鬼道忍法帖その9

 

アラスカやカナダ、グリーンランドにいたる極北ツンドラ地帯にエスキモーという種族が住んでいる。彼らはアメリカでは禁止されている捕鯨や、アザラシ、セイウチを捕まえては食べているのだ。特にアザラシの内臓は寒い土地に住む彼らにとってなくてはならないものだ。しかも、取り出したばかりのほかほかの内臓をそのむしゃぶりつくというのだから、すさまじいものがある。だが食べれば裸になって走っても凍傷しないと言われているのだ。

もし内臓が食えなかったら?そのときは自分の妻を他人に貸し、温めあうといわれている。もし、アラスカに立ち寄り、エスキモーたちの部落へ行ってみるといい。目の色や顔が違う子供がいっぱいいるのだ。

エスキモーには宗教もなく、道徳観念もない。彼らにとっては普通なのである。だがその常識が他の国から見たら非常識に思えるのは当然だ。そして人は他人と別なことをするのを恐れている、忌み嫌う傾向がある。

でなければ1637年に勃発した島原の乱で切支丹とはいえ、同じ日本人を殺せるはずがないからだ。ただ宗教が違うだけで同じ国に住んでいる人間を殺したのだ。もっともこれは日本に限らず、世界のどこの国でも似たような話がいっぱい転がっている。2005年1月においても、アメリカとイラクは激しい紛争を続けているではないか。互いの文化を理解せず、金の力があれば他人を支配できると思っているのだ。そもそもアメリカは開拓時代大勢の原住民を殺し、追い出した。

もし他人をあっさり信じ、かつ仲良くなれればどれだけ世界が救われるだろうか?困ったとこはお互い様、互いが互いを支えあえれば、どれだけみんな幸せに暮らせるだろうか?

残念だがそれはまだまだ遠い話になるかもしれない。

 

「ふぉっふぉっふぉ、ほれほれ、ここか、ここがええのか?」

「いや〜ん」

鬼道衆、土忍の中忍、石海(せきかい)という人は、見た目は七福神の布袋さまのようにありがたく見えるも、一見ただの山奥に住む坊主に思えるが、話の端にもしかしたら高僧の教えを賜ったとも思える節があった。彼の名前が石海なのは、かの空海和尚や、天海和尚からあやかり、何ものにも動じぬ石の海とつけたそうだ。

彼は昔高野山の僧侶で徳が高いと言われたが、高野山の狭苦しい生活が嫌で、わざと山奥の村へ寺を作ったといわれているのだ。

しかし、彼の弟子たちを見るととてもそうとは思えないのだ。彼には弟子が4人いるがどちらもまともな人間とは思えなかった。何よりただのスケベ親父にしか見えない。今彼らは酒盛りをしていた。鶴を含めた水忍の女たちと、土忍の下忍が集まっている。

「へへへ、じゃあ俺も・・・」

「あんたのはでかすぎるから、やーよ」

馬念(ばねん)。名前の通り顔は馬面で、いちもつも馬並みといわれる男である。そのために女に相手にされないから、いつも悶々としている。今宵の宴もあっさり振られてしまった。

「え、えっと。さ、酒をくれ・・・」

「あんたどもるねぇ、落ち着いて話なよ」

「こ、これが、ふ、普段、ど、通り・・・」

伊勢坊(いせぼう)。元は山賊で石海に改心させられた男だが、実のところこの男は顔は傷だらけ、ひげだらけで子供が泣き出すが、実は小心者で人を殺したことなど一度もなく、山賊でも小間使いだったのを石海に誘われたときは、心の中でばんざいと手を上げたという。伊勢坊は戦闘のときはまともだが、普段はどもりがちになることがある。

「ねぇねぇ、九郎さんもどうぞ」

女が寄り添った。

「いいわよ、あたしが自分で注ぐから」

「あらやだ。やっぱり女より男がいいわけ?ふーんだ」

九郎坊(くろうぼう)。元は役者で水も滴るいい男であったが、座長から物好きな男たちに身をまかされ、色を売らされたことがあった。彼には他に頼るところもなく、本業の役者より陰間を勤めることが多かった。それを石海に引き取られたのである。九郎坊は時々お姉言葉になる。陰間の時期が長いためか、気をつけないとこうなるのだ。

伊勢坊と九郎坊という名前は、二人が同時期に入門したので伊勢坊が伊勢三郎、九郎坊は源九郎義経からとられたものである。

「ささ、岩念もどうぞ」

「僕は酒苦手だから、いいや」

最後に岩念(がんねん)というのは見た目は偉丈夫で、切れたら何をしでかすかわからない男に見えるが、この男も見た目と違い、子供のように心の優しい男であった。年は15くらいなのだが、先天的なのか、人より身体が大きいのだ。だが人は見た目で判断するのがほとんどで、彼らは時代の被害者とも言えた。

石海はそんなろくでなしを好んで拾い、仏の教えを説いているのである。

鬼道衆として暮らし始めた最初の頃は見た目で判断されたこともあるが、今では信頼を得ている。彼ら自身もそうだが、村人も懸命に努力したのである。

「うひょひょひょひょ。ほれ鶴、ここか?ここがええのか?」

がすん!

