<遺跡になっていた>
2006年夏、夜、韓国、ソウル。
さまよっていた。
会社の先輩黄之さんと会社の同期青子夫婦と韓国に来ていた。
韓国のスーパー銭湯でも言うべき、チムジルパン「海母水」を目指していた。
そこを目指してみるきっかけになったのは、俺達の韓国の旅の友「無敵のソウル」。今までにもこの本で
素晴らしい場所に再々連れて行ってもらった俺達は、この本を信じきっていた。そしてやられた。
「海母水」という銭湯は、ソウルのバスターミナルの近くにあると書かれていたので、まずはそのバスターミナルまで
移動した。
そこからは「無敵」の地図を頼りに向かう。「無敵」には素敵な場所がいっぱい載っているのだが、そこへの
アクセス地図がフリーハンドでイマイチ分かりづらいのが難点。
だが、その中に書かれている数少ない建物情報を頼りに歩き出した。
歩いているのは広い幹線道路沿い、歩道の反対側には大きなマンション群があり、その敷地を囲った塀が
延々と続いている。そして歩道は非常に暗い。人通りは非常に少なく、車だけが大量に通り過ぎて行く。
非常に前向きな感情を損なわせる道をとぼとぼと3人歩いて行く。
3人の頭の中にあるのは「多分道を間違えている。」という警鐘。だが、口をついて出るのは「もう少し行った所かな?」
とか「わかりづらい場所だって書いてあるもんな。」という欺瞞。
それでも30分以上歩き続けて、銭湯の気配が感じられないとなればさすがに「このままでいいはずがない。」という
感情が芽生える。
元来た道を引き返し、広大な集合住宅の敷地内を探してみる事にした。
そこでもまた30分近く端から端まで、時折住民にちらちらと見られながら、探して行く。
3人の頭の中にあるのは「多分地図がおかしい。」という権威への疑問。だが、口をついて出るのは「この辺のはず
なんだけどな。」とか「わかりづらい場所だって書いてあるもんな。」という見果てぬ夢。
そして思い余って、地域住民らしい中学生風の3人の少年に道を聞いてみた。ここは俺がかっこよく韓国語でと
いきたかったが、何を言えばいいか全くわからず、賢い坊ちゃん達は英語ができたので、英語。
韓国少年達は、ここじゃなくてかなり反対方向で歩いては行けないと思うよ。と親切に教えてくれたので、ここを
去る事にした。
すぐさまタクシーを捕まえた俺達は運転手に「無敵」を見せ、「海母水」のある場所までタクシーで走る。
タクシーが向かうのは、地図を見る限り想像だにできなかった方向だった。
3人の頭の中にあるのは「もう行くのやめてもいいんちゃうか?」という諦観。だが、口をついて出るのは「あの
少年達に道を聞いて正解だったな。」とか「あのまま迷い続けんで済んでよかったな。」という第三者には言えない
自画自賛。
タクシーは10分強だろうか、走り続けて先程さまよっていた場所すらラスベガスに見えるぐらい、うら寂しい
場所に止まった。
そしてふと見ると、半地下になっている建物の入口と看板らしきものが見えた。
着いた。とうとう到着した。
ところがその建物、どこからどう見ても人の気配はなく、看板にも明かりは灯っていない。
「海母水」は営業を停止していた。
それも何日とか何ヶ月というレベルではなく、潰れてから何年か経っていると思われるほどに、その建物は
朽ち果てていた。
3人の頭の中にあるのは「誰が行こうなんて言い出したんじゃ、こんなとこ。」という責任放棄と「潰れたなら
潰れたと書いとけや、ボケが。」という毒舌。だが、口をついて出るのは「ありゃー。」という奇声とか「無敵は
改版してないからなー。」という必要のない同情。
こうしてのべ2時間近くに及んだ俺達の遺跡観光は幕を閉じた。
だが俺達の長い夜は終わった訳ではなかった。(つづく)。
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