鬼道忍法帖その13

 

さてここらでちょっと話を戻さなくてはならない。読者諸君よ、作者の気まぐれに退屈なさるかもしれないが、この話はとても大切なことなのだ。私は器用な方ではないので簡潔には書けないが、それでも我慢していただきたい。

 

天戒が等々力渓谷に行っている間は家臣であり、天戒のいとこでもある九桐尚雲か、もしくは嵐王に村を任されることがある。まあ村には中忍もいるし、天戒の留守でも村が機能しなくなることはない。ただ村が少し寂しいかなと思ったくらいである。

村はずれにある鍛錬場では御神槌を中心に、槍の稽古をしていた。村では子供がいて危ないし、御神槌の槍には彼の雷を操る力が混ざるので危険なのだ。

守太郎はこの村で切支丹に目覚めた一人であった。はじめは聖書など読めなかったが、みんなと勉強してなんとか読めるようになった。いかつい顔立ちで、ずんぐりむっくりしただるまのような体格でかつては吉原の大門の番人だったが、遊女と逃げ出し、この村へ逃げてきた。以来子宝にも恵まれ幸せに暮らしていた。

この村では家族持ちの下忍は戦闘に参加できない決まりがあった。まあ火忍の紅之介兄弟は別にしてもだ。天戒はかつて両親を失い、妹も死産という悲しい過去を持っている。そのせいか天戒は家族を人一倍大切にしたがる傾向が強かった。下忍たちもそんな天戒を尊敬しているが、内藤新宿で妻子持ちの大助が反発し、命を落とすものが後を絶たなかった。

ただ龍閃組と戦うようになってからは死人の数が減った。たまに江戸では鬼道衆の名を騙り、強盗や人攫いを働くものがおり、それらの征伐には下忍たちが赴くが、龍閃組と戦うよりはずっと楽であった。主に処刑にするのだが、最近は縄で縛って放置することが多くなった。龍閃組の模倣といったところか。それでも救いようのない悪人もいるから、そのときは縄で縛ったまま川に捨てたり、土に埋めてしまったりもした。

 

守太郎は葛藤していた。彼は自分を拾ってくれた鬼道衆に恩を感じている。女をおもちゃ扱いする吉原を潰したい、幕府を滅ぼしてやりたい、奴らの顔を泥土に踏み潰したい。だが命が惜しい、死ぬのが怖いわけではない。自分の命はもう鬼道衆のものだ、桔梗のものだ。すでに女房と子供に恵まれ、思い残すことはない。それに反発して妻子を残して死にたくないとも思うのだ。

死ぬのが怖くない一方、もう一人の自分が死にたくないとささやくのだ。死は人間、いや生物が絶対に避けられない道だ。死を恐れるのは恥ではない。ただ鬼道衆として立派に果たしたい、御屋形さま、桔梗さまのお役に立ちたい。死の恐怖と鬼道衆の忠誠心が守太郎を板ばさみにしていた。

さて訓練が終わり陣内たちは村へ戻った。広場では風呂釜並に大きい鍋が置かれており、そのまわりに守太郎の妻、見守や女たちが炊き出しをしていた。子供たちも器を運ぶなどこまめに働いていた。

「はい、御神槌さま、おつかれさま。あんたもどうぞ」

見守は山で取れた幸をふんだんに入れた汁を、守太郎に渡した。

「ははは、熱いなぁ守太郎、熱すぎて汁が沸騰しちまうぜ」

陣内がからかうとまわりのみんなも笑い出した。照れくさそうに赤くなる守太郎と見守。息子の守助はきょとんとしていた。

「ふふふ、女房の愛情が隠し味ですか。おいしくないはずがありませんね」

御神槌は汁をすすりながら言った。ますます見守は赤くなった。

「こうしてうまいものが食えるのも御屋形さまのおかげだな・・・」

賑わっていた空気が一気に低くなった。

「・・・私の独断のせいであなたたちが戦えなくなったのですね」

御神槌がつぶやいた。彼は切支丹屋敷事件で大蛇の怨念を解き放ち、江戸中に疫病をばら撒いた。だがそれは天戒の意思に反するもので、事件解決後御神槌は2度と戦いに赴いてはならぬと命令されたのである。それは中忍の陣内たちも同じであった。それに吉原の件では守太郎たちが独断で桔梗とともに戦ったため、金忍たちは戦いの場から外され、もっぱら村の見回りなどに回されているのだ。まあ彼らはほとんど切支丹だから無意味な殺生は禁じていた。せいぜい復讐のときだけしか殺しはしない。それに見張りも大切な仕事だ。鍛錬を続けるのも大切なことなのだ。

「いえ、わたしのせいでもあります。御神槌さまだけのせいではありません!」

守太郎が叫んだ。

「そうだな。お前が勝手に行かなきゃな」

陣内が皮肉った。しょんぼりとなる守太郎。

「まあ桔梗さまを放っておかなかったのは上出来だ。あの人はどうもたまに血が上りやすいからなぁ」

特に彼女は吉原の遊女が殺されるとその傾向になる。彼女自身もそこいらの花魁も顔負けな女性である。ただ彼女がどこの出身かはわからない。わかっているのは陰陽道に詳しいとのことだけだ。あと彼女の容姿があまり変わっていないのだ。6年以上もこの村にいるのは確かだが、なんとも不思議な女性である。

「九桐さまのお帰りだ〜!!」

見張り塔から声がした。さっそく守太郎たちは彼を迎えにいった。だが九桐の横にはおまけがついていた。男女一組、散切り頭の少年に、遊女らしき少女。少女は猫を抱いていた。