「この助平親父!」

石海の頭に鶴の肘打ちが決まった。石海は目から星が出て、伸びてしまった。

「つ、鶴さんの、か、体は、か、固い・・・」

「ほほほ、もっと柔らかい女がいるでしょうに」

「だ、だめだよ。伊勢さんも九郎さんも、鶴さんも一応女性なんだし・・・」

「岩念!あんたの方が一番失礼だよ!!」

どっと小屋の中が笑い声で溢れた。

その様子を見て辰と左金太はよく彼らが鬼道衆に受け入れられたと思った。

 

さて鬼道衆の次の指名は、郷蔵を襲うことであった。郷蔵には侍の給料にあたる米が納められているのだ。もし給料が滞納すれば幕府の信頼はがた落ちという寸法だ。

この仕事は土忍の上忍泰山なしでは成り立たない。彼の馬鹿力なしでは米俵を大量に運ぶことが出来ないのだ。土忍は他にも辰や左金太たちがいるが、今回の仕事は殺しはない。ただ米を盗むだけだ。そのために下手に下忍を使えば余計な血が流れるのだ。これは泰山を気遣ってのことである。

泰山は普段は双羅山に住んでおり、山の獣たちと暮らしているのだ。泰山も例外なくこの村へ来た時は暴れていたが、天戒の説得により山へ静かに暮らすことが出来たのだ。泰山は鬼道衆であるが、人を傷つけることを嫌っていた。もし、幕府と戦わなければ自分が住んでいた飛騨の山で樵として一生過ごしていたかもしれないのだ。それが鬼道衆の一員となったのだから人生はどこで躓くか分からない。

現在天戒と九桐、桔梗と風祭が山の中へ入り、泰山を探しに行っている。本当なら石海が探しにいくべきだが、天戒は。

「俺が命令するのだから、俺自身が行かなければ礼儀に反するであろう」とのことであった。

石海の仕事には風祭もついてくる。風祭が泰山を導くのだ。石海は頭に血が上った風祭を押さえる役割である。

 

夜中郷蔵の周りを泰山を中心に集まっていた。泰山は今回の仕事は人を殺す必要はないと言われているが、どうにも気が進まない様子であった。一応武器の斧は所持しているが、それを使うのを怖がっていた。樵にとって斧は木を切る道具であり、人を殺す道具ではないのだ。素朴な泰山は斧を悪事に使うのを嫌っているのだ。

「泰山さま、あなたの仕事はこの蔵の壁をぶち壊し、その中から米俵を数個盗めばよいのです。これは憎き徳川に一矢報いる機会なのですよ」

石海たちは忍び装束を着ていた。ただ石海は腹が目立っていた。石海にとって泰山は上司であるが、可愛い自分の息子でもあった。よく泰山は石海を両手で抱え、高い高いをしてくれるのだ。

「おう、俺がいるから怖いものなしだぜ。どんと泥舟に乗ったつもりでいろや」

風祭はえへんと胸を叩いた。とても自信満々である。

「風祭さま、泥舟なら沈んでしまいますぞ?しかも火のついた芝を背負うおつもりですか?」

「ふ、ふん!知ってるよ、わざとだよ、ついだよ!」

「どちらですかな?やはり九桐さまに言われたとおりわれらが歯止めにならねば・・・」

さて泰山は力を込めると、壁に拳をたたきつけた。

めき、めきめきめき!!

ああ、蔵の壁にどんどん亀裂が入り、やがて崩れたではないか。なんともすばらしい怪力である。

「さあ、今の音で侍たちが起きてくるぞ。泰山さま今のうちに米俵を抱えてくだされ!!」

米俵を抱えた後彼らは大川に泊めてある船へ戻るのだ。そして船に米を積め、逃げる手筈である。

「な、なんだ!こいつらは!?」

「わしらは鬼道衆じゃよ」

石海たちは懐から拳銃のようなものを取り出した。

ぽん、ぽん!ぽん!!

侍たちの鼻に弾が当たった。弾は破裂して何やら粉のようなものが出てきた。侍たちはうとうとしながら眠りこけていった。嵐王特製の拳銃である。弾には眠り粉が詰まっていたのである。

「ふぉっふぉっふぉ、朝まで眠るが良いわ。さあ、泰山さま急ぎま・・・」

がつん!

