真っ赤になってるからだ。

「うむ、緋勇も古武術使いだからな」

「緋勇だと!?」

九桐の一言に、風祭は過敏に反応した。風祭は九桐につかみかかった。

「九桐なんでそいつの名前を知っているんだ!!」

「ああ、甲州街道でな。風祭知り合いなのか?」

「知り合いじゃねぇよ!!」

風祭は不機嫌そうにその場を立ち去ろうとした。

「緋勇は・・・、敵だ!!」

そのまま風祭は去ってしまった。

「九桐さま、わたしは何かまずいことを言ったのでしょうか?」

陣内は自分の責任ではと心配している。それを桔梗が慰めた。

「気にすることじゃないよ。坊やが勝手にひがんでいるだけさ」

 

さて大川の川開きの当日、鶴たちは川の中を泳いでいた。泳ぐといっても全員裸で、息継ぎもせず、くらげのようにゆらゆら漂っているのだ。まるでそれは桃色の艶かしいくらげであった。

鬼道忍法人海月(ひとくらげ)。人間の体は水分で出来ている。外法により、人体をくらげのように変えることが可能なのである。だがこの状態は脳によくないので、彼女らは眠っている状態にある。時間が来れば元に戻るので、鶴たちはそうやって夜が来るのを待てばいいのである。すでに屋形舟には雹と松が待機しているはずだ。天戒たちも別の船で待機しているはずである。あとは時間が来るのを待つだけなのだ。

「ふぁああ、退屈だなぁ・・・」

松は雹のガンリュウを運んだ後、ずっと船の上に待機することとなった。もちろん彼女は下賎な輩だから用が済めば降ろされるはずが、待機するようにとの命じられたのである。

なんでも幕府目付相談役を務める、高野山の高僧円空の命令だというのだから、松は首を傾げずにはいられなかった。待っている間雹や松はお茶だの菓子だのをもらった。菓子を渡した侍は嫌そうな顔をしていたが、上司の命令には逆らえぬのだろう、松は小気味よかった。

川岸を見ていればすでに花火を見るために集まった町民でいっぱいになった。芋を洗うかのようにごたごたしているのに対し、こちらは夜風に吹かれながら花火三昧とくる。なんとなく松は不機嫌になった。それでいてこんな大きな船に乗れた楽しさも混じり複雑ではあるが。

「今宵、鬼どもは来るだろうか?」

侍たちが噂していた。よほど暇を持て余しているのだろうか?

「来ても、飛んで火にいる夏の虫さ。家茂さまが偽物だと気づかぬうつけ共を一網打尽に出来る絶好の機会なんだ。くっくっく」

こちらがくっくっくと笑いたくなると思った。そのうつけ共はすでに船に、しかも、目の前にいるというのに気づいていないのだから呆れてしまう。というより滑稽であった。

作戦が開始した後、こいつらがどのように泣き喚くのか、今から楽しみでもあった。

「幕臣の護衛は臥龍館が担当すると言うておるぞ?確か桧神美冬という娘が滅法強いとか・・・」

「この船には龍閃組なる組織が乗ると言われておるが・・・。正直奴らには乗ってほしくないな」

龍閃組!?やはり彼らもこの件に関わっていたか!しかし、乗ってほしくないとはどういうことであろうか?

「あいつらは幕府の膿みを出しすぎておる。切支丹屋敷に、小塚原刑場にしろ、我が幕府の恥が表沙汰になってしまったではないか。そのくせ京では新撰組を脱隊した男を殺さず、松平さまを気絶させたというから、狼藉にもほどがあるわ」

松はなんとなく龍閃組に親近感が湧いたような気がした。汚くて、卑怯で、恥知らずの幕府が臭いものに蓋をし続けた結果がこれなのだ。しかも、松平とはおそらく、京都守護職の松平容保に違いない。京都守護職とは単に京都を守護するわけではない。京都府知事ともわけが違うのだ。京都守護職は幕末に新設された将軍直轄のポストにあり、これは京での尊攘派の取り締まりや、朝廷と幕府を結ぶ政治的折衝という使命を帯びている。その権限は非常に強く、将軍や後見職らが不在の場合は京における幕府そのものなのだ。つまり将軍の次に偉いのである。

