「ごめんね笑子ちゃん。私がついうっかり、悪い奴らだとは思わなかったから」
以前、絵美を拉致した暴力団たちが笑子たちに訴えられた腹いせに絵美の家に行き母親の愛人を締め上げ聞き出した和泉の家に絵美の兄と偽って電話を掛け、絵美の居場所を知り、無理やり連れ去ったらしい。
「妙に胸騒ぎがしたので和泉に電話して確認したら『絵美ちゃん一人っ子だよ』って言うもんだから驚いて、もう…」
和泉の母親が泣きながら言った。
「大丈夫だよ、小母さん。警察も乗り出したんだし」
笑子が言った。
病院では待合室のイスに腰掛けながら点滴を打つ笑子の母親が居た。
思ったより元気そうだったので笑子はホッとした。
「ごめんね、私が迂闊だったの」
笑子の母親が泣き出しそうな顔で言った。
「悪いのは私、本当にごめんなさい!」
和泉の母親が笑子の手を取って言った。
そして2人は抱き合って泣き始めた。
「もういい加減にしてよ!」
笑子が呆れたように言った。
その時「すっげえ!」という若い男性の声が待合室に響いた。
そして彼に周りの視線が集中した。
「あれ、あれ!」
髪を金色に染めた若者がテレビを指差して言った。
テレビには高速道路を逆走する白いベンツ、それを追う軍用ヘリが映し出されていた。
ベンツは対向車を間一髪で避け猛スピードで走っている。
何時事故を起しても不思議ではない。
あちこちで「きゃっ」という声が聞こえる。
「中には犯人と誘拐された少女が乗っているもようです。しかし何故軍用ヘリが追跡しているのかはアメリカ軍からも警察からもコメントは有りません…」
ヘリに乗り込んで中継するアナウンサーが言った。
「絵美ちゃん!」
和泉の母親が小さく叫んだ。
ベンツは左右の側壁に何度も接触しながらも辛うじて走り続けている。
そこへ一台の白バイが停車した車を巧みに避けベンツを追い始めた。
笑子は咄嗟に車間距離を測る標識と腕時計を見比べた。
百メートルを1.5秒で通過した。
「ゲッ、二百キロで逆走!?」
笑子が唸った。
並みの白バイが出せる速度ではない。
自然な体重移動で巧みに曲がる走りには見覚えが有った。
「まさか!」
また笑子が唸った。
警官は腰にあるホルダーから銃を抜き出してベンツめがけて数発発砲した。
側壁に接触したベンツは右前輪から白煙を上げ大きく蛇行して横転し、火花を上げながら滑って行き2度側壁に衝突して止まった。
間一髪で避けた白バイはUターンしてベンツに近付き2mほど手前で停止した。
その10mほど先にヘリが着陸した。
ベンツの中から這い出して出てきた犯人たちにヘリから降りた兵士(笑子を乗せた彼であることはいうまでもない)が腰から抜いた銃を向け路面に這いつくばるように身振り手振りで指示した。
白バイ警官は左後部のドアを力づくで抉じ開けて中から、ぐったりした絵美を引っ張り出した。
絵美を抱き抱えた警官は兵士に何か話し掛けた。
兵士は右手で「よし乗れ!」という合図をした。
そして警官と絵美を乗せたヘリは上昇し彼方へ飛び去ると待合室の患者や職員から歓声が挙がった。
軍用ヘリの速度は速くテレビ局のレポーターを乗せたヘリでは追い付けない。
点滴を終え元気を取り戻した笑子の母を乗せ家に帰るとスージーが居た。
「やってくれたわ、あのバカ女」
スージーが目を吊り上げて言った。
「どうしたの?」
笑子が聞くと「あのバカ女、例の女の子が誘拐されたって聞いた途端白バイに乗って飛び出して行って逆走する車追い回した挙句に後輪にマグナム弾を何発も、ぶち込んでパンクさせて…」と顛末を話し始めた。
「もう私署長から『一体どうなってるんだ!』って問い詰められて困っちゃった」
「あれ、やっぱりベティだったんだ!」
口を尖らせるスージーに笑子が言った。
「それだけじゃないのよ。大佐からも電話が入って来て『一体何やってんだ彼女は!』って文句言われるし」
