三里塚の農民はいま・・・・・
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東峰神社裁判の最終報告」
Web版編集:T.M.さん
 「東峰神社裁判最終報告」
パンフレット刊行委員会
2003年12月14日

原告・東峰部落が全面勝利
1953年神社創建以来、土地も立ち木も部落の総有
虚位の登録簿を改めて部落に返還
神社林伐採の非を認め謝罪
− 12月5日千葉地裁民事第2部で和解決着 −

神社林伐採の違法と神社敷地の所有権確認を求めた東峰神社裁判は、12月5日に千葉地裁で和解協議が行われ、被告・空港公団が原告・東峰部落の主張をすべて受け入れ原告側の全面勝利で決着しました。全国の支援陣形のもとで闘われた東峰神社裁判は、2002年4月9日の提訴から1年8ヵ月で素晴らしい勝利を実現しました。この勝利によって、暫定滑走路粉砕に向かう新たな地平が切り開かれたのです。

 ■被告・空港公団が原告主張をすべて承認

 和解内容の核心部分は以下のとおりです。
  @ 空港公団は、神社敷地が1953年の神社創建の時から東峰部落のもの(総有的所有関係)であることを認めました。
  A 伐採前日こ密かに書き換えた公団名義の登記簿を部落の人々の名義に改めること(真正な登記名義の回復)を承認しました。

  B 立ち木が部落のものであることを認めて神社林伐採の非を謝罪しました。

 この和解内容は原告・東峰部落の主張を被告・空港公団が全面的に認めたものです。

 2001年6月16日、空港公団は暫定滑走路の飛行の障害になるとして、東峰神社の神社林を抗議のさなかに伐採しました。直後に会見した総裁は「神社の土地は公団所有地、そこに立つ木は公団のものだから伐採は正当」と開き直りました。

 しかし東峰神社は東峰部落の産土(うぶすな)神社です。地域の守護神としての産土神社は、登記名義がいかなるものであろうと氏子集団の総有関係にあり、土地も立ち木も部落の総有財産です。裁判では、学説的にも明らかなこの事実を、地区住民の証言や中尾英俊氏ら法社会学者による現地調査、成田市と隣接する芝山町を対象にした地域実態調査、各種文献によって明らかにしてきたのです。

 和解は第7回公判(6月30日)で突如、公団側が申し入れてきたのですが、その背景にあるのは、こうした地道な立証が原告・東峰部落の全面勝訴、被告・空港公団の全面敗訴として進行していたからです。空港公団は、長期裁判の結果、敗訴の確定判決となるよりも、原告の主張すべてを認めた和解決着がましだと判断したのです。暫定滑走路の開港のためには神社林伐採が絶対不可欠だったことから、公団は敗訴覚悟で強行したというのが事件の真相だったのです。

 ■黒野総裁の虚偽報告と「無償譲渡」のデマ宣伝

 裁判がこのような結果に終わったことに空港公団は打撃を受けています。その証拠は和解直後の記者会見における黒野公団総裁のしどろもどろの虚偽報告と読売新聞を使ったデマ報道です。

 まず、和解協議の前々日(3日)の読売新聞夕刊は1面トップで「公団が土地を無償譲渡」とするデマ記事を掲載しました。和解で公団は、神社敷地が1953年神社創建以来、部落のものであることを認め、「真正な登記名義の回復を原因」として登記簿を書き換えることを約束したのですから、「無償譲渡」ではありません。無償で譲り受けたのではなく、取り戻したのです。

 さらに5日の和解合意後の記者会見の席上、黒野公団総裁は「過去に違法行為があったわけではなく、和解した時点で総有を認めた」(6日付千葉日報)などと弁解しました。記者団に配られた文書では、神社創建時点で総有関係が発生したことや、登記名義の書き換えの原因を「真正な登記名義の回復」とすることなど、和解条項の核心部分が削られていました。

 この点を追及された黒野総裁は、しどろもどろになりながら「今回の和解で総有を認めたのであって、立木伐採の時点では総有を認めてないのだから伐採は違法ではない」旨の、和解内容とは異なる虚偽報道を行ったのです。

 黒野総裁は「全面敗訴」の真相を隠す一方、「公団が譲歩したから部落も用地問題で譲歩すべきだ」と世論操作を企てています。しかしこの思惑は「どこが譲渡か?!」「部落の土地を取り戻した」「和解と用地問題は別」という、原告の記者会見の言葉によってうち砕かれたのです。

