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 アリストテレス (ギリシア)
   紀元前384〜紀元前322
 古代ギリシアの哲学者(てつがくしゃ)・科学者。古代ギリシアの学問・文化・思想を集大成した。

 スタゲイロスに生まれる。父はマケドニア王の侍医(じい)、母も医者の娘であった。17歳の時にアテネに行き、プラトンのつくった学問所のアカデメイアに入り、20年間ここで熱心に勉強に励んだ。師のプラトンの死後、各地に移り住んだ。

     
                【古代のギリシア世界】

 紀元前343年ごろ、マケドニア王フィリッポスに招かれ、アレクサンドロス王子(後のアレクサンドロス大王のこと)の家庭教師になった。アレクサンドロス王子には英雄
(えいゆう)としての高潔(こうけつ)な道、深い考え、寛容(かんよう)な心などを教え、徳のある者が行う政治が理想の政治であることを示した。これが後のアレクサンドロス大王の東方遠征のきっかけともなった。

 エンペドクレスの4元素説(土、水、空気、火)を受けつぎ、それに第5の元素であるアイテール(天界をつくる元素のこと)を加えた。また、4元素の属性として、「熱、冷、乾、湿」を考え、これらの2つの組み合わせによって元素の性質が表れると考えた。例えば、乾と冷の組み合わせで「土」、湿と冷の組み合わせで「水」ができると考えた。

      

 その上で、アリストテレスは、4元素はそれぞれ実在する場所が決まっていて、その場所に移ろうして運動が起こると考えた。そのため、「物体は重い物ほど早くもとの位置にもどろうとして早く地面につく」と説明した。

      

 このアリストテレスの考え方は、長い間、人々に信じられることになり、16〜17世紀にガリレオニュートンが現れて、この考えが訂正されるまで信じられることになった。

 紀元前335年にアテネにリュケイオンと呼ばれる学問所を開いた。ここで、若者に論理学
(ろんりがく)、自然学、哲学(てつがく)、文学などを研究し教えた。アレクサンドロス大王の急死でアテネの独立運動がさかんになると、アテネを追われ、母の故郷(こきょう)であるエウボエア島に逃げ、翌年(よくねん)病死した。あらゆる自然科学、哲学など学問の出発点となった。

 アリストテレスの書いた本には、「オルガノン」「自然学」「政治学」などがある。

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