慈眼寺『会見の間』復興へのあゆみ

2004年 テレビでも報道されているが、ここでは新聞などからの記事が中心
10月23日 午後5時56分ころ、新潟県中越地方で地震発生。川口町震度7(これは1週間後に判明)、小千谷市、長岡市は震度6強。この日震度5以上11回、 有感地震は164回を記録。新潟県は自衛隊の派遣を要請。上越新幹線が、古戦場の朝日山・榎峠のトンネルを抜けた長岡市で脱線。
24日 気象庁は「平成16年新潟県中越地震」と命名。この日の有感地震は153回を記録。ライフラインが寸断され、孤立した集落も多く、被害の全容が把握できず。
25日 この日の有感地震は89回を記録。
26日 避難者は10万人を越える。冷たい雨で二次災害の不安がひろがる。
小泉総理大臣が小千谷市、長岡市の両市を災害視察。
27日 東京消防庁のハイパーレスキュー隊を中心とした救助隊が、余震の続く中、妙見の土砂崩れで乗用車ごと埋れた皆川優太君を救出。妙見は朝日山・榎峠の東軍、西軍が争奪戦を演じた古戦場の一角。
30日 気象庁が川口町の23日の震度を7に公式訂正。震源地に近く地震による回線障害でデータが送れなかった。この日までの死者35人。連日余震が続き、なお8万4千人が避難生活。
31日 気象庁、10月の有感地震は合計600回と発表。
11月 2日 日本経済新聞、『会見の間』倒壊の危機と報道。副住職「歴史がつくられた会見の間を残したいが、移築もやむを得ないか」
4日 新潟日報、『会見の間』がある本堂、仁王門が大被害と報道。副住職「本堂の修復は難しいが、会見の間だけでも残したい」8日ぶりに震度5強の余震発生。
6日 天皇・皇后両陛下が小千谷市および長岡市の被災地をお見舞いされる
7日 旧長岡藩当主牧野家の使者が、小千谷市長を訪問し、災害の見舞いと、戊辰の貴重な遺産である『会見の間』の保全復興を訴える。
8日 4日ぶりに震度5強の余震発生
10日 東京新聞、戊辰戦争講和会談の場、『会見の間』も、つめ跡深いと報道。副住職「本堂の完全な修復は難しいといわれた。何とか会見の間だけでも残したい」。この日も震度5弱の余震発生
13日 朝日新聞新潟版、中越震譜で『会見の間』を特集。副住職「檀家のみなさんも避難所生活の最中で、役員会を開ける状態にない。司馬遼太郎『峠』に感銘された方々に、 もう1度訪れていただけるように、力を尽くしたい」。
15日 朝日新聞『天声人語』に、「地震は、人々の暮らしを大きく揺さぶり、断ち切っただけでなく、人から人へ伝えられた大事な記録や記憶を揺さぶる。 人々の心の支えがつながるように切に思う」。副住職「『峠』に感銘された方々に、もう1度訪れていただけるように、力を尽くしたい」。
山古志村でニシキゴイの救出をヘリコプターで行う。
20日 気象庁、有感地震は累計800回、震度5以上18回と発表。
23日 地震発生1ヶ月、まだ避難生活者は12市町村で6800人。仮設住宅の建設が急ピッチで進む。
24日 長岡市で仮設住宅に一部入居開始。
26日 経済産業省は小千谷市、十日町市、山古志村、川口町を激甚災害地域に指定。
12月15日 13日、「小千谷北越戊辰史跡復興支援の会」が発足。船岡山の西軍墓地や慈眼寺『会見の間』などを補修、復元を全国に呼びかける
16日 「立ちあがれ中越!プロジェクト」を発表。地場商品に復興シール(有料)を貼り付け、収益金を『会見の間』などの復興に充てる。
26日 インドネシアのスマトラ沖地震発生、マグニチュード9、インド洋に大津波来襲。日本人にも多数の被害者。
28日 上越新幹線が66日ぶりに全面開通。11月10日以来の震度5弱の余震発生、再開した上越新幹線は点検で一時運転を見合わせる。 全村民が避難している山古志村に本格的な冬が訪れる。 積雪1mとなり雪下しで住民一時帰宅。
