● トルコの場所

日本からの直行便もあり、今回は成田→イスタンブール。

出国:94.3.08
帰国:94.3.14

● 行った所
イスタンブール
カッパドキア

● 航空会社
トルコ航空

● 目的
イスタンブールに漠然と憧れのようなものを抱いていた。
ヨーロッパとアジアにまたがる国、イスラム教の国、世界3大料理の国。
何よりもその時「深夜特急」を読んでいて、その影響が大きかったと思う。
今となっては、あのわくわくしていた気持ちを返せ。金も返せ。という感じだが。
正直に告白するが、今まで行った国の中で「2度と行きたくない国」第1位。


1日目
イスタンブール
夜マドリッドからイスタンブールに到着。空港でリコンファームだけ先に済ませ、 ホテルで寝るだけ。

ポルトガル帰りには応える寒さ

2日目
イスタンブール−アンカラ−ネブシェヒール
アンカラを経由して一大観光地カッパドキアの出発点となる町、ネブシェヒール到着。 町のホテルを取り、現地ツアーを手配しようととある旅行会社へ。
その旅行会社のスタッフは全員若者で少し嫌な予感はしたが、ツアーを聞いてみる。

兄ちゃんが3人と姉ちゃんが2人ほどいたのだが、兄ちゃんの内、2人は間違いなく 友達にはなりたくない胡散臭い印象。百戦錬磨を顔に書いたような立て板トークのえせガイド。 もう1人は一番英語が不得意で、見習い風なのだがその分誠実そうな気がした。 姉ちゃん達は働きに来てんのか遊びに来てんのか分からんほど働かない。 爪塗ったり、電話で明らかに友達と世間話してる。トルコ語が全くわからん俺でも見破れた。

僕のカッパドキアを紹介します。

着いたのが午後だったせいか、その日のカッパドキアツアーはもうなく、兄ちゃん達と 茶を飲みながら延々と話し込み、気が付くと彼らが出前で頼んだ夕食を一緒に食っていた。

と、そこへその日の1日ツアーを終えた一団が戻ってきたのが、驚いた事に日本人の若者ばっかし 10数名。最初は全員同じ団体旅行に見えたので、特に話しかけもしなかったのだが、ガイド君に 明日はこの人達の何人かと一緒だよ。と言われ、こんにちは。と挨拶をする。 何故か驚いた顔をしている奴がいた。
結局、この10数人はユニットではなくバラ売りで一番人数の多いグループでも3人組だという 事が判明。その内何人かはこの日にこの町を発つという事で旅行社を去り、残った何人かで引き続き 夕食。

その内ガイドの兄ちゃん達が盛り上がって来て、俺の部屋で酒を飲もうと言い出した。 いいのか?イスラム教徒。と思ったが、向こうがいいと言うのならという事で、狭い部屋に10人 近い男達がぎゅうぎゅうで酒を飲む。
話していると日本人サイドから俺がこんにちはって言うまで日本人じゃないと思ってた。という 意見が多数出た(この後注目)。英語ぺらぺらでガイド達と楽しく飯食ってるから、日系の人か 日本人でもこの旅行社の従業員かと思ったと言われた。

英語ぺらぺらで。ぺらぺらではない。笑ってたのもその時たまたまで、それまでは意志の疎通に四苦八苦 していたのだが、人の見方というのはわからんもんだ。その事実は伏せておいた。

縦長くしてみた 3日目
カッパドキア
カッパドキアの見所は、何と言ってもキリスト教徒が迫害された時代にこの地方に逃げ込み造ったという、 岩山をくりぬいてある住居や、広大な地下都市。いくつか町があるのだが、この日にどこへ行ったかは忘れた。 が、地下10階近い多層構造の地下都市は行ってみる価値は十分あった。ここで置いてけぼりにされたら 確実に死ぬな。そして発見されるのも何年後になる事か。

この日のツアーでは、同じ関西在住のI君、SZ君、SP君の3人と一緒にいた。 SZ君とはこの出会いが縁で、後のシリア・ヨルダン旅行に2人で出かける事になる。

この日のガイドは・・・、先程の発言を訂正。この旅行会社にもおやじがいました。名前はサミ。 このおやじ、関西弁で言うところの「しょうもないことしー」という言葉がぴったしあてはまるおやじ。 しかも始末の悪い事に日本語が結構話せる。

何やかんや言っては、俺達の背中を気付かれないように後ろから小突いたり、寒いトルコジョークを言ったり (誰もわかんねーって)、暗い所で大声出して脅かそうとしたり、地下都市の中で転んだフリをしたり、 と大活躍。関東の子達がみんなドン引きなってるぞ、少し落ち着け。

このラクダの前で写真撮った。ダブルラクダ。 日程中、唯一気に入らなかったのは絨毯工場。
トルコのツアーには付き物なのはわかるが、今日のツアーの参加メンバーは20台前半の男ばかり。 だれが絨毯など買うんさ?

