「岬だなんて、どういう風の吹き回し?」 吹き付ける風に、紀子は左手で髪を抑えた。僅かな反射に、俺は目を細めた。 「先輩、せめて前の日に連絡をください。」 背後から雪下が口を出した。俺は背後を見上げる。目の下にクマを作った雪下が情けなさそうについて来る。 「論文ためてる方が悪い。」 「そんなぁ。」 まだ何か言いたそうだったが、俺は無視した。 「レンタカーでよかったんじゃないの?」 「俺、ペーパーだぜ?」 気遣わしげな紀子に俺は返した。言いたいことはわかっていたが、無視することに決めていた。 先端は切り立ったがけになっていた。レンガ敷きの歩道、手すり、その先はもう海の上だった。俺は手すりにもたれるようにして立ち止まった。紀子はすぐ横に来た。雪下は後ろで立ち呆けているだろう。 俺たちの目の前で、海どこまでも広く、青い。俺は一度深呼吸した。 「紀子、手出せ。」 「なぁに?」 不思議そうな顔をしながら紀子は両手を差し出した。俺は紀子の手を取り、左手から指輪を引き抜いた。少しゆるい指輪は何の抵抗もなく、俺の手の中に納まった。 「どうするの?」 「それは見てのお楽しみ、だ。」 すらりと長い指。骨ばったところのない平。何度も握った手。きれいに夏らしく日焼けしていた。指輪を取ってさえムラ一つない指に、俺は微笑するしかなかった。俺は焼けすぎた自分の手から、同じように指輪を引っこ抜いた。あの頃より、より骨ばった俺の指には、まだらな日焼け跡が残っていた。 大きさの違う同じ指輪が手の中にあった。俺はほんの僅かの間、それを見ていた。 「…今日、辞令が出た。高給取りに一歩近づいたわけだ。」 にやり、俺は紀子へ笑って見せた。紀子は指輪を気にしながら、態度を決めかねているようだった。 「紀子。」 俺は笑みを消す。紀子は何かと問いたげなまなざしを向けてくる。 「愛してる。」 俺は紀子をまっすぐに見て言った。紀子はしばらく俺の目を見て、そして、目を逸らした。 「だから…」 「えっ?」 俺は勢いをつけて、二つの指輪を海へ投げた。指輪はきれいな弧を描いて、やがてばらばらに海へ落ちた。 「別れよう。」 口の端に笑みを浮かべるだけで、俺は精一杯だった。 俺はくるりと振り返り、国道へ向けて歩き始めた。途中、ぽんと雪下の肩に手を置いた。 「じゃな。」 「先輩…。」 俺は雪下の顔を見なかった。 二人は追って来なかった。 |