行動の記録(06年7月)
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   暫定滑走路「北延伸」着工阻止
   憲法改悪反対
 
7・2全国総決起集会   
 場所:成田市東峰
 主催:
三里塚芝山連合空港反対同盟
 7月2日,三里塚芝山連合空港反対同盟主催による,標記の集会が行われました。
 1966年7月4日の空港設置の閣議決定から40年,暫定滑走路の「北延伸」着工が9月にも予想される情勢となっており,着工阻止の新たな決戦に突入する集会として,全国から910名が結集しました。

 国土交通省と成田空港会社(NAA)はこの夏にも工事を強行しようと構えています。成田空港会社(NAA)は7月10日,暫定滑走路の320メートル「北延伸」の施設変更許可を国土交通省に申請し,さらにNAAは同日,空港の敷地に食い込み暫定滑走路の誘導路を「へ」の字に曲げている天神峰の市東孝雄さんの畑について,成田市農業委員会に農地の耕作権解除を申請しました。(6月12日,同盟員の市東孝雄さんに対し耕作地の「解約要求」を文書で送りつけて来ていた)
 また6月28日には一坪裁判の反動判決が強行され,東峰区に対しては森の3分の2を破壊するとの文書が手渡され,緊迫した情勢になっています。

 主催あいさつに立った北原鉱治事務局長は,「新たな闘争宣言を発する場として今日の集会を持った。
NAAの黒野社長は昨年謝罪文を発表している。その舌の根も乾かぬうちに北側延伸を進めている。一体どういう神経か。我々は怒り心頭に発している」「小泉首相はアメリカの追随者として,戦争への道へと走っている。彼は任期中何を改革したのか。悪い方に引っ張っていくことにばかり力を入れて,国民の抱えている問題を犠牲にして,イラク派兵に介入したわけです」,さらに法大弾圧の問題,国際連帯などにも触れ,「人間はやっていいことと悪いことがある。今日から新たな気持ちを持って,日本の未来のため,若い諸君の未来のために三里塚は闘う」と語りました。

 続いて,萩原事務局次長が基調を提起。「三里塚現地は,明日にも北延伸の申請がなされるようとしている。今日は40年よく闘った,良く持ちこたえた,という集会ではありません。見るも無残な空港を強制している中で国交省・空港会社は形だけでも空港の体をなす,それをやり遂げなければと,常識など無視して強権的に攻撃してきている。新たな決戦突入宣言の集会だ」と語りました。
 
そして当面の闘いとして,市東さんの農地取り上げ策動,一坪共有地の明け渡しを命ずる反動判決,「東峰の森」破壊の誘導路計画などとの闘いについての取り組みの訴えがされました。

 萩原さんは,昨年5月のNAAの黒野社長の謝罪文と現在の攻撃の落差について触れ,「何度我々を愚弄し,騙すのか。頭を叩き割ってみたい」と怒りを露わに語っていました。昨年5月,黒野社長は「長い間のご苦労,失われた名誉,尊厳に対して,心を砕かなかったことを痛感」「深くお詫びし反省」「今後,生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやってはいけないとの強い決意」と謝罪文を出しているにもかかわらず,その挙げ句にやろうとしていることは,農地強奪と森の破壊,民家上空40メートル・130デシベルのジャンボ飛行と権力による監視なのです。
 「頭上40メートルをジャンボ機を飛ばし130デシベルの騒音下にたたき込むのは死ねと言うのと同じだ「三里塚の情勢は憲法改悪の先取り適用したのもとしてあり,農民の尊厳を踏みにじっている。そして同じことを総仕上げとしてやろうとしている,アジアの人民にやろうとしているのが改憲攻撃だ」と語り,最後に暫定滑走路の北延伸着工阻止の現地攻防と10月8日の全国総決起集会への結集を訴えられました。

 発言は続いて,「憲法闘争と三里塚」と題して,反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士が,動労千葉の田中康宏委員長が労農連帯アピールと続き,さらに,反対同盟の決意として,天神峰の市東孝雄さん,中郷の鈴木謙太郎さんが訴えられました。
 現闘本部裁判を支援する会代表世話人の戸村義弘さんが裁判支援の訴え,反対同盟の声明を「一坪共有地強奪の不当判決を徹底弾劾する」を三里塚野戦病院が,「着工阻止闘争宣言」を本部役員の鈴木幸司さんがそれぞれ読み上げました。
 