「こいつらは誰ですか?」

陣内が尋ねる。九桐は頭をかきながら答えた。

「彼らは山で偶然拾ったのさ。男は又一郎、丁稚だ。女はお征、吉原の遊女だ。彼らは幕府に恨みを持つものだ。もしかしたら仲間になるかも知れんぞ?」

なるかもということは合格できなければ殺すということだ。村の秘密を余人にばらすわけにはいかない。憎むべき幕府以外の人を殺すのは本意ではないが、仕方のないことだ。

「おや、お主・・・」

守太郎はお政と呼ばれた少女の顔を見た。しげしげと見つめると、守太郎はぽんと手を叩いた。

「やっぱりそうだ。お政だな、お前」

「あ!も、守太郎さん、どうしてここへ!?」

お政もまさかの知人との出会いに驚いた。

「守太郎の知り合いか?」

九桐は尋ねた。

「ええ、吉原にいたことの知り合いです。お政、この男と逃げてきたのか?」

「・・・はい。わたし、身請けされたんです、相手は外国との生糸で大もうけした呉服問屋の旦那さん・・・」

「な!身請けされて逃げ出してきただと!?なんと贅沢なやつだ!!」

吉原は外から見れば華やかな世界だが、内側は地獄である。例え好色な人間に買われても吉原を出たがる女は少なくないはずだ。

「お政ちゃんは物なんかじゃない!金で彼女を自由にしていいわけがないんだ!だから・・・」

又一郎が叫ぶと、彼は左脇を痛そうに抑えた。怪我をしているようである。

「・・・詳しい話は屋敷でしよう。守太郎、悪いがもしかしたら今夜はお前の家で彼らを泊めてもらうかもしれん。頭に入れといてくれ」

まだ九桐は彼らを認めたわけではないようだ。二人は九桐の後ろへついていった。

 

「なるほど、お前さんたちは幼馴染というわけか」

ここは守太郎の家である。中には守太郎と見守、守助に又一郎、お政が食事をとっていた。二人は九桐のめがねに叶ったようで、二人を泊めることになったのだ。

「だけどあんた、いつお政と知り合ったんだい?浮気ものめ!」

見守が皮肉を言った。もっとも本気にしているわけではない。からかっただけだ。

「でもまさか見守姐さんまでいるとは思いませんでした。しかも、子供もいるなんて・・・」

だぁだぁとお政は守助の面倒を見ていた。見守は吉原にいたころは大変な美人であった。もとが育ちがいいだけあって浮世離れした美しさがあった。だがそれは作られたもので、今の彼女は肌の張りはなくなったものの、生き生きしていた。お政はぽーっとそんな彼女を見て赤くなってしまった。

「うっふっふ、あたしはこの人がいるだけで十分、もっとも最初は心中しようとしたけどね。桔梗さまに止められて、この村に来たのさ」

「桔梗さま・・・って、屋敷で会った三味線を持った美人ですか?」

「そうだよ、あの人はあたしたちの命の恩人、命を張ってでも守りたい人なのさ」

見守はえへんと自慢げである。お政は素直に感心していた。

「しかし、逃げたせいで追われるとは・・・」

守太郎は呆れていた。又一郎たちは二人一緒に吉原から逃げ出した。だが身請けしようとした商人が彼らに追っ手をかけたのである。もともとお政は吉原の務めがあと数年で終わるのである。そしてそのとき又一郎と祝言をあげるつもりであった。商人はそれを知るとますますもってお政を買おうとした。他人のものを奪い取りたいのだ。

「今は留守にしているが、お前らも御屋形さまに会わせよう。きっとお前らも気に入ると思うぞ」

守太郎は酒に酔いながら、ぱんぱんと又一郎の背中を叩いた。又一郎は乾いたように笑った。

「よお、お前らできあがってるか?酒とつまみを持ってきたぞ、新しい仲間の歓迎会だ!」

陣内と仲間たちが家に入ってきた。彼らは酒を飲み始め、ハシで茶碗を楽器のように叩き、服を脱いで腹芸をしたりした。みんな楽しく踊り、歌い続けた。

又一郎とお政はその様子を見て、楽しそうに笑っていた。

「愉快な人たちですね」

「そうだな。でもここにいるみんなは切支丹でな、迫害されていたのをこの村に拾われたんだ」

「え?じゃあここは隠れ切支丹の村なんですか?」

お政は驚いた。守太郎も切支丹になったのだろうか?そういえば村の広場には宣教師のような少年がいたことを思い出した。

「違うな。ここは幕府に復讐するために集まった者たちの村さ。そしてこの村の長である御屋形さまが我らに力を貸してくださる。お前たちが幕府へ復讐したいのなら、喜んで仲間にしてくれるだろう」

守太郎は楽しそうに酔っていた。まるで子供のようにはしゃいでいるのだ。それを見たお政はくすくす笑うと、なぜか塞ぎむようにうつむいたのであった。

 

日が昇る頃にはもう陣内たちは酒に酔いつぶれていた。守助はすぐ鶴の方へ預けられた。

「うぃぃ、すっかり酔っちまった。あれ?」

又一郎とお政の姿が見えない。はじめは酔いつぶれた陣内たちに埋もれていたかと思ったが、よく探してみると二人はいない。そこには一枚の手紙があった。

『守太郎さん。ほかの皆様。わたしたちを受け入れてくれてありがとうございます。昨日の宴はひさしぶりに心底楽しめました。ここで暮らせたらどれだけ幸せでしょうか。ですが、わたしたちは守太郎さんや他の村人さんたちを巻き込むことはできません。私を身請けしようとする豪商の旦那さんは、嫉妬深く幕府の役人にも通じています。もしそうなればこの村が焼かれてしまうのは目に見えています。ですからわたしたちはここを出ます。おわびにわたしの母が持たせてくれた鼈甲のかんざしを置いていきます。昨日桔梗さんには要らないといわれましたが、それではわたしの気がすみません。