彼は会津藩主で温厚誠実な人柄だと言われていたが、足利三代木像梟首事件を契機に尊攘派弾圧論に転向したと言われている。仏の顔も三度までということわざを地でいったものだ。新撰組も松平が作った組織だが、会津は財政難であり、浪士が増えても絶対解雇しなかったとも言われているのだ。

だが鬼道衆にとって松平は敵に過ぎない。龍閃組が彼をぶん殴った(誇張されてる)という話を聞いて随分溜飲が下ったと思った。しかし、その一方よく龍閃組は潰されなかったものだと感心せざるを得なかった。

「おう、来たぞ」

その龍閃組が来たようである。話に聞く無手の男、緋勇龍斗。着流しの剣士、蓬莱寺京悟。高野山の巨漢の僧侶、雄慶。弓使いの少女、桜井小鈴。そして隠れ切支丹の少女、美里藍。

藍は松を見ても特別反応はしなかった。当然であろう。彼女らは互いに顔を合わせたわけではない。松は遠目で藍が下忍たちを治療しているのを見たが、藍は松の顔など知らないのだ。ましてや雹はあの晩屋敷に篭りきりだから、知るわけがない。

龍閃組と侍たちは揉め出した。特に蓬莱寺という男は下手すれば斬られるのでは?とこちらがはらはらするような伝法なしゃべり方をするのであった。

龍閃組と雹はなにやら話をしていたが、川岸で鬼騒動が起きたらしくそちらの方へ走り出したのである。

「雹さま、あいつらと何の話をしていたんですか?」

「・・・あやつらは知っておった。わらわの村が焼かれたことを・・・」

雹は淡々と話し始めた。ある日将軍家茂が村に迷い込んだこと、そして、将軍が自分たちの技に感心し、自分に良く似た人形を作らせたこと。そして、その後、人形を悪用されることを恐れた幕臣たちにより、村を滅ぼされ、自分も足を奪われたことを。龍閃組はそれらを誰かに教えてもらったというのだ。

松は驚いた。いったい誰に聞いたのだろうか?それ以前になぜ龍閃組にそのような余計な情報を与えたのか理解できなかった。

もうじき花火が打ちあがるだろう。そのときこそ幕臣共の血で彩りに染めてやろうと思った。

ひゅぅぅぅ、

どぉん!

ひゅぅぅぅぅぅぅ、

どぉぉん!!

ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、

どどぉぉん!!!

なんとも美しい花火であった。去年仕事で覗いてみたが、大空には真っ赤な花火が花を開いていた。ところがどうだ、今年の花火は一味違うではないか!!赤だけでなく、青や黄色だの多彩で鮮やかな花火が次々と打ちあがるのだ。基本的にこの時代は主に黒色火薬が主流で、当時の錦絵には赤色一色が普通なのだ。色がつくようになったのは、海外からカリウムなどの化学薬品を輸入するようになってからで、新式花火が最初に日本で披露されたのが横浜で、明治10年ごろなのだ。無論松は何も知らないから、心から感心していた。

ああ、この花火も御屋形さまは見ているのだろうか。殺伐とした任務がなければどれだけ楽しいだろうか。

雹の方は花火どころではなく、家茂の人形を操る作業で手がいっぱいであった。

川岸では将軍さまが花火を見ていると、歓喜の声が上がっていたが、それは真っ赤な偽物なのだ。しかし、あらかじめそれが人形だよと教えてもらわねば、それが人形とは一生気づかないであろう。その人形は本当に良く出来ていた。将軍の顔など知らない者が見ても、しぐさが人間そのものなのである。

