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光の道行
09.放物線の翼

「岬だなんて、どういう風の吹き回し?」

 吹き付ける風に、紀子は左手で髪を抑えた。僅かな反射に、俺は目を細めた。

「先輩、せめて前の日に連絡をください。」

 背後から雪下が口を出した。俺は背後を見上げる。目の下にクマを作った雪下が情けなさそうについて来る。

「論文ためてる方が悪い。」
「そんなぁ。」

 まだ何か言いたそうだったが、俺は無視した。

「レンタカーでよかったんじゃないの?」
「俺、ペーパーだぜ?」

 気遣わしげな紀子に俺は返した。言いたいことはわかっていたが、無視することに決めていた。
 先端は切り立ったがけになっていた。レンガ敷きの歩道、手すり、その先はもう海の上だった。俺は手すりにもたれるようにして立ち止まった。紀子はすぐ横に来た。雪下は後ろで立ち呆けているだろう。
 俺たちの目の前で、海どこまでも広く、青い。俺は一度深呼吸した。

「紀子、手出せ。」
「なぁに?」

 不思議そうな顔をしながら紀子は両手を差し出した。俺は紀子の手を取り、左手から指輪を引き抜いた。少しゆるい指輪は何の抵抗もなく、俺の手の中に納まった。

「どうするの?」
「それは見てのお楽しみ、だ。」

 すらりと長い指。骨ばったところのない平。何度も握った手。きれいに夏らしく日焼けしていた。指輪を取ってさえムラ一つない指に、俺は微笑するしかなかった。俺は焼けすぎた自分の手から、同じように指輪を引っこ抜いた。あの頃より、より骨ばった俺の指には、まだらな日焼け跡が残っていた。
 大きさの違う同じ指輪が手の中にあった。俺はほんの僅かの間、それを見ていた。

「…今日、辞令が出た。高給取りに一歩近づいたわけだ。」

 にやり、俺は紀子へ笑って見せた。紀子は指輪を気にしながら、態度を決めかねているようだった。

「紀子。」

 俺は笑みを消す。紀子は何かと問いたげなまなざしを向けてくる。

「愛してる。」

 俺は紀子をまっすぐに見て言った。紀子はしばらく俺の目を見て、そして、目を逸らした。

「だから…」
「えっ?」

 俺は勢いをつけて、二つの指輪を海へ投げた。指輪はきれいな弧を描いて、やがてばらばらに海へ落ちた。

「別れよう。」

 口の端に笑みを浮かべるだけで、俺は精一杯だった。


 俺はくるりと振り返り、国道へ向けて歩き始めた。途中、ぽんと雪下の肩に手を置いた。

「じゃな。」
「先輩…。」

 俺は雪下の顔を見なかった。
 二人は追って来なかった。



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