孤独な少女絵美2

 
 「あなたは高校生?」
 笑子が聞くと女の子は「あの2人は行っているけどアタイはバカだから行ってない。無職」と俯いて言った。
 手に持った線香花火が侘しく小さな炎を飛ばしていた。
 「WHAT ARE YOU DOING!」とベティが叫びながら女の子に駆け寄り、火の点いた花火を近づけた。
 女の子は「キャッ」と声を挙げて逃げ回った。
 それから30分程で花火が尽き、缶ビールも無くなった。
 後片付けをして家路に向かう笑子たちの後を例の女の子が5mくらい間隔をあけてついて来る。
 「きっと同じ方向なんだろう」と思って気にせずに歩いていた笑子だったが、付かず離れずと言う具合に後を追いてくる彼女の行為を次第に不審に思い始めた。
 畦道までついて来たところで振り返って「もう帰りなさい」と言った。
 この先は和泉の家しかない。
 女の子は悲しそうな顔をして笑子たちを見た。
 「そうよ、もう12時回ってるから家の人も心配してるわよ」
 和泉が言った。
 女の子は相変わらず黙って悲しい表情で笑子たちを見ていた。
 「GET OUT SOON!」
 ベティが叫ぶと女の子はしゃがみこんで泣き出した。
 その予期せぬ行動に笑子たちは戸惑った。
 「ゴメン、ゴメン!脅かすつもり全然ないのよ」
 笑子は女の子に駆寄り、しゃがみこんで言った。
 ベティは、ただ立ち尽くすだけだった。
 「本当に無神経な女ね!」
 スージーが横目で睨みながら言った。
 「アタイ帰るとこ無いの…」
 女の子は泣きじゃくりながら言った。
 「参ったな!」
 笑子に通訳してもらい事情を知ったベティが言った。
 「あなた顔色悪いけど晩御飯食べたの?」
 和泉が聞くと女の子は「今朝から何も食べて無い」と応えた。
 「あれ、さっきコンビニで食べてたんじゃ?」
 笑子が言うと女の子は「アタイお金持ってないから食べてない。あの子たちとはさっき知り合ったばかり」と応えた。
 「とりあえず、ファミレスで、お茶しながら相談しない?」
 和泉の提案に皆賛成したが全員酒を飲んでいるので和泉の携帯電話でタクシーを呼ぶことにした。
 「2台は無理ですね。丁度今終電が終わったばかりで皆出払っていて、でも1台なら大丈夫ですよ」
 ダミ声が和泉の携帯電話から聞こえた。
 「上尾方面なら往復しても30分もあれば大丈夫よ」
 笑子が言った。
 「それじゃ私は、ここ(和泉の家の前)で待ってるわ」
 そういう訳で和泉1人残し笑子たち4人が先にタクシーに乗り込みファミレスに向かった。
 深夜にも拘らず店は混んでいて笑子たちは入口にあるソファーに腰掛けて順番を待った。
 「夜中に、こんな大勢の客が居るなんて、プリシラが見たら、きっと羨ましがるだろうな!」笑子が呟いた。
 「何?」
 スージーが尋ねた。
 笑子はクーガータウン近くの国道沿いにあるプリシラの店の事を話した。
 「あの小汚い店の事か?でもミソスープは旨いな。ポークのテリヤキステーキを食ったけど良く合うゼ!」
 ベティが言った。
 「えっ!あの町でミソスープが食べられるの?」
 スージーが目を丸くして言った。
 普段ワシントンで暮らしているスージーは常々留学していた日本での生活を懐かしく想っていた。だからタカハシが笑子を日本へ送り届ける判断を下した時自ら進んで日本で笑子をガードする役を申し出た。特に日本食については深い思い入れがあり、そのなかでも味噌汁は卒論のサブテーマにしたくらい好きだ。でもアメリカでは味噌汁には簡単には在り付けない。日本食レストランなんかは沢山あるが味噌汁は殆ど無く、有っても単に味噌を湯に溶かしたもので本来の味噌汁では無かった。
 「あのミソスープ私が教えたのよ。そしたらステファンさん(プリシラの父親)
気に入ちゃってフェニックスの商社まで出向いて日本から麹(日本製のイースト菌ね)輸入して自分でミソ作り始めたの。それだけでは飽き足らずトーフまで作ったのよ」
 笑子の話にスージーは生唾を飲み込みながら聞いた。
 3人の会話は英語だったので女の子には全く分からなかった。
 「これカッコいいじゃねえか!」
 ベティがレジ横にある金色のドクロの付いているキーホルダーを見つけて手に取り言った。そして笑子に向かい「アメックス使えるかどうか聞いてくれないか?」と頼んだ。
 「自分で聴いてみれば?コレ・ツカエマス?って言ってカード見せればいいわ。
 コレ・ツカエマス?簡単でしょ?」
 笑子が言った。
 別に意地悪の積もりは無い。
 単に他人のクレジットカードに係わりあいたくなかっただけだ。
 ベティは財布からアメックスカードを取り出してコレ・ツカエマスと繰り返してレジに並んだ。
 やがて和泉が到着するのとほぼ同時に席が空き皆席に着いた。
 笑子たちは食事を終えたばかりなので皆コーヒーを注文した。
 「好きなものを何でも注文しなさい!」
 和泉が言うと女の子は恐る恐る「それじゃ、ポテトとパンとカップスープいいかな?」と弱々しく言った。
 「えっ?」笑子が怪訝な表情で言うと女の子は少々驚いたようで「パンはいい」と申し訳なさそうに言った。
 「なに言ってるの!好きなもの注文しなさいと言ってるでしょ!」
 笑子が少し強い調子で言うと女の子は「ごめんなさい!」と言ってシクシク泣き始めた。
 スージーに通訳してもらったベティは「『好きなもの注文しなさい』って言われてもオゴッてもらう身にとっては頼みづらいのは当たり前だろ!」と言って通り掛かったウェイターを呼び止め次々と注文を始めた。
 10分もすると注文した品々で埋め尽くされたテーブルに女の子は目を丸くして「スッゴーい!」と驚いている。
 ベティはアメックスカードが使える事を知って強気だった。
 女の子はフライドポテトを一気に平らげるとポツリポツリと話し始めた。
 彼女の名は北野絵美。
 ここから車で10分ほど行ったところにある上尾駅近くのマンションに母親と、その愛人の3人暮らしだが愛人の暴力が酷く、この半年都内をブラブラして家には帰ってないという。
 「それにアイツ(母の愛人)最近アタイとしたがるから」
 絵美が言った。
 日本語の分からないベティ以外皆一瞬言葉を失った。
 突然止まったスージーの訳にベティが「どうしたっていうんだ?」と不思議そうに尋ねた。スージーは言葉に詰まり、顔を赤らめて「私には言えない」と言って俯いてしまった。
 「どうやって食べてたの?」
 和泉が尋ねると「さっきみたいにコンビニでいると男の人が誘ってくれてホテルなんかで…」と絵美が言った。
 その言葉に皆驚いた。
 ハッキリいってそういう魅力があるようには見えない痩せた女の子だ。
 話では一回の報酬が2〜3万だが時には今みたいに食事だけということも有ったらしい。先月上野でヤクザに監禁され無理やり客を取らされたが隙を見て逃げ出して桶川まで戻って来たとのことだ。
 「DVっていうのは他人には分からないもんだぜ。うちのオヤジも酷かったからな。ましてやレイプされちゃ堪んないからな。でも、それだけじゃ泊めてやれねえな。嫌だろうけど、ちゃんと家の人に断らなきゃ。そうしないとオレたちが誘拐犯になっちまう」ベティの提案に皆賛成した。
 笑子たちは気の進まない絵美を急き立ててタクシーを呼び上尾に向かった。
 母親は勤め先のスナックからまだ帰っておらず絵美の話どおり乱暴な愛人が出てきた。