不意を突かれたとはこのことだろう、泰山の額に鍬が当たった。やったのは近くに住む百姓だった。おそらく騒ぎを聞きつけたのだろう。

「うぉぉ、おらたちの作った米を盗むたぁふてぇ野郎だ!おらだちがごらじめてやる!!」

「くそう、弾が尽きた!やるしかないか!」

石海たちが戦闘体勢を整おうとしたとき、別の侍がやってきた。

「う、う、うあぁぁぁぁぁぁ!!」

泰山は米俵を放り投げると、背中に背負った斧を取り出した。そして侍たちに次々と切りつけたのである。

どがぁ!

「ぐへぇ!」

侍の頭はスイカを切るように切られた。

「こ、こいつ熊・・・」

ずがぁ!

「ぎぎぃ!」

今度は侍の肩をばっさりと切った。斧がまるで包丁のような切れ味を発揮しているのだ。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

泰山は獣のような雄叫びを上げた。泰山は雄叫びを上げるたびに侍に斬りかかった。もはや大人が得物を持って、無抵抗な子供を一方的にいじめているのと同じである。泰山が人を殺すたびにどんどん血の溜りが深くなっていくのだ。

「おい、どうなってるんだよ、泰山の奴。まるで人が変わったみたいじゃねぇか!」

風祭は何が何やらわからなかった。なぜ泰山がここまで人が変わったのかわからなかった。少なくとも鬼道衆でこんな変わり果てた泰山を見たものはいない。

「うぅぅ、がぁぁぁぁぁぁ!!」

泰山はそのまま猪突猛進に走り出した。おそらく本人は自分のしていることに気づいていない。本能むき出しの行動だ。

「ちぃ、泰山を追いかけるぞ!」

風祭の指令を受け、石海たちは泰山を追いかけた。後には侍も百姓たちも姿を消してしまった。あとには草むらからひょっこりと猫のような娘がその様子を見ていた。

 

「まったく、失敗だな・・・」

石海たちは大川の橋の下にいた。結局泰山はどこへいったかわからなかった。普段はのんびり屋の泰山も理性がなければ本当の獣のように、異常な脚力を発揮したようで、あっという間に見えなくなってしまったのだ。もう日が昇っている。米も手に入らず、泰山を見失ってしまったのだ。侍たちに関しても今回は殺そうと思ったわけではない。彼らは復讐すべき人間ではなかった。かわいそうなことをしたと思った。石海は死んだ名も分からない侍たちのために木彫りの仏を彫りだした。幸い百姓たちに死人は出なかったようだが。

「まあ、失敗しても御屋形さまに殺される心配はありませんぜ。心配することぁありま・・・」

「たわけ!泰山さまをほったらかしにできんだろうが!しかも風祭さまとも、はぐれたし、このままおめおめ村へは帰れんわ!」

石海は普段は温厚だが、怒るときは怒る。馬念のたわけた発言に喝を入れた。

「で、でも泰山さまのように、か、体が大きな人は、ぜ、絶対、め、目立つ。ひ、人の噂に、な、なると思う・・・」

伊勢坊はどもりながら意見した。

「そうねぇ、それならあたしたちがすることはそんな噂を探すべきね」

九郎坊も賛成した。

「うん、でも僕らはとても目立つと思うよ。だってそろいもそろってろくでなしの集まりだし・・・」

「岩念、悲しいから自分でろくでなしと言うな」

岩念はこの中では一番年下で、体はでかいが頭は切れる。確かに彼らは聞き込みをするには目立ちすぎるのだ。鬼の面はつけていないが、それでも目立ってしまう。

「うむ、今それを考えているところじゃ・・・」

石海は腕を組み、うんうんとうなっている。

けほ、けほ。

「うるさいぞ、馬念。静かにしろ」

「え、ええ?俺は何も言ってませんぜ?」

けほ、けほ、けほ。

「ほら、またせきをした。伊勢坊お前がどもっているんじゃないのか?」

「お、俺じゃ、な、ない・・・」

げほ、げほ。

「今思ったのですが・・・」

九郎坊が口を出した。

「せきの元はこの小屋からではないでしょうか?」

 

「けほ、けほ!」

あばら家には一人の女の子が眠っていた。だがせきをして苦しそうである。どうやらここは無宿人の集まる場所らしく、小屋の周りには他の無宿人たちが心配そうに集まっていた。