それでも誰か買うまでは外に出さない。という雰囲気を醸し出す絨毯工場の従業員達。 紅茶を出し、最小から最大までありとあらゆるサイズの絨毯を出し、猫撫で声から、これを買わないと 死ぬまで後悔するという訳のわからん脅しまで、ありとあらゆるセールストークを繰り広げて俺達を軟禁して くれた。

それが1時間近くに及び、慎み深い日本人でもキレる時はキレるぞ。という位、日本人全員の目付きが 危なくなってきたところでさすがに解放された。

その日の夜、イスタンブールへ発つI君、イズミールに発つSZ君・SP君をお見送り。 日程が合えば、3日後の夜イスタンブールで会おうという約束をして別れた。

シメジ系 4日目
カッパドキア
現地ツアー2日目。ガイドは変わらずサミ。しかしこの日のメンバーはこんなに1日で変わるもんか? 日本人は俺1人、残りの10数人はドイツ・イギリス・フランスなどヨーロッパ多国籍軍他。

妙に寂しくなった。前日はあんなに日本語オンリーワンだったのに。
ツアーメンバーとも少し話をしたが、そもそも英語圏じゃない人も結構いて、意志の疎通が大変困難。 という事で、今日は甘んじてサミのツッコミ役を引き受ける事に・・・。 ヨーロッパ各国の人達は心の広ーい人達、サミのどうみても苦笑も出ない立ち振る舞いに 寛大にも笑ってやってるよ。結構笑いのハードルは低いのか?ヨーロッパ。

いや、どうやら笑われてるのはサミじゃなくて、サミに色々やられて困り果てている俺の様子が笑いを 生んでるような感じだ。その証拠に困った人に好かれちゃったわね。なような事を言われた。 それから俺も旅行会社の一員だと思っていたイスラエル人、俺はツアーを盛り上げる為のサクラじゃない からね。あと、サミと昔からの友達なの?と聞いたイギリス人のご夫婦に初対面は昨日だよ。と説明したら 驚いてた。そもそも友達じゃねー。

極寒 何故かこの日のツアーは上の写真のような奇岩、地下都市はちょびっとだけで、後は延々この見るからに 寒々しい谷底の川沿いをひたすら歩いたり、よくわからん遺跡に連れて行かれたりと冴えない感じだった。 旅行会社の責任者はこのツアーの主目的は何か、400字詰原稿用紙10枚程度にまとめて提出しろ。
当然この日も絨毯工場に寄る。しかも前日とは違う工場。一体いくつあんねん? しかしヨーロッパ人が絨毯を快く購入しちゃったりしたので、軟禁されずにすぐ解放される。

ところがこの日は俺1人だったせいか、サミが俺にしつこく絨毯どうだ?絨毯どうだ?とうるさい。 ツアーが終わったら他のもう少し安い絨毯屋を紹介するとかよー。 朝から夕食はうちに食いにおいで。と言ってくれていたのだが、あまりにもうるさくてキレたので 夕食の誘いも断ってしまった。しょげていたサミ。ごめんな。でも絨毯はいらない。

景色は素晴らしいが 何か醒めたていた。何に?大きく言えばトルコ人に。絨毯絨毯うるせー。
トルコの絨毯は質が高いのかもしれんが、何故そんなに絨毯?
しかもサミがこっそり教えてくれた。日本人は1m四方程度の絨毯をよく買うけれど、その程度の 大きさのものはトルコでは全く価値がないと見なされていて、トルコ人は誰も買わないよ。と。
サミにしてみればそのセリフで俺に大きな絨毯を買わせたかったようだ。

でもしたり顔でこれ位の大きさなら質が高くても値段は手頃ですよ。とどこの絨毯屋も奨めてるやん。 それはまっとうな商売じゃない絨毯屋って事か?そしたらまっとうな絨毯屋はトルコのどこで営業して いるんだ?おそらく日本人が観光に行かない町にいるんだな。

部屋に敷かなくても壁にかけても素晴らしいよ。と言うが、6畳サイズ以上の大きさの絨毯を壁に かけられる家に住んでる日本人が人口の何%いるか知ってるか? 日本人イコール金持ちという発想が飛躍しすぎだ。

その日の晩、ホテルのレストランで夕食を食ってると若者達に囲まれた。そのジャンパー格好いいね、 着させてよ。やって。
いいよ、好きに着な。でも目当てはジャンパーじゃなくてジャンパーのポケットに入ってるかもしれん 金だろ?
みんなで回し着してる途中で誰も彼もが何でかあちこちのポケットに手突っ込んでるやん。 それもしっかり見えてるし、ジャンパーのポケットに金なんか入ってないし。金は全てその下に 着てる上着とズボンのポケットの中。残念だったな。


旅の記録目次へ

トルコAへ