『声』が聞こえた気がして、そっと病室を抜け出した。 ボタンを押してもエレベータは反応しなかった。非常階段はロックされていた。辺りには人影もなかった。 再び私はエレベータに乗り込んだ。私の部屋のあるフロア。医局階より下る方向のボタンは難なく点灯した。 ベッドの上でクッションを抱きしめ、私は目を閉じた。世界が広がっていく。その世界の何処もかしこも、『声』であふれていた。特にここでは一つ一つの『声』がとても強くて、『耳』を澄ますたびに酔ってしまった。それでも『声』を探したかった。『声』だけでも、聞きたかった。 −予言者様に面会を。 −今日は希望者が多いな。 −終わったら月ビールでも。 −ママー。皆お肌が白いー。 −宙港のデータには…。 カタン。 響いた音に私は意識を戻した。視界がわずかに歪んでいた。 −イブは? 部屋以外、行かれないわね。 クリスの『声』が聞こえた。私ははっとして、クッションを押しのけた。吐き気をこらえて、ドアへ向かった。何かがある。クリスに見られてはいけない物。確信に近い直感だった。 ドアと床の隙間にそれは落ちていた。少し厚みのある、白い封筒。誰からとも何がともわからなかった。取り上げたその時に、ドアが叩かれた。 『彼』はベッドに腰掛けて、私たちに笑いかけた。 「もう、大丈夫ね?」 看護婦を押しのけて、クリスは横に座った。私は入り口に留まった。 「クリス。あいつが来てる。上手く化けたもんだ。」 「…探すわ。」 クリスはすっと立ち上がり、部屋を出て行った。私には一瞥もなかった。『彼』の視線はクリスを追い、私の上で止まった。口の端で笑った。 「嬉しそうだな。」 「…嬉しいわ。」 「あいつが余計なことをしなければ、もうちょっと穏やかだったんだけどな。」 すっと『彼』は立ち上がった。しっかりした足取りで、私の目の前に立った。 「どういう、こと?」 声が震えないようと努めるだけで、精一杯だった。 「どうだと思う?」 『彼』の手が伸ばされる。頬に、触れる−。 浮かんだのは、朱。鮮やかな色彩。 「嫌っ!」 直後、唸りのような力の流れを感じて、私はドアにすがった。『彼』も流れに押され一歩下がった。目を見開いて、一つ瞬きする。 何気ない動作がひどくゆっくりと感じられた。 「イブ。」 一つの『声』さえ聞こえない中で、アダムの声が響いた。 |