「ちくしょう、真那ちゃんがいないときに限って・・・」

「真那ちゃん、長命寺まで水汲みに行ったからなぁ。いつ戻ってくるのやら・・・」

無宿人たちは女の子の背中を優しく撫で、少しでもせきを軽くさせようとしていた。

「だめだな、おまえたち。どけぃ、わしが診る」

石海はずんずんと小屋の中へ入っていった。

「おい、なんだあの薄汚いおっさんは?真由ちゃんに病気が移るだろうが!」

「というより俺たちも人のことは言えないけどね」

「どこぞの坊さんかいな?布袋さまみたいな顔でありがたそうだが」

無宿人の野次など気にせず、石海は真由と呼ばれた女の子の背中に手を当てた。

「さあさあ、ここからは金のない人は見ないでね〜」

岩念が無宿人たちの視界を遮った。その隙に石海は彼女に外法を施したのである。自分の体力を人に移す、鬼道忍法渡し舟である。

「ふぅ、疲れたな。だが、これで少しは楽になったろう?」

すると真由の調子はよくなったようで、段々顔色がよくなってきたではないか。逆に石海の顔色は悪くなったが。

「ふぅ、ふぅ。あ、ありがとうございます」

「なに、礼などいらぬよ。わしがおせっかいを焼いただけにすぎんでな」

石海は照れくさそうであった。

「そうだ、この丸薬をおまえさんにやろう。金?いらんいらんそんなもの、こいつはわしの気持ちじゃよ、子供は遠慮せんでもらえるものはもらったほうがええ」

「・・・・・・」

真由は黙りだした。

「どうしたかね?」

「ねえおじさん・・・。あたしが悪い子だから病気になったのかなぁ?」

石海はまるで頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。

「だからお姉ちゃんがあたしのために食べ物を盗んだり、危ないことをするはめになっちゃうんだ・・・」

「・・・がう」

「え?」

「違う!」

布袋さまがいきなり阿修羅のごとく顔が変わった。怒りで顔が真っ赤だ。

「おまえさんが悪いわけがなかろう!おまえさんの姉もおまえさんのためを思ってのことじゃろうが、この世で一番悪いのは幕府じゃ、徳川じゃ!おまえさんが悪いことなど何ひとつない」

 

石海はかつて鬼道衆に加わるまで、京の山奥の寺にいた。そして山はわずかな金が出るとして天領されることとなった。村人たちは対抗するも惨敗。だが石海もただでは転ばない。彼は村人とともに盗賊退治の仕掛けを彼らに食らわせたのである。崖に石だのなんだのを貯め、いざとなったらそれらが流れ出す仕掛けだ。村人を殺して意気揚々の彼らは足元をすくわれ、死んでいった。

さて石海と4人の弟子は一人の少女を背負いながら山を降りていった。少女は村の長の娘で、村の長に託されたのである。他にも子供はいたが、皆山を降りる際に次々と死んでいった。季節は12月下旬。ろくな防寒具もなく食料もない。体力のない子供たちが命を落とすのも無理はなかった。そして、最後に残ったのは村の長の娘ただひとりとなったのである。彼らはかわりばんこに娘を背負っていた。

石海は寺を逃げる際どんぐりを数十個袋につめていた。幕府の連中を片付けたはいいが、彼らが仕返しにくるとも限らない。そのため自分たちしか知らない山道を歩くことにしたのである。たとえ雪の上に足跡が残っていても、慣れないものならば迷ってしまうのだ。

3日経った。石海は一人頼れる人間がいた。高野山の高僧に知り合いがいる、その人に頼る予定であった。その人は変わり者で、自分たちを匿ってくれると思ったのだ。

だがこの年は雪がひどく、前に進むのも一苦労であった。あと一日あれば麓までたどり着くことが出来る、ただ問題は食料であった。どんぐりはあと4粒しか残っていない。一日3粒づつ食べてきた。石海は自分の分を娘に全部あげており、自分自身は何ひとつ食べていないのだ。雪の中に穴を掘り、そこで休みながら進んできたが、もはや限界に近かった。

石海は腹が空いている。だが飢餓よりも自身がなんとしても子供を無事麓まで送ることが最優先であった。石海たちは山小屋を見つけ、そこで暖をとることにした。

手足の感覚はすでになく、薪を燃やすのも一苦労であった。ようやく身体が温まりだしたが、空腹のためもはや歩くことも叶わない。

「おまえら。わしを置いていけ。おまえらにはどんぐりを与えているから体力はあるだろう。だがもうわしは無理じゃ。もう腹と背中がくっつきそうじゃ。だがこの子を麓まで送ってほしいのじゃ。頼む」

もう彼の体はぼろぼろであった。凍傷しかけている部分もある。例えこのまま暖を取っていても、追っ手が追いつくかもしれない。そうなればすべては水の泡なのだ。

4人の弟子たちは顔をしかめていた。自分たちが地獄から救われたのは和尚のおかげだと思っている。そんな和尚を見捨てれば、自分たちは間違いなく地獄へ堕ちるであろうと。

「お、和尚様・・・」

娘が呼びかけた。何事かとたずねてみれば、彼女は小さな右手に袋が握られていた。その中身はどんぐり。全部で18粒。娘の分と石海の3日分である。つまり彼女はどんぐりを一粒も口にしていなかったのだ!