守太郎さん、わたしが吉原に来て間もない頃、よくわたしを励ましてくれましたね。守太郎さんはちょっと見た目は怖いけど、とても優しい人なのは知っています。見守姐さんも吉原にいた頃はとても綺麗でしたが、この村では遊女としてではなく、一人の女性として生き生きとした美しさがありました。どうか子供と一緒に姐さんも幸せにして下さい。あと陣内さんたちに伝えてください。私たちのために祝ってくれてありがとうと。九桐さんや桔梗さんたちもありがとう。そして、さようなら

お政より』

守太郎は手紙をくしゃりと握りつぶすとすぐに門の方へ向かった。門番は豆六と元太の二人であった。二人は昨日酒を少し飲んだあと、そのまま門番の仕事についたのである。二人ともかなり眠そうであった。

「ふぁぁ、守さんか。昨日の宴はどうだった?楽しかったかい?」

「そういや辰の奴ら帰ってこなかったなぁ、どこで道草食っているのやら」

事情を知らない二人はのんきそうであった。

「馬鹿野郎!お前ら又一郎とお政は来なかったか!?二人が家にいないんだよ!!」

「ああ、そういやあいつらここから出て行ったね。なんでも山菜を摘みに行くとか・・・」

豆六は頭をかきながら、のんきそうに答えた。

「それはいつだ!?」

「ついさっきだったな。あいつら昨日はありがとうと礼を言ってたな。まるで今生の別れみたいな・・・」

元太は何気なく答えたが、やがて自分がいった言葉を理解したようで、顔が青くなった。

「急いで九桐さまたちに伝えるんだ!俺は急いで二人を追う!」

守太郎は急ぎ足で二人のあとを追った。豆六たちは急いで九角屋敷にいる九桐たちを起こしに走り出した。

 

守太郎は山の中を走っていた。下忍たちは常に山の中を走る訓練をつんでいるので、なれたものだ。守太郎は二人の足跡を追い続けた。素人はとかく何も考えず歩くものだ。そしてその足跡を追うことなど守太郎はおろかほかの下忍にも造作のないことである。それに足跡だけでなく、枝などが折れたりしてるところは二人が通った証となる。

やがて守太郎は二人を見つけることが出来た。だが、それは骸としてだ。ああ、ついさっきまでこれが生きていた人間だったのだろうか?二人は刀で刻まれていた。一撃では飽き足らず、手足が千切れかけ、まるでぼろ雑巾のようであった。二人の目はぎょろりと白目をむいており、だらしなく口が開いていた。日は昇っているが、まだ朝の露で遺体は艶々ときらめいていた。無残な有様なのに、どこか幻想的なオブジェであった。

「あんた!お政ちゃんたちが出ていったって・・・」

「見るな!お前は見るんじゃない!!」

見守が追いかけてきたのだ、だが守太郎は彼女の眼を手で覆った。こんな陰惨な風景を女房に見せるわけには行かないのだ。彼女は血の匂いを嗅ぐと、二人の運命を悟ってしまったのだろう、しくしくと泣き始めた。

「ひどい、どうしてこんなことを・・・」

「・・・」

守太郎の背は見守より低いが、守太郎はぎゅっと彼女の体を抱き、大丈夫だよと慰めた。

「へっへっへ、だるま男が美人を抱いてやがるな」

茂みから浪人らしき男が4人。見た目はとても善人には見えず、典型的な悪人顔である。着物には血がこびりついていて、生々しいにおいがする。おそらくお政たちを殺したのはこいつらであろう。

「おい、お前。その女を置いてけよ、俺らが可愛がってやるからよぉ」

「けけけ、だけどお前は見のがさねぇよ。俺らはそこに転がってる餓鬼どもを殺してたんだが、まだ物足りねぇんだ。お前は斬り甲斐がありそうだな。けけけ」

「こいつらあっさり死んじまってさあ、なるべく長く細くいたぶって楽しみたかったのに、つまんないぜ。お前が代わりを努めてくれよ」

まったく下品な笑いであった。4対1で自分たちの勝利を確信しているのだ。弱いものをいたぶって楽しみたいのだ。

「・・・どうして二人を殺した?」

守太郎は尋ねた。その声には何の感情もなかった。

「あん?決まってんだろ、こいつらを殺して楽しみたかっただけなんだよ。俺らはとある豪商の旦那さんにこの女を連れて来いといわれたんだが、面倒くさくてさぁ、どうせ男の方は殺すんだから、ついでに女も殺したって寸法さ」

「はぁ〜、まったく楽しかったなぁ。助けて、助けてと泣き叫んでいたよ。それを無慈悲に踏み潰す。なんて楽しい時間だったろうか。ひっひっひ」

「さぁて、この女お前の女房か?へへへ、俺らが遊んでいる間、お前それを黙って見ろよ、自分のものが他人におもちゃにされる様を見ておくがいいさ」

「まったく、さっきの奴らも同じようにやればよかったな。惜しいことをしたぜ」

浪人たちはげらげら笑い出した。これから始まる宴に夢見心地であった。彼らは人を殺す面白さに目覚め、今度は守太郎夫妻に目をかけたのである。

「・・・我らは鬼道衆」

守太郎はぼそりと言った。はぁ?と耳をかしげる浪人たち。

「お前らはこの山から逃がさん。全員死ね」

浪人たちは一瞬なにかわからなかったが、理解したのか顔が赤くなった。馬鹿にされ腹が立ったのだろう。

「んだと、てめぇ・・・」

「だるまやろうが、生意気いいやがってよぉ・・・」

「むかついた。女も一緒に殺してやるぜ・・・」

「なにが鬼道衆だよ。鬼だかなんだか知らねぇがてめぇ一人殺すのなんか造作ないんだよ」

浪人のこめかみがぷるぷる震えている。楽しい気分を台無しにされ、切れかけていた。彼らの頭には守太郎をいたぶっていたぶって、膾にして切り刻む姿を浮かべていた。

「おぅら、死ねよ!ひゃはははは!!」

浪人たちはげらげら笑いながら、刀を振り回した。4本の刀が守太郎を針のむしろのように突き刺すのを想像するととても楽しい。彼らはよだれをたらし、目がとろんとしていた。殺人鬼のようであった。

がさ!茂みから何かが飛び出す音がした。

ぐさ、

「が!」

ぐさ!

