7日目
エル・カラファテ−ロスグラシアレス国立公園
この日は毎日氷河の先端が崩落するところが見られるという、ペリト・モレノ氷河へ 向かう。世界の絶景100選で観た場所。
俺は朝から機嫌が悪かった。ツアーガイドの女が朝ホテルに迎えに来たのだが、 この女に「英語できるの?」と聞かれたからだった。
普通に聞かれたのであれば、特に気にしないのだがこの女の聞き方が黄色い猿が 英語というものを理解できるの?的な人をバカにしたような発言に聞こえたから。 (被害妄想)
てめーも英語ネイティブじゃねーだろ、ふざけんな、こら。と最初は思っていた。

バスは20人程の観光客を乗せて走り出す。 前日と違い、ペリト・モレノ氷河へは陸伝いに行けるようで、バスで湖沿いの道を ぶっ走って行く。途中で今から行く氷河の写真がまわされてきた。今から行く場所の 写真をまわす意味はわからんかったので、適当にぺらぺらめくるだけ。わからん。

今日もブルーハワイ この日は朝から快晴。んー、今日の氷河も素晴らしいに違いない。運がよければ氷河の 先端が崩落する場所が見られるかもしれん。期待に胸膨らんでいた。
バスは2時間弱走った後、ペリト・モレノ氷河に到着した。
その後の予定を説明してくれるさっきの女、今回のバスに乗り合わせた観光客達は 別々の旅行会社から申し込んだ人達の寄せ集めらしく、プランが結構ばらばら。 女がグループ毎に個別に説明をする。但し、俺の時だけ何回もゆっくりと説明。 親切なのかバカにしてるのか、400字詰原稿用紙2枚程度で説明しろ。

ペリトモレノ(「・」と「氷河」入れるの面倒くさくなった)は氷河を見渡せる展望台 へは陸続きで行けるのだが、船で氷河に近付く事ができる場所もあり、先にそっちに 向かう事になった。
天気は良く暖かいのだが、風は昨日以上。吹っ飛ばされないように船の手すりをいつも 掴んでいなければならない。あっちでもこっちでもそうした光景が見られ、船の2階の 展望デッキは、中央部に人がいない状態。
氷河に段々近付いてきた。前日同じような氷河を見ていたので感動も少し薄れるかと 思っていたが、決してそんな事にはならず、初めて見たかのような感動。
晴れているからか、ここの氷河だからか、前日の氷河達よりは青に対して白の割合が 高いような気はしたが、やっぱし青さとデカさはすげー。あー。

テレビと同じ場所 船から戻って来た俺達は、ペリトモレノ氷河の展望台入口までまた少しバスで走り、 そして自由行動が与えられた。早速遊歩道を歩き回る。ここは結構日本人が多いな。 ツアーの団体さんか。

展望台は氷河を見渡せる山の斜面に作られていて、何ヶ所か高さの違う所から氷河を 眺められるようになっている。何度も言うが、ここは氷河の先端が崩落する事で有名 なので(理由は暖かいからではなくて、氷河が山の上からずり落ちるスピードが他の 氷河に比べて異常に早いかららしい。)、それを見逃さないようにするには1ヶ所に 腰を据えて待つ事。

ところが展望台に向かう途中で一部森の中に入るのだが、そこにいる時に花火の打ち上げ のような大音響が聞こえてきた。・・・。見逃した。

展望台 気を取り直して氷河を見渡せる場所に陣取って座った。そしてぼーっと氷河を眺める。
観光客のやかましさも強風の音に吹き消され、その風の音と、氷河に亀裂が入っている のであろう「ぴし」という音、そして鳥の声。
1時間以上何もせずにただ座って氷河を眺めていたが、全く飽きなかった。
それどころか 丸1日、もしくは2、3日でもここにこうして座っていたいと思った。

残念ながらここでの自由時間はあまりにも短く、結局崩落は見られなかった。 ここは絶対にもう一度来ようと思った。氷河の上を歩くツアーにも参加したいし、次回は もっと滞在時間をたくさん取れる旅行会社のツアーにしようと心に決めた。
船から見る氷河だと滞在時間が短くても諦めがつくのだが、ここは。

崩れなさい 展望台からバスの駐車場に戻って来たが、他の客達がまだ戻っていなかったので、売店に 行ってみる。ここでは食物とかが買えると言われていたのだが、ここものんきなアルゼンチン 店員に対して観光客の人だかり・・・。ゴーンをここに呼んで経営体制を刷新しろ。

これでアルゼンチンで観光する所は全部終了。あー、長いようで短かった。 でも充実していた。絶対にもう1回来よう。

ホテルに戻って来た俺は友人達への土産を買いに町に出た。祭は今日も続いていたが、 今日もまろやかに無視した。
あー、そういえばバスでガイドの女が言っていた。カラファテという町の名前は 同じ名前の植物からとられていて、カラファテの実を食った人はまたカラファテの町に 戻ってくるのだと。
よくある話だが、前日カラファテのジェラートを食った俺は、また帰って来るんじゃーん。 と素直に思った。

いわゆる土産物屋にはこれというものがなかったので、専門店に行ってみる事にした。 まずはアウトドアショップ、こういうとこには有名ブランドのものしかないと思って いたのだが、オリジナルのTシャツが売られていた。
大体のTシャツには「パタゴニア」と書かれている。パタゴニア。ある意味本物だが、 別の意味ではニセモノ。でも本物。ここで黄色のTシャツを見かけた俺は日本にいる ある人の事を思い出した。

