5日目
ブカレスト
早朝に出る列車に乗り、再度ブカレストに戻る。時間を無駄にする訳にはいかないので 前回と同じホテルに直行した。

名前だけが国民の館 ルーマニア人民の頂点に長年居座り続けた独裁者チャウシェスクが、国民の血税で作り上げた自分の為の 見栄張り御殿「国民の館」。

建物の大きさに圧倒される。気温の低さではない寒さが体を震わせる。独裁者の欲望というのは、ここまで 際限なく深くなるものなんか。日本で一番大きいビルをフロアごとに切り取って並べても、ここまででかくは ならんとちゃうか。という位の窓の数が見える。
今はわからないが、当時世界で2番目に総床面積が広い建物だったらしい。 1位はアメリカのペンタゴン。どっちもどっち。

俺が行った時は廃墟になっていて、中に入る事はできなかった。今は見学できるという噂も聞いた。 どうせあるのなら有効に活用できればいいのにと思った。

でもこんな税金の無駄遣いな建物は日本にもあるよな この周りは、こういう雰囲気のでかい建物で埋めつくされていた。
チャウシェスク夫妻に都合のいい官僚達を住まわせる為の公舎になる予定だったらしい。 ここも今どうなっているのかは、とても気になるところだ。

気になるといえば、日数が限られてきた事もあり、この旅の裏の目的も大変気になり始めていた。
ルーマニアに存在するという幻のデザート探索。
その名は「パパナッシュ」。

できたのか?ヒルトン 当時(当時が多いが)何かの雑誌に、ティラミス・パンナコッタの次に日本でブームを 巻き起こすのはこれだ。と紹介されていたのが、ルーマニアンデザート「パパナッシュ」だった (結論としては幻のまま終わったね。)。

聞いた事ない?嘘じゃないもーん。ちゃんと雑誌で 見たもーん。何の雑誌かは記憶にないが・・・。

地球の歩き●によると、チーズと粉と卵をブレンドして揚げた甘みの少ないドーナツに、 サワークリームとチェリーのジャムをかけて食べるというもの。
文章とガイドに載っていた写真とでかなりやられていた俺は、初日から実は食事の度に店の人に パパナッシュはありますか?と必ず聞いていた。ブラショフの中華料理屋でまでも聞いていた。
ところがどこにも置いてなくて、頭の中85%ぱぱなっしゅーっとなっていた。

これぞ中欧 一旦パパナッシュは置いといて、国民の館と外気で二重に寒い思いをしたので、 室内に入りたくなり、近くにあるデパートへ。
ここでも社会主義を体験学習。
まず昼間なので、照明がついていない。エスカレーターは上りだけが動いていて 下りは、終電後の駅みたいにトントンと歩いて下る。

そして、1Fには何があるのかなーと1Fの売場を覗くと、並んでいるのは水道の蛇口と 造花、そして何故かつるはし?ここはホームセンターか?
(決してルーマニアの事をバカにしてる訳ではありません。念の為。ルーマニアもこういう時期が あったのよという歴史のお勉強って事でひとつ。)

さすがに売行きがよくないのか、店員達もすっかりおくつろぎのご様子。雑誌を読んだり、 音楽を聴いたり、編み物をしてる人だっている。しかも編み物は結構はかどってる。

ここでルーマニアのデパートでの買い物の仕方を教えよう。
ひょっとしたらルーマニア独自の方法ではないかもしれんので他の国でも使えるかも。
@ 欲しいものを発見したら、くつろいでいる店員に遠慮がちに「これが欲しいんですけど」と言おう。
A 店員がわら半紙の切れ端みたいな紙に、何かを書いてびりっと破ってくれるその紙を受け取ろう。
B それを持ってレジに行き、ここでもくつろいでいる店員に遠慮がちにその紙を渡してみよう。
C レジ店員から金の請求があるので、言われた金額を支払いレシートをもらおう。
D 再び売場に戻り、再度くつろいている店員に遠慮がちにレシートを渡して商品と交換してもらおう。
だる。
というか、俺はここで何が欲しくなって、この手順で買い物をしたんだろう?
俺、つるはし買ったっけ?・・・蛇口か?