31日 NHK紅白歌合戦で、新潟県出身の小林幸子がトリで、県の木でもある「雪椿」を熱唱。
7月の中越地方集中豪雨、10月中越地震の多難な年が暮れる。
2005年
 1月 1日 余震の終結宣言がない中で新年を迎える。
6日 読売新聞、小千谷青年会議所のシール募金好評。全国からの注文100万枚突破。
産経新聞、「元気を出していこ〜新潟」で、小千谷青年会議所
「立ちあがれ中越!プロジェクト」の宮崎悦男前副理事長を2005年のキーパソンとして紹介。
9日 新年に入り最初の震度4の余震。
11日 読売新聞、小千谷北越戊辰史跡復興支援の会が 『会見の間』ゆかりの自治体の首長に支援を呼びかける文書を送付。 副住職「寺や檀家だけでは再建は難しい支援の申し出はありがたい」
12日 被災地を中心に大雪が続く。
15日 日本経済新聞(夕)、名作のある風景で阿川弘之「山本五十六」の長岡市を取り上げ、長岡市は戊辰戦争、太平洋戦争から立ち直った。この町には外からの攻撃には結束して立ち向かう血が受け継がれている。
18日 本年2回目の震度4の余震。
24日 朝日新聞、戊辰戦争ゆかりの小千谷・慈眼寺の再建へ市民が募金活動を行っている。地元の商工会議所やボランティアが小千谷北越戊辰史跡復興支援の会を結成し、かっての敵である薩長にも呼びかける。
27日 小千谷市の旅館の浴場が雪の重みでつぶれ死者発生、被災地に重い雪が降り続く。
川口町小高地区25戸の集団移転地が決まる。
29日 新潟日報、復興シール250万枚を超す。協賛企業が100社を超え、シールを貼った商品が店に並ぶようになった。小千谷青年会議所の宮崎理事長「被災地と全国を結ぶ復興モデルにしたい」
日本経済新聞(夕)、東京新聞(夕)、復興シール250万枚突破。小千谷青年会議所の宮崎理事長「まずは司馬遼太郎の小説『峠』に描かれた慈眼寺会見の間の修理費用に充てたい」
2月 1日 被災地は19年ぶりの大雪となり交通機関がマヒ。新潟県は豪雪警戒本部を設置。
4日 毎日新聞(夕)、慈眼寺再建の輪がかって敵だった薩長にも広がる。「慈眼寺再建プロジェクト」は募金箱を置いてくれる店や募金を募っている。 また小千谷市民は「小千谷北越戊辰史蹟復興支援の会」を結成し、 鹿児島、山口県に募金を呼びかけている。
5日 小千谷市などは記録的な豪雪に自衛隊の派遣を要請。同市の派遣要請は1963年の「三八豪雪」以来42年ぶり。
18日 被災地を中心に雪崩による事故が多発し、11日から雪崩注意報を出していたが、新潟県は18日豪雪対策本部を設置した。
19日 「がんばろう!十日町 立ち上がろう!中越」を開催テーマに、第56回十日町雪まつりが開催された。雪の芸術作品も復興をテーマにするものが多かった。
25日 経済産業省は長岡市、越路町、川西町を激甚災害地域に追加指定。
26日 山古志村の母犬マリの美談が本になり話題をよんでいる。 地震の発生した日に3匹の子犬を産んだマリは、自宅の下敷きになった飼い主のおじいさんを励ましながら三匹の子犬を守り通した。
3月 1日 新潟労働局は地震での解雇が1100人を超すと発表。
 5日 東京で開催された中越復興シンポジウムで、被災地の関小千谷市長、森長岡市長、星野川口町長、長島山古志村長が復興への決意を熱く語る。
13日 長岡市は昨年7月13日の水害で被災した浦瀬地区14世帯の住民の集団移転を決めた。水害に加え、地震により土石流やがけ崩れの被害を受けたことによる。
15日 中越地震やスマトラ沖地震などの震災復興を支援するプロ野球チャリティードリームゲームが14日、東京ドームで開かれ、山古志中の生徒15人と小千谷市などの被災者500人が招待された。 始球式では同校の生徒2人が、復興への願いを込めて力いっぱい投球した。
16日 小千谷市十二平地区10世帯の集団移転要望書を関市長に提出した。生活基盤となる農地、養鯉池が原形復旧が困難なことと豪雪が追い打ちをかけたことによる。小千谷市の集団移転は初めて。
