−気づかないね。 −気づかないよ。 くすくす。アダムは笑った。イブもちょっとだけ笑った。 おばちゃんは首をかしげた。イブたちが笑ってるのが不思議なんだ。白い服から手が伸びて、注射器を取ってくる。 「イブちゃん、ちょっとだけじっとしててね。」 おばちゃんは、アダムの手を取って言った。 −アダム、ありがとう。でも、いいのかな? −いいよ。俺平気だしっ。 ちょっとだけ涙目になったアダムの『声』が届く。 アダムも注射は嫌い。イブは知ってる。でも、アダムは意地っ張り。イブが注射嫌いだから、意地張って、かっこつける。 「気づかねー方が悪いんだぜ。」 おばちゃんがいなくなると、にかっと笑ってみせた。 「きれいね。こんな場所に行ってみたいわ。」 アダムはしおらしげに言った。巨大なモニタには地下都市の夜景が映っていた。 「イブ、僕は非力で、君を連れて行ってあげることも出来ない、けど…」 若い研究員はそこで言葉を切った。 「けど?」 モニタを見つめていたアダムは、くるりと振り返って小首をかしげた。さらりと銀髪が流れる。研究員は慌てて目を逸らした。 −けっ。緊張してやがる。 アダムの『声』が聞こえる。嘲笑っている。研究員を、私達を。 「イブ、好きだ!」 研究員は、明らかに赤くなったと分かる黒い肌でアダムを見た。アダムは赤い瞳の目を見開く。私は自室のベッドでそれを『見』た。顔が熱くなるのを感じた。 「君は若いしこんな場所だし自分の立場だって分かってる。けど、俺は…」 −わかってねーって。 表情とは裏腹に、冷ややかにアダムは思った。私も同感だったが、冷静ではいられなかった。 アダムは僅かに目を伏せ、寂しそうな声音で言った。紙の様な手をきゅっと握る。 「私は、貴方についていくことも出来ない。」 研究室は地下都市とは独立した地下空間にあった。1時間も地上の光線に当たれば、回復不能な病気に陥ることが予言されていたから、移動は実質不可能だった。人類の90%が黒い皮膚を持つ中、私達は異質なのだ。 体の良い言訳だったが、懸命に告白した相手が私ではないことに比べれば、酷いものではなかったろう。 「ごめんなさい。」 しおらしくアダムは目を伏せた。そして私は、アダムに任せてよかったと赤い顔で思っていた。 ちょっとしたいたずらと、自分達を守るささやかな嘘。あの時はそれが私達の全てだった。 |