独裁者の最後 この何を買ったらいいかわからない閑散としたデパートで、1ヶ所行列のできているところを発見。 近寄ってみるとスピード写真の機械だった。そう。日本だと駅前とかスーパーの横とかによくある 身分照明の写真を撮るあれである。

そんなにみんな、身分を証明したいのか。それが社会主義か。と様子をうかがってると、1人でなく 複数で撮ってる人達が多い。 なるほど、これはこの国でいうところのプリクラなのか。楽しそうな顔が見れてほっとした。

ろまーんてっく 付け足しみたいだが、上の建物は旧共産党本部で独裁者チャウシェスクが最後の演説を行った場所。
建物の前には、反抗する民衆に奇襲をかける為の地下トンネルの出口とやらがあったらしい。 確認はできなかった。

近くには、独裁者の時代が終わって何年か経っているのだが、まだ銃弾の跡が残ったまま 放置されている建物があった。
初めて見た銃弾の跡。
また外気のせいだけでなく、無性に寒気がした。

日が暮れて、夜の闇にそういうものが紛れていって、かわりにライトアップされた建物の姿が 浮かびあがってきてほっとした。
・・・夜になると激冷え。だけども最終日なので頑張ってもう少し寄り道をしよう。

劇場 ブカレストの夜は暗い。建物はライトアップされているが、街灯が少ないのか電球のワット数が 小さいのか、とても暗く感じた。これでは強盗に襲われても目撃者無しだな。

ホテルへの帰り道、市場のようなスーパーマーケットのような平屋の長屋の建物に入ってみる。 やっぱし品揃えが少ないな。食べ物も、既製品より各店舗の人達が手作りしたものが多い。 それは悪い事ではないが、やっぱし手作りな分、色は地味め。 そこであえてルーマニア製の既製品の菓子をいくつか買って帰る。

そして、これもあんまし使い勝手のよくない、路面電車?トロリーバス?に乗ってホテルの 近くまで。体が凍る前には帰る事ができた。

朝の公園 6日目
最終日
ブカレスト
朝、泊まっていたホテルで朝食を取る。バイキング形式。
真っ先に、でもあきらめ半分でデザートコーナーを覗くと、そこには、ぱ、ぱぱなっしゅー (人間性を疑われそうだな、これ。)。
本で何度も確認した姿がそこにあった。
パンや肉は当然のようにそっちのけで、テーブルに持って帰る。そしてデザートのお供には紅茶だね。 気持ちを落ち着けていただきまーす。

あああ。
チェリージャムはまあよしとする。サワークリームは原因不明のオイル感、ドーナツは外しっとり 中もしっとり、チーズの風味は行方不明、そして粉が粉のまま残っている部分あり。
人生には知らない方がいい事が絶対にある。

何故かいきなりデザートを食い始め、デザートを8割がた皿に残したまま、パンとソーセージ、 スクランブルエッグを取って来てばくばく食い始める黄色人種。
周りの人達は、何だこいつ?と思った事だろう。これが理由なら日本人が差別されても仕方ないと 思う。おそらく作ってから何時間(又は何日)も経ってしまって味が落ちたか、このホテルの コックが下手くそなのだろう。
しかしパパナッシュ熱は嘘のように消えた。そして2度と戻ってこなかった。
そしてパパナッシュが華々しく来日する日もついに来なかった。

どういう結果であれ、ルーマニア訪問の目的は全て達成した。
次の国ハンガリーへ行こう。空港へ向かう為、タクシーに乗る。

ん?何で俺は車の中なのに三角座りなんてしてんだ?あ、この助手席、床に直接座布団とか 敷いたような状態になってるからか。いかにも古そうな車だもんな、それ位は仕方ないよな。 シートベルトがないのも仕方ないよな。ワイパーが片方なくて、もう片方も通常ありえない 方向に曲がってるのも、仕方ないよな。
でも、走ってるのに速度計の針が全く動いてないのはどうだろう?


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