(仮)

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−5−


 終礼がすむと、先生が退室しないうちから、一気に教室は騒がしくなる。 サークルに行く人、早々に退散する人、掃除当番に当たっている人。 それぞれの予定をこなしに行く。
「鶴田、部活どうする!?」
 サッカー小僧の半田が早速やってきた。体育の時間の活躍が目覚しかったから、当然だろう。 荷物を持って私は場所を空けた。要領がわかっていないのか、鶴田はカバンに教科書を入れているところだった。
「麻衣子、じゃね。」
「ばいばい〜。」
 部活動のある麻衣子とはいつも教室で別れる。今日は里美は生徒会だったか。 週3日部活動のある明日香も、今日は部活のはずだった。 教室の後ろから、どでかいケースを運んでくる。 人一倍小柄な体つきのくせに、音楽部で扱っている楽器はコントラバス。持ち運びは根性としかいえない。
「明日香、今日部活だよね。」
「そう。おもい〜。」
 私は苦笑して、麻衣子のカバンを持った。音楽室まで一緒に行くつもりた。
「杏子は直で帰るの?」
「うん。塾もバイトもないし。」
 私は帰宅部だった。中学時代はそれなりに部活をやっていたのだが、高校では入らずにいた。 中学時代にやっていた演劇部がなかったこともあるし、作るほど熱心にはならなかったこともある。
明日香は小学校で音楽部に入り、中学から本格的に習い始めていた。 高校では入学と同時に吹奏楽部に入部した。 秋の学校祭ではまだまだ下っ端で重要なパートはやらせてもらえないと愚痴りながらも、 オーケストラの中で立派に役割を果たしていた。 音楽については何も知らない私だが、明日香の演奏は聞いていてとても気持ちのいいものだった。 大学をどうするとか将来どうするなどの話はまだ具体的ではないが、考えてはいるらしい。 私はほんの少し、うらやましかった。
「えー、なんでだよ〜。」
 明日香に先立ち、教室を出る。 背後から落胆の声が聞こえる。あの声は半田だろうか。 廊下に出て、明日香を待つ。 直ぐ後ろにいたはずの明日香は、少し遅れて教室から出てきた。 私たちは並んで音楽室へ向かう。
「鶴田君、帰宅部みたいね。」
「そうなの?」
「今半田君、振られちゃったみたいよ。サッカー上手なのにね。」
 教室の後ろの扉に足音が近づき、閉められた音がする。 音はそのまま昇降口の方向へ走っていったようだった。 明日香は少し振り返って、音の発生源を確認した。
 ふうんと私は生返事を返した。 あれだけ上手なら、さぞ面白いだろうと思うのは浅はかだろうか。
 明日香は続ける。
「会田君も玉砕してた。それに…狼の巣から、逃げ出したみたい。」
 うちの高校の運動部は、全体的にそんなに強くはないらしい。 来賓玄関前のショーケースに並ぶトロフィーはごくごく僅かで、開校以来の実力を示していた。 狼が巣を持つのか私は知らないが、体育で実力の一端を見せた転校生は格好の獲物だったことだろう。
 昇降口とは反対側の階段へたどり着く頃には、教室のざわめきは聞こえなくなっていた。 放課後独特の喧騒があたりを支配している。
「もったいないね。」
 よいしょとコントラバスを抱えなおして、明日香は階段へ挑む。 なんとなくあぶなかしくて、私は明日香の後をついて階段を上る。
「やる気がないなら、同じなんじゃん?」
 私は答える。確かに惜しいとは思う。 しかし、本人にやる気がないなら追いかけても無駄だとも思う。
「杏子は? なんかやらないの?」
「これってのが、ないから。」 
 一階上にたどり着き、明日香は振り返った。大して遅れもせず、私も到着する。 音楽室は廊下の突き当たり。二人並んで歩き始める。
「とりあえず、やってみればいいのに。」
「続かないよ。興味引かないもん。」
「わかんないよ〜。案外あっさりはまっちゃったりしてさ。」
「さぁ、ね。」
 私は生返事を返した。私には私なりに一つだけはっきりしていることがあった。 私自身がやる気になっていないことは、長続きしないのだ。 当たり前だけど重要なこと。つまるところその気がない。