「おい、娘。ちょっといいか?」

侍が3人ほど雹に話しかけた。

「この仕事が終わったらお主はどこへ帰るのかね?行く場所がなければ我らが都合したいと思うのだが・・・」

「結構じゃ」

雹は高圧的に言い放った。侍の方など向かず、人形を操ることで忙しいのだ。

「わらわには帰る村があるのでな。申し出はありがたいが、ご遠慮願おう・・・」

その瞬間、侍が雹の頬を叩いた。顔が真っ赤になっている。

「調子に乗るな!貴様はこの後も将軍の人形を操ってもらわねば困るんだよ!」

「そうさ、どうせ将軍は病で死ぬんだ。あの人形さえあれば、将軍はずっと生きたままだ、そうすれば好きなように幕府を操れるってものさ・・・」

「そのためには人形を操れるお前が必要なんだよ、けっけっけ」

侍たちのげひた笑いが気に食わなかった。雹はもう将軍の人形を操るのをやめ、代わりにガンリュウを操ることにした。

「あん?なんだその反抗的な目は?こいつはお仕置きをする必要があるな・・・」

ずばぁん!!

侍の上半身が吹っ飛んだ。下半身は腰までしか残っていない。それは倒れることなく立ったままであった。上半身はそのまま川に落ちていった。ガンリュウの剣により、侍にお体は豆腐のように切断されたのである。

「え?」

二人の侍はあまりの出来事に事態を把握できていなかった。

ぶす、ぶすぅ!

「ぴぃ」

「ぴぎゃあ!」

侍の頭はまるで串団子のように刺された。ガンリュウはぶるん、ぶるぅんと振り回すと、死体は人形のように体をだらしなく震わせていた。そして死体を遠くへ投げ捨てた。

「ひ、ひぃぃ、なんじゃ、何の騒ぎじゃあ!!」

幕臣の一人がパニック状態になったのか、屋形船の外へ逃げてきた。

しゅるるる!

幕臣の体に無数の糸が絡まった。もはや蜘蛛の巣に引っかかった獲物である。それをぴぃんと引っ張ると幕臣の体は宙を舞い、やがてガンリュウの剣先に腹を突き刺したのである。

「ぶぶぅ!!」

幕臣の無様な死に様に他の幕臣たちもパニックになっていた。自分たちが襲撃されるとは思っていないからだ。ガンリュウは突き進んだ。ガンリュウの剣は非常に重い。自分の体より大きいのだ。だがそれを意図も簡単に扱い、幕臣たちを殺していったのである。

畳の上は幕臣の血で汚れ、生き残ったものたちも恐怖で震えていた。

「な、なんで、まさか、あの時の村の生き残り・・・」

幕臣の一人が小声でつぶやいた。

「ほう、わらわの村を滅ぼしたものがここにおったか、他にはおらぬのか?わらわの伴侶ガンリュウの刀の錆にしてくれるわ」

「ひ、ひぃ、わ、わしはただ命令されただけ、老中殿が暇つぶしに遊ぼうと誘われただけじゃ。じゃがわしはその後村に慰霊碑を建てた。毎月供養にも行っておる。じゃから、じゃから・・・」

手を合わせ、ぼろぼろと涙をこぼしながら頼み込んだ。しかし、

「はん、そのようなことをされても村は戻らぬわ。さあ、御託はここまでじゃ。地獄でわらわの家族と村人たちに許しを請うがいいわ」

ガンリュウの刀が幕臣の腹を突き刺そうとしている。

「や、やめて!わしには妻や子供、年老いた母がおるのじゃ!わしは公儀に申し出る、お家取り潰しになるが、せめて武士らしく死なせて・・・」

「聞く耳持たぬわ。他の者も同じように殺してやる。死ね!」

かきぃぃん!