「ぎぎ!!」

ぐさぁ!!

「ぐがぁ!!!」

浪人3人は背中が熱くなるのを感じた。彼らは後ろから刀に刺されたのである。それは陣内たちであった。浪人たちの後ろには10人以上の下忍たちが待機しており、彼らが守太郎に向かっていく瞬間を待っていたのである。しかし、気配を感じさせないのだから、下忍たちも隠密術に長けているというわけだ。

「ぐふぅ、がふぅ!」

「ひぃ、ひぃ、く、苦しいよぉ」

「たすけ・・・、助けてくれぇ・・・」

浪人3人はだらしなく助けを請うていた。いきなり多人数で攻められ戦意が失せた。恥も外聞もなくなんとも情けなかった。やがて血が抜けてくるとひぃひぃと泣きながら息絶えていった。その表情は苦悶に満ちていた。

「ひ、卑怯だぞ!!」

一人無事な浪人は自分のことは棚に上げ、守太郎たちを非難した。

「はん、我らは鬼道衆だと言ったろう?最初から我らと言ったはずだ」

「ひ、ひぃ、俺たちにこんなことしてただで済むと思うなよ!俺たちの後ろは幕府の役人がついているんだ。すぐこの山を探索してお前らの村を見つけてやる!そして、村を焼いて女子供を皆殺しにしてやるぞ!ひゃははは、どうだ、怖いだろう、だったらそこを・・・」

「哀れだな。もうお前はこの山からは出られない」

陣内は冷たく答えた。下忍たちが浪人を囲んだ。全員浪人に向けて刀を突き出している。

「ひぃ、やめて!殺さないで!!お願いだ、助けてくれ!俺はまだ死にたくないんだ!!」

浪人は腰が抜けた。なにやら嫌なにおいがする、浪人がおそらくもらしたのだろう。顔は涙と涎でみっともない。

「命乞いをする人間を無慈悲で踏み潰す、お前のやったことだ。さて、地獄へ行ってもらおうか?針山地獄へな」

ぐさ、ぐさ!ぐさぁ!!

「ぎゃああああああ!!」

豆六たちが浪人の腕と、足を突き刺した。まるで手足をピンに刺された解剖用の蛙のようである。

「痛い、痛い!痛いぃぃぃ!!」

「そうか、痛いか。でも又一郎とお政はもっと痛かったろうな。あとは・・・」

守太郎は浪人の腹に刀を突き刺した。

ぶすぅ!!

「ひぎゃああああああ!!」

浪人は泡を吹いて気絶した。人間は腹を刺されればそのショックで気絶するものだ。これは精神面ではなく、本質なのだという。よく切腹があるが、実際は腹に刃物を深々と刺すことは自分では出来ない。腹を刺し気絶したあと介錯人が首を刎ねるのである。

「ふぅ、お前らを殺してもちっとも楽しくないな」

守太郎はつぶやくように言った。この浪人は大量出血でいずれ死ぬだろう。その死体は那智滝へ運び出し、捨てるのである。ただしお政たちの遺体は綺麗にし、死に装束を着せ、村の墓場へ埋葬する予定である。

「あんたたち!お政らは大丈夫かい!!」

桔梗たちが遅くなりながらもやってきた。事は既に終わっていた。最悪な方へ。だが敵である浪人たちはすでに処刑済みであった。

「なんてことだい・・・」

桔梗はがっくりと膝をつけた。本当に彼らの死を悲しんでいた。風祭は二人を悪態ついていた。村を出て行かなければ死なずに済んだのに。余計なことをしたばかりに寿命を縮めてしまったのだと。

にゃあ。

猫の鳴き声がした。お政の飼い猫である。

「あんた無事だったんだね、よかった・・・」

桔梗はとても悲しそうであった。その様子を見て守太郎が進言した。

「桔梗さま今宵お政を買おうとした呉服問屋に火をつけましょう。奴を一文無しにしてやるのです、生き地獄を味合わせてやりましょう」

「・・・そんなことでこの子らの恨みが晴れると思うのかい?」

桔梗の声には鬼気迫るものがあった。

「この猫に外法を施す。そしてお政を蘇らせ、自分を殺した豪商に復讐させるのさ」

「お、お待ちください!!」

守太郎が止めた。

「以前吉原でお葉に外法を施しましたね!?ですがお葉は復讐を望んでおりましたか?望んではいなかったでしょう。お政もきっと復讐は望んではおりません。お考え直しください!!」

「馬鹿なことを言うんじゃないよ!!」

桔梗が怒鳴った。

「下忍風情があたしに意見するんじゃないよ!あたしらは鬼道衆だ、利用できるものはとことん利用する、それが鬼ってもんだ。あんたらはついて来るんじゃないよ、あたしひとりでやる!!」

こんなに感情むき出しの桔梗を守太郎ははじめて見た。第一彼女の口から今まで下忍風情などという言葉は飛び出さなかったのからだ。彼女は本気で怒っている、お政を直接殺した原因である豪商に怒りを覚えているのだ。鬼道衆の名目というより、彼女の個人的感情が強いと思われた。

「あんた」

見守が守太郎の袖を引っ張った。

「桔梗さまがまたひとりで突っ走るつもりだわ。お願い、あの人を止めて」

守太郎は言うに及ばず、その場にいた下忍たちも同じ意見である。

 

その晩呉服問屋は地獄となった。猫の体を依代とし、外法で蘇ったお政が豪商や賄賂をもらっていた幕府の役人を襲ったのである。丁稚や番頭は逃げ出し、役人のお供も逃げ出した。