何枚かTシャツを買って、次は牛革製品の店に向かった。さすがに牛革製品は物価の高い アルゼンチンでも結構安い値段でいいものが手に入る。らしい。
ここで水色の模様が書かれた小さなカバン?を見つけた時にまた別の人の事を思い出した。
土産物はそこそこ買えたな。後はブエノスアイレスの空港でワインを買えば完璧だよ。
帰りにまたジェラートを買い、ホテルに戻った。

8日目
最終日
エル・カラファテ−ブエノスアイレス−ダラス−成田
移動するだけの最終日。
まずはエル・カラファテの空港へ。来る時はバスだったので空港は初めて。 何にもない平原にぽつんと建物が建っていた。
ここはコモドーロと違って空港は小さいが、客はいっぱいいた。
チェックインを済ませた俺は、小腹が空いたので喫茶店に入った。そこで選んだのは 餃子状パイ「エンパナードス」。ここには具が何種類かあったので牛肉とコーンと ハム&チーズ(これはアルゼンチンか?)を注文。
何故か牛肉だけは餃子状ではなく丸い普通のパイだった。理由は確認しなかったので 不明。

飛行機は暴風にがくがく横揺れさせられながら飛び立った。そらあんだけ風が吹いてたら 大変だろうな、パイロットは。頑張れよ。
今回は窓側の席を確保できてラッキーだった。隣りの女が替わってくれと言ってきたが、 替わる訳ねー。
飛行機の窓からは広大なアルヘンティーナ湖の全景とあちこちに点在する氷河を見る事が できて嬉しかったが、同時に寂しくなった。

ブエノスアイレスの国内線用空港に降り立った俺は迷っていた。
国際線空港に行ってアメリカ行きの飛行機に乗るのだが、ダイレクトに空港に向かうには 時間があり過ぎ、でも市内を観光するには荷物が邪魔。
どっちにするか考えた末、国際線の空港に向かう事にした。次に乗る飛行機がアメリカ 行きだという事が決めてだった。アメリカ行きだと空港で何があって飛行機に乗るまで 何時間かかるかわからん。早い事行っとこう。

ある意味それは正解だった。それについてはまた<旅の出来事>で語ろう。
搭乗手続きを済ませた俺はワインを買おうとワインショップに行ったが、あまり種類が なくてこれといいうものがなかったので、ある意味賭けで出国手続きを通った。
免税店なら種類があるかもしれんと思ったからだ。しかし、失敗してももう外には 出られない。

賭けは成功だった。
免税店にはたくさんの種類のアルゼンチンワインが置かれていた。おし、ここでいい やつを選ぼう。・・・どうやって?免税店はあまりにたくさんの種類が置かれ過ぎて いた。

どうしようかと色々見てまわっていると、ソムリエらしい若い男に話しかけられた。 やっぱワインの事はソムリエに聞け。っつー事で予算と赤ワインが欲しい事を告げると、 このお兄ちゃんは饒舌に話し始めた。
わー、俺、ワインの専門用語を交えた英語で質問されてもわからんてー。と最初は 慌てたが、よく聞いているとそこそこわかってきた。お、会社での事が役に立つ事も あるんやな。
ちょっと理解できた事が俺の表情に出ていたのか、お兄ちゃんはよけい饒舌になって 俺の好みをめっちゃ事細かに聞いてくる。
お兄ちゃんが堅苦しく質問をしてきたのなら途中で遮ったのだが、こいつ(敬称略) は本当に嬉しそうに質問してくるので遮る気持ちになれずに事細かに答えていた。
ひょっとしたら他の客はこいつの話をゆっくり聞きながら買い物する時間がないの かもしれん。俺は仕事に対してこういう少々行き過ぎている位の奴が好きなのでよかった。
但し俺が飲むワインではないのだが。

ただそれでも選択肢が多過ぎたので、最終的に出て来たワインの中からお兄ちゃんに 彼が奨めるワイナリーを2、3選んでもらい、そこから選んだ。
こいつはソムリエでワイン以外のものは担当じゃないんだろうな。と思いながら アルゼンチン産の食い物で何かいい土産はありますか?と聞いたところ、チョコレート がいいと言うので勧められるままに購入した。
こいつは本当にいい奴でもう少し時間があったらきっと友達になっていただろう。
残念ながら時間がなく、こいつに荷物を持ってもらってレジに向かった。

レジでパスポートの提示を要求されてパスポートを渡すと、レジのお姉さんがこいつに 「この人日本人だよ。」とおそらく言ったのだろう。こいつが知っている日本語を披露する。
レジのお姉さんとこいつに笑顔で見送られながら、そして日本語でこんにちは。と 言われながら免税店を後にした。(ちゃんとその場で「こんにちは。」は別れの挨拶では ない事は訂正しておいた。「ありがとう。」も教えといた。)

嫌いだったアルゼンチン人の好感度もかなり上がったところで、腹が減ってきたので 軽食コーナーに座った。注文するのは「エンパナードス」。これしかそこそこ食えそうな ものがなかった。サンドイッチも並んでいたが、これ、何人前ですか?という大きさで、 頼むとおそらくこれが丸々出てきそうな勢いだったのでやめた。
ここでも牛肉のエンパナードスは餃子状(しつこい)ではなく丸かった。理由は不明。

腹が落ち着いたところでゲートに向かおうと歩き出すと、途中にネットコーナーがあった。
今思えばやめておけばよかった。
会社の先輩黄之さんにメールを書いた。
先輩からすぐに返事が返って来た。・・・え?
日本に帰って出勤した日位にあるだろうと思っていた、弊社人事異動の発表が既にあった事が メールには書かれていた。自分が今回対象になるような気はしていたが、予想だにしていなかった 土地に行く事になったという事実をこんな日本の真裏で知った。
そんな衝撃的な事を聞かされてもここから日本に着くまで30時間以上あるんですがー。 そこから日本までの道のりが非常に落ち着かなかった事はいうまでもない。


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