(仮)

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−4−


 産毛を掠めるような柔らかな風が吹いた。 雲にさえぎられることなく存分に陽を浴び、 北風にむやみに冷やされることもないコンクリートは程よく温まっていた。
「あの半田君を簡単に抜いちゃったんだよ、すごくない!?」
 麻衣子は箸も口も止めずにお弁当を食べていた。 明日香も里美も、もちろん私もほとんど口を挟むことが出来ない。
「かっこよかったぁ! 自分のゴールの傍でボールもらって、 そのまま相手チームの方まで運んじゃうし、ゲームメイクもしてたよね。 会田君、馬場君、清水っちにこう指示出してさ、 自分のとこから相手のゴールまで走りっぱなしだったし。」
「猿みたいだったかな。」
「もっとかっこ良かったってば! 猿ってのはあれでしょ、大後とか江川とか。 鶴田君はもっとこう…犬科?」
「じゃ、狐?」
「ちがうわよ!」
 里美が適切な合の手を挟む。 麻衣子は里美の合の手でさらに熱く語りだす。
「それにさ、体育だけじゃないのよ!」
 麻衣子は息継ぎのスキマに、箸を口へ運ぶ。 そして眼は、しっかり私たち三人の反応をうかがっていた。 私は目で先を促す。明日香はきょとんと麻衣子を見た。
「杏子ちゃんにさ、歴史のときに手紙回したじゃん?」
「鶴田君から回ってきたね。」
 転入生はとりあえず空いている席に収まる。 鶴田の席は私の隣、麻衣子の後ろだった。
 先生の目を盗んでまわす授業中のおしゃべり=手紙。 隣が空き席だった時は人の手を借りず、僅かな通路を飛んでいた。
「鶴田君に回したんじゃないの。杏子ちゃんに投げたら、鶴田君が取ったの!」
「は?」
 麻衣子は豪快にご飯を口へ放り込み、紙パックのお茶を一息で飲み込む。 人一倍しゃべっているくせに、食べ終わるのは一番早い。
「杏子ちゃんの机に落ちる前にひょいって取っちゃったのよ!  で、ちょっと考えたみたいだったけど、そのまま杏子ちゃんに回してくれたの。」
「何それ。」
「知らな〜い。でも、さっと取ったときの鶴田君、妙に大人っぽくてかっこよかったんだから〜。」
 残り僅かなジュースを抱えて、麻衣子はすっかり夢見る乙女の瞳になっている。 惚れっぽい麻衣子の「かっこいい」フィルターはいつものことだった。 それにしても、手紙を取るとは一体何の目的があってのことなのだろう。
「最近杏子、謎が多いね。」
 まだ完全に疑念を拭い去っていないらしく、明日香が言った。
「謎?」
 里美は明日香を見、私を見た。
 聞きたげな視線を向けられても、やはり私に答えられることなど何もない。 私は肩をすくめて、「知らない」のジェスチャー。
「そ。昨日もね、黒マントにつれてかれそうになったし、 鶴田君の謎の行動だって杏子でしょ?」
「だぁかぁらぁ…」
「それ、初めて聞いた。」
「…え? なに? どしたの?」
 私の言い訳など、里美も興味ないようだった。 夢見る乙女モードから帰ってきた麻衣子と共に、明日香へ詳細を求める。
「昨日の特撮ヒーローの敵さんに、誘拐されそうになったの。 『来るんだ』とか言われちゃって。」
「何それ。杏子ちゃん、知り合いなの!?」
「杏子ちゃん、すごーい!」
「誤解っ。知らないっ。全く。全然!」
「隠さなくったって良いよ。あたしらの仲なんだからさ。ね?」
「みずくさいよ、もう。」
「知らないんだから、話せないってば!」
 予防線は役に立ちそうもない。
「向こうは杏子ちゃんを知ってたわけでしょ? さーさー白状する! …あれ?」
 私に詰め寄った麻衣子は、視線を私のはるか後ろにあわせて、首をかしげた。 屋上の隅、階段を背にコンクリート壁へ寄りかかっていた私も、麻衣子の視線の先を振り返る。 屋上の反対側、和やかなバレーボールの掛け声が通り過ぎていく。 温かみのないコンクリート。その先に広がる遠い空。 角度の浅い陽による、景色の濃淡がまぶしい。 …別に何もないようだ。
「どしたの、麻衣子ちゃん」
「何かが居た気がしたんだけど。」
「何が?」
 里美、明日香も身を乗り出して麻衣子の視線を追いかける。 屋上から降りる階段の壁。壁の脇を僅かな風に枯葉が舞っていく。
「何もない、よね。」
「麻衣子ちゃん、昨日のTVは?」
「あなたの知らない世界」