たすけてぇ、たすけてくれぇと叫び声がした。

「ははは、やれ、やるんだよお政!自分を殺し、愛する人を殺された恨みを自分の手で晴らすんだ!」

桔梗はけらけら笑っている。逃げ惑う豪商を見て笑っているのだ。まるで本物の鬼に見えた。

「桔梗さま!!」

守太郎たちがやってきた。九桐と風祭も一緒である。ちなみに守太郎たちは忍び装束は着ていない。街中では目立つからだ。

「おや、あんたらも来たのかい?来なくてもいいのにさ」

「ひどい有様ですね・・・」

守太郎は店の有様に呆然となった。化け猫と化したお政の爪が障子だの、襖だのを切り裂いたのである。

「ひ、ひぃぃ」

でっぷりと太った男が逃げてきた。この店の主であろう。身なりのいい格好をしているが、はぁはぁと息を切らしていた。

「た、助けて・・・」

「あたしらは鬼道衆。天女に見えたかい?残念、あたしは鬼だよ」

ああ、豪商は化け猫と鬼の板ばさみだ。もう観念するしかないのか。

「ま、待ってくれ。わしは本当はお政を殺せと命令したわけじゃないんだ!雇った浪人どもが勝手にしたことなんだ!わしは悪くない!!」

「知らないねぇ、そんなこと。結果的にお政は殺されたんだ。殺した浪人はもう始末したし、残るは雇い主のあんただけさ」

豪商は泣き出した。あまりの絶望に泣くしかなかった。その時。

「とーちゃ、とーちゃ・・・」

2歳くらいの娘が豪商に近寄ってきた。彼の子供だろう。寝巻き姿で歩いてきた。

「あ、来るな、来るんじゃない!!」

「とーちゃ、とーちゃ・・・」

娘は父親の言っていることが理解できないのか、近づいてくる。

「ははは、娘がいたのかい。ちょうどいい、その餓鬼も一緒に地獄へ行ってもらおうか。親より子供が死ねばその子は賽の河原にいくから、先にあんたを殺してあげるよ」

「ああ、頼む、やめて、やめてくれ!わしの命なら差し出す!だからこの子だけは、この子の命だけは・・・」

「知らないねぇそんなこと。さあ、お政、こいつらを殺すんだ!!」

桔梗はお政に命じた。豪商を娘を守るように抱いた。いくらなんでもさすがにそれはやりすぎだ、守太郎は止めようとした。その瞬間。

「みぎゃああああああ!!」

お政は何かの術にかけられたのか、気絶してしまった。そこには一人の恰幅のいい女性が一人立っていた。彼女は髪を刈り上げ、右手には薙刀を持っていた。

「織部葛乃・・・」

「誰ですか?」

守太郎が九桐に聞いた。

「若の父君、九角鬼修殿の菩提寺、織部神社の巫女さ」

菩提寺が神社というのはおかしな話だが、九角は事実上この世から消えている。寺の代わりに神社にしたのだろう。彼女は以前大川の川開きで会ったことがあるという。代々巫女に伝えられる草薙流と呼ばれる薙刀術を使うというのだ。

「ひさしぶりだね、龍蔵院。大川の川開き以来だね」

「そうだな・・・」

「あんたが鬼道衆の一員だったとはね・・・。まあ、もしかしたらとは思ったけどね」

「そうか・・・」

男と女の再会にしてはあまり色っぽくない。豪商は娘を連れ家の中へ逃げていった。

「話は聞いたよ。あの男には後日娘を弔わせるようにする。あんたらにはもう人殺しはさせないよ」

「ふん、甘い女だね。あいつは殺されて当然の人間なんだ。それを余計な真似をして・・・」

桔梗は憤慨していた。せっかくの復讐を邪魔されたからだ。

「鬼共の頭は単純すぎるねぇ。やられたらやり返す。子供のやることじゃないか。しかも死者の魂を弄ぶときてる。女の癖に単純な男以上に、あんたの頭も単純だね」

「ふん!武道しか興味のない女に言われたくないね!あたしはこの子の魂を救うためにやってるんだ!邪魔しないでおくれ!」

「・・・あんたは本気でその子のことを思っているんだね。だけどやり方がひどすぎないかい?復讐するのがさっきの豪商にしてもだ、その関係ない子供も巻き込むのも復讐かい?あんたらのやってることはそいつと同じことをしているんだよ?」

「子供がいるのに遊女を買おうとするあいつが悪いんだ!遊女がどんな目にあっているか分かるかい!?男共のおもちゃさ!二束三文で吉原に買われ、病気になっても医者に診てもらえない。例え火事になってもあいつらは遊女を逃がさずそのまま焼き殺したんだ!あたしがどれだけ必死で逃げてこられたか・・・。あんたには一生わからないさ!!」

もっとも遊女でも花魁クラスなら嫌な客を突っぱねることも出来る。そもそも吉原は風俗ではなく、高級クラブのようなものだ。かの三国志の蜀の劉備が諸葛孔明の庵を三度訪れて、とうとう自分の軍師として迎えた故事、三顧の礼に用いており、三度訪れなければ相手にしてもらえないのだ。そしてなじみの遊女以外で遊ぶことも禁じられているのである。

「え?それはもしかしたら11年前の地震のせいで起きた吉原の火事のことですか?」

守太郎が訊ねた。11年前、すなわち1855(安政2)年。安政の大地震のことだ。二次災害で吉原は業火に包まれたが、遊女たちは大門から外に出してもらえず、そのまま焼死したのだ。一応彼女たちの冥福を祈るため浄閑寺の境内には『新吉原総霊塔』が建てられたが、そんなものは慰めにしか過ぎない。それに浄閑寺は死んだ遊女を投げ捨てるように葬られたことから、別名投げ込み寺と呼ばれている。桔梗が一番嫌いな寺でもあった。