「な、なぜ!」

石海は問うた。

「和尚様・・・、あたしが悪い子だから、村が焼かれちゃったんだよね、お父ちゃんたちが殺されたんだよね・・・」

「違う!おまえは悪くない!お前が悪いわけがないのだ!」

だが娘は壊れた音声機のようにつぶやくだけであった。

「いいことしたら、極楽に行けるんだよね・・・。お父ちゃんたちが待っていてくれるんだよね・・・、だって和尚様が言ってたもの。だからいいことしてお父ちゃんの元に・・・」

「しゃ、しゃべるな!しゃべらないでくれ!そしてこのどんぐりを食べて・・・」

「あ、会いたいよぉ、お父ちゃん、お母ちゃん・・・。いい子にするから、いい子になるから・・・、会いに、会いに来て・・・」

少女は右手を差し出した。そこには何もなかった。今のこの子には死んだ両親が迎えに来ているのかもしれなかった。

「お前はいい子だ、ああ、誰がなんと言おうといい子だ!だから、だから!」

「あい、たいよ・・・。おとうちゃ・・・」

少女の手は糸の切れた操り人形のように力なく倒れた。その手が動くことは二度となかった。小屋には吼える石海の声が響き渡ったという。弟子たちも声を出さず、涙が溢れた。

石海たちは次の日山を降りた。彼は高野山ではなく、江戸を目指すためだ。

山奥でも江戸の鬼の話は耳にする。幕府を滅ぼさんとする輩だそうな。石海は自らを畜生道へ落とす為、江戸へ向かうのだ。

その際弟子たちには別れようと思った。鬼になるのは自分だけでたくさんだからだ。だが彼らは石海についていくことにした。どうせ鬼になるならば一人も5人も一緒だ。その懐には少女から託されたどんぐりがあった。

 

「おじ・・・、さん?」

「ああ、すまない。ついかっとなってしまった。気にせんでくれ」

「おい坊さん、真由ちゃんは大丈夫かよ?」

無宿人が石海の叫び声に心配になったのか、ひょっこりと首を出してきた。

「大丈夫だ。一時的だがしばらくはせきも起こらんだろう」

「そいつはよかった!」

無宿人たちは喜びだした。まるで自分たちの娘が無事で助かったことを喜んでいるようだった。

「この子はあんたらのなんだい?」

「家族さ!真那ちゃんが帰ってきたら喜ぶぞ〜」

「その真那ちゃんというのは彼女の姉かね?いったいどこへ行ったのやら」

「大方長命寺まで足を運んできるだろうさ。この子たちはとっても仲のいい姉妹なんだ」

「ああ、俺たちの生活も決して楽じゃないが、あの娘たちの笑顔を見たら、つらいのがふっとんじまうのさ」

「まあ昨日は熊みたいにでかい奴と一緒に、饅頭食べてたな」

その何気ない言葉に石海ははっとなった。

「そ、その熊みたいにでかい奴は、どこにおるのじゃ!!」

「あ、確か、この川の上流に壊れた船があるんだ。そこに住んでるって真那ちゃんが言ってたな」

それだ、熊みたいな男がそうそういるわけがない。急いでそこへ行ってみよう。

「なあ、あんたらここで真由ちゃんを診てもらえんかね?」

無宿人たちが突然申し出てきた。

「わ、わしらは用事が・・・」

「せめて真那ちゃんが帰ってくるまで、頼む!」

無宿人たちが一斉に土下座した。ここまでされては立ち去るわけにはいかない。

「仕方がない。九郎坊、お前は人走り様子を見て来い。わしはここで真由ちゃんを診ておるよ」

「では」

九郎坊は走り出していった。

「そういえば熊のような男は何か言ってなかったかね?」

「ん〜、確か自分の名前は泰山とか・・・、だけど自分の名前以外なんにも覚えてなかったみたいだぜ?」

「・・・やはり。しかし、なぜいきなり記憶が・・・」

げほ、げほぉ!