17日 日本一うまい魚沼産こしひかりの産地が市町村合併で拡大する。震源地に近い松代町と松之山町が4月1日に十日町市と合併することで見直し。関係者は合併の効果と歓迎している。
20日 20日午前10時53分ごろ、玄界灘を中心に震度6弱(M7)の地震が発生。玄界島は家屋の倒壊が激しく、ほぼ全島民が福岡市に避難。 北九州は地震の空白域で、地震国日本の安全に一石を投じた。
21日 全村長岡市への避難が続いている山古志村は、4月1日長岡市との合併を控え、閉村式「感謝の集い」を開いた。約200人の村民は復興への決意を新たにした。
23日 被災5ヶ月を経過した23日、「立ちあがれ中越!プロジェクト」に全国から寄せられた義援金100万円が慈眼寺に渡された。 シール1枚1円で全国100万人の暖かい支援であり、テレビでも大きく報道した。みななまの善意に厚く感謝申し上げます。
24日 全村避難が続いている山古志小学校の卒業式が、長岡市立阪之上小学校で行われた。4月から長岡市と合併するため、村立として最後の卒業式となった。阪之上小学校は米百俵の由緒ある学校である。
25日 JR上越線は震源地に近い、越後川口〜越後滝谷間で単線運転を行ってきたが、25日全線復旧した。
26日 朝日新聞新潟版、小千谷青年会議所の「1円義援シール」が全国に広がりつつある。24日までに392万枚を販売し、第一弾として100万円が戊辰戦争ゆかりの慈眼寺の復興に寄付された。4月1日からは長岡、栃尾、見附のJCも運動に加わる。
29日 スマトラ沖で再び地震発生、マグニチュード8.7、家屋倒壊の被害は多いが津波は発生せず。
30日 東京消防庁のハイパーレスキュー隊が漫画になる。長岡市妙見の土砂崩れ現場から皆川優太君を救出。 「週刊少年マガジン」に65ページの長編読切で掲載。
4月 1日 全村避難が続く山古志村が長岡市と合併。長岡市、中之島町、越路町、三島町、山古志村、小国町が合併し、新・長岡市が誕生。
2日 埼玉県坂戸市にある由城山慈眼寺が、震災復興支援のチャリティジャズコンサートを開いた。同名の寺ということで震災いらい熱いエールが届いている。
5日 全村避難が続く旧山古志村の住民の一時帰宅が始まった。まだ2mほどの雪が有り、本格的な復旧工事は雪解けを待って行われる。
10日 長岡市長が皆川優太君を救出した妙見の現場を、震災メモリアルのシンボルとして保存の意向を示す。
「市報おじや」に、立ち上がれ中越プロジェクトから慈眼寺へ支援金が寄贈されたことが載った。
11日 震災復興宝くじが全国で発売され、各地で記念イベントが開かれた。
20日 長岡市に編入された旧山古志村の名称存続について、全村民が戻る来年9月を目標に復興のシンボルとして復活させたいと森長岡市長が述べた。
21日 全集落民が避難していた小千谷市・十二平と旧山古志に4ヶ月ぶりに住民が一時帰宅したが、雪で半数以上が倒壊していた。
23日 被災半年が経過、各地でイベントが開催された。地震発生の午後5時56分には黙祷がささげられた。「おぢやお花見会」は船岡公園大きな被害を受けたため、千谷工業団地公園で開催された。
長岡市では中越地震復興産学官リレーシンポジウムが開催され、慈眼寺副住職もパネリストとして参加。
25日 中越地震後中断していた錦鯉の競りが再開された。小千谷、山古志の養鯉業者50人が参加。
5月 4日 長岡市の東山ファミリーランドの仮設闘牛場で、旧山古志村の伝統行事である「牛の角突き」が再開され、約三千人のファンから歓声がが上がった。
5日 日本経済新聞文化欄に備中松山藩の藩制改革を行った山田方谷がのった。師と仰いだ河井継之助のことも紹介している。今年は方谷生誕200年である。