 音楽室の扉は開いていた。放課後の暖かい光が窓から差し、廊下にまで伸びていた。 中にはまだ人影は少なく、調律している人、楽譜の準備をしている人、肩慣らしにかやわらかい曲を弾いている人、 三人ほどがいるだけだった。
「おはようございまーっす。」
「おじゃまします」
 午後も二時を過ぎているというのに、明日香はそう挨拶して音楽室の中へ入っていった。 私も軽く頭を下げて明日香に続き、手近な机にカバンを置いた。 私のお手伝いはここまで。部外者でもあるし、いつも早々に退散する。
「杏子ちゃん、ありがとう。」
「うん。じゃ、がんばってね。」
 明日香へ軽く手を振り、音楽室の先客−−おそらく上級生だろう−−へ軽く頭を下げて、私は出口へ向かった。
「二村さん、一昨日の所、できた?」
「ちょっと練習したんですけど、まだ…」
「あそこはね、こう…」
 やさしい男性の声だった。 私は名前を知らなかったが、バイオリンのパートを担当する先輩だということは知っていた。 同じ弦楽器だからか、明日香を何かと気にかけているようだった。
 二人の会話を聞きながら音楽室を出た。 暖かかった音楽室の空気に触れると、廊下はやけに寒々しく感じられた。
 来た時の道をなぞり、階段を下りる。二階を通過し、一階へ降りる。 職員室の前を通過すれば、昇降口へ至る。 終業から時間が経過し、比較的静かな職員室の前でさえ喧騒が伝わってくる。
 誰にも呼び止められることなく、無事昇降口で靴を替える。 私の脇をユニフォームに着替えたクラスメイトたちが過ぎていく。 昇降口を出て、彼らはグラウンドのある右へ。私は左に曲がる。 昇降口からも見える校門には、今日は何もなかった。
 バスを終点で降りると、冷たい風が吹き抜けた。 終点まで同じバスに乗りあわせたのは、十数人というところだった。 数人目で降りて、まだ後ろに人がいる。
 コートの前を合わせて私は歩き始める。 ピっというカード吐き出し音を僅かに聞いて、バスの前を横切った。 住宅街の中心に位置するバス停付近は、昼間の車の通行量は極端に少ない。 左右確認を省略してもそもそもの音がしない。
 自宅へ続く道は、バス停を挟んで道の反対側にあった。 道路に面した私道を抜け、先の坂道を登っていく。
 私道の入り口に見慣れないバンが停車していた。 道幅が広く交通量も少ないバス停付近は、路上駐車天国だ。 入り口をふさぐように停めることはあまりないのだが。 私はバンを避けて舗装されいない道を進む。乾燥した空気に、埃を少しだけ気にした。 バス停から実家までは、片側に民家、もう片側に竹やぶが続く。 夏場は蚊の猛攻も有り得、なかなか気が抜けない。 幸いなことに痴漢被害や犯罪などは起きていないが、竹やぶというのはそれだけで雰囲気を作る。 もう少し季節が進めば竹の子取りでにぎわうだろうに、その他の季節では喧騒とは無縁だ。 フェンスすらないから簡単に入って行くことができ、ちょっと奥へ入ると道路からは気づきにくい。
 私は竹やぶの表面を何とはなしに眺めながら、坂道を登る。 今だって奥に誰かが潜んでいてもわからない。 そして、人通りの少ない昼間や夜間ならば、多少のことがあっても気づかれないのではないだろうか。 そう、こんな風に…
「!?」
 私は思わず立ち止まった。駆け出していればよかったのかもしれない。 とっさの時には声は出ないものだとどこかで考えていた。
 竹やぶから黒タイツが道路に躍り出てきた。私の前に二人。後ろからも足音が聞こえた。 道の反対側、並ぶ家の垣根からも二人。 中肉中背。背の高い痩せ型。低いけど横に大きい人。小柄だけど筋肉が浮き出た男性。 滅多に人も車も通らない道で、私は完全に通せんぼされた。
「東杏子。一緒に来てもらおう。」
 民家から出てきた小柄な黒タイツが私へ腕を伸ばす。 いくら相手が小柄でも車もすれ違えないこんな道だ。私に逃げ場はなかった。 私は一歩下がる。もう一歩下がればそこは竹やぶの中だ。革靴で藪をこぐ自信はない。
 小柄な黒タイツはさらに一歩腕を伸ばす。そして視界から消えた。 目の前を青いものがよぎった気がした。 私は瞬きを忘れていた。青いものと同時に聞こえた声に、反射的に首をめぐらせるだけだった。
「東ーっ!!」
