どらくら 4日目
ブラショフ−ブラン城
実在したドラキュラ伯爵の住んでいた城、ブラン城へ向かう。
バスに乗って城最寄のバス停まで行ったのだが、一大観光地のはずなのに観光客1人 いやしねえ。降りたのも俺1人、城の前の土産物屋も1軒たりとも開店してない。 何の音も人の気配もなく、辺りは静まり返っている。どういう事?かなり不安に襲われる。

バス停の周りは雪が積もっていた。誰も歩いた跡がなく、それはちょっと嬉しかったが、 肝心の城自体の営業がやっていなければ話にならないので目的地へと急ぐ事にする。

どらくら城内部 城の入口に人がいたので、営業をしてるらしい事を確認できた。チケットもその人物が売っていた。
早速中に入ってみる。中にも客は1人もいない。中には昼寝るのに使った棺桶とか マントとかそういうおどろおどろしいものがあったりして、城の中も日光が差し込まないように なってたりとかするかと思っていたが、中に入ると一面メルヘンチックな造りとなっていた。
あれ?こんなはずじゃ・・・。

ドラキュラ伯爵という名前の人物は実在したようだが、吸血はしていなかった模様。
普通に城として見ればなかなかよさげで、なんなら住んでもいい位。冬のこの寒ささえ除けば。

気温は−20℃程。
城内でトイレが確認できなかったので、城を出てすぐの路上で立ち小便をすると、水が落ちたそばから 地面で凍り始める。滝登りされては困るのでとりあえず急いで済ませる。

−20℃ ブラショフの街に戻ってきて、とりあえず遅い昼食を取ろうと思った。 寒いけれど天気がいいので爽快な感じで歩いてレストランらしき店を色々のぞいた。 ふと1軒の店に目が止まった。

中華料理屋。
名前は忘れたが、北京飯店。みたいなそのまんまやん的名前だった事は うっすら記憶している。
やっぱし中華料理屋は、世界中どこにでもあるんだなと感心した。
以前行ったポルトガルでの中華料理屋のいい印象があった為、迷わず店の門をくぐる。
だが、よく考えたらこの土地に中華料理屋はおかしかった。黄色人種を見るのでさえ 初めてな人が多いのに、中華料理。
とにかく店内に入ってみる。・・・。
何故外はいい天気なのに、中は薄暗い?そして中華らしい雰囲気はみじんもない装飾。

その時は何も気づかず、気楽にセットメニューを注文した。
大皿が1枚出てきて、中央にご飯、周りに5種類程のおかずが盛ってあった (この時点で中華の技法ではないような気がした。)。
ここでこの店のいけなかった点を整理してみよう。
@店員が地元のおばさんだった。
A厨房から地元のおじさんが出て来た。
Bそして2人共、黄色人種の俺を見て若干固まっていた。
Cカレーは本来は中華料理ではない。
D酢豚にイチゴジャムは使用しない。
(厳密には彼が用いたのはイチゴでなく、何とかベリーだったと思うが、 それはここでは大した問題ではない。)

ブラショフ展望 それでも酢豚以外は残さず食って、腹がいっぱいになったので、再度観光を開始する。
寒いので外を歩きまわるのは1回につき30分が限度で、その都度茶店に逃げ込みながら観光。
探している食物があったので、その探索も兼ねていた。

高台のブラショフの町を見渡せる展望台へ。
ここでは何と観光客がいて、丘の上に上るロープウェイは俺以外に3人の乗客がいた。こいつら何者だ? 写真右端の近代的な建物2棟の内、左の建物が泊まったホテル。
この大きさで判別は無理か。無理やんな。

さて右上の写真は立入禁止の場所で撮った。 ロープウェイが上がってきたら、激突するのは間違いない場所。証拠に写真の中央部に 縦線(「ロープ」ウェイ)が見えるでしょ? 人が見てなきゃモラルなんてないのさ。
全く問題ねー。
その後、もう一組の観光客らしき人達もそこから写真撮ってたし (俺が悪の引き金か?)。

黒の教会 丘から降りて、黒の教会という名前の教会に向かう。丘の上からもひときわ目立っていた その教会、名前からすると悪魔信仰とかそういう邪悪な信仰の匂いがする。中に入ると、 うら若き乙女を生贄に怪しい儀式をしてるかもしれん。注意せねば(ばか)。

ここはいい教会?悪い教会?
答:いい教会(多分)。
近寄ってみると、名前から来る先入観で威圧される気がした。ぱっと見も黒い。
というよりもぱっと見が黒いから黒の教会?それなら黒色の教会だろーが。
少年よ、大志を抱くべきか私に聞かれても困るよ。 黒の教会の周りを一周してみる。
誰?
現地では有名な人なんだと思うが、・・・クラーク博士?
ガイドブックを読めば絶対書いてあると思うが、面倒くさい。
クラーク博士はルーマニア出身。そういう事で。

その後は周囲の人達の変わらぬ熱い視線を浴びながら、色んな所を歩き回った。 普通のブラショフ住民の家々も見て回る。結構みんなでかい家住んでんのよな。 これは社会主義のせいか?具体的にその発想の根拠を求められても、答える事は できないが。この国では不思議な事は全て社会主義の影響という事にしていた。

日が沈んできて、一気に体感温度が下がってきたのでホテルに戻る事にするが、 2晩連続で王宮の晩餐会みたいな場所で食いたくないので、 かつ中華料理ではない食事をしたと思う。 ただ、ここで何を食ったのか全く覚えていない。
ルーマニア料理?
とにかく早めにホテルに帰って、全く意味のわからんルーマニアテレビ番組を観賞。


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