14日 全住民の避難が続いている旧山古志村(現長岡市)で、住宅の被害判定調査が始まった。19年ぶりの大雪で被害が拡大した家も震災の被害と認めることにした。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊が東京スピリット賞を受賞し、石原東京都知事から表彰された。
15日 東洋大学で卒業生の長岡市の長島復興管理官を招いて、復興支援シンポジウムを開いた。山古志村復興支援で同大学の提案した作品が優勝した。なお東洋大学の創始者井上円了は長岡の出身。
17日 豪雪で一時休止していた「とちぎボランティアネットワーク」が、再び復興活動に乗り出し、参加者を募集している。小千谷、川口などに毎週末ボランティアを派遣する。曽我さんの娘さんが旧山古志村で田植えをした。4年前から山古志村と新潟大学留学生の交流事業。
19日 皆川優太君を救出した長岡市妙見の土砂崩れ現場をメモリアルパークとして保存することが決まった。
27日 小千谷市十二平地区10世帯の集団移転先が同市三仏生の畑地に決まった。8月から造成工事を始め、年内に住民に引き渡す予定である。
6月 5日 小千谷市の「牛の角突き」が白山運動公園で復活。観客など1800人が集まった。
9日 長岡市妙見の土砂崩れ現場で、大型トラックや乗用車4台など>転落車両の撤去作業が始まった。
18日 毎日新聞、小千谷北越戊辰史蹟復興支援の会は、慈眼寺および西軍墓地の復興の募金を全国に募っていたが、資金難の状況にあることを明らかにした。特に西軍墓地の復興が厳しい。
20日 中越地方で震度5弱の地震発生、震源地が西に20kmずれているため中越地震の余震ではないと判定。
28日 中越地方を中心に300mmを超える大雨を記録。長岡市、小千谷市の一部で避難勧告を発令。
7月 1日 三洋電機は今後3ヵ年で国内外グループ従業員の1割にあたる1万人強の人員削減を実施する。中越地震で被害を受けた新潟三洋電機の生産ラインの縮小をすることにした。
7日 新潟日報、小千谷幼稚園児が市内の仮設住宅で暮らす高齢者を訪ね、七夕の笹飾りをプレゼントした。書き込めるように空白の短冊に涙を浮かべる人もいた。
9日 中越地方で地震発生、小千谷市で震度4、中越地震の余震と見られる。
16日 旧越後長岡藩主17代牧野忠昌さまが慈眼寺を訪問。
22日 旧山古志村や小千谷市などにだされていた避難勧告が、一部地域を残し約850世帯の避難指示が解除された。震災以来約9ヶ月ぶりに自宅で寝泊まりすることができるようになった。
23日 中越地震から9ヶ月目の23日、東京で震度5強の地震があり、首都圏の交通網はマヒした。県と県観光協会は全国の支援に感謝し、9月から「がんばっています!にいがた『ありがとう』キャンペーン」を首都圏などで展開。
8月 1日 「錦鯉の里」が復旧し再オープン。水道が止まり、池もひび割れ、鯉を一時的に避難させていた。
2日 長岡市の信濃川河川敷で恒例の花火大会があった。震災の復興を誓い、延長1.5kmに及ぶ特大スターマイン「フェニックス」(不死鳥)が打ち上げられ歓声がわいた。
5日 小千谷市唯一の総合スーパージャスコが9日月ぶりに営業を再開した。1日には長岡の蓬平温泉「和泉屋」が再開するなど復興が進んでいる。
21日 中越地方で地震発生、長岡市小国町で震度5強、小千谷市で震度5弱。
30日 歌舞伎俳優中村勘三郎が、10月27日に中越地震復興支援講演を、長岡市で開くと発表。日本テレビの年末に大型時代劇スペシャル、「河井継之助-駆け抜けた蒼龍」で継之助を演じることになり講演を決めた。長岡市立劇場で1500名を無料招待する。
9月 7日 小千谷市が東京都杉並区に見舞金と消毒に職員の派遣。両自治体は姉妹都市(友好都市)の関係にあり、中越地震では杉並区から力強い支援をもらった。今回は杉並区の集中豪雨被害に恩返し。