「はてな?その頃にはわたしも大門に就いてましたが、桔梗さまを見たことは一度もありませんが・・・」

守太郎は首をかしげた。彼は一応吉原の遊女の顔は全員記憶している。当時彼は生きた吉原再見とも呼ばれており、常連客たちからは重宝されていたのだ。それは11年前も同じだが、当時桔梗らしき遊女がいた記憶はないのである。

「う、うるさいねぇ!女は化粧で化けるもんさ!細かいこと聞くんじゃないよ」

桔梗はご立腹であった。

「邪魔はさせないよ!あたしら鬼道衆は幕府を滅ぼすんだ!それが御屋形さまの悲願なんだ!!」

「ああ、確か九角天戒だったかな?等々力渓谷の古びた屋敷で会ったよ」

桔梗の顔が青ざめた。

「なんであんたが・・・。まさか、あんたも龍閃組の一員なのかい?」

「まあ、成り行きだね。まったくあんたらの親分も単純馬鹿だねぇ。幕府を滅ぼせば自分たちが幸せになれると信じてるんだから。なにやら怪しげな儀式をしてたけど邪魔してやったよ」

「それで天戒さまは!御屋形さまはどうしたんだい!!」

「逃げたよ」

桔梗は安心したように胸をなでおろした。

「よほど大切な人らしいね。ここにいるあんたらもさっきあたしに殺気のこもった目で見ていたよ。うらやましいこった。だけどねぇ」

かつんと手に持った薙刀を地面に叩いた。

「あんたらは鬼かもしれないさ、だけどあんたらは生きているんだろう。人間なんだろう!?復讐なんて馬鹿なことはやめて幸せに暮らすつもりはないのかい!つらい記憶はやがて時が流れれば忘れることも出来る、もうすぐ幕府も自然崩壊するだろうさ!あんたらは子供を作り、そして自分の命を子々孫々伝えることだろうが!なんでそんな簡単なことが出来ないんだい、男なんだろう、玉はふたつついているんだろう、それが嫌なら男をやめちまいな!玉を抜いちまいな!!」

まったく女性とは思えないしゃべり方だ。

「それができたら苦労は・・・」

桔梗が答えようとした、その時!!

ばりばりばり!!

「うぁぁぁ!!」

織部が倒れた。お政が暴走し始めたのだ。彼女は桔梗たちにも襲い掛かってきた。

「むぅ、仕方がない!お前たち散るんだ!!」

九桐の指揮に下忍たちはばらばらに散った。そして、彼女に向けて退魔の力を持つ手裏剣を投げつけた。手裏剣は彼女に刺さり、力が抜けていったのである。

化け猫からお政の姿が立体映像のように浮かび上がった。

「・・・ここは?わたしは死んだはず・・・」

お政は自分が今どのような状態か理解していなかった。死んだ自分がなぜここにいるのかわからなかったのである。

「あんたは外法で蘇ったのさ。あんたたちを殺した豪商に復讐させるためにね」

桔梗はからから笑っている。悪意はない笑いであった。

「そ、そんな、どうして・・・」

「ははは、あいつを殺し損ねたけど、まだ機会はあるさ。今度はそいつの家族を皆殺しにしておやり。あんたには復讐する権利があるんだからね」

「違う、違う!!」

お政は否定した。彼女は確かに吉原がつらいと思った。だが幼馴染の又一郎の祝言だけを夢見てがんばってきた。10年の勤めを終えれば自由になれる。そしたら二人は一緒になれる。確かにつらくて泣きたくなる時もあったが、自分は吉原が好きだ。もし吉原を否定したら今までの自分がうそになるかもしれない。それが彼女の気持ちであった。

ああ、桔梗の今の心境はどうであろうか?彼女は以前お葉という遊女を蘇らせて、吉原に復讐させようとした。しかし、彼女は吉原を怨むことなく消えていった。どうしてこいつらは吉原を怨まないのだろう、あの地獄を否定しないのだろう。桔梗はなぜか悲しくなった。自分のやることがすべて裏目に出てしまう。やはり女の浅知恵は役に立たないのだろうか?

「あたしを元に戻して!戻してよ!!」

だが九桐は無理だといった。なぜなら外法で生を受けたものは決して成仏など出来ない。その呪われた生を全うしなければならないのだ。彼女が又一郎に会えることは絶対ありえない。もう手遅れなのである。

「どうしてよ、あんたたちが勝手にあたしをこんな体にしたんでしょ!頼みもしないのに勝手に!!」

お政はヒステリックに叫んだ。あの世が本当にあるかはわからないが、死んでも愛しい又一郎に会えない。それが彼女を絶望に追いやったのである。

「は、ははは。いい気味だなお政」

笑い出したのは守太郎であった。まるで狂ったように笑い転げた。桔梗たちは怪訝そうな顔をして彼を見た。

「俺だ、俺が桔梗さまに頼んでお前に外法をかけたんだ!どうだ、その呪われた体は!もう元には戻れない!お前の苦しむその様が見たくて外法を施してもらったんだ。ははは、どうせ村に来たのは俺たちの村を密告しに行くためだったんだろ?そんなお前を楽にさせるものか、はっはっは!」

桔梗たちは守太郎が狂ったのではないかと思った。第一お政に外法を施すのを反対したのは守太郎ではないか。なぜ自分がしたように言うのか?

「そんな・・・、守太郎さん・・・」

お政は信じていた人に裏切られた気分になった。守太郎は吉原にいた頃はとてもよくしてもらったのだ。それなのに・・・。

「許せない、あんたを、あんたたちを呪い殺してやる!!」

お政の目に狂気が宿った。彼女はこの場にいる全員を、特に守太郎を呪い殺そうとしていた。守太郎は戦う構えをとった。その額には脂汗がたらりと流れており、視線はお政の目を離さなかった。その時、淡い光が立ち上り、そこに一人の男が立っていた。

死んだはずの又一郎であった。桔梗たちは驚いた。先ほど言ったことは嘘ではないのだ。それなのにどうして?