 さらに住民団体・共闘団体からの決意表明で,関西新空港反対住民,北富士住民,沖縄からのメッセージ,部落解放同盟全国連合会,都政を革新する会,婦人民主クラブ全国協,全学連などの決意表明がありました。

 デモは,今回「東峰の森」を一周する初めてのコースを通り,東峰地区,天神峰地区,団結街道を北上して,現闘本部の先の市東さんの畑まで行いました。途中市東さん宅前で冷たい麦茶が振る舞われ,のどを潤しました。
 
 成田空港建設阻止のを闘う三里塚の農民と全国の支援の闘いは,「過激派」の運動だと思って一線を引いていたら大間違いです。
 三里塚での権力のやり方は,金と金に屈服しない者には暴力による攻撃,78年の暴力的な開港,農家の頭上40メートルをジェット旅客機が爆音を轟かせて行き交い,誘導路からは地上走行するジェット機から猛烈な排ガスが直撃する,「人の住める環境ではない」(堂本千葉県知事)状態の強制,大量の機動隊と私服刑事が暴力的に振る舞っているということです。
 農民の人権が踏みにじられ,無法がまかり通っている。三里塚の情勢は憲法改悪の先取り適用したのもとしてあります。

 しかし,同時にこのような攻撃に負けずに,三里塚の農民は闘い続けています。全国から三里塚に心寄せる人々が駆けつけてくるのです。だから「日本の表玄関」と称する成田空港は,1966年の閣議決定から40年経っても,未だ半分もできていない欠陥空港の状態を強制されているのです。
 第一級の国策事業である成田空港建設を40年間も阻み続ける三里塚闘争こそは,戦争への道を許さない闘いの展望を示しているではないでしょうか。
 反対同盟は,「改憲に反対する全国のみなさん! 敢然とたちあがろうではないか。米軍の虐殺と闘うイラク人民、韓国農民・労働者の決起、世界の人民の闘いと連帯し、この日本で目の覚めるような闘いをぶちぬこう」と呼びかけています。
 
 三里塚現地の攻防に,10・8全国集会(三里塚現地)に,共に駆けつけましょう。     (T)  

  7・2反対同盟の声明(「一坪共有強奪の不当判決を徹底弾劾する」「北延伸着工阻止 決戦宣言」)
  三里塚反対同盟 緊急抗議声明(7/11付け)
  動労千葉HP(7・2集会記事)より
  『街』のHPの写真速報より
  婦人民主クラブ全国協議会のHPの写真速報より
 
街頭行動 7/8,15(土)   
 場所:千葉市
 主催:とめよう戦争への道!百万人署名運動・ちばいちはら連絡会
 
 この間,7/8(土),15(土)に「9条改憲反対」の署名用紙を手に街頭行動を行いました。
 8日は,4人の参加で100筆を越える署名が集まりました。15日は3人で70筆弱でした。8日には,Kさんは1時間で30筆を集め,私は,8日は2時間で18筆,15日は1時間ちょっとで19筆でした。8日に初めて参加したNさんは,1時間くらいで15筆集め,15日も駆けつけてくれました。反応は悪くはない感じでした。

 両日とも,7/5,6日の朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)のミサイル発射の問題に反応し,「攻撃されたらどうするんだ,自衛のための軍隊が必要だ」とか「なめられられているからだ」といったことを口にする人が何人もいました。同時に,政府・自民党が北朝鮮非難や国連での経済制裁を求める動きを強め,マスコミや共産・社民までもがこの動きに流されている中で,こういう事態に危機感を抱く人々が少なからずいるという感触を持ちました。ある50代と思われる婦人は,受け取ったビラを見て私のところにやって来て署名をし,ミサイル発射問題など色々話をしていきました。
 15日には,「北朝鮮への経済制裁反対」のコピービラ(秋田の“平和憲法を変えないぞ!秋田集会実行委員会”がつくったビラを活用)も50枚急きょ用意し署名してくれた人に渡していきました。反応は上々でした。

 次回の街宣は7/23(日)の16時〜18時です。場所はJR千葉からガード沿いに京成千葉方向に向かって,その中間にある Paseos田原屋前のスクランブル交差点です。
 みなさん!ぜひ駆けつけて下さい。
  (T)  
 
 千葉県議会が「北朝鮮のミサイル発射に抗議する決議」(7/7)
   (自民,民主,公明,共産,社民,水と緑の会が自民党提出の本決議案に賛成,唯一,「市民ネット・無所属市民の会」だけが本決議案に反対を表明)

  北朝鮮ミサイル発射問題に関する資料はこちら
 
中央線湯の花トンネル列車銃撃事件慰霊碑訪問記 7/13(木)   
 