そこへ中年の警官が入って来て「女の子は横田基地内の病院に収容されたと連絡が入ったよ。詳しい事は分からないが意識は有るらしい」と言った。
「良かった!」
笑子が声を挙げた。
「それは良かったんだが逆走した犯人の車を避けきれずに事故を起した車が立ち往生して高速道路は大渋滞だよ。オマケに重症者が数名出ているらしい。幸いにも皆意識はしっかりしているが、ひとつ間違えば大惨事になり兼ねない状況だった。それよりも問題は米軍ヘリと追跡した白バイの彼女だ。これを、どう説明すればいいのか。本部長は頭を抱えているよ」
「何か問題でも有るんですか?」
笑子が警官に聞いた。
「米軍ヘリの追跡だけなら犯人逮捕に協力ということで銃の使用も大目に見ることはできるが白バイの追跡は明らかに違法行為だ。時速二百キロ以上で逃走する犯人の車のタイヤを銃で撃ち抜くとどういう結果になるかは考えるまでも無い事だ。その後も不味かった。何故警官がヘリに乗り込めたのかだ。ヘリのコクピットは軍事機密なんだ。だから外国人を乗せるなんて有り得ない事だ」
警官は笑子の母親が入れた茶を一礼して口に運びながら言った。
夕方のニュースでは「白バイは昨日大宮で違反者を取調べ中の警官が目を離した隙に盗まれたものだ」という県警本部長のコメントが紹介されていた。
それとアメリカ大使館からは「ヘリとパイロットの所属は明らかにはできないが人道的見地から犯人逮捕に協力したと聞いている。警官が偽者だと分かっていれば逮捕する事も出来たのに残念だ」というコメントが紹介されていた。
3日後、笑子の車に乗ったベティが全身包帯まみれの絵美を乗せて来た。
「あっ、忘れてた!」
笑子が車を見て言った。
「3日もほったらかしで『忘れてた』はねえだろう!それよりも参ったぜ、大佐から散々説教された挙句に減俸10分の1を1年(要するに給料1.2ヶ月分だ)だとよ」
ベティがふて腐れて言った。
「絵美ちゃん大丈夫?」
笑子が訊いた。
「おいおい、オレは無視かよ!」
ベティが不愉快そうに言った。
「スージーが言ってたよ『レイ・オフされなかっただけ感謝しろ』って」
笑子が言うとベティは益々不愉快そうな顔をして「でもよう、一刻を争う時に細かい事なんか気にしてちゃチャンスを逃すだろう」と言った。
ベティと笑子は英語で会話していたので絵美には意味が分からず不思議そうな顔をして2人を交互に見ている。
「絵美ちゃん大丈夫?」
ショートケーキと紅茶を乗せた盆を持って入ってきた笑子の母が言った。
「ママ ママ コノコ ワタシ イジメル オコッテ オコッテ!」
ベティが笑子の母にすがって言った。
その様子が可笑しかったのか絵美が笑い出した。
また、その様子が可笑しくで笑子と母も笑い出した。
「何か有ったのか?」
笑子の父親が2階から降りてきて言った。
「パパ パパ ミンナデ ワタシ イジメル!」
ベティが今度は父親にすがって言った。
「いかんな、仲良くしなきゃ。おや絵美ちゃん大丈夫だった?」
父親は、そう言って絵美に近付いた。
「きれいな顔が台無しだな」
父親が額に貼られた絆創膏を人差し指でなぞりながら言うと絵美は突然声を挙げて泣き出した。それは、まるで幼な子のように両手の甲で目を拭きながら何度も、しゃくり上げて泣いている。
「パパ余計なこと言わないでよ。折角忘れようとしているのに!」
笑子が言った。
父親は突然の事に驚いて笑子に相槌を打つ事意外に手立てがないようだ。
「違う違う、オジサン悪くないよう!アタイが小さい時良く、とうちゃんが同じように額を撫ぜてくれたの思い出したん…」
絵美は、それだけ言うと再び泣き出した。
「一体全体どうなってるんだい?」
日本語が分からないベティが不思議そうな顔をして言った。
