日本支社誕生1

 
 
 笑子は朝早く横田基地に呼び出された。
 指定された第5ゲートではイヴァノフ大佐が待ち構えており、助手席に乗り込むと笑子に格納庫へ向かうように指示した。
 格納庫ではタカハシが見慣れぬ中年男性とともに笑子を待ち受けていた。
 「こちらは文部科学省の小野係長です」
 タカハシに紹介された小野は名刺を差し出しながら「宜しく」と高飛車な態度で言った。
 「今日来てもらったのは河村さんが今後日本で作業を進めるには合衆国政府だけでは、どうしても限界があります。そこで日本政府に協力を打診していたんですが、そこで文部科学省の全面的な協力を受けられることが決まりまして急遽皆さんに集まっていただいた次第です」
 タカハシが流暢な日本語ではあるが何かいわく有りげに言った。
 「申し訳ないが手短かにしてもらえるかな、午後から広島へ出張しなきゃならないんだ」小野が不愉快そうに言った。
 「済みません、直ぐ終わります。今日は顔見せと河村さんから研究しているシステムを皆様に簡単に説明してもらうことが目的なんです。時間は取らせませんから…」
 「ちょっと待ってくださいよ。いきなり言われても。『説明する』なんて簡単に言ってくれますが説明といっても5分や10分で説明できるものでもなし。まあデモでもやりながら説明すれば、それぐらいで終わるかも知れませんが、システムはアリゾナだし」
 笑子がタカハシの話を遮って言った。
 「そういうと思いまして夕べ、アリゾナの研究所からヘンダーソン経由でギャラクシーに積んで来たんです」タカハシが、そう言って大佐に目配せをした。
 大佐は腰にぶら下げた無線機を右手に持ち「こっちへ持ってこい」とギャラクシーの横に立つ兵士を手招きしながら言った。
 兵士は「ラジャー!」とこちらに向かって手を振りながら叫ぶと何やら怪しげな機材を満載した台車を牽引する電動カートに乗りこみ、こちらへ向かって来た。
 それは3日前までアリゾナで手を焼いていた【地獄耳】の機材一式だった。
 「ええっ〜!持ってきたの?」
 笑子は驚きを隠せず悲鳴に近い声を挙げて言った。
 スチール製のフレームに組み込まれた基盤に配線を通しただけの筐体を持たない裸のシステムは埃に弱い。
 それに笑子が自らハンダ付けした程度のプロトタイプなので衝撃は全く考慮していないから、輸送中に故障したかも知れない。
 「こんな乱暴に扱って!」
 笑子が文句を言いながら点検を始めた。
 幸いにもオペアンプのコネクターが1箇所外れていた以外は特に問題は見当たらなかった。
 「それでは始めます」
 システムに接続されたパソコンを操作しながら動作確認をした笑子が言った。
 モニターにはアメリカらしい街の様子が映し出されている
 「これは私の住んでいるクーガータウンの様子です」
 笑子がパソコンを操作しながら言った。
 小野は胡散臭い顔で見ている。
 「次に音声を解析します」
 笑子が言うと同時にパソコンのスピーカーから通り過ぎる車の音や人の声が聞こえ始めた。
 「前置きは良いから、手短にしてくれないか?」
 小野が言った。
 「これは400キロメートル上空を飛ぶスパイ衛星からの画像と音声です」
 「それで?」
 タカハシの説明に小野がバカにしたように尋ねた。
 「不思議だとは思いませんか?何故町並みが人の目線で映し出されているのか」
 イヴァノフ大佐が問い返した。
 「そういう仕組みになっているんでしょ」
 小野が苛立たしそうに言った。
 「それじゃ、どこかリクエストを。といっても今衛星が飛んでいるのがアリゾナ上空なんで、それ以外はダメなんですけどね」
 笑子が言った。
 「それじゃ、カサグランデを映してくれるかな?あそこは高校の頃、短期留学で行ったことがある。えーと街の名は…」
 小野が小ばかにしたような口調で笑子に言った。
 「信じられない!ここだよ。私がホームステイしていた家は。全然変わってない」
 小野は目を丸く見開き画面に釘付けになりながら言った。
 「それじゃ次ハイスクール横のキッチン映してくれ!あそこは思い出があるんだ。当時付き合っていた女の子と良く行った」
 それから1時間近く小野は笑子に高飛車な態度で指示をして様々な場所を懐かしそうに見入っていた。
 「大体のところは理解しました。追って連絡します」
 一通り見て満足すると小野は再び横柄な態度で言い帰って行った。
 「理解してくれたんでしょうかね?」
 笑子が不安そうに2人に言った。
 「まあ、顔合わせを兼ねてのものだし、それに、いずれこっちには持って来なきゃいけなかったから彼の理解云々ということよりも…」
 タカハシが歯切れの悪い言い訳をした。
 「出来れば合衆国で全てをと考えていたんだがコストが予想以上に掛かる事が分かったので仕方なかったんだ。特に回路の解析ソフトが国外への持ち出しが禁止されているので日本で調達する必要があってね(言わなくても分かってるよな。私なんかの素人よりも、そちらは)それだけでも3百万ドル掛かるうえにカスタマイズに同額掛かる。それを搭載するマシン(コンピューター)、こちらはソフトウェアよりも厄介だ。価格が7百万ドルで、しかも格納するためには4階建てのビル一軒が必要と来てる。しかもランニングコストが月40万ドル。こんなもの無理だ」