 今回はいつもとは趣を変え、東京・高尾(八王子市)にある「碑」の訪問記を書いてみたいと思います。その「碑」とは、アジア・太平洋戦争の敗戦間近に起こった米軍による中央線列車銃撃の慰霊碑です。

 1945年8月5日、ED16型電気機関車に牽引された新宿発長野行きの中央本線普通「419列車」(8両編成)が、満員の乗客を乗せ浅川駅(現・高尾駅)を出発、現在の八王子市裏高尾町の「湯の花トンネル」付近に差しかかったところ、米軍のP51型艦載機数機の機銃掃射を受け、機関車と先頭から2両目の半分までがトンネルに首を突っ込んだ状態で停止。残りの客車が艦載機の餌食となり、少なくとも死者52名、重軽傷者133名(一説には死傷者900名以上とも)を出す、列車銃撃としては戦時下で最悪の惨事となってしまいました。多数の一般乗客(非戦闘員)を犠牲にした国際法違反、非人道性が問われるべき事件でした。

 私はこの事件のことと、現場近くに慰霊碑が建立されていることを、斎藤勉著『中央本線四一九列車』(のんぶる舎)という本で知り、7月13日(木)に現地を訪問してきました。
 JR高尾駅から小仏行きのバスに乗り、旧甲州街道を走ること約15分ほど、「蛇滝口」というバス停で下車。この地は環境破壊の圏央道建設が強行されているところでもあり、「圏央道反対」の立て看板を多く見かけます。中央線の線路はすぐ脇を走っており、「湯の花トンネル」はすぐに見つけられました。
 高尾以西は列車本数が格段に少なく、まばらに列車が通り過ぎるだけです。ここであのような惨劇が起こったとは、にわかには信じ難い、静かな山里の風景です。その山里にはおよそ似つかわしくない圏央道の工事が強行されており、事件で犠牲になった乗客の無念と、身を削られている「山の怒り」が同時に聞こえてくるようでした。

 慰霊碑はどこかと辺りを見回してみましたがよくわからなかったので、すぐそばの畑で農作業をしていたおじさんに場所を尋ね、しばらく話を聞かせてもらうこともできました。おじさんは、やはりこの事件のことをよく知る人で、近隣総出で乗客救助にあたり、搬送に使った住宅の戸板に付着した血が戦後何年も落ちなかったこと、辛うじて生き残った乗客は湯の花トンネルや、その先の小仏トンネルまでも歩いて越えて与瀬駅(現・相模湖駅)にたどり着いたことなどを語ってくれました。その内容は、私が前掲書で読んだとおりのことでした。そして、「あなたのような若い人がこの事件に関心を持って、語り継いでほしい」と言ってくれたので、私は「こうした事件が二度と起きないようにするためにも、平和憲法をしっかりと守って戦争のない世の中をつくる
ことが大事だと思う」と応えました。

 慰霊碑は、中央線の線路際に、静かに立っています。碑文と、わかっているだけの犠牲者の名前が刻まれています。私の撮ってきた写真ではわかりにくいので、碑文を文字に起こしてみました。

 慰霊の碑

  終戦間近の昭和二十年(一九四五)八月五日 真夏の太陽が照りつける午
 後十二時二十分頃 満員の新宿発長野行四一九列車が いのはなトンネル東
 側入口に差しかかったとき 米軍戦闘機P51二機または三機の銃撃を受け 
 五十二名以上の方々が死没し 百三十三名の方々が重軽傷を負いました こ
 の空襲は日本最大の列車銃撃といわれています
  私どもは この戦争の惨禍を決して忘れることができません
  ここに 確認された犠牲者のお名前を書きとどめ ご遺族とともに心から
 ご冥福をお祈り申し上げ 現在の平和の日々をかみしめ 戦争を知らない世
 代へこのことを語り伝えます

      平成四年八月五日 いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会


 この事件自体は米軍艦載機の非人道的行為の結果ではありますが、まぎれもなく日本の侵略戦争の只中で起こった事件であり、事件の犠牲者は米軍による犠牲者というだけでなく、侵略戦争の犠牲者であると言えます。
 鉄道は、どこまでも平和と暮らしを乗せて走っていてほしいと思います。その鉄道が「戦争」を運ぶ道具にされた時にどうなるか、この事件は教えてくれているのではないでしょうか。  (R)