笑子が手短かに説明するとベティは「良いオヤジだったんだな。うちのオヤジとはえらい違いだ」とポツリと言った。
その時玄関で「ピンポーン!」と呼び鈴がなった。
「どちら様ですか?」
笑子が受話器を取り応対すると「わたくしスマイル結婚相談所から参りました。
こちらに出遅れた哀れな娘さんがいらっしゃると聞きまして」と訪問者が応えた。和泉だ。後ろで「もう、この子は」と和泉の母親の声も聞こえる。
「うちよりも桶川の酒田さんの2番目の娘さんは、もっと哀れですよ。そちらの方を先に」笑子が言うと「もうさっさと開けてよ。通り掛かる人たちにジロジロ見られて恥ずかしいんだから!」と和泉が言った。
「おやおや珍しいお客さんだな」
笑子の父親が和泉を見て言った。
高校の頃、笑子と和泉は互いの家で良く寝泊りしていたので皆顔馴染みだ。
3日前の事件を振り返り話が盛り上がったが仕事で留守だった笑子の父親は話について行けず茶菓子が切れたのを幸いに買出しに出て行った。
「オジサン可哀そう」
絵美が言った。
「気にする事ないよ。ついでにホームセンターにでも寄って盆栽いじりの剪定バサミなんか見てくるつもりなんだから」
笑子が言った。
「ねえ、ねえカラオケにでも行かない?」
和泉が提案した。
「いいわねえ」
笑子の母親が言った。
「少し遠いんだけど川越駅の方に新しいカラオケボックスが出来たの。今キャンペーン中で1時間だけ無料なんだって。それにソフトドリンク1杯無料だし」と和泉が言うと「随分サービスいいなあ」と笑子が感心したように言った。
「オジサンは?」
絵美が心配そうに言った。
「電話入れとくから気にしなくていいよ。パパその足でゴルフの打ちっ放しでも行くんじゃない?クラブ預けてるから手ぶらで直行しても大丈夫だから」
絵美は笑子の説明が良く理解できないものの納得したようだった。
外に出るとオレンジ色のBMWが止まっていた。
「まさか?」
「エヘヘ、どうだ恐れ入ったか!」
口を開けている笑子に自慢げにいう和泉だった。
「もう、この子はいい年だのに将来のこと全く考えてないんだから、こんなもの買って」
和泉の母親が呆れた顔をして言った。
「すっげ〜、M3じゃねえか!」
ベティがフロントガラスに顔がつくほど近付けて言った。
「もう鼻高々ね、ほら外人並みでしょ!」
和泉がベティに顔を近付けて言った。
「おっと、でっけーハナクソめっけ」
ベティが和泉の顔を覗き込んで言うと笑子ひとり笑い転げた。
「ねえねえ、何ていったの?」
和泉が笑子に訊いたが、笑子は、それがまた可笑しくて笑いが止まらなくなった。そこへスージーが【埼玉県警】と書かれたパトカーに乗って来た。
「やっぱりここか、ナニやってんのよ!」
スージーが呆れたように言った。
「いけねえ、急がなくちゃ」
「他に用事が有ったの?」
笑子が訊くとスージーが「今から、この子を拉致したチンピラの親分の事務所に手入れに行くのよ。予定が3時だから『急げ』って言ったのに、いつまで経っても帰って来ないから」と眉を吊り上げて言った。
「それと、あの事言ったの?」
スージーがベティに向き直って言った。
「いけねえ、忘れてた」
ベティが言った。
「アタイねえ、暫くベティさんたちと一緒に住む事になったの」
絵美が言った。
「暫くは私たちが住んでる大宮の寮へ来てもらう事にしたの。ヤクザの連中も、あそこまでは来ないでしょ」
スージーが流暢な日本語で言った。
「そうね、あんな事が有ったら私じゃ絵美ちゃん守ってあげられないもんね」
笑子の母親が言った。
「ごめんね、おばさん」
絵美が申し訳無さそうに言った。
「違うのよ絵美ちゃん、迷惑だなんて全然思ってないんだから。残念だけどチンピラ相手じゃオバサンじゃ役不足、危なくなくなったら、何時でも戻って来ていいのよ…」
笑子の母親が言い終わらないうちにスージーが2人を連れて戻って行った。