 イヴァノフ大佐が溜息混じりで言った。
 「対象のマシンを所有する省庁を色々当たったんですが皆渋い返事しか戴けなかったんですよ。ある宗教団体の協力を背景に文部科学省が少し色気を示したんで頼み込んだんです」
 タカハシが申し訳なさそうに言った。
 この時は、まだ小野という人物が彼らに災いを及ぼす結果となることを知る由も無かった。
 「暫くは、こちらで預かってもらえませんか?」
 タカハシがイヴァノフ大佐に言った。
 「分かった」
 大佐が頷きながら応えた。
 「でも、このままじゃあ余りにも酷すぎません?」
 笑子が腕組みしながら言った。
 「分かった、どういう場所が良いんだ?」
 大佐が尋ねた。
 「なるべく埃の少ない場所がいいんですが」
 笑子が言った。
 「そうだな、今使っていない格納庫が有るから、そこを使おう。ところで今困っていることは無いか?」
 「ええ特には、そういえばどっかアルバイトないですか?」
 大佐の問い掛けに笑子は咄嗟に言った。
 何故そんな事を言ったのか自分でも分からない。
 「あれ!給与なら先週振り込んだ筈だが?」
 大佐が怪訝な表情で言った。
 「私じゃないんです。知り合いの女の子なんです」
 「どんな職種を希望されてるんですか?」
 タカハシが会話に割り込んで言った。
 「16才の女の子だけど高校には行ってないの。訳あって今うちで預かっているんだけど」
 「分かりました。心当たりがありますから聞いてみましょう。それと…」
 タカハシが口ごもった。
 「何か?」
 笑子が言うとタカハシが「実は来週の木曜日なんですが筑波大学で開かれる関東物理学振興会の定期発表会で何か発表してくれませんか?さっきミスター・オノから『交換条件です』って言われて引き受けたんです。本来ならミス・カワムラの意思を聞いてからとは思ったのですが」と恐縮して言った。
 「そんな急に言われても!」
 「大学の頃の研究テーマの焼き直し程度でいいんです。ローカルなものらしいし」
 「私手ぶらで、こっちに帰って来たんですよ、3日前に。実家にはパソコンどころかプリズム一個も無いんです」
 「パソコンは帰りに電気屋さんで調達してください。領収書を大使館に郵送(別にFAXでもいいですが)してくれれば、あなたの口座に振り込みますよ。必要な情報に関してはインターネット・カフェで取り寄せて下さい。知ってるでしょパスワードは」
 「そんな、機密情報ばっかりですよ!」
 笑子がタカハシに言った。
 「まあ、ハッカーたちが欲しがるのは個人情報とか銀行口座の暗証番号なんかだから数値解析の無意味な数字の羅列には興味を示さないから大丈夫だ」
 大佐が言った。
 「でも念のために使用後にはファイルの削除は忘れずに」
 タカハシが付け足した。
 その時笑子の携帯に母親から電話が掛かってきた。
 彼女は取り乱した声で「絵美ちゃんがさらわれた!」と繰り返している。
 「ちょっと落ち着いてよ」
 笑子は叱り付けるように母親に言ったが、母親は相変わらず同じ言葉を繰り返すばかりだ。
 「何か有ったのか?」
 大佐が心配そうに尋ねた。
 「良く分からないんですけど先ほど説明した女の子が誘拐されたみたいなんです」
 「誘拐とは穏やかじゃないな。その様子じゃ警察には、まだだな。署長には私から直接伝えとくから直ぐ帰りなさい。ヘリで帰れば15分くらいで帰れるだろう」
 大佐は言い終わると先ほどの兵士を再び呼びつけ「ヘリで、この人を家まで送ってくれ。そして恐らくポリスが家に居ると思うから彼らの指示に従ってくれ」と伝えた。
 「ラジャー!」
 兵士は、そう言うと笑子を電動カートに乗せ外に止めてある軍用ヘリまで連れて行き乗り込み飛び立った。
 ミサイルや機銃を外してはいるものの完全なアパッチヘリは笑子の想像するよりも速度は速く、しかも良く揺れるので直ぐに気分が悪くなり吐きそうになった。
 「後5分ほどで着きますから辛抱してください」
 兵士は流暢な日本語で言いながら笑子にビニール袋を手渡した。
 笑子の家の近くまで来るとイヴァノフ大佐から無線が入った。
 「どうやら犯人は女の子を乗せてルート16をオオミヤ方面に向かっているらしい。彼女を家の近くに降ろして警察無線に繋ぎ後は指示に従ってくれ」
 大佐の指示に従い家の近くの小学校の校庭に着陸し、笑子を降ろすと直ぐに飛び去った。
 後に残された笑子は教職員や子供たちの注目を浴びながら校門へと小走りで向かった。
 家の前にはパトカーが3台止まり黄色いビニールテープが家の周りに張り巡らされていた。
 「笑子ちゃん!」
 背後で聞き覚えのある声がした。
 振り返ると和泉の母親が立っていた。
 笑子の母親は警官が到着した時気絶したらしい。
 「今さっき来た救急車で市立病院に運ばれたの」
 和泉の母が言った。
 「こちらは我々に任せて病院の方へ」
 家の前に立っていた警官に促された笑子は和泉の母親の運転する車で病院に向かった。
 


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