● オマーンの場所
日本からの直行便はなく、今回は関空→シンガポール→ドバイ→マスカット。
出国:99.1.15
帰国:99.1.24
● 行った所
マスカット
ワヒバ砂漠
バフラ
ニズワ
アル・メスファ
ジャブリン
● 航空会社
シンガポール航空
ガルフエアー
エミレーツ航空
● 目的
アラビア半島に行く。という事だけ決めて、地球の●き方「アラビア半島編」を購入。
イエメンが非常に魅力的で、一度はイエメンに決めたのだが、休みの日程と飛行機の便
がうまく噛み合わない事と、日数的にも足りなさそうな感じだった為、断念する事になり、
再度第2候補を地球の●き方で探す事に。
本に載っていた国の中で、自分が一番イメージの湧かない国を目指してみようか。
・・・オマーン。
本人が観光目的であんまし行かない国には何があるか。それを見に行こう。
オマーンの人達には失礼な話だが。
1日目
関空−シンガポール
乗継ぎの都合で初めて立ち寄ったシンガポール。
今シンガポールに行けと言われても、タバコ1本持ち込むのにも
税金がかかるような国はお断りだが、この時はする事があった。
それはG−SHOCK探し。今もG−SHOCKは好きだが、この頃は
少し熱狂的なコレクターとして旅に出る度に海外限定発売Gを探していた。
丸1日時間があったので、デパートから裏通りの時計屋までくまなく
Gを求めて歩き回り、1日で3本も購入していた。
旅の始まりから何をしっかり散在しとんねん。である。
今から思うとそうなのだが、当時は欲しかったものを購入できた喜びに
打ち震えていた。
2日目
シンガポール−マスカット
ドバイ経由で首都マスカット到着。ぶどうのマスカットは
ここ原産という噂があるが本当だろうか。
空港から町に向かって荒涼とした道を延々と走って来て、町の入口が近づいた時に
目の前にいきなり海が開けた。何だか別の星に来てしまったような印象だった。
この時の不思議な感覚は一生忘れないだろう。
この瞬間だけでオマーンまでの旅費に価値があったと思った。
ところが、いきなりトラブルは発生した。
空港から町までは、タクシー以外の交通手段がなかったのだが、そこで安易に
タクシーに乗ったのが失敗の素だった。
タクシーの運転手に「7」と言われ、7ドル?と確認して向こうが
そうだと言うから乗った。はずだった。確認したにも関わらず、降りる時になって
7リアルだと運転手が言い出した(約3倍)。
トルコの嫌な記憶が蘇った。外国のタクシー運転手はこういうボリ野郎が多いのか。
面倒くさいが、きっちり相手にも嫌な思いをしてもらおうと、7リアルを運転手の顔に
叩きつけるように投げ付けて、車のドアが外れそうな勢いで閉めて、その場を立ち去った。
くそオマーン人が。とオマーン人の第一印象は最悪だったが、実はこいつはオマーン国民
ではなかった事を後で知る。
背後で奴が何か言ってたみたいだが、振り向かずに立ち去った。
マスカットの町はいくつかの地域に分かれていて、その内の1つ、海沿いのムトラ地区の
ホテルに泊まる事にした。チェックインして窓から外を見ると、やはり何だか別の星に
来たような感じがした。それは日本人が感じるイスラム圏に対する異国感とも違う、
うまく説明できないが、言うなら異星感か。あ、SF映画の撮影ができそうな雰囲気?・・・
意味不明。後で地球の●き方を読むと、マスカットはSF映画の舞台のような雰囲気、ってな
事が記載されていた。ぱ、ぱくってないよー。
イスラム教の断食月、ラマダン終了間近のまっ昼間に到着した為、食べ物を売ってる店など
空いてるはずもなく、かなりの空腹状態ではあったが、じっとしてても腹は埋まらんし、
とりあえず、ホテルでちょっと休んだ後、街中に出てみた。
人がいない・・・。
車はちょびちょび通っているが、歩いている人が全くいない。歩いても歩いても誰に
も会わない。
こんなSFチックな町で俺1人。
理由は全くわからんが、段々妙に感覚が鋭くなってきて、道沿いの家の中にいる人の
気配などが感じられるようになってきて、歩いている間中、鳥肌が立っていた。
とても怖くなってきた。これは本当に怖い。近くに人の気配がしてるのに姿が全く見えない
感覚というやつは。こんな感覚が生まれたのは、今までの人生の中ではこの時だけだ。
SF映画で見知らぬ惑星に不時着した主人公とか、無人島に漂着した主人公とか、
変な洋館に入ったホラー映画の主人公、っていうのも最初はこんな気分なんじゃ
ないのか。・・・違うかもしれん。
ところがしばらくこの状態が続いている間に、鳥肌は立ったままで怖さが一段落
すると、今度は、この星には自分1人しかいないような錯覚、何をやっても誰も
見てない事が快感に変わりつつあった(ちょっと突き抜けてしまった状態)。
普段なら撮れそうにない場所の写真を撮りまくる(ここには載せないが。)
しかもウォークマン片手に町を歌いながら歩いている。