 ■裁判の脇利をステップに公団民営化による暫定滑走路延伸を阻止しよう

 暫定滑走路と闘うにあたって、東峰神社裁判の勝利は重大です。東峰神社は2500m平行滑走路のど真ん中に位置します。東峰部落はこれを守りぬきました。

 しかし暫定滑走路による民家上空40メートルのジェット飛行と天神峰のジェットブラストといった、人を人とも思わぬ生活破壊の現実は何ら変わりません。東峰神社裁判の全面勝利を、暫定滑走路粉砕の突破口としよう。暫定滑走路の北側延伸を阻止しよう。

和解条項

1.. 被告は、原告らに対し、被告が別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)上の東峰神社境内地内の立木(神社林)を伐採したことについて、心から謝罪する。

2. 原告らと被告は、本件土地が1953年以来、原告らで構成される東峰部落の総有財産であることを相互に確認する。

3. 被告は、本和解成立後直ちに原告らに対して、本件土地について真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をする。登記手続費用は、被告の負担とする。

4. 本件土地は、上記東峰部落の総有に属するため、原告ら各自は、登記簿上の表示にかかわらず、持分を有しないことを相互に確認する。

5. 原告らと被告は、東峰神社の景観を回復するため、別途協儀のうえ、東峰神社周辺(神社敷地の外側)に立木を植栽するものとし、その費用は被告の負担とする。

6. 被告は、東峰部落に対し、損害賠償等として金500万円の支払義務があることを認め、本件和解成立後10日以内に同部落を構成する原告らの代理人にこれを送金して支払う。

7. 東峰神社に関する事項について被告が、一定の現状変更等を望むときは、被告は必ず、原告らによって構成されている東峰部落に対して協議を申し入れるものとすることを、原被告は確認する。

8. 原告らと被告の間に、本件につき、本和解条項で定める他、何らの債権債務のないことを相互に確認する。

9. 原告らは、その余の請求を放棄する。
10. 本件訴訟費用は、当事者各自の負担とする。


                                   2003年12月5日
声   明
 (1)    この間東峰部落は、2002年4月、千葉地方裁判所に対して、新東京国際空港公団を被告として、東峰神社の敷地所有権名義の回復、公団による神社林不法伐採問題の責任追及、部落の名誉回復等を求める訴訟を提起し、全国から多くの方々の御支援を得つつ、闘ってきました。

                   (千葉地裁民事第二部平成14年<ワ>第808号事件)

 (2)    本日、別紙記載の和解条項を内容とする、裁判上の和解が成立するに至りましたので、一貫して東峰神社裁判に心を寄せて下さった皆様に、以下のとおり、御支援に対する心からの感謝の気持をこめて、これを御報告致しますと共に、部落の直面させられている現実にふまえたところの、今次和解についての考え方を、部落内の意見に基づき、代理人・弁護団としての立場から、明らかにするものであります。

    成田市東峰部落東峰神社裁判弁護団

                      弁護士 大口昭彦   

                      弁護士 鶴見俊男   

                      弁護士 浅野史生   

1. 成田市東峰字笠峰53番2に所在する東峰神社は、戦後開拓の多大の労苦の末に、豊饒な農地を有する農業共同体として成立した、東峰部落の象徴であって、全部落民の心のふるさとであり、そのよすがである。
 それは1953年、当時の部落民による、土地・社殿等施設・神社林苗木等の寄進と労力普請によって、創建された。この経過よりして東峰神社は、東峰部落の産土神社・鎮守杜そのものであって、これを構成する不動産・動産等の一切は、部落の貴重な総有財産である。

2. しかるに公団は、2000年12月に、全く秘密裡に、部落外の表見的な土地所有名義人から譲渡を受けたとして、2001年6月15日に登記名義を移転したうえ、翌16日には抜打ち的に、警察機動隊多数の暴力的実力援護の下に、この東峰神社の敷地内に押入り、御神体の一部でもある神社林を不法に伐採するという暴挙を行った。