ガンリュウの刀は弾かれた。

弾いたのは蓬莱寺であった。

「おっさん。今の話は本当だろうな?公儀に申し出るって話を」

幕臣は命が助かったのか、へなへなとなっていた。

「ああ、本当だ。こんな目にあうなら初めから罪を償うべきであった・・・」

「聞いての通りだ。こいつは奉行所に引き渡す。あんたの村を焼いた下手人共も一斉に検挙されるってわけだ。復讐はここまでにしてもらうぜ?」

すでに龍閃組のメンバー5人が集まっている。

「わらわが何者か知っての狼藉かえ?」

「ああ、おそらくあなたは鬼道衆でしょう。でなければ幕府に復讐する道理がない。私たちはあなたの復讐の邪魔しに来たのである」

無手の男、緋勇である。

「偉そうなことを。あの男、家茂はほんの気まぐれで自分にそっくりな人形を作らせ、持ち帰った。そのお礼がわらわの村を焼き尽くすこととは誰が思うか。わらわは人形じゃ、何も感じず、何も考えない。すべては御屋形さまのためにこの身が骨になるまで働くことを誓ったのじゃ。さあ、どけ。その男を殺して、また別の幕臣共を殺すのじゃ」

緋勇はちらりと幕臣の方を見た。彼は衰弱していた。落ち着きを取り戻しているが、ぐったりとしていた。ぶつぶつと「妻よ、子供よすまぬ」とつぶやいていた。全体に覇気がなくなっているのだ。

「この人は反省している。公儀に申し出てそこで裁きを受ける覚悟がある。そんな人を殺せば今度はその人の家族に復讐されるのですよ?なぜわからないのですか?」

「わかりたくもないね!」

外には鶴たちが船の上に上がっていたのだ。着物と仮面は既に身に着けてある。いくらなんでも素っ裸のままは恥ずかしいのだろう。

「鬼道衆は徳川幕府に復讐するために存在しているんだ。そして雹さまには復讐を成し遂げる権利がある!その雹さまの邪魔をする奴はあたしらが容赦しないよ!」

「その声、小塚原での・・・。あんたはまだ懲りてないのかよ!」

「・・・悪いね。あんたがあたしらを心配してくれるのはありがたいさ。でもね、復讐を成し遂げないとあたしらはいつまでたっても前に進めないんだ。鬼には幕府に肉親を殺されたせいで夜もろくに眠れないのがいるんだよ。たとえ復讐を成し遂げても今度はあたしらが復讐される番だと知っていてもね。もう戻れないのさ、下り坂を石が転げ落ちるように、もう止まることはないんだよ・・・」

鶴は悲痛な声で叫んだ。彼女自身も毎日子供たちと遊び、仲間たちと一緒に汗水たらして働く喜びに満ちているのだろう。だからこそ、この生活をいつまでも続けるために、この手を血で汚す覚悟があるのだろう。その先が破滅だとわかっていてもだ。

「だったら無理やり止めるまでです」

緋勇が凛とした声で言った。

「どんな理由があるにしろ、私たちはあなたたちの復讐を阻止します。そして悲しみの息の根を止めて見せます。たとえ無理だといわれても、バカにされてもします。だって龍閃組は馬鹿の集まりですから」

「よぅし、よく言ったひーちゃん!」

「馬鹿呼ばわりされていい気分じゃないが・・・。拙僧も龍斗の意見に賛成だ」

「僕も世間のことは良く知らないよ。でも、復讐が悪いことは子供だって知ってるものね」

仲間たちが次々と賛同している。そして藍が一歩前に出た。

「あなたたちにも待っている人がいるはずです。その人たちのためにどうか今日はここまでに・・・」

ぶすぅ!

