−笑顔が見たかったんだ。 隙間からの『声』は今までも幾度となく聞こえてきた。願うもの。祈るもの。無遠慮な興味。私はそのどれか一つにも、応えることはなかった。そっとしておいて欲しかった。…私が私であるために。 その『声』はそんな多くの願いとは違っていた。だから、何を言われたのかすぐにはわからなかった。やがて聞こえてきたのは懐かしい声。遠い遠い、記憶。『笑って。』…それは、最後の願い。 ぽたり。知らずに流した涙は、光の飛沫となって砕けて、溶けた。 それが始まりだった。数多の断片が脳裏を掠めていく。 「思い出した。」 隙間から見えるその人。ちょっとだけはにかんだ軟らかい瞳。時折夢見た世界の中で、まだ笑うことを知っていたあの頃のように、その瞳は常に側にあった。傍らに咲く花の中にも。私を支える力強い腕とともに。 「あなたはいつも、そこにいた。」 視界が揺らぐ。涙のせいではなかった。もう必要なくなったのだとわかった。私は笑おうとした。大丈夫だと、伝えたかった。…隙間は消えていた。そこには、ただ淡い光が残滓のように漂っていた。 こつん。私は『彼』のカプセルにもたれかかった。冷たいそれを、今は心地よく感じた。 私は僅かに嘲笑っていた。こんなにも簡単なことだったのに。 笑うことがなくなったのは、一体いつからだったろうか。時が刻まれなくなったのは。シャトルに乗り込むあの時に、私は私を世界から消した。私の世界は消滅した。私は何処にも…いなかった。 ほろりと、機体が表面から崩れ始めた。水よりも滑らかに、軽く光の粒子が流れ出した。閉じたチャネルが開いていく。 「待っていて、くれた?」 『彼』は応えなかった。応える必要もなかった。いつだって『彼』はそこにいて、何処にもいない私を受けれ入れてくれたのだから。『彼』の中の無限に広がるその世界に。 目を閉じる。光の先に、アダムの無邪気な笑顔があった。脇に立つのは、穏やかに笑う『彼』の中のユダ。私は彼らのもとまで走っていく。彼らの待つその先に、懐かしい未来が待っている。 目を閉じたまま、私は私がほどけるのを感じていた。解けるほどに軽く、広がっていくのを知った。 時を刻む音が聞こえ始める。規則正しく、悠久の彼方から続く優しい鼓動。光となり、果てなく広がるその場所は、硬く手の中に未来を握る、小さな一人の…『私』だった。 |