 私の後ろ、坂の下からの声だった。振り向いた私は、だけど声の主を見ることはできなかった。 私が振り向くと同時に何かが真横を駆け抜けていた。 腕が真横にぐいと引かれる。転ばなかったのは奇跡かもしれない。 投げられるように生垣に押し付けられた私は、知っている背中と見慣れた制服を見た。
「つ…。」
 背中の主の名を呼ぼうとしたその時、私は思わず生垣に寄りかかった。 ほんの僅か一秒の何分の一にも満たない一瞬、視界がぶれた。 電波状態の悪いテレビのようにすべてが二重に見えた。
しかし、地面は揺れてはいなかった。 踏みしめた地面は硬く、何事もなかったようにそこにあった。 立ちくらみかと思ったが、一瞬が過ぎるとなんともなかった。 私ではなく、世界が震えた。そう感じた。
「現代のナイトってとこかい。手ぶらな様だけど?」
 聞き覚えのある声だった。私は声の主を探し、探すまでもなく見つけた。 小柄だけどしっかりした鶴田の背中の向こう、竹やぶの中に声の主は立っていた。 黒いマントではなく黒いコートに着替え、竹を背にして立っていた。 痩身で背が高く影の中にいながら、涼やかで整った顔立ちを見て取れる。 確かにそこにいるのに一瞬後には消えてしまいそうな、そんな希薄な存在感があった。
 今までどこにいたのかと、ふと私は思った。 私が気付かなかっただけかもしれない。黒タイツに気付かなかったのだから、十分に有り得る。 しかし、どこか違和感がある。
「手違いがあったんだ。」
 鶴田は僅かに腰を落として、手の力を抜いてた。 しかしその立ち姿とは裏腹に、声は硬かった。
 周りの黒タイツ達は道をふさぐ形のまま傍観体制に入ったようだ。 ボスにすべて任せるとでも言うのだろうか。
「だめだなぁ。ナイトが剣の一つも持たないんじゃ、格好付かないじゃないか。」
「柔道だって、空手だって、少林寺だって、格好良いじゃないかっ」
 黒マントはゆるく首を振り、やれやれとでも言いたげに両手を上げた。 鶴田もまじめに受けている。
 黒マントはそのまま一歩足を踏み出そうとして…できなかった。 薄暗い竹やぶの中。ここからでははっきりとはわからないが。 コートとシャツの間に竹が通っているように見えた。
「総統!」
 竹やぶの直ぐ脇にいた黒タイツが黒マントに走りよった。
「お前…器用だなぁ。」
 心底脱力した風で、鶴田はつぶやいた。
「…すまん。失敗した。タイミングというか、場所というか、なかなか難しいんだ。」
 黒タイツの手を借り、黒マントはコートを脱いだ。 コートを黒タイツに持たせ、一歩踏み出す。 がさがさと落ち葉が音を立てる。 黒マントは竹やぶを出てから再びコートをまとう。 アスファルトを踏みしめて革靴が僅かな音を立てる。 白い整ったその顔が、竹の葉が作る陰影に生えた。
 コートを渡し終えた黒タイツは、長靴をならして元の場所へ戻って行く。
「待たせたな。」
「かっこつけてんじゃねーよ。…東。動くなよ。」
「う、うん。」
 鶴田は少しだけ腰を落として、左手を胸の前へ、右手を腰の高さで構えた。 静かに、左右を見回す。 黒コートは特に構えるまでもなく、鶴田を見下ろしている。 鶴田から少し距離を取っていた黒タイツたちが、てんでに構える。
「ナイト殿のお手並み拝見と行こうか。」
 黒コートが言い終わるかどうかというタイミングだった。 待ちきれないかのように、中肉中背が突進してきた。 コブシを上段に構えて、そのまま勢いをつけて殴りかかるつもりだ。 そして反対側、バス停の方からはめがねをかけた黒タイツが近づいていた。 コブシを構えることもなく、手の中に何かを持っている。
「右。手!」
 私の声が届いたのか端から気配を察していたのか。 中肉中背がコブシを反らし、後から続いた横広に蹴りつけた。 着地と同時にくるりと振りむくと、勢いのままメガネにボディを叩き込んだ。 メガネは僅かに足を浮かせると、そのまま道路に転がる。
 中肉中背と横に広い二人は、仲良く地面に転がっている。 左足を出して勢いを殺した鶴田は、軸足を変えて後ろに蹴り上げる。 ひょろ長の顔に命中。 蹴り上げざま反動を利用して振り向くと、今度はすっと姿勢をおとす。 私の目の前。今まで鶴田の顔のあった場所を、長靴が通過した。 私は背後の壁にもたれかかる。…腰が抜けかけた。