一線を越える事の恐ろしさを知る。
日が沈みかけてきて、このままだと発狂しそうな気がしてきたので、とりあえずホテルに帰る。
と、帰り道で第一通行人発見。最初にここで人とすれ違った時も怖かった。
ここでこの人に何されても誰も見ていない。逆もあるか。こいつ、殺せたな。
ホテルに戻って休憩し、心を落ち着けた。外が暗くなってきていて、ふと外を見ると、さっき
までの事が現実じゃなかったかのように、人がわらわら現れていた。日没とともに断食が
終わるというのはこういう事だと体で感じていた。
店も開き始めたようで、完全にに日が沈んだ後、再度外に出る事にした。かなりの人出。
市場も開いたのでふらつく。みんな人はよさそうだ。
市場で「TINTIN IN OMAN」なる大胆な文字と何故か可愛い男の子の絵が描かれた
Tシャツを発見した。一度声に出して「ち、ちん・・・」と読んでみた後、土産用に即買いした。
日本に帰ってきて1年以上が経った頃、Tシャツに書かれている男の子が「タンタン」という名前で、
フランス生まれか何かの有名なキャラだという事を知る(元々日本人以外には、大胆でも何でもない
のだが。)。京都限定舞妓キティなどと同じレベルの事柄とわかり、ちょっとがっかりする。
但し、このTシャツ、日本の町中で着て歩き回れる人間はいないだろう。
夕食はホテルの近くで羊バーガーを買った。これが気に入って日程中に何回も食った。
3日目
マスカット
起きると日が上っていた。という事はもう部屋の外でものを食う事はできない。
という事で、部屋で前日に買っておいた菓子を食う。
外国人異教徒はラマダンを守っていなくても許されるらしい事は、本に書いてあったが、
現地の人達と同じペースで生活してみたかったので、そこから日没まで一切食わなかった。
と、かっちょつけた事を書いてみたが、実は元々1日何も食わなくてもあまり気にならない。
ホテルのベランダに出ると、魚市場らしい所に朝は普通に人がいる事を知る。
朝は日が上る前に食った朝食が活きているのだろうか、オマーン人達がてきぱき働く姿が
見られた。でもこの人達もオマーン生まれではないらしい事を後で知る。
朝焼けというのだろうか、朝日が不思議な色で、周りもその不思議な色に染められていた。
その風景が俺の描くアラビアど真ん中だったので、すかさず写真を撮ってみる。
ここでうっかり日付が入ってしまってる事に気づいた。ここまでの写真には全て日付刻印済。
日付が入ってるからどう、って事はないのだがこれ以降は消す。
本当にラマダン中に行ったという証明にはなるな。
この日の課題は旅行会社を探す事。この国で何をするか、どこへ行くかを全く何も決めていなかった
ので、現地ツアーを探したり、見所を教えてもらったりする為だ。
早いことそれを探して行動しないと、この町で毎日ぶらぶらするだけで終わってしまう。何日ものんびり
過ごすという雰囲気の町ではないような気がした。
乗り合いバスに乗って商業地区ルイまで出かける。マスカットの各地区は地区同士が
微妙に離れていて、歩くと結構遠いので乗り合いバスが一般的である。スリなどいて
危険か?と思ったが、乗り合いバス(ヴァン)には、どの車もスリでも手を動かせないんちゃうん?
と思うくらい、人がぎゅうぎゅうに詰め込まれていく。俺もそのぎゅうの仲間入りをした。
ルイに着いて適当に歩き始めると、午前中は人も多く食べ物関係の店以外は開いていた
(ケンタッキーすら開いてなかった)ので、旅行会社は棚上げにして、町をうろつきながら
性懲りもなくG探し開始。イスラム圏と中南米はカシオの時計が多いのでGが探しやすい。
シンガポールで既に3つも買ってるのに、もう1つ買っているアホがいた。本当にはまっていた。
ものを食える所は開いていないという事は、休憩を取れる場所がないという事、喫茶店もあるかはわからんが、
きっと開いていない。高級ホテルのレストランは開いているという噂だが、そこまではなー。
歩き疲れたら、街中の縁石などに座って休憩して、午後からは旅行会社へ向かった。旅行会社はちゃんと
開いていた。
旅行会社でこの国の見所をいくつも紹介されるが、公共交通機関がろくすぽなく、自力では行けない為、
現地ツアーにいくつか参加する事に決めた。
4日目
マスカット
ラマダン最終日。ラマダン中なのでツアーが出ていない為、この日もマスカットをふらつく。
でもこの日でラマダンは終わりだからか、日中でも買い物客の姿が結構多かった。
だが、あまりする事もなく、午後はホテルでのんびりしていた。
そして日が沈んだ後、大砲?のような音が聞こえてきた。これがラマダン終了の合図なのだろうか。
夜、少し市場に出かけてみたが、前日までとは打って変わった町の様子、特に近隣住民のハイテンションぶり
が怖かったので早めにホテルに戻る。
外では夜中まで音楽と喧騒の音がしていた。