タカハシはバイクに跨った中年男性に「救急車を呼んで来てください。この先にある病院はたしか救急車が」と言った。
「無駄だよ。連中(病院)俺たちが貧乏で金払えないの知っているから来ないよ」
彼は悲しそうに言った。
「それじゃ、これを持って行けばいいだろ。そうそう、『医者を乗せて来い』と伝えて」
タカハシは背広の内ポケットからパスポートとアメックスプラチナカードそれに財布を取り出して渡した。
彼は先ほどとは違いタカハシの要求を二つ返事で請け合い病院へ向かった。
タカハシは動かない少年に駆け寄り首筋に指を押し付け脈を診た。
全く脈は無かった。
タカハシは背広を脱ぎ丸め少年の首に当て心臓マッサージを始めた。
少年の小さな胸に掌を押し当てリズム良く押し続けた。
夕暮れとはいえ40℃近い気温に汗が滝のように流れ眩暈を感じた。
タカハシは心の中で「救急車よ早く来い」と叫び続けた。
5分が過ぎたが救急車は来ない。
歩いても10分程度の距離だから、もう来てもいい頃だ。
「まさか?」タカハシはバイクの中年男性が、そのまま逃げたのではと一瞬考えた。
全く面識の無い人間だ、持ち逃げしたって分かりはしない。
【パスポートにプラチナカードそれに多額の現金】誘惑するには充分過ぎる条件だ。
10分が過ぎた。
少年の死を認めなければならない時間となった。
タカハシは少年の胸から手を離し空を仰いだ。
「死んでるよ」タカハシの後ろでハッサンの声がした。
「この子の父親はアフガニスタンに出稼ぎに出ていた時に米軍の誤爆で破壊された病院のボイラー室で死んだ。そして今度はアメリカ大使館の車に撥ねられた。母ひとり子ひとりの貧しい暮らしで生活の足しにと学校にも行かず毎日鋳物工場で石炭運びで僅かな賃金を稼いでいたんだ。先ほど週払いの賃金を受け取ったばかりで喜んでいたそうだ。恐らく今夜食べるパンを買いに急いでいたんだろう、可哀そうに」
ハッサンは跪き少年の頬を撫ぜながら言った。
「この件に関しては充分な補償をさせてもらう」
タカハシは力なく言った。
「ほう、充分な補償をね、それじゃ今すぐ生き返らせろ」
ハッサンはタカハシを睨みながら言った。
「その旦那を責めないでやってくだせえ」
ハッサンの後ろで例の中年男性が流れる涙を拭いもせず声を震わせながら言った。
病院で断られ仕方なく寺へ駆け込んだとのことだった。
タカハシとハッサンは少年の遺体を近くの公民館に運んだ。知らせを聞いてホテルの厨房から駆けつけた母親は少年にすがり泣き叫んだ。
タカハシは夕方帰国する米軍機に乗り込む予定を明日に延ばしハッサンと2人で葬儀の準備をした。
明け方、タカハシは大使館から迎えに来た車に乗り込んだ。
大使館で少年を撥ねた職員に「あの子は死んだよ」とタカハシは告げた。
「そうですか」
彼は特に気にする様子でもなく単なる伝達事項を聞くように聞き流した。
「あの子は死んだんだよ!」
タカハシは声を荒げた。
驚いた周りの職員たちが一斉にタカハシを注目した。
「ミスター・タカハシペンタゴンから電話です」
若い女性職員が恐る恐る言った。
「もういいですか?」
職員は淡々とした表情で言った。