 小柄に蹴りを交わした鶴田は、地面に手をつき低い位置で足をけりだす。 小柄は足を掬われ地面に転がり、しかし、すぐさま起き上がった。 鶴田はくるりと姿勢を変えて起き上がる。 バス停方面にいたもう一人は、心細げにコブシを構えたまま立ち尽くしている。 小柄は、構えたまま動かない。
 小柄な黒タイツの後ろ、中肉中背がよれよれと上体を起こす。 ぴくりと鶴田の肩が動いた。 前触れもなく小柄が動いた。鶴田は応じようと姿勢を沈める。 鶴田の体がくの字に折れる。避け切れなかったらしい。 半歩下がった小柄は、今度は鶴田の顔を狙ってコブシを繰り出す。 反射的に腕を上げてコブシを防ぐ。 と、小柄が後ろへよろめいた。鶴田の足がその前にあった。 中背が小柄を受け止める。中背の後ろ、横広ものそりと起き上がった。
「きえぇぇっ!」
 バス停側のタイツが奇声を上げて殴りかかる。 すっと避けた鶴田に体制を立て直した小柄が飛び込む。 上体を反らして小柄のコブシを避ける。小柄はすかさず蹴りを出した。 避けられない。 よろめいた鶴田に横広の足が襲う。僅かに体をひねったが、完全に避けることはできなかった。
 小柄の蹴りが鶴田を狙う。今度は地面を転がるようにして、避けた。 鶴田は一息で身を起こす。息が、荒い。 上下する肩。誇りまみれになったジャケット。 一対六の差は大きい。
 すっと距離をとって、小柄も息を整える。 黒タイツは口鼻目をくりぬく形で顔まで覆っていて、表情はわかりにくい。 だけど、鶴田より明らかに消耗していない様子はわかった。
 小柄の後ろ、中背と横広も体制を立て直す。 バス停側でも残る一人がじりじりと近寄っていた。
「姫君を忘れちゃ、だめだな。」
 背後から声がした。 私は体をこわばらせた。壁から手が生えた…いや、壁だと思っていたものが腕を広げて、私を拘束した。 背中に、熱いくらいの温度を感じる。 コートよりも暖かい手が、目の前にある。 こんなときでさえ、私ののどは凍りついたようになっていた。悲鳴の一つも出てこない。
 ばっと鶴田が振り向いた。反射的にか一足飛びに距離を置く。
「お前!」
 鶴田は私とともに黒コートを指した。動揺しているのか後の言葉が続かない。
「鶴田君!」
 そっと鶴田の後ろに回りこんだ小柄な黒タイツが、鶴田の肩を後ろから締める。 戒めを解こうと鶴田はもがいたが、戒める側も必死に抵抗していた。
「素手の喧嘩もできるようだけど、やっぱりナイト殿には獲物が必要だったかな。」
「東っ。」
「鶴田君っ。」
 鶴田は顔を真っ赤にして抵抗していた。 腕の戒めから脱するべく私ももがく。カバンを地面へ落とし腕を解こうと手をかける。 硬い、鍛えられた感触。服の上からでもその熱さがわかる。 私の力ごときでは、びくともしない。
「…の力じゃ、解けないよ。」
「え?」
 耳を疑った。 聞き間違えるような距離ではなかった。 なんとか、顔を見ようと思い首をめぐらせたが、かなわなかった。 黒コートの肩がかろうじて見えた。
「手ぇはなさんか、ワレェ!」
 ぴしゃ。 目の前が真っ赤になった。
「なっ…!」
「総統!」
 腕が解かれた。支えを無くした人形はこんな感じなのだろう。そのまま私は地面に座り込んだ。 何が起きたのかわからなかった。 聴いた言葉も、真っ赤になった視界も、こちらへ近づいてくるカラフルなヘルメットの集団も。
 背中の「熱」が遠ざかる。がさりと音が聞こえる。 撃たれたのだろうか。この赤いものは。 思ったことが本当だったとしても、実感がない。 顔にかかった液体を触る。さらりとした感触。時折混じっている粒。 青臭い、におい。知っている、味。
「…とまと?」
「どうや! 俺の生絞りトマト砲は!」
 黒ヘルメットがのたまわる。
「トマトはリコピンという色素が豊富だ。 リコピンには強力な抗酸化作用があり、老化防止、お肌つるつる、がん予防にも効果があると注目されている。 このリコピンは、赤いトマトほど多く含まれている。町で売っているまだまだ青いものよりも、 直売で売っている熟しきったものの方が当然栄養価が高い。 リコピン以外にもビタミンやカリウム、食物繊維のペクチンも含まれている。 トマトをしっぱり食べていれば、お通じにも有効だ。 トマトが食べれないという親不孝ものには、数々のサプリメントも出ているが…」
