<諦めた瞬間に夢は終わる>

2006年夏、夜、韓国、ソウル。
まださまよっていた。

健康ランド「海母水」が遺跡になっていたので、健康ランドは諦め、 豚焼肉の店「コヒャンチョン」を目指そうと、遺跡を後にした一行。
再度書くが、一行とは会社の先輩黄之さん、会社の同期で黄之さんの妻青子、そして俺。
タクシーの運転手のおばちゃんに、ここに行きたいと、手書きである意味あっぱらぱーな「無敵のソウル」の 地図を見せる。
おばちゃんがわからない様子なので、地図に書かれている手がかりを一生懸命説明する。
このおばちゃん運転手はめっちゃいい人やった。
ある意味、おばちゃんがめっちゃいい人だった為に、夢が諦められなくなる。

まずは地図に載っている電話番号に電話してくれた。ところが通じない。話中とかじゃなくてコールは鳴るが 誰も出ないようだ。

電話に誰か店と関係ない民間人が出るか、現在使われておりません。的なメッセージが流れていれば 諦められたのに。

次に、2、3人の知り合いに電話をして「コヒャンチョン」という店の名前を聞いてくれた。
誰も知らないようだ。

地理に詳しいタクシー運転手が知らない店。それを観光客が探し出そうっても無理だと判断していれば。

そして現地で捜索に入った。地図は道がいくつか省かれている上に、東西南北が微妙に違うようで、 ぐるぐる20分位、あちこちの路地に入ってみるが、目当ての店は見付からない。

現地に行っても店が発見できないならば、諦めるだろ、普通。

でも諦め切れなかった。
「海母水」の一件でどうしても2回裏切られたくないという思いが強過ぎて、3人とも意固地になっていた。
簡単に諦めて、他の所で食事をしておけばよかったのによー。
おばちゃんは、せっかく日本から来たんだから。とまだまだ探す気満々でいてくれていたのだが、 親切な人にこれ以上迷惑はかけられない。と。タクシーを降りた。
おばちゃん、ありがとう。

そしてタクシーを降りた一行、さてどうしようか。
黄之さんはまだまだ探す気満々だったのだが、俺はもう半分以上諦めムード。青子は微妙。
俺は腹が減って、もうどこか何か食える店があれば、もうよかった。
そして初日だったので、できるだけ早くホテルに戻ってゆっくりしたかった。

だが2人がその店に行きたいのなら、まだ諦める訳にはいかないんだろうな。と思った。
ただ闇雲に歩いても絶対に発見する事は不可能だと思われたので、まずは近所のコンビニに入り、 店員に聞きこみ調査を試みた。
店員は若い男女、突然やって来たおかしな日本人観光客に道を聞かれて、ドン引きだった。
そりゃそうだろう。観光地でもないもんな。
だが、一応話は聞いてくれた。
・・・だが「コヒャンチョン」という店の名前は知らないと言う。

帰ろうよ。
俺は夢を100%諦めた。
青子も半分以上は諦めたようだった。もう帰ろう。と最初に言い出したのは青子だったと思う。 俺も戻りますか?と後押しをした。
だが、黄之さんは燃えていた。絶対に見つけ出す。という熱意に燃えていた。
言い訳をする訳ではないが、もし少しでも望みがあるなら、諦めなかったと思う。
だがきっと、その店は存在しないんだよ。その店はエルドラドなんだよ(意味不明)。

その後の一行については個人情報に関わるので詳しくは書かないが、メンバー内のある夫婦 の間に微妙に緊張感が走った為、これ以上気まずくならないようフォロー的な言動を心がけ ながら、その地を後にし、ホテル方面に戻った。

ホテルが明洞にあったので、明洞で何か食おうと歩き回っていると、豚焼肉の店があった。
これなら20%位は夢の実現になるかと、店に入った。
そこで酒が入り、腹の中に食物が入った為、真剣な人間関係の危機は回避された。
と思う。

夢は諦めたら終わる。だから、諦めなければ夢は終わらないの(深津風)。
だけど、叶わぬ夢は早く諦めて気持ちを切替える事も大事。・・・ではないでしょうか。

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遺跡になっていた
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