 部屋の奥からは麻雀パイを、かき回す音と女性の声が聞こえてきた。
 「娘さんは、うちで預かります。何か用事があれば、ここに電話して下さい」
 和泉が、そう言って彼女の携帯電話の番号を書いたメモ用紙を渡した。
 男は黙ってメモ用紙を受け取るとドアを閉めた。
 「ついでに被害届も出しとかないと」というスージーの提案で駅前の交番に行った。
 「あれ、この子今保護観察中だよ」
 パソコン画面を見ながら警官が言った。
 「この子あまり、お行儀が良いとは言えないな。3年前に深夜の繁華街で補導されたのを皮切りに窃盗(と言っても集団万引きの見張りを知らずにやらされてたみたいだけど)売春、覚せい剤不法所持と立派なもんですよ。丁度半年前に鑑別所から出て来て未だ保護観察中なんだけど、ここ1月連絡が取れない状態が続き保護観察員も随分心配しているようですね。家の方に行かれたのなら分かると思うんですけど母親と一緒に居る男、あれが問題大有りで市の職員が出向いてもまともに取り合ってはくれないし母親も、あの男の暴力を恐れて何も言えないらしいんですよ」
 「そこまで分かっているんなら何故ソイツを逮捕しないんですか?」
 スージーが警官に向かって言った。
 「ええ、本当ですね。出来る事なら今すぐ行ってその男をブン殴ってやりたいくらいですよ。でも私らは警官ですから法に則った処置を全うするしかできないんですよ」警官は力む訳でもなくひと言ひと言噛みしめるように言った。
 今のところ日本に住所を持つのは和泉しかいないので彼女が絵美を預かることになり彼女の経歴、職業、前歴を調べ特に問題が無い事を確認してOKとなった。
 「分かりました。連絡先は酒田さん(和泉の実家)でいいですね」
 若い警官は今聴取した書類に電話番号を書き込みながら言った。
 時間は夜中の3時を回っていた。
 家に着くと皆疲れていると見えて直ぐに寝入った。
 あの事件以来まともな寝床で寝るのは初めてなので夢ひとつ見なかった。
 翌日の昼前に笑子が目覚めると和泉は既に仕事に出掛けていた。
 ベティ、スージー、絵美は布団から飛び出し部屋一杯に広がって寝ている。
 ドアには新聞のチラシの裏に書かれた「起きたら母屋の方に電話掛けてね。母ちゃんが食事用意してるから」という和泉のメッセージがセロテープで貼られていた。
 和泉の母親の運んできたオニギリと味噌汁で腹を満たした笑子たちは絵美を置いて川越の実家へ向かった。
 実家には予定を1日繰上げて両親が戻っていた。
 「戻るなら戻るとひと言言ってくれれば出掛けなかったのに!」
 笑子の母親は呆れたように言った。
 父親はベティとスージーに恐縮した様子で落ち着かない。




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