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 7月9日(日)、私はJR京葉線・新浦安駅前にて、憲法署名とチラシ配布を1人で取り組んでいました。活動をはじめてほどなく、浦安市から委託された警備会社の警備員がやってきて、私に活動を中止するよう介入してきたのです。
 主なやり取りを示すと、以下の通りです。

  警備員「ちょっと、許可取ってるの?」
  「許可は取っていないが、チラシ配布等の行動では許可はいらないはずだ」
  「とにかくダメだ。ちゃんと許可取ってやってくれればいいんだよ」
  「あなたは私にやめろと指示するが、それなら法的根拠を示せ」
  「そんなことオレわかんねーよ。市から言われてやっているだけだ」
  「許可を不要とする裁判の判例もある。根拠も示さないでやめろと言われる
   のは納得できない。強く抗議する!!」

 いわゆる「有楽町ビラまき事件」判決(1966年、東京高裁)などの確定判決により、「一般の交通に著しい影響を与える」ような形態でない限り、チラシ配布等の活動においては道路使用許可を取ることなく、自由に行えることが権利として確立されています。
 しかし、警備員はこうした私の指摘にもかかわらず、とにかく「許可を取れ」「市から言われている」の一点張りの妨害を続け、結局署名活動を断念せざるを得ませんでした。

 根拠も一切示さず(示せず)、市民の自由や権利を平然と踏みにじる妨害行為を断じて許すわけにはいきません。そこで私は、無党派の立場で市政の問題追及や平和活動に取り組む広瀬明子・浦安市議のご協力をいただき、24日(月)に浦安市の担当者との折衝の場を持ちました。市側で応対したのは、道路管理課の課長と担当職員2名。

 まず私と広瀬市議がそろって、当日の状況を示した上で、警備員が署名活動の中止を指示したことは極めて不当であると抗議し、説明を求めました。すると警備会社の管理を担当する職員は、警備員の言葉づかいや対応ぶりについては「不快を与えた」ことを認めて詫びたものの、警備員の行為自体には誤りを認めませんでした。

 そして、「有楽町ビラまき事件」判決の内容を示しながら、署名活動への干渉は市民の自由や権利を侵害するものだと迫ると、課長は同事件の判決内容は「知らない」。しかし一般交通の円滑化のために、すべてに守ってもらう「ルール」として、何らかの活動を行う際には許可を取るよう指導している。あくまで活動の内容が問題なのではない、と繰り返すばかりでした。

 市側の対応は総じて、「市民の自由や権利の尊重」などはまったく眼中になく、画一的に「秩序」のみを追求する姿勢に終始しました。道路管理課長の立場にある者が道路使用の要許可行為についての司法判断すら「知らない」というのも問題外だと思います。1時間ほどの交渉の場でしたが、予想されたこととは言え進展は見られませんでした。
 最後に、今回の活動妨害に対する抗議と、前出判決を踏まえて以後の妨害再発がないよう求める「申入書」を提出し、文書による回答を約束させました。その回答の内容によって、当方の対応を改めて考えたいと思います。  (M)

  街頭行動に許可はいらない判決文例等はこちら
   「署名活動妨害」抗議申し入れにに対する浦安市の回答はこちら
 
街頭行動 7/23,30(日)   
 場所:千葉市
 主催:とめよう戦争への道!百万人署名運動・ちばいちはら連絡会
 
 この間,7/23(日),30(日)に「9条改憲反対」の署名用紙を手に街頭行動を行いました。
 
この日の街宣は,9人の参加で,110筆の署名をいただくことができました。ビラは9条ビラが250枚,北朝鮮制裁攻撃反対ビラ200枚を用意しましたが,どちらも全部はけてしまいました。今回も秋田のビラを使わせていただきました。

 労組交流センターの先頭で奮闘している若いWさん,Aさん,動労千葉支援のHさん。右翼と聞くと血が騒ぐという歴戦の勇士のYさんも駆けつけてくれました。この間毎週参加のNさんは飛びきりの笑顔で登場。常連のTさん,Rさんもいつもどうりに駆けつけてくれました。久しぶりにUさんも登場。
当日は県連絡会の例会&通信の発送日のため来られない人が多い状況でしたが,私も入れて総勢9人の久しぶりに街宣らしい街宣になりました。

 Wさんが始めにマイクを握る。Aさん,Rさん,Uさんが続き,交代でアピールし続けました。力強いアピールに,署名を集める私たちも力が入ってきました。

 ミサイル発射実験についての反発は,8日,15日の街宣の時程は感じられませんでした。

 続く30日(日)の街宣は参加者3名,署名59筆でした。