「ま、又一郎さん、どうして・・・」

彼女は突然の恋人の再会に歓喜した。呪うことを忘れてしまったのだ。又一郎は龍閃組のおかげでここに来れたという。そして彼女を迎えに来たのだと。お政はそれに満足したのか、その身は霞の如く消え去ってしまった。成仏したのだろう。

腑に落ちないのは桔梗たちであった。又一郎は龍閃組に会ったというが、いったいいつ出会ったのだろうか?どうにもおかしいことが多いのだ。

「やっと成仏したようですね」

なんと肝心の又一郎はまだそこにいた。まるで他人事のように言ってる。

「ああ言えば彼女は納得して成仏してくれますからね」

「お前はいったい・・・」

九桐は又一郎に槍を向けた。

「人を呪わば穴二つ。わたしが昔口を酸っぱくして教えたことをもう忘れたのですか?桔梗?」

意外なことに又一郎は桔梗に振った。教えたとはどういうことだろうか?

又一郎の体は消えた。残るは式神羅写一枚のみ。彼は式神だったのだ。そして一人の少年が立っていた。身長は風祭より低いが、着ている着物と同様上品な感じがした。貴族の息子にも見えた。

「ひさしぶりですね桔梗。会いたかったですよ」

「あ、ああ・・・、その気・・・。あたしが間違えるはずがない・・・」

桔梗は震えていた。目の前の少年と知り合いなのだろうか?

「誰なのですか?この童子は!?」

守太郎が聞いた。しかし桔梗は答えない。まるで彼女は幽霊を見ているような感じであった。

「ふふふ、わが名は安倍晴明。桔梗はわたしの娘ですよ」

皆一瞬呆気に取られたが、やがてみんなしてげらげら笑い出した。

「は、ははは、お前が桔梗さまの父親か!?冗談にもほどがあるわ!!」

「だ、大体安倍晴明って誰だよ、知らないっての!!」

「坊主、あんまりおかしなことをいうもんじゃないぞ!!」

だが桔梗や九桐は笑っていない。真剣な表情だ。

「・・・安倍晴明とは平安時代稀代の陰陽師として有名な男だ」

安倍晴明とは生没不明で、平安中期に実在した陰陽師である。鬼神を従え、式神を自在に操るなど伝説を残している。史実ではあんまり出てこないが御伽草紙や狂言の葛の葉などではその名を残している。だが少なくとも800年前に死んだはずなのだ。それで桔梗が娘とはどういうことであろうか?

「桔梗は私と雌狐との間で生まれた妖弧なのですよ。若い女性の姿をしても800年以上生きてるのです」

「な、そ、そんなばかな!!」

陣内が叫んだ。いきなり桔梗があやかしと言われても、驚くばかりである。

「彼女が人間でないことはうすうす知っていたのではないですか?特に容姿がまるで変わらないことに気づいてらっしゃるのでは?」

確かにそうだ。彼女の容姿は6年以上も今と変わっていない。それに彼女は陰陽道にも詳しい。

「な、なんであんたが今更・・・」

「迎えに来たのですよ。800年もかかりましたが、やっと迎えに来れました。さあこれからは親子水入らずに暮らしましょう」

「ふ、ふざけんじゃないよ!800年もほったらかしにして今更迎えにくるなんて虫が良すぎるよ!!」

「確かにそうですね。ですが、もうあなたは村へは帰れませんよ。何しろあなたの正体は知られたのですからね」

知られたというより、こいつが一方的にばらしたのだが。

「ごらんなさい。彼らがあなたを見る視線を。あなたを化け物として見ている目ですよ。今までの仲間でも人間でなければすぐ手のひらを返すものです。それをかばって嘘をつくのですからばかばかしくてお話になりません」

守太郎のことを言っているのだろう。晴明は皮肉っぽく笑った。

「さあ、行きましょう。あなたが幸せに暮らせる場所はわたしの元以外ないのです。ですから・・・」

「さっきから!」

守太郎が叫んだ。

「さっきから好き勝手なこと言いやがって、何様のつもりだ!桔梗さまが狐だと?なら俺たちは鬼だ!狐と鬼どこに大差がある!?話は良く分からんが何百年も子供をほったらかしにしたくせに、桔梗さまを連れて行くなど俺らが許さん!なぁ、みんな!!」

守太郎につられてみんなも叫んだ。

「そうだ!桔梗さまは俺たちになくてはならないお方だ!!」

「あべのせいめいだか、なんだか知らないが子供のくせに偉そうにいうな!!」

「桔梗さまをお守りせよ!!」

陣内たちは刀を取り出すと、晴明を取り囲んだ。

「まったく頭の足りない人たちですね。よいでしょう、口だけならいくらでも言えます、わたしに言葉以外で示してもらいましょう」

彼は懐から数枚の式神羅写を取り出した。計12枚。それらは淡く光りながら、やがてまぶしい光に包まれると、なにやら異様なものが姿を現した。

赤い鳥や、尻尾が蛇の亀。青い龍に白い虎。後宮の婦女子の姿をしたものや、おもちゃの人形みたいなものまでいるのだ。

「鬼神十二神将・・・。やっぱりあんたは安倍晴明・・・」

桔梗は答えた。かつて安倍晴明が使役した十二神将、京都の一条戻り橋の下に隠しているといわれたものが目の前にいる。

「いけない!あいつらは危険だよ、あんたらに敵うわけがない!!」

「だからといって引けないのですよ、我々は!!」

陣内たちが突撃した。だが人間が式神に勝てるわけがなかった。式神たちは人知を超える力で応戦してきたのだ。彼らの技はまるで鞠を飛ばす如く、下忍たちの体は吹っ飛んだ。

「ぐぁぁ!!」

「ひぃぃ!!」

彼らは動かなくなった。守太郎だけがかろうじて立っていたが、立っているだけだ。よろよろである。

「ふふふ、無様ですね。立っているだけでかっこいいと思っているのですか?ふふふ、桔梗、あなたを守ろうとするものたちがいなくなれば、あなたも諦めがつくでしょう。さあ」

晴明は呪文を唱え始めた。いけない、いけない。彼は守太郎たちを殺そうとしているのだ!!

