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Logical Fantasy * 02

修飾語付き理系お題10*非日常ダーク系 〜05:アボガドロ数個の消去


 こいつの困った顔を拝めるなんて想像もしていなかった。途方に暮れても俺はしらん。いつも言ってる意味がわかっただろう、自業自得ってもんだ。相手もかなり悪かったかもしれないが、だからこそ余計助けてやる気にはなれない。すがるような視線に気付かないふりして、地面にちょぼちょぼ生える草を辿る。あと一種類、欲しい草が見つからない。
「お兄ちゃん、魔法使いなんでしょ?」
「だから、オレはぁ、魔法使いじゃなくて組術士だって……」
「そじゅつ? 魔法と違うの?」
「魔法ってのはぁ、世界に定義された方法なわけ。組術ってのは、定義を作る力の事ね?」
 小難しい事言ってやがる。首でもかしげてるんだろう、あどけない声は聞こえない。
 がさりと茂みをかき分けた。陽の届かない湿った場所に、目当てのモノは見つからなかった。もっと奥へ進むべきか? 
「だーかーらぁ! 魔法ってのは、本当には石っころひとつ消せないの! 6×10^23個の分子にまで分解して、一つ一つをエネルギーに変えちゃうの。組術ってのはぁ、この石っころそのものを無かったことにするの。6×10^23個をいっぺんに消しちゃうの。すごいの!」
「……消えちゃうんでしょ?」
「だから、魔法ってのはぁっ」
 くくく。我慢していたつもりなのに、思わず声が漏れてしまう。しまったと思ったときには遅かった。
「シーク! だいたい、何だってお前がこんな所にいるんだ!」
 矛先が俺に向いてしまった。やれやれと顔を上げるとのばした腰がばきばき鳴った。下を向きっぱなしの作業は結構つらい。
「助けてもらったんだ、ちょっとは恩返しってモノをしようと思うだろうが」
「だからなんで、のたれ死にかけるんだよ!」
「それはこっちの勝手だろう」
 勝手と言っても、好き好んでのたれ死にかけたわけじゃない。思う場所に街がなく、夜盗に追いかけられて腹が減って目を回しただけだ。……我ながら情けないとは思う。
「お前、メイカーとしての自覚がないぞ!」
「……そういう細かいことは苦手なんだよ」
 食料を出したり小金を増やしたり組術でできないことはないし、村を作るなんて事もできるはずだ。けど、自分一人のためにそんな面倒なことをしたくない。失敗したら取り返しもつかないし。
 告白すれば、そんな面倒なことをしたことがないわけじゃない。小金を増やそうと思ったのだ。魔術師だった師匠の下を辞して一人で旅を始めたころに。結果は成功でも失敗でもなかった。俺の財布の中だけでなく全ての額が二倍になった。リンゴの値段も市場のおっちゃんの頭の中も、国家予算も通行料も子供が握るコインの数も。それ以来、細かい組術は使っていない。
「おじちゃんも、魔法使えるの?」
「ちゃんと説明してやれ。そもそも移動してくるお前が悪い」
 毎度毎度、突然降ってわいたように現れる、それがカナタだった。街中でも山ン中でも関係なく、酔っぱらって放り込まれた牢屋の中だったこともあった。特殊な転移の魔法を組んだのだろうと俺は目星をつけていた。普通の魔術の転移なら風が巻くとか影ができるとか何らか兆候があるものだが、カナタのそれはまさに忽然と現れるのだ。まるで、初めて世界に定義されたかのように。
「できねーよ!」
 すっかりすねた顔してぷいとそっぽを向いた。やれやれコレはダメだ。現れるのとは真逆に今この場で消え失せないのがせめてもの救いか。持っていた薬草をしまい込むと、俺は茂みを抜け出した。
「おじちゃん、ママの病気治せる?」
 子供らしい細く柔らかい巻き毛をくしゃくしゃとなでつけ、まだあどけないその顔の前にしゃがみ込んだ。もし世界に、無垢なる天使なんてもんがいるのなら、きっとこんな容姿をしているに違いない。陽にすかすと金に輝く髪に縁取られた幼い顔、薄い肌に青い瞳。人々の口の端にのぼってもおかしくないほど、愛らしい少女だった。もう少し人の多い場所に住んでさえいれば。
 生まれつき体の弱い母のために、街には住めないのだと聞いていた。
「ごめんな。おじちゃんは魔法使いじゃないし、お母さんの病気は治せないんだ」
「そう……」
 悲しそうに少女……アンジュはうつむいた。できないモノはできない、ただ俺は罪悪感を感じるしかなかった。
「その代わりお薬を作るからな。そしたらお母さんきっとよくなるから」
「ほんと?」
「あぁ。だから、アンジュも薬草を探してくれるか?」
「うん!」
 こんな草だと、少女に根気よく教える。実物があればいいのだが、そもそも無いから苦労している。まだ陽は高いし、彼女の祖母が探しに来るまで時間があるだろう。もう少し奥まで進んでみるか?
 ぱたぱた走って探し回るアンジュを見失わないように気をつけながら、再び茂みをかき分けた。
「なんだよ、薬って」
「あ?」
 目の端に必ずアンジュを収めるようにしながら、ほんの少し振り返った。機嫌を直したらしいもう一人のかわいげのない子供は、少しまじめな顔してアンジュの姿を目で追っていた。
「母親がもうずっと伏せってるんだと。生まれつきの病が、アンジュを生んで悪化したらしい」
 罪悪感はたんにできないからだけではなかった。俺にできるのは体力回復に絶大な効果を発揮する薬を調合する事ぐらいで、魔術の一つも使えないことを、いや、使うと必ず失敗する自分を恨めしくも思う。けれど魔術で行えることは薬草と大差なく即効性があるかないかくらいだった。生まれつきの病を治すことは、万能と呼ばれる魔術にもできることではない。そもそも魔術では、不意の事故で死亡した人をよみがえらせることはできても、その人の寿命を越えて生き返らせることができない。たとえ病を悪化させて若くして亡くなってしまったとしても、よみがえらせることは絶対に出来ない。
「おい、あんまり遠くへは行くな、危ないぞ!」
「おじちゃん、おそーい!」
 俺は微笑み足を向けた。この森には大型の動物はあまり多くはなかったが、幼い少女が飛び回って安心できるような森などない。
「……治せばいいじゃん」
 ぎくりと俺は足を止めた。カナタの言い方は腹が減ったら飯を食うとでも言うほど疑問の一つも含まれておらず、俺がのたれ死にかけたと知ったときより不思議そうな声音だった。そして俺は、カナタならそれが出来ることを知っていた。
 ……本当の事を言えば、組術なら治す事ができた。生まれつきだろうと関係ない。根本の原因を取り除くことなど造作もない。寿命などどうにでもなる。ただそれは決してやってはいけないことで、だからこそ罪悪感を感じずにはいられなかったのだ。ひっそりと山奥で命をつなげ、遠く戦地へ赴いた夫を幼い子供と年老いた母と女ばかりで待つような女性だから、余計に。
「カナタ、それは……!」
「……きゃぁ!」
「アンジュ! ……絶対にやるな、いいな!?」
 言い捨てて俺は短い悲鳴を上げたアンジュの元へ慌てて向かった。