「長い」
 説明を受けて胸を逸らす黒ヘルメットの後ろで、ピンクが青をはたき倒した。
「…遅いわっ。」
 鶴田が叫ぶ。あっけに取られたらしい小柄は、勢いづいた鶴田に腕を放していた。
「4分37秒23.いい成績じゃないか。」
「間におぉたんやから、えぇやないか。」
 ピンクのはたきにヘルメットをずれさせたまま、青は時計を確認する。 黒はトマト砲を構えたまま、じりじり近寄ってきた。
 さっと鶴田は私に近寄る。私はあっさり鶴田に抱えられてしまっていた。 鶴田は私を抱えたまま、集団から一歩遠ざかる。 私を道路へ下ろすと、投げ捨てられていたカバンを拾った。
 まだ僅かに赤い視界の中で、黒コートはトマトを袖で拭いて体制を立て直し、 黒タイツたちは転がっている仲間を助け起こしていた。
 黒コートにトマト砲をつきつけ、黒ヘルメットは宣言する。
「チェックメイトや。」
 黒ヘルメットの後ろでは、青や緑が黒タイツをまとめようとしていた。 黒タイツたちは嫌々ながらも、強い抵抗はしていなかった。
 さりげなくピンクが私たちのほうへと回る。 黒コートや、黒タイツたちに対する牽制だろうか。
「…どうかな。」
「なんやて?」
 ふっと、黒コートは微笑った。 黒ヘルメットはトマト砲を持つ手に力を込めたようだった。 ピンク・緑・青のヘルメットたちも、黒コートへ視線を投げた。 黒タイツたちも黒コートへ注意を向けたようだった。表情は良くわからない。 鶴田も例外ではなかった。
 ふと風景がぶれて見えた。先ほどよりずっと短く、瞬きしたならわからないくらい。 そして事態は少し変化していた。
 --カシャン。
 音は件のトマト砲のものだった。
「なっ。」
 おとなしくしていたかに思われた黒タイツたちが、一斉に身を翻した。
 黒コートのいた場所からは、煙が噴出している。 黒ヘルメットも背中だけが煙の外に見える状態だ。
「ブラック!」
「煙幕よっ。」
 ピンクと緑の叫びに重なり、むせ返る声が聞こえた。 二つ。一つは激しく背中を上下させている黒ヘルメット。 もう一つは、煙幕を張った本人だろうか。 徐々に移動し、遠ざかっていく。
「ピンクー。」
 緊張感に欠ける声で青がピンクを呼ぶ。 青の視線の先には、煙幕の中へ逃げていく黒タイツたちがいた。 青はのんびりとそれを見送る。
「判ってるわよっ」
 ピンクは手首に触れる。そこにはちょっと大振りな時計のようなものがあった。 ピンクは時計を口元へ近づける。
「紗枝ちゃん、お願い」
 そして自身も煙幕の中へ飛び込んでいった。
 風がふく。徐々に薄れる煙幕の向こうには、すでに、黒コートも黒タイツもいなかった。 未だむせ返る黒ヘルメットを緑が促す。 青は黒の落としたトマト砲を拾い上げ、少しだけこちらへ振り返り、バス停のほうへ去っていった。
 私はずっと地面に座り込んでいた。 私がバスを降りてから十分と経っていないだろう、僅かの間だった。
「東さん、大丈夫?」
 鶴田は座り込んだ私を覗き込んできた。 鶴田の心配そうな顔が目の前にあった。
 クラクションが鳴り響いた。驚いて振り返った私と鶴田の横を乗用車が走り抜ける。
 ぽろりと、手に何かが当たった。生暖かい水滴だった。
「あ、えと、どこかぶつけた!?」
 鶴田のあわてた声だった。 なぜ慌ててるんだろうと考えて、自分が泣いているんだと気づいた。 気づくと余計涙が出てきた。…とまらなかった。
 私は精一杯首を振った。 どこもぶつけてもいないし、鶴田のように誇りまみれになったわけでもなかった。 驚いて、怖いと思い、そして、判らなかっただけだった。
「…さんて、いわれた。」
「え?」
 鶴田がさらに覗き込んでくる。その目を見るとさらに涙が止まらなくなった。
「姉さんて、言われたの。」
 涙の向こうに、鶴田の困りきった顔があった。


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