「ちくしょぉぉぉぉ!!」

守太郎は捨て身の覚悟で突っ込んできた。

「玉砕ですか、ばかばかしい。死んでください」

ぼふぅ!!

「ぎゃああ!!」

守太郎の目の前が爆発した。彼はまったくの犬死であったか?しかし!!

「とりゃあ!!」

風祭が後ろから掌低・鬼勁を放った。死角から襲いかかる発勁の一種だ。いくらなんでもこれをかわすことはできない。晴明は吹っ飛んだ。地面を跳ねながら、そのまま動かなくなった。最初から守太郎は風祭のおとりとして、突っ込んだのである。

「へ、へへへ。桔梗さまは無事ですか・・・」

「馬鹿!あんたは馬鹿だよ!!待っておいで今傷の手当を・・・」

すると空がいきなり明るくなると、そこに女官のような女の映像が浮かび上がると、下忍たちの傷が見る見る治っていった。式神であった。安倍晴明が呼び寄せたのである。

「これは文虫の力・・・、なんで!?」

「桔梗を守ろうとする気持ち、しかと見せてもらいましたよ」

先ほどと違い、様子が変わっている。

「口先だけでなく、心の底から我が娘を守ろうしてくれたその行動、意志。あなた方なら桔梗を任せることが出来ます」

ああ、彼は最初から下忍たちを試していたのだ。手加減してくれていたのだ、でなければ彼らはとっくの昔に死んでいたはずだから。

「桔梗、なぜわたしが800年以上の年月を越え、蘇ったかわかりますか?それは生を望む私をこの世から引っ張ってきた者が外法で私を蘇らせてくれたのですよ。もちろん、条件などありましたが、そんなことはどうでもいい。ただ会いたくてここへ来たのです。道満殿の従兄弟、阿師谷家に追われわたしは殺されました。殺されたのが悔しいわけではありません、あなたをひとりぼっちにしてしまったことが私の未練でした。ですが、その夢はやっと果たされたのです。さあ」

晴明は桔梗を抱いた。少年故に彼女より小さいが、それは愛しい娘を抱く父親であった。桔梗の目から涙がこぼれた。今までずっと自分を心配してくれるものなどいなかった。寒い雪山を凍えながら冬を過ごし、人間に化け、遊女として虐げられた日々。それらが解けていく気がしたのだ。

「しかし、貴殿を蘇らせたのは誰だ?」

九桐である。そう、肝心の晴明を蘇らせたのは誰なのだろうか?

「それは言えません。なぜなら私には彼らの正体を言えぬよう呪をかけられているのです。ですが、これだけは言えます。等々力渓谷へ向かいなさい、あなたの大切な人が危険に晒されるでしょう、救えるのはあなただけなのですよ」

「て、天戒さまが!?こうしちゃいられない、九桐、坊や、あたしについて来ておくれ!」

「もちろんだ。若の危機を黙って見逃すわけがなかろう」

「御屋形さまを救うのは俺たちだ!!」

九桐と風祭はいく気満々である。

「では、我々も・・・」

「陣内たちは村へ戻ってくれ。若がいつ帰ってきてもいいようにな」

九桐に言われるとそれに従うしかない。

「もうすぐおわかれです。桔梗、これをあげましょう。オン・キリ・キリ・ヴァジャラ・ウーンハッタ!!いでよ芙蓉!!」

晴明は式神を取り出すと呪文を唱えた。紙は女性へと変化した。先ほど戦った十二神将の一人であった。

「天后芙蓉参りました」

式神はそう答えた。

「芙蓉、安倍晴明の名において命じます。桔梗をよろしく頼みましたよ」

「御意」

芙蓉は無感情にぺこりとお辞儀した。

「それでは・・・」

晴明の体はやがて光があふれ出し、消え去っていった。

「お父様・・・。勝手に現れて、勝手に消えて・・・」

桔梗は目を拭うときりっと立ち上がった。

「さあ、九桐、坊や!天戒さまを救いに行くよ!芙蓉あんたもよろしく頼むよ!」

「お任せあれ。800年ぶりの桔梗さまと出会えて、わたくしも嬉しゅうございます」

「それはお世辞かい?」

「いえ、本心でございます」

「まあ、いいさ。そうだ、守太郎!!」

いきなり呼ばれて守太郎は振り向いた。すると桔梗は彼のほっぺたをつねったのである。

「いたた・・・。桔梗さま、何を?」

「馬鹿だね。お政からあんたがあたしの代わりに庇った事さ。大体あんたにはかみさんと子供がいるんだよ?少しは先のことを考えな?」

「桔梗さまも人のことは言えませんが・・・。御屋形さまを無事助けてくだされ」

「もちろんそのつもりさ」

こうして桔梗たちは天戒を救いに一路等々力渓谷へ向かったのであった。

 

村へ帰った守太郎たちだが、村では人騒動起きていた。以前桔梗と九桐が見世物小屋から連れて来た比良坂という少女が消えてしまったのである。盲目ゆえ遠くに行くはずがないと思っていたが、まったく見つからなかった。そして翌朝なんと彼女は天戒たちと一緒に帰ってきたのである。彼女は等々力渓谷まで歩いていったそうなのだ。目が見えないのになぜ?

あと辰たちは帰ってこなかった。天戒の話では少女を置いたあとすぐ帰ったはずなのだが、帰ってこないのだ。彼らはどこへ行ってしまったのだろうか?それを知るのは3ヶ月先まで待つことになるのであった。

続く

前に戻る

話へ戻る

タイトルへ戻る