いきなり真由がせきをし始めた。外法が完璧ではなかったのか、石海は急いで彼女の基へ走った。

だが一足先にこされたようで、5人組の男女が真由の容態を診ているようだ。石海には彼らの顔に見覚えがあった。龍閃組だ。

彼らも泰山を探しているようであった。郷蔵を襲った犯人として探しているのだろう。無宿人たちは彼らを白い目で見ていた。場違いな服装の人間が来れば大抵そうだ。まるで自分たちを馬鹿にするために見物しに来たように思えるのだろう。だが彼らは真由を治療することにより、信頼を得た。石海はそれを見て、彼らの武器は人ならざる力だけでなく、人の信頼を勝ち取る力かもしれなかった。

彼らは大川の上流へ向かった。おそらく熊のような男に会って確かめるつもりなのだろう。

「おい、おい。石海」

くいくいと袖を引っ張るのはなんと風祭であった。

「おお、風祭さま。今までどこへ?」

「どこだっていいだろう?こっちも大変だったんだぜ?」

風祭曰く、彼は一度郷蔵あたりにとどまり、情報を集めていた。もしかしたら泰山が戻ってくる可能性も高いからだ。だが結果は散々で、龍閃組に絡まれるなどいいことなしであった。二人はぼそぼそ耳打ちを始めた。

(風祭さま。この川の上流に船があるそうです。おそらくわれらが米を運ぶために用意した船でしょう。泰山さまはそこで寝泊りしている様子、ただ・・・)

(ただ・・・、なんだよ。もったいぶるな!)

(もったいぶっておりませんが・・・、なにやら記憶が飛んでいる様子なのです)

(はぁ?記憶が飛んだ?そんなばか・・・、あっ)

思わず声が大きくなるところであった。

(何か心当たりでも?)

(ああ、郷蔵で聞いたんだが百姓の一人が泰山の額に鍬を叩きつけたと言ってるんだ。しかも泰山の額の傷にどんぴしゃり・・・)

(なんと・・・)

おそらく傷の部分を強打されたために記憶障害が起こったのであろう。自分の名前だけは覚えているのだから、記憶が逆流する健忘症に近いかもしれない。

(だとしたら連れ戻すのは困難ですよ。しばらくは様子を見ましょう)

 

日が沈んだ頃、龍閃組がやってきた。その横には小汚い着物を着た、髪のぼさぼさな少女と、それに妙に小奇麗で場違いな風流人と一緒であった。ちなみに九郎坊は一足先に帰ってきていた。

「おお、真那ちゃん、お帰り〜」

「混ざりもんだが、酒もあるぞ、どうだ?」

「おう、あんたらも一緒かね?」

無宿人たちが真那と呼ばれた少女に集まった。みんな彼女と仲良しのようだ。だが風流人はどうにも苦虫を潰した顔をしているようだ。

「ここが、君の帰る家なのかい?」

「あったりまえや!わいらは確かに貧乏や!せやけど貧乏人には貧乏人の楽しみもあるんや!みぃんなうちの家族なんや!」

真那は胸を張りながらしゃべった。その顔は虚勢ではない、本心なのだ。

「君は・・・」

「おぉぉ、まぁ、真那ぁぁ」

熊のような男がのっそりとやってきた。泰山であった。

「泰山!おまえも来たんやな!?よぅし、今日は宴会・・・」

「泰山!やっと見つけたぞ!!」

風祭がいきなり飛び出した。石海がおとなしくしてろといったのに、まったく話を聞いていないのだ。

「な、なんや、ちび!泰山に何の用や!」

「ちびだと?てめぇの方がちびだろうが!!」

「へーんだ、お前の方がちびや、まめや!間違えって踏んでしまいそうなまめちびや!」

「んだと、てめぇぇぇ!!」

まるで子供の喧嘩だ。石海は忍び装束に着替えると、風祭の前に立ちふさがった。

「我らは鬼道衆。ちなみにこの小さくて、間違えて踏んでしまいそうなまめちびがかざまつ・・・」

「石海!てめぇ喧嘩を売ってるのか!へん、俺は鬼道衆の一人、風祭澳継さまだ。その名をよぅく目ん玉かっぽじってよく聞けよ?」

「風祭さま、目玉ではなく、耳の穴でございますよ」

「うるせぇ!わざとに決まってるだろ!!」

「本気としか思えませんが」

龍閃組は二人の漫才をしばし眺めていたが、やがて巨漢の仏法者、雄慶が前に出た。

「お主らは鬼道衆なのか?それとも漫談師なのか・・・」

「鬼道衆だ。我らの目的は泰山さまを連れ戻すことにあり。それさえ叶えば我らは何もしない。戦うことは本意ではないのだ」

「な、石海なにいってや・・・」

石海は風祭の口をふさいだ。もがもがもがいている。

「つまりあの泰山という男を連れて行くのが目的で、我々と戦う気はないんだな?」

「そうだ。ここで戦えば無宿人たちに迷惑がかかる。鬼とて戦うばかりではないぞ?」

「そうか、それならそういってくれれば、こちらも助かる」

雄慶はにっこりと笑った。

「我々とて毎回斬った張ったしたいわけではない、無駄な戦いなんかしないにこしたことはないからな。」

「話が早くて助かる。では泰山さま一緒に帰り・・・」

「ひぇぇ!!」

どぼん、どぼん!どぼぉぉん!!