「ぐはぁ!!」

蓬莱寺が何者かに刺された。刺したのは松であった。藍は彼女の顔を知らなかったので、単なる運び人だと思ったのが運の尽きであった。

「はぁ、はぁ。わ、わたしも鬼道衆さ。誰にも邪魔はさせない、御屋形さまの悲願のため、わたしも鬼とならん!!」

その姿は般若のようであった。血に濡れた短刀から蓬莱寺の血がぽたぽたとたれていた。

「松!なんてことを、ちぃ!!」

鶴は舌打ちすると懐から鎖分銅を取り出した。そして梅や他の下忍もそれを取り出すと、緋勇の両腕に巻きつけたのである。

「ごめんよ、こうなりゃあたしらは戦うしかないんだ。正々堂々とはいかないんだよ」

「仕方ないですよ。こうなればわたしたちも戦うまでです」

それが合図となった。船は戦場となった。ただし蓬莱寺は藍に治癒の術をかけてもらっているので、参加していない。

緋勇は分銅のせいで身動きが取れない。いままで他の下忍たちが戦ったデータが生かされているのだ。これを卑怯と罵るか、それとも戦略的と誉めるか。おそらく前者が多数を占めるであろう。鶴は藍が自分たちのことをしゃべってないと確信していた。なぜなら藍は自分の声を聞いても何もしゃべらなかったではないか。

「緋勇あんたは殺しやしない、しばらく戦えなくするだけさ!!」

その分銅はただの分銅ではなかった。雷の玉が仕掛けられているもので、スイッチを押せば、分銅から電気が伝わる仕掛けとなっている。いわゆるスタンガンのようなものだろう。もちろん嵐王の発明だ。緋勇は古武術の使い手で、多分龍閃組で一番の猛者だ。その男の両腕を封じるのが目的なのである。

ばちばちばちぃ!!

「うわぁぁ!!」

緋勇の両腕に火花が散った。嫌な臭いがしてきた。

「ぴゅぅ!」

「ふぅ!!」

「むむぅ」

他の下忍たちは雄慶に対し、吹き矢で応戦していた。この坊主、見かけは大きくて金太郎のように怖い顔だが、見た目ほど乱暴者ではないのだ。特に彼女たちは女性だとばれているから絶対こちらを傷つけることはない。矢には痺れ薬が塗ってあり、当たればしばらくは動けなくなる。動けなくなった雄慶は川に放り投げればよいのだ。

小鈴の場合慣れない船上で弓をうまく使えない。梅はすぐさま彼女へ駆け寄り、弓を奪い、それを川に投げ捨てたのである。

「さあ、お嬢ちゃん。おとなしく川に飛び込んでもらうよ?ここであんたらが失敗すればもう龍閃組は仕事が来なくなる。あたしらに構うことは出来ないのさ」

「ど、どうして・・・」

小鈴は不思議に思った。今までなら100%こちらを殺しに来たのに、彼女らは自分たちをあくまで戦闘不能にさせるつもりなのだ。

「あんたらのせいで死んだ人間は少ないからね。だからあたしらもあんたらに習っているだけさ!!」

梅は小鈴の腕を掴むとぽいっと川へ投げ捨てた。柔術の一種だ。村では武器の訓練のほか、対術も習っているのである。

「うわぁぁ!!」

どぽぉぉん!!

水飛沫が上がった。だがどうやら無事のようであった。

「う、うぅぅ」

一人放置された雹はいきなり苦しそうに呻いた。不振そうに鶴は雹を見た。

「あ、頭が割れそうじゃ!!」

彼女の周りに陰の気が立ち篭りだした。そして。

「しゃぎゃああああああ!!」

雹は鬼へ、濁流の水蜘蛛へ変生してしまったのである!まるで屋形船を覆いつくさんばかりの大きさであった。ヘリコプターで真上を見たら、まるで巨大な手が船を掴むように見えるだろう。

鶴たちは突然の出来事に、足が動かなくなった。自分たちは悪い夢でも見ているのだろうか?

「御神槌さんと同じですね。涼浬さん、彼女たちを無事に川岸に連れて行ってください!あとは私たちが!!」

すると鶴たちは川から飛び出た水の縄に体を巻きつかれ、そのまま川へと沈んでいったのである。

 

「大丈夫ですか?」

鶴が目覚めたのは人気のいない川岸であった。目を開けて一番に見たのが一人の少女であった。彼女は小塚原刑場で会ったことがある、確か涼浬という少女であった。見回せば梅や松たちも寝かされていた。それを藍と小鈴が治療しているのである。