3. 部落は、当然に、大きな精神的衝撃を受けると共に、もちろん、この暴挙に対しては強い怒りを抱き、鎮守社防衛のために、本件訴訟提起を行った。

その後、全国の多くの方々の熱烈な御支援や、法社会学の学者の先生方からの懇切な御指導等を頂きつつ、無道に蹂躙された部落の名誉の回復を願って、裁判を進めてくることが出来た。

4. しかして今般、当初は居直っていた公団から、訴訟の進行に則して、神社林の伐採について謝罪し、敷地所有権についても、1953年の創建以来東峰部落の総有財産であることを認める、などの姿勢が示されるに至った。
 部落は、これを全体で協議した結果、当方の主張がほぼ100パーセントに近く実現されており、東峰神社を守り抜き、部落の名誉を回復するという趣旨は、十分に達成され、本件訴訟を提起した目的は完全に果されたと判断したので、東峰神社問題については、この段階で和解を以て決着させることとした。

5. だがしかし、ここで部落として明確に強調しておきたいことがある。それは、これは、あくまで公団が理不尽にも部落に対してなした不法な行為が、事後的に正されたということであって、それ以上の特別の意味を有するものでは、何らないということである。

 なぜなら、そもそも今回このような問題が生じた根本には、40年来の空港問題があり、とりわけ東峰部落を直撃しているところの、いわゆる暫定滑走路問題が存在していることが明らかであるが、本件神社問題の解決は、これ自体は別に、これらによって部落が受けている甚だしい被害・苦痛を解決するものでは、全くないからである。単に、空港問題から派生せしめられた公団による不法の一が、しかるべく元に戻されたというに過ぎないのである。

6. 今般の東峰神社問題解決による、部落の名誉の回復は、もちろん部落民にとって大きな喜びである。何よりも、苦しい開拓に人生を捧げた多くの父祖先人の霊前に、真っ先にこのことを報告する所存である。

 しかしその今日の今も、頭上40メートルの高さを、巨大な腹を威圧的に見せつつジェット旅客機が、電車ガード下なみの騒音を撤散らしながら発着を続けている。更に騒音のみならず、この間連続的に発生した事故にも明らかなように、部落は危険にも曝され続けている。このような現実には何の変化もないのである。

 このことを東峰部落民は、片時も忘れることは出来ない。

7. ところで今回の和解に先だって、おそらくは公団の意を受けたと思われる一部の新聞が、例えば、

   @「公団が無償譲渡」などと報じたうえで、

   Aこの和解が「農家側と信頼関係を築き」「公団の空港用地取得進展への弾み」となす旨の公団側の意図を紹介している。
果ては、

B「今回手放す神社敷地を再度、所有することは十分可能」などとの、実にあけすけそのものであるコメントをも紹介している。

8. しかし、これは全く的外れでしかなく、かつ、部落の神経を逆撫でする記事であることを明らかにしておく。
 
 (1) まず@は、本件「和解条項」の記載そのものからしても、その誤謬であることが明白である。

 すなわち、本件土地は別に、公団から部落に譲渡されるのではない。もともと部落の総有であった土地の所有権が、改めてそのように確認され、これに基づいて、誤った登記の記載が本来のものに修正されるだけのことのである。

 (2) また前記よりして、Aもまた現状ではありえないことが明らかである。

 なぜなら連日、部落を騒音地獄の責め苦で痛め続けつつ、ただ、他方で自身の行った不法行為について一定の解決がついたからといって、「信頼関係構築云々」などということは、ありうるはずもないことであるからである。

 (3) Bに至っては、言語道断と言わねばならない。「信頼関係」などと言いながら他方で、このようなことを平然と言っている神経を疑うが、しかしこれこそが公団の真意であることが、はしなくも露呈されているであろう。

 その意味では、今回の「謝罪」は当然のことであるが、しかし、公団の根本の姿勢は、神社林問題発生の時のそれと基本的に異なるものではないと、改めて部落は認識した。

9. 部落は、今回の和解について、このように、公団の用地取得活動のキャンペーンの一環として扱うかの如き行動に、強く抗議する。
 それと共に、神社問題の一定の決着は、公団の企図する用地問題に、何ら関連するものではないことを、特に明らかにしておくものである。

10. 東峰部落は、今後も、こうした問題の根底にある空港問題の解決のための努力を、神社裁判を通じて培われた部落の団結を基礎に、また今回部落を支援して下さった全国の皆様と共に、更に様々な形で展開して行く所存である。
                                                                          以上