馬念、伊勢坊、九郎坊、岩念が川の中に投げ込まれた。なにやら泰山の様子がおかしい。

「うぅぅ、おぉぉぉぉぉぉ!!」

泰山の体におびただしい陰の気が入っていく。

「あ、あだまがわれぞうだぁぁぁ!!」

「そ、そんな!御神槌さんや雹さんと同じ・・・」

「まさか戦わないなんてうそなの!?」

藍と小鈴はこの様子を見て驚いているが、見慣れているようである。ほんの少しだけ冷静であった。あくまでほんの少しだが。

「ぐももももぉぉぉぉぉぉ!!」

泰山は破壊の魔牛となってしまった。まるで地獄絵図に出てくる牛頭に似ている。まるで絵から抜け出たみたいではないか!

「くっ、そりゃ!!」

石海は棒手裏剣を3本取り出すと、三方に向けて地面に投げた。手裏剣は地面に突き刺さると、石海はなにやら呪文を唱えた。広くセーマンの名で知られる陰陽道の呪文である。僧侶である石海が使えるのはもともと密教の金剛界仏の種字を並べたものであり、正規の陰陽道のものではないからだ。

「ヴァン・ウン・タラーク・キリーク・アク!無間方処返しの呪!!」

3本の手裏剣にはそれぞれ梵字が書かれており、文字の部分が淡く光ると、手裏剣同士が光の線でつながれた。そしてそれは三角形の形となり、変生した泰山と龍閃組、風祭と石海だけが取り残されたのである。

「龍閃組!今結界を張った!この中なら外に被害が及ぶこともない、思う存分やれ!!」

「そうなのか!ありがたい、龍斗、蓬莱寺行くぞ!!」

「「おう!」」

「だが泰山さまを殺すことは許さぬぞ!!」

わかっていると、雄慶はウインクした。

 

戦いが終わると泰山は無事に元に戻ることが出来た。そのあとひとつの珠が転がり落ち、龍閃組の緋勇がそれを拾った。

「な、なんなんだよ。こいつはどういうことだ・・・」

風祭はあまりの出来事に茫然自失となっていた。無理もない人がいきなり鬼に変われば誰だって平常心を失うものだ。本当に変生シーンを見た人がいるかは皆無だが。

「何言ってるんだよ、君たちがいままでしてきたことじゃないか!」

小鈴が怒り出した。今まで自分たちの仲間を鬼にしたくせに、なんたる言い草なのだろうかと。

「なんだと?」

「御神槌さんや雹さんも鬼に変えられたんだよ、どうして君たちはそんなひどいことが・・・」

「ばかやろう!御屋形さまがそんなことするもんか!御屋形・・・さまが・・・」

風祭は力なくうなだれた。

「・・・少なくともお主たちは無宿人たちに迷惑がかからぬよう、結界を張ってくれた事実は変わりない。確か石海殿といったな?」

雄慶が前に出た。

「確か円空先生から話を聞いたことがある。昔高野山で円空先生の弟子で高い位の僧がいたという。その僧は高野山を捨て、世の中のはぐれものたちを仏門に帰化させ救わせたという。残念ながら寺を幕府に焼かれ、行方知れずとなったが、その男の名前は石海・・・」

「お主、円空殿を知っているのか?」

「俺は先生の弟子だ」

「・・・なるほどわしの弟弟子にあたるわけだ。円空殿もさぞかし失望したであろうな、かつての弟子が鬼畜道に身を落としたのだからな」

石海はしょんぼりとしていた。今の浅ましい姿を円空殿が見ればどう思うのだろうか?

「鬼畜道・・・、自分で言えば世話はないですな。俺はあなたがそんな人間とは思えない。話を聞けば真由殿を治療してくれたのもあなただ。本当の鬼は自分で鬼など言わんのですよ」

「だが結局は失敗した。わしの術など気休めにしかならなかったのじゃ」

「それでもあなたは真由殿を励まされたと聞きます。それでも十分心は救われたと拙僧は思っております」

「・・・お前さんはなぜ龍閃組に?」

「最初は円空先生に言われて江戸へ来ました。幕府の公儀隠密として。ですが、この江戸で今の仲間たちと出会い、そして江戸の人々の幸せを守る。拙僧はそれを誇りに思っています」

石海と雄慶、この奇妙な兄弟弟子の間には何が生まれたのであろうか?石海は高野山を飛び出し、多くのものを救おうとした。雄慶もまた方法は違うが多くのものを救おうとしているのである。そんな石海は雄慶を誇りに思うし、また雄慶も初めて会った兄弟子を誇りに思ったであろう。

