織田信長(おだのぶなが)の政治について
【楽市楽座(らいいちらくざ)ついて】
付書院
平安(へいあん)時代から室町(むろまち)時代にかけて、商工業の同業者の組合である座(ざ)ができた。座(ざ)には、綿座(わたざ)、素麺座(そうめんざ)、鍋座(なべざ)、鍛冶座(かじざ)などがあった。座(ざ)に入っている商工業者は貴族や寺社に税を納めるかわりに保護を受けて、
1 関銭(せきせん 通行税のこと)や市銭(いちせん)などの免除(めんじょ)
2 市場の独占(どくせん)
3 値段や営業などの協定
などの特権を受けた。ただ、この座(ざ)は、座(ざ)に入っている商工業者の利益を守るために、商工業者の人数を制限したり、市場を独占(どくせん)するなど、座(ざ)に入っていない新しい商工業者と対立し、商業の自由な発達をさまたげていた。
織田信長(おだのぶなが)は、市場税をやめ、座(ざ)のもっていた関銭や市銭の免除という特権も廃止した。これを楽市(らくいち)という。また、座(ざ)そのものを廃止した。これを楽座(らくざ)という。この二つをまとめて楽市楽座(らくいちらくざ)と呼んでいる。これにより、だれでも自由に商工業を行えるようになり、商業が発達した。また、座(ざ)からの税が入らなくなった貴族や寺社はその勢力がおとろえることになった。
なかでも、安土城を建設するときに、織田信長が出した13カ条の法律は有名である。以下は、その一部である。
1 この町を楽市(らくいち)とするから、商売についてあらゆる課税(かぜい)
を行わない。
1 戦争などの特別なときのほか、住民には普請(ふしん)や伝馬役(でんま
やく)などの課役(かえき)を免除(めんじょ)する。
1 他国からの移住者は、どんな者でも、まえまえからの者と差別しない。
【関所(せきしょ)の廃止(はいし)】
織田信長(おだのぶなが)は各地におかれていた関所(せきしょ)を廃止(はいし)した。関所は、品物の運送などさまたげになり、商業の発達がうまくいかない原因となっていた。織田信長は、自分の領国が増えるにしたがって、けわしい道を平らな道につくりかえ、川には橋をかけ、道の両側に松などの並木を植えた。これにより、
1 軍隊や軍事物資の大量の輸送がすばやくできるようになった。
2 品物もすばやく輸送できるようになり、商業が発達した。
などの利点があった。
【キリスト教の布教(ふきょう)の許可】
1549年に鹿児島(かごしま)についたフランシスコ・ザビエルは領主(りょうしゅ)の島津貴久(しまづたかひさ)の許しをえて、キリスト教の布教(ふきょう)を始めた。このころは、寺社のじゃまもあってなかなかキリスト教は広まらなかった。
1568年、織田信長(おだのぶなが)は宣教師(せんきょうし)のルイス・フロイスに会い、キリスト教の布教(ふきょう 教えを広めること)を許した。これにより、キリスト教が日本に広まり、信者も増えてきた。高山右近(たかやまうこん)などの大名の中にもキリスト教を信じる者があらわれ、キリシタン大名と呼ばれるようになった。
織田信長がキリスト教の布教(ふきょう)を認めた理由は、
1 織田信長に反抗する仏教勢力を弱めること
2 南蛮貿易(なんばんぼうえき)により、鉄砲(てっぽう)を手にいれ、
利益をあげること
などのためであった。
フランシスコ・ザビエル
〈 キリスト教の布教とキリシタン大名 〉
【織田信長の政治の効果について】
@ 楽市楽座(らくいちらくざ) → 貴族や寺社の勢力がおとろえる。
武士が商業を支配するようになる。
A 関所(せきしょ)の廃止(はいし) → すばやく軍隊の移動ができる。
道路の整備 商業が発展する。
B キリスト教の布教(ふきょう) → 寺社の勢力に対抗(たいこう)する。
鉄砲によって軍事力を強化する。
南蛮貿易によって商業が発展する。
これら政治によって、織田信長に対抗する寺社勢力や朝廷(ちょうてい)、貴族、敵大名を経済的にも軍事的にも圧倒(あっとう)できるようになった。