イスタンブールの日暮れ 5日目
カッパドキア−アンカラ−イスタンブール
後味の悪いままカッパドキアを後にして、トルコの首都アンカラに向かった。 アンカラで1泊した後でイスタンブールに戻るつもりだったが、アンカラは あまりにも無機質で何もなさそうな感じが伺えたので、ダメ元でトルコ航空の オフィスに行って、明日のチケットを今日の便に振替えられるか聞いてみた。 変更料金もなく、やけに簡単に変更できた。
ので、イスタンブールに戻る。

無理矢理色々詰め込んだ 今回の変更は成功だったような気がする。有名な寺院アヤ・ソフィアが部屋の窓から見える 絶好の立地のホテルに宿泊。

イスタンブールに着いた時には既に日は暮れかかっていて、ホテルにチェックインした頃には もうとっぷり日は暮れていたが町に出る。夜道を1人で歩いても問題なさそうやったし。 橋を渡ってヨーロッパ側からアジア側へ行き、新市街と呼ばれる地域へ。特に語るべき ものは何もない。
が、道を歩いているとどっかで見たような3人組が。カッパドキアツアーのメンバーだった。 トルコは広いようで狭い。

そして、その後見てはいけないものを見たような気がする。
新市街にがっかりした後、またヨーロッパ側の旧市街に戻って来て、晩飯をどこで食おうかと 店を探してある道の曲がり角を曲がった途端。おうっ。あれ?
俺とぶつかりそうになったのは、カッパドキアの旅行会社のガイド君だった(サミではない、 怪しい若者2人の内の1人)。

ちょっと笑顔で手を挙げてみたのだが、向こうもおー。とは言ってくれたのだが、妙に緊迫 した様子だったので、そのままじゃあと立ち去ろうとした。
じゃあ。の「じ」のあたりで、奴は猛スピードで走って夜のイスタンブールに消えた。 その後、怪しげなおじさん達が何かを探すようにきょろきょろしながら俺とすれ違った事から 見て、奴は間違いなく何かの理由で彼らに追われていたのだと思う。俺は結構人を見る目がある。

何か写真に黒い影 6日目
最終日
イスタンブール
この日の夜、予定が合えばI君達と会う予定だった。 朝早めに起きて、ホテルを出て歩く事2分。そこにSP君とSZ君が立っていた・・・。 イスタンブールは狭い。どうやら2人は俺とI君に会う為に早めにイスタンブールに 戻ってきてくれたようだった。

彼ら2人と同じホテルに泊まる事にした。バックパッカーズのホテルのトリプル部屋。室料は史上最安値の 1人約350円。この記録は未だに破られていない。
本日の素晴らしいホテルを決めた後で3人で観光開始。まず最初に向かうのは海から第2 ボスポラス大橋。 あなたの風はどこから?私は海から。 海は決してきれいとはいえない程度の色だが、海から見るイスタンブールはエキゾーティック感が 満載。あー、旅に来た。この船は正解だった。この風景は深夜特急にも書かれていた風景。帰ったら もう一度読み返そうと心に決めた。この本、何回読んだかわからん。
この船では静岡の旅行会社の人(休暇中)とも出会って、4人で行ったのは、城砦跡。

この文章を書くに当ってトルコのガイドブックを探したのだが、見当たらない。 トルコにはガイドブック無しで行ったか、帰ってきてムカついて捨てたか真相は遠い記憶の彼方。 なので行ったのは城砦のようなものの跡。

歩き回れるところが多くて楽しい 感想を言うと、この城砦跡(あくまでこれで通す)を俺はとても気に入って、ぼそっと、ここで1日 ぼーっと座って海を見ながら過ごしたいなー。とつぶやいていた。
SZ君・SP君の2人はえー?という顔をしていたが、旅行会社の人はそういうのいいよな。と 同意してくれた。俺の考えはどうやら実年齢より結構歳をくってるらしい。

あかんかなー。この城砦跡は海沿いに建っていて、その本当に海沿いの城壁の上には階段状の通路が あって、階段状って事は座れるさー。ま、狭い通路やし後ろから来る人には邪魔やけど、海を行き交う 船の音と風の音、そして決まった時間に大音響で流れるお経(アザーン言うたっけ)の音だけ。
色んな事忘れられると思うのだが。彼らは忘れたい事とかないのかなー。俺は日本での事全部。 あと日本に帰ってからしなければならん事も全部忘れてもいい。
とにかく、トルコで俺が一番気に入った場所だった事は間違いない。

この階段が俺を惹きつける ともあれ、この状態から1人居残ります。っていうのもどうかと思うので、この城砦跡から出て、 トプカプ宮殿を見学。

ここは歴代の王の宮殿。で、中にハレムがある。ハレムって何だ?日本でいうところの大奥か。 中には素晴らしい宝物の数々。中でもありがたみの薄れる位でかいエメラルドなんかは結構見もの だった。
いつも疑問に思うのだが、こういう所にはかならず金銀宝石散りばめた王冠が必ず展示 されているが、これ、本当に昔の王達は被ってたのか?不用意に被ってたら、ルパンとかキャッツアイ とか来んで。危ないよー。

見学者用いすではない ハレムも見学をしたのだが、どこをどうありがたがったらいいものか迷う。確かに昔の王の正妃や側室 達がここで暮らしてたのかー。と昔に思いを馳せる事はできるが、隣にいた白人観光客のように いっつふぁんたーすてぃっくー。シャカシャカシャカ(連続するシャッター音)とならない。 この人が女だからか?そして俺が男だからか?はたまたただ単に世界史知識ゼロなせいか? それとももうトルコごちそうさまだからか。理由もわからんが、旅行会社の人も思ったより大した事 なかったな。と言っていたので、特にいい。

悪い子はいねーがー 宮殿を出て飯食った後、何とかモスク(通称ブルーモスク)に行ってみた。
遠くから見て素晴らしいものは実際に行ってみるとがっかり。という事が多いが、ここもある意味 そうかもしれん。シドニーのオペラハウスと同じで近寄って建物のパーツパーツを見ると、全体の イメージと異なったもののように見える。

この頭の部分も夜になったら、足が出てきてがしーんがしーんと町を歩き回ってそうな雰囲気。 悪い子はいねーがー。みたいな。 またはトルコの危機になると伝説のロボットが中から出てくるとか。

今思うと、このモスクが少しがっかりだったのは、当時も現役の寺院で遺跡感が薄かったからかも しれん。

そうこうしている間に夜になり、待ち合わせ場所に向かっている途中の道でばったりI君と出会った。 どうしようか?と立ち話をしていると、I君・SP君がハマムに行こうと言い出した。ハマムは 公衆浴場、つまりトルコ風呂。この言葉でやらしい事を想像した人は結構年配。湯船にサウナまでは 魅力的だったが、問題はあかすり。
俺はマッサージ系統が大の苦手。マッサージとかしてもらうと、翌日よけいに体が疲れる体質。 SZ君もあまり乗り気でなかったので2人でホテルに戻って酒飲みながらくっちゃべってた。
ハマムから戻った2人はお肌すべすべだった。

トルコは2度と行くまいと思っていたが、次回のシリア・ヨルダンの際にトルコ航空しか都合のいい 航空会社がなく、またトルコ経由。しかも乗継の都合でイスタンブールでゆっくりする時間もあった。 今ならエミレーツもカタールも日本に来てるから絶対に選択しない。
その話は、シリア・ヨルダンの所におまけで書くかもしれん。その時も不快な出来事がしっかりあった。


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