「う、うぉぉぉぉぉ!!」

幕府という単語がヒットしたのか、泰山は泣いた。悔しくて悔しくて涙がこぼれた!村がいきなり幕府に奪われた、奪ったものを取り戻そうとして戦った!でも負けた。仲間は死に、森も動物たちも殺された!自分は傷を負っただけで助かったが、なんで自分だけ生き残ったのか、どうして仲間は自分を置いていったのか。悔しくて悲しくて、泰山は泣いた。泣くしかなかった。

「ばくふ、ばくふはおでのむらを、むらのみんなをごろじだ!!なんでだ、みんなわるいごどじでねぇのに、なんでごろじだ!なんで、なんでだ!!」

「泰山さま・・・」

「返せ!おでたちの村を!返せ!おでの仲間たちを!幕府はそうやっておでからなにもかもうば・・・」

「だからって!」

真那が叫んだ。とても悲しそうな顔で叫んだ。

「だからって、侍殺せば村は元に戻るんか!米を奪えば仲間が生き返るか!」

彼女は郷蔵で米を盗むところを目撃していたのだ。

「やったらやりかえされるのが世の中や!なんで奪うことしか考えへんのや!うちにとって泰山も真由も家族や、ここにいるみんなもこのいけ好かない兄ちゃんも家族なんや!」

「ちょっとまて、僕は家族になった覚えは・・・」

風流人の抗議は見事スルーされた。

「家族が人殺したり、もの盗んだりするのは悲しいわ。だから、だから・・・」

「君だって妹のために盗みを働いているじゃないか。もっとも、景気が悪かったり、悩みを抱える店では絶対盗まないがね」

「もう、いけず!そんなんいう子はうちの親でも子でもないわ!」

「当たり前だよ・・・」

このままいけば漫才に発展してしまう。石海は泰山と弟子たちとともに、この場を逃げた。真那は彼らの姿が見えなくなるまでいつまでも手を振っていた。泰山も真那の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 

「今帰ったぞ〜」

石海たちが村へ帰ってきた。泰山は一足早く山へ帰っていった。迎えたのはちょうど訓練を終えた鶴であった。

「遅かったねぇ。大方風祭さまが天ぷらそばの食べすぎで腹を壊したんだろう?」

「いやいや、それも当たらずとも八卦。実は色々面倒ごとがあってな・・・。風祭さまは打ち上げに天ぷらそばを食べたが、これが十杯食べればただの張り紙に目がくれて・・・」

「失敗したのかい?」

「まさか!わしが風祭さまは子供と囃したて、見事完食されたわ!おかげでわしらもその賞金でそばにありつけたというもの・・・。米は手に入れ損ねたがな」

風祭はおなかが鞠の如く膨らんでおり、岩念に背負って貰っていた。もちろん泰山もたらふくそばにありつけて大満足であったという。

「うぅぅ、満腹だぁ・・・。そば!そば怖いよ、ぶるぶるぶる・・・」

それを見てみんなあっはっはと笑った。

「そうだ、あんたらが遊んでいる間九桐さまと桔梗さまが不思議な女の子を連れてきたんだよ」

「不思議な女の子?」

「なにやら異国の娘らしくてね。髪の色が金色なのさ。なんでも一度御屋形さまたちが大川の川開きの時両国で見世物小屋が出ていてね。そこで見世物にされていた娘なのさ。ちなみにそこの主人は身体が腐って死んじまったそうだよ、ざまぁないね」

鶴はけたけた笑っていた。弱いものを見世物にする男供が許せないのだ。天戒の許しがあれば浅草寺に集まる見世物小屋を焼いて回りたいが、さすがに見世物にされている者まで殺すのは嫌だ。ちなみに九桐たちが行ったのは浅草寺のほうで、彼女がいた小屋には魑魅魍魎が門を開いて這い出ようとしていたという。彼女はそれを必死で閉じようとしていたとのことだ。ちなみに両目は元から見えていないとのことである。

「名前はなんと申す?」

「確か比良坂だったかねぇ・・・」

比良坂。日本の黄泉に通じる入り口の名が黄泉津比良坂。伊邪那岐が死んだ伊邪那美を連れて行こうとしたが仲たがいしてしまい、伊邪那岐は逃げた後黄泉の入り口を塞いだという。

比良坂。なんと不吉な名前であろうか?石海はなんとなく、彼女がこの村、鬼道衆に災いをもたらすのではないかと予感した。そして悲しいかなその予感は後日的中することとなったのである。

「う、うむ。その娘、体に傷がないかどうか調べに行かねば。むほほほほ・・・」

「もうあたしらが綺麗に体を拭いたよ、この助平親父が!!」

鶴のドロップキックが、石海の腰にクリーンヒットした。それを見た辰と左金太は。

「やっぱ徳の高い坊さんには見えないな」と再認識したと

続く

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