 カナタはまだ年端もいかないガキだったが、俺なんか足下にも及ばないほどの腕を持ったメイカーだった。魔術士を落ちこぼれた俺とは違い魔術士としての腕も確かで……だから、俺の言葉ごときであいつを制止することなんか出来るはずがなかった。そもそもやつは俺の弟子なんかじゃない。たまたま出会い、それ以来出会えば道連れているだけだった。しかもやつは気まぐれだった。気まぐれに現れて、気まぐれに去っていく。俺たちはそんな奇妙な関係だった。

 薬草は見つからなかった。足を滑らせて窪地に落ちてしまったアンジュを背負って、俺たちはアンジュの家へと戻ってきた。異変はすでに起きていた。俺たちを出迎えたのは年の割に気丈なアンジュの祖母ではなく、寝乱れた髪をなでつけたアンジュの母親の元気そうな姿だった。
「ママ!」
「アンジュ、お帰り。シークさんもお帰りなさい」
「あ、あぁ」
 あっけにとられた俺を尻目に、背中から飛び降りたアンジュはぱたぱたと走っていって母親に飛びついた。少しふらつきながらも母親はしっかりとアンジュを受け止めていた。
「簡単だろ?」
 声を潜めてカナタはささやいた。多分きっと両手を後頭部で組んでにやりと口の端で笑いながら。
「ママ、お病気治ったの?」
「えぇ。すっかり良いわ。どうしたのかしらね」
 俺は世界の影にそれを探した。程なくそれを見つけられた。まだ間に合う。今なら、まだ。
「良かった!」
 けれど、太陽がはじけたようなアンジュの笑顔の前に、俺はそれを手放した。

 森の中の道はまだらに日の光を受けながらどこまでも続いていて、先には大きな街があるはずだった。家の整理をして馬車を調達して、アンジュ達一家は近い将来、街に移り住むことになるのだろう。
「カナタ、もうあぁいうのはやめろ」
「なんでだ?」
 助けてもらったおかえしがてら男手のない一家の手伝いをして、ついさっき旅を続けるからと分かれてきた。アンジュの母親は今まで床に伏せっていたのが信じられないくらい元気だった。率先して料理をし、ふらつくことなく井戸から水を汲み上げ、額に汗を光らせていた。それを見てアンジュも祖母も再び喜び、一家は幸せを取り戻したかに見えた。
「あれじゃ、別人だ」
 しかしその陰で、俺に媚を売るような態度が目についた。
「別人?」
「生まれつきの病気を治すって事は、彼女を構成するモノを変えるってことだろ。それを変えたら別人だ」
「治ったなら良いじゃんか。問題あるのか?」
「俺たちは神様じゃない」
「なんだよ、それ。……っと、時間だ」
 立ち止まったカナタを俺は肩越しに振り返った。ちっともわかってない顔で『じゃなー』とでも言うように気軽に手を振ると、カナタの姿は忽然と消え失せた。俺は落ち行く太陽へ目をやった。感覚を研ぎ澄まし世界の裏を感じ取る。消えたカナタの気配は、そのどこからも感じられなかった。
「……していい事と悪いことがあるんだ」
 組術は大きくも小さくも世界そのものを変える力。それが世界に定義された魔術との決定的な違いだった。




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