「TVに影響されてない?」
 麻衣子は首をかしげている。 里美、明日香の中では片ついたらしく、食事を再開する。 私も箸を動かし始める。
「変だなぁ。」
 あきらめきれないらしく、麻衣子はその場所を見続けていた。
 --バン!--
 明日香はお弁当箱を落とした。 里美はむせこむ。 麻衣子は一度のけぞった後、立ち上がって音源を捜す。 私はお茶のパックを握りつぶしてしまった。
 風船が割れたような破裂音。 でももっと厚く重い音だったような。
 一瞬静まった屋上は、数瞬の後再び、先ほどよりずっと騒がしくなる。
「何。」
「風船、かな?」
「もっと厚っぽくなかった?」
「じゃ、何?」
「知らんさ。」
「あの辺から聞こえたな〜。ん?」
 三人の会話には加わらず、麻衣子は身を乗り出す。 麻衣子の様子に再び私は振り返った。 屋上の柵の側に、今度ははっきりと一人の男子生徒が立っている。 男子生徒は柵を乗り出さんばかりにして、屋上の外を見ていた。
「鶴田くーん!」
 麻衣子は手を上げて男子生徒の名を呼ぶ。 男子生徒は焦ったように手すりから離れて周囲を見回し、麻衣子を見つけたようだった。 硬い表情が一瞬で笑顔に変わる。
「筧さん、東さ…あ。」
「?」
 言って、鶴田は僅かに固まったようだった。 表情が陰になってはっきりとは見えなかったが、ほんの少し顔が赤く見えた。 何かあったのだろうか。
「どうかしたのー?」
 麻衣子は軽く尋ねる。こっちにおいでとばかり手を振りながら。
 鶴田は一度顔を伏せてから、何事もない風を装ってこちらへやってきた。 態度ではがんばっているのかもしれないが、なんだか動作がおかしい。 手と足は一緒に出てはいなかったが、不自然に空など見上げていた。
「顔赤いよぉ?」
「そ、そんなことないよっ。」
 怪しさたっぷりに否定した。
「それよりさっ。筧さんと東さんと…」
 鶴田はそこでいったん言葉を切った。 席の近い麻衣子と私ならばまだしも、遥か彼方の明日香、里美までは覚え切れていないようだ。 明日香と里美は、自己紹介する。
「二村明日香。」
「池田里美よ。よろしくね。」
「うん、よろしく。…筧さんたちはいつも屋上で食べてるの?」
 里美、明日香は鶴田のために場所を空けた。 鶴田君は軽く会釈し開いた場所へ座る。 がさごそと取り出したのは、購買部のカツサンド。
「天気の良いときだけね。」
「鶴田君は屋上で食べるのが好きなの?」
 麻衣子が答え、明日香は聞き返した。 確かに、購買部で買ったのなら、男子達に混じったのだろう。 一人屋上へやって来るのは不自然な気がする。
「あ、えっと。あーっと…。」
 カツサンドの袋を破りかけ、鶴田君は言葉に詰まった。 ちらちらこちらを伺うように見る。 見られても、私には何のことだか心当たりなどあるわけがない。
「東さん、こっちだろうって訊いたから…」
「はえ? 私?」
「杏子ちゃん〜?」
 麻衣子が素っ頓狂な声を出す。反射するもののない屋上とはいえ、広範囲に届いたに違いない。
「あ、違う、そうじゃなくて。昨日、変な人に連れて行かれかけたって訊いて、ちょっと興味あってっ」
 ようやく袋のあいたカツサンドを振り回して、麻衣子の勘違いを否定する。 振り回されて、カツが落ちかけている。
 言われて腑に落ちたのか、麻衣子は少しだけ落ち着いた。里美は納得顔だ。 そして明日香は、じっと鶴田を見ているようだった。 明日香自慢の長い髪のせいで、私からその表情は伺えない。 鶴田君は、明日香の視線を知ってか知らずか、落ちかけたカツを直していた。
「昨日って、なんか、変な集団がいたんだって?」
「だってねー! 見てみたかったぁっ。」
「見ものではあったねぇ。」
「見たかったよぅ〜っ。」
 鶴田は大事そうにカツサンドにかぶりついた。思い出し思い出し、里美は言う。 里美に悔しさをぶつけるように麻衣子は叫んだ。 お祭り好きの麻衣子としては、仕方ないとはいえさぞ悔やまれることだろう。 私はなんと言えばいいやらちょっと悩んでいた。確かに見ものでは有ったけど。
「…筧さんは見てないんだ。」
「バイトだったのよ〜。もー。話題に遅れちゃうよぉ。」
「僕もさ、訊いて悔しくなっちゃってさぁ。」
「で、杏子ちゃん、どんな人だったの!?」
「は?」