「なんであたしらを助けたんだい?」

「なぜ・・・、でしょうか?」

涼浬自身もわからない様子であった。

「以前のわたくしならあなたがたを一人残らず殺していたでしょう。ですが、今のわたくしには何が正義で何が正しいのかわからないのです。わたくしにとって幕府は絶対でした、飛水がいれば幕府は安泰だと思っていました。でも・・・」

「それをあの龍閃組に出会ったせいで変わっちまったのかい?」

「はい。もともと江戸へは奈涸、抜け忍となった兄を殺しに来たのでした。その途中龍閃組に協力を仰ぎましたが、彼らは公儀隠密にしては甘い人間ばかりでした。いえ、思えばわたくしが何も知らなさすぎたのです」

「・・・・・・」

「そしてあなた方も知っているでしょう、小塚原のことを。わたくしはあの後あなた方を殺すよう進言しました。ですが、却下されました。当然ですね、気絶したものを殺すなど恥ずべきこと・・・」

「・・・・・・」

「なぜこんな話をしたのかわかりません。ですが、わたくしはあなたに自分の話を聞いてもらいたくて・・・、申し訳ございません」

「・・・あんたは」

「え?」

「あんたは本心から兄を殺したいと思ったのかい?抜け忍を始末するという任務として、兄を殺したかったのかい?」

「それは・・・」

涼浬は何も言えなかった。自分でもまだ理解できないのだから。

「あたしはあんたにこう言うね。たとえ兄を殺してもあんたの心がそれを許さない。兄弟で殺し合い、片方が生き残ったとしてもあんたは一生心に消えない傷を作ることになる」

「・・・・・・」

ざばぁ。

川からガンリュウと雄慶と緋勇が出てきた。雄慶の腕にはぐったりした雹が抱かれている。

「やっぱり龍閃組はお人よしだね。絶対雹さまを殺すわけがないと思っていたよ」

「・・・敵なのにですか?」

「敵だからかね、長い間戦っているとあんたらがどういう人間か分かってくるのさ。あたしらは生きているんだよ。生きてりゃ互いがどういうものかわかってくる、死んだらそこでおしまいなのさ」

「・・・」

「ところで着流しの浪人、蓬莱寺の腹の具合はどうだい?」

「俺ならぴんぴんしているぜ?」

そこに立っていたのは蓬莱寺であった。刺された部分に包帯が巻かれていた。蓬莱寺はぱんぱんとなんでもないように叩いたが痛みが走ったのかうずくまってしまった。

「ははは、怪我人が無茶するからさ」

「ちげぇねぇや。えっと、俺を刺した奴はなんて名前だ?」

「松だよ。松平の松さ」

「おう、松ちゃんか。起きたら伝えてくれ。俺は気にしてないってな。刺された俺が間抜けだっただけのことだ」

この男は自分を刺した人間を怨むどころか許している。もっとも松は結構器量がいいからそれで許したのかもしれないが。この男の奔放さにはあきれるやらなんやらで笑いが込上げてきた。

「もうそろそろ帰った方がいいな。じゃああんたらも無事に帰るんだぞ、じゃあな」

その後鶴たちは天戒たちと合流することとなった。彼らの船には臥龍館の門下生たちが乗り込んでいたが、なんなく蹴散らしたという。

のちに幕臣の一人が人形遣いの村を焼き滅ぼしたことが公儀に出て、当時の犯人たちは一斉検挙されることとなった。後日鬼道衆の人間が村の跡を調べに言ったが、そこには村人を供養する慰霊塔が建てられていたとのことであった。

ただ鶴は屋形船で雹が鬼になったことは伏せていた。雹自身もなにやらわけがわからなかったというのだ。あの時藍と話す機会がなかったが、緋勇は「御神槌さんと同じ」と叫んでいた。雹だけではなかったのである。自分ではとても理解できないと思った。だから天戒には内緒にしたのだが、もし、彼女がこのことを進言していれば、村の異常にいち早く気づくことが出来たのかもしれないのだ。だが人生とはかくもこういうことなのかもしれない。

続く 

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