−−がしゃん! 「あいたっ。」 時空の隙間にタイヤが挟まった。あっと思うまもなく、自転車は転倒。俺は時空に投げ出された。 打ったのは腕。落ちた場所が悪かった。よく踏みしめた土の道に、でかい石が一つ。腕を石にぶつけたのだ。 「なんだよ、ピンポイントかよー。」 石はそこら中にごろごろしていたが、後は皆小石だった。ここら付近のたった一つの大石に見事に当たってしまったらしい。 幸い折れてはいなかった。ただし、青あざは決定だろう。 俺は腕をさすりさすり立ち上がった。そして、服装が替わっていることにきづいた。 今まで乗っていたはずの自転車もない。そばにあるのは愛用の鰐口カバンの代わりに小包が一つ。 詰め襟の制服の代わりに、動きやすい代わりに寒々しい格好をしていた。 『飛』の文字の前掛けに、法被。俺は飛脚になっていた。 「いつだ、ここは?」 俺は小包を拾い上げた。竿に留まっていることを確認して背負いあげる。 飛脚は初めてじゃない。俺の仕事は届けること。何時であっても、それは変わらない。 けれど、何時かがわからなければ、どう動けばよいかもわからない。 配達先に飛脚の時代はあっただろうか? 俺は一歩踏み出した。 −−くすくすくす。 不意に声が届いた。女の声だ。 数歩進んだ足を止める。場所は俺が落ちたそばの草むらか。 「誰か居るのか?」 試しに声をかけてみた。返事はない。代わりに草がそよいだ。 俺はきびすを返した。呼ばれたって可能性もあった。今は速達もなかったら、問題ない。 道幅の草は肩ほどの丈があった。来るモノを拒むかのようだったが、俺はかまわず分け入った。 かき分けて、足で押さえて、次の一歩を探す。 むき出しの足を草がなでた。威勢のいい蚊が無断で血を吸っていく。 十歩ほども進んだろうか、唐突に視界が開けた。 俺は思わず立ち止まった。切り傷も、かゆくなり始めたあちこちも、気にならなかった。 そこは、花畑。手入れがされているようではない。ありとあらゆる花が咲いた、一面の花畑だった。 「五年前、すべて焼かれてしまった。」 ささやくような女の声だった。花畑の中央に、女が居た。 「四年前、戦が終わった。」 地面に座り込み、花をなでた。我が子をなでるように、愛おしそうに。 「三年前、鳥たちが種を運んできた。」 女はついと手を伸ばし、一輪花を手折った。 「二年前、種が芽を出した。」 祈るように、願うように、花を抱いた。 「一年前、花畑ができあがった。そして」 女は顔を上げた。綺麗な横顔だった。絹糸と形容されるような髪、月のない夜を映したような瞳。抜けるような白い肌。 すっきりとした高い鼻梁。俺は見惚れてしまっていた。 「あなたが来た。」 そよ風がなでるように、女は俺を見た。俺は一つ瞬きした。そうしてようやく仕事を思い出した。 つまり彼女が依頼人。俺は彼女に呼ばれたのだ。 「配達するモノは何ですか? いつへ届ければいいでしょう。」 女はふっと笑った。花を抱いたまま、腰を上げる。 「花を。送り先はありません。」 すっと伸ばした手から、俺は花を受け取った。それはどこにでも咲いているサクラソウだった。 「承りました。」 女は頭を一つ下げると、ふいと消えた。 俺は子包に折らないように花を差した。 草をこいで道へ戻る。 走り出そうとして、送り先を言われなかったことに気づいた。 祈りと、願い。その二つを抱いて、振り返らずに何処ともなく走り始めた。 |