 お弁当を脇に片付けて麻衣子が詰め寄ってくる。 私はお箸を加えたまま、麻衣子から遠ざかろうと努力する。が、直ぐ後ろは手すりだった。 逃げられない。
「麻衣子〜。」
「白状しちゃいなよ〜。」
 思わず視線で助けを求めたが、里美はあっさりそれを交わした。 端から疑ってる明日香には頼れない。
「東さん、知り合いなの?」
「しらないっ」
 鶴田までもが便乗する。私にはこれ以外いえる言葉はない。
 --ちゃちゃちゃちゃちゃ〜ちゃちゃ〜 ちゃ〜ちゃ〜ん♪--
 どこかで訊いたような曲が流れる。しかし、それが何か思い出せなかった。 妙に高く硬い音は電子音のもの。携帯電話の着メロのようだった。
 僅かにみんなの視線がさまよい、鶴田の方へ向けられる。 鶴田は後ろポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、ちょっとごめん。」
 鶴田は最後のカツサンドのかけらを口へ放り込み、あわてて立ち上がった。 私たちからも、屋上の他の人たちからも十分はなれた場所で、携帯をとる。 携帯に注意を集中させるように、私たちに背を向けた。
「杏子ちゃんっ。」
 鶴田の背をぼんやり見ていた私に、さらに麻衣子が迫った。 私はさらに手すりに背を押し付ける。
「麻衣子、麻衣子、落ち着いて。お願いだから。」
「さっきの鶴田君、どう思う!?」
「はぁ?」
 じーっと麻衣子は私を見る。 どう思うといわれても、私は思うほど何も思ってない。
「ね、杏子ちゃん見て赤くなってたよねぇ?」
「杏子を追いかけてきたのかなぁ?」
「はい!?」
 ちらちら鶴田君の背を見ながら、明日香までもがそんなことを言う。 追いかけられるような覚えも、当然ない。
「知らないわよ、そんなことっ。」
「あーあ。ちょっと好みだったのにな〜あ」
 麻衣子はようやく顔を近づけるのをやめ、ぺたりと座り込んだ。 ちらちら私を見ては、盛大なため息をつく。 態度や言葉のわりにそう残念そうにも見えないが、覚えがないことには変わりない。
「いいじゃん、だったらもっとお近づきになれば?」
「やーよぉ。馬にけられたくないもーん。」
 ふふふと、私を見ながら実に楽しそうに笑う。
「杏ちゃん。まだぜんぜんわからないけど、鶴田君て結構いいと思うわ。」
 にこにこと里美は言う。明日香は態度を決めかねているようだった。
 屋上のざわめきが一層強くなると、程なく予鈴が鳴り始める。 お弁当箱をしまい立ち上がった。 通話を終えて鶴田も戻ってくる。 どうせ同じ教室へ帰るのだからと、鶴田の合流を待て屋上の出口へ向かう。
「授業中はバイブにしといたほうがいいよ〜。」
 鶴田の横の位置をしっかりキープして、麻衣子は話しかけていた。
「あ、うん、そうだね。切っとくよ。ありがとう。」
「前の学校の友達とか?」
「え、電話?」
「そうそう。長かったから。」
「あぁ、仕事ーーあ、バイト先の人っ。」
「彼女とか!?」
「へ!?」
 さらりと麻衣子は聞いた。 里美、明日香は二人の直ぐ前で昨日のドラマの話なんかをしていたが、 麻衣子と鶴田君の会話を聞いているのは間違いなさそうだった。 私は一番後ろで、ぼんやりと会話を聞いていた。
「ねーねー、鶴田君て、彼女いるの?」
 廊下には同じように足早に教室へ戻る生徒たちがいた。 麻衣子の遠慮のない声は、当たりかまわず響いている。 振り返る人の目がちょっとだけ恥ずかしい。
「い、ないけ、ど?」
 僅かにうつむき加減に鶴田は言った。 鶴田を見みていた麻衣子の横顔が、にんまりと笑っている。
「そう、いないんだ。杏子ちゃん!」
「あ?」
 麻衣子は私の手を掴むと、間髪いれずに引っ張った。 私はバランスを崩してたたらを踏む。差し出された大きな手でかろうじて転ばずにすんだ。
「大丈夫?」
「麻衣子っ」
 とっさに鶴田が助けてくれたのだ。面食らった様子ではあったが。
 麻衣子は私を引き出すと、そのまま里美、明日香を促して、小走りに離れていくところだった。 どうせ帰る先は同じだというのに。
「まいこっ!」
「…いこっか。」
 苦笑した鶴田は私を見ていた。私は頷くとそのまま歩き始める。
 まったく、一体私はどうすればいいというのだ?



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