17日 小千谷市で「復興がんばろう祭」を開催。原前巨人監督が「未来に夢を追い続けて」と激励。
29日 プロ野球阪神タイガースが優勝。河井継之助に学んだ外山寅太が創設した阪神電鉄の経営するタイガースが、2年ぶりにセリーグで優勝した。阪神電鉄の株も1ヶ月で2.7倍の1245円に高騰するなど、大阪は記念すべき1日であった。
10月11日 JRは復旧中の信濃川発電所を報道公開した。この発電所は首都圏の電車と密接な関係がある。
16日 船岡山の西軍墓地の修復工事が完了した。戊辰戦争で戦死した薩州の兵士200人がねむっている。萩市の野村市長も出席し史蹟復元を祝った。
20日 中越地震で過疎に拍車。山古志の約5%減など被害の大きな地区の人口減少が目立つ。
21日 県は長岡市妙見の崩落現場を原形復旧することに決定、2006年度内の完成を目指す。小千谷JCの復興シールの販売数が800万枚を突破した。
22日 牧野家の現ご当主忠昌さまのご子息牧野忠慈(ただしげ)さまが元服。悠久山蒼柴神社で古式に則り、えぼしひたたれの装束で、元服式が厳粛に執り行われた。
23日 中越地震の発生から23日で1年を迎えた。被災地は復興が進んでいるが、まだ9160人が仮設住宅で暮らしている。本日は小千谷市などを中心に各種式典が予定されている。川口町では震度7の本震がおきた北緯37度17分、東経138度52分の地をGPSで探し、震央を示す標柱をたてた。
小千谷市では10年後に届くハガキ尺玉のタイムカプセルに入れた。
24日 中越地方で地震発生、小千谷市、長岡市で震度2、中越地震の余震とみられる。
27日 中村勘三郎が長岡市立劇場で無料公演。山古志の人との交流とテレビドラマ「駆け抜けた蒼竜」の出演が決まったことによる。
28日 小千谷では支援してくれた全国の人達に感謝をこめ、中越地震復興祈念純米酒小千谷を発売する。
11月 5日 妙見の崩落現場の県道復旧を県が決定。小千谷、長岡両市長はモニュメントや遊歩道の整備を要請。
9日 川口町田麦山小の児童が、復旧支援をした陸上自衛隊札幌11師団を訪問し、感謝の気持を伝えた。
22日 観光客の大幅減を県が発表。昨年度6670万人、前年比687万人(9.3%)減。県外客の減少。
28日 読売新聞夕刊、年末大型時代劇河井継之助「駆け抜けた蒼龍」の全面広告が載った。
12月 1日 師走に入り、山古志地区でも本格的な雪になる。被災地に二度目の冬がやってきた。
14日 上、中越を中心に大雪。積雪は津南199cm、十日町136cm。この時期の雪としては異常な大雪。
16日 毎日新聞、河井継之助「駆け抜けた蒼龍」で勘三郎が入魂の演技。
19日 読売新聞夕刊、河井継之助「駆け抜けた蒼龍」主演の勘三郎が、「西の坂本龍馬、東の河井継之助」と言っても過言でないと継之助を激賞。「東の雄に光を当てたい」と熱く語る。
20日 国土地理院が中越地震の被災地図を作成。復興の基礎資料や教材として自治体や学校に配布。
21日 下越を中心に、大雪により65万世帯の大停電が発生。ライフラインに大きな影響が出た。
26日 新潟県は豪雪警戒本部を設置。
27日 日本テレビ系で河井継之助〜駆け抜けた蒼龍を放映。主演の中村勘三郎は栄凉寺で継之助の墓前に報告した。
28日 長岡市は被災者に希望を与えたとして、中村勘三郎に特別感謝状と山古志産こしひかり20kgを贈った。
2006年
1月 1日 長岡市は栃尾市、与板町、寺泊町、和島村を編入合併した。
5日 各地で大雪が止まらない、津南町では観測史上最深となる384cmの積雪を記録。
7日 県は十日町市と津南町の除雪のため、自衛隊に災害派遣を要請。
11日 豪雪で新潟と長野の県境にある秋山郷10集落の孤立が続いている。
17日 十日町の雪まつりが復活した。雪上カーニバルには2万8千人の観客がつめかけた。
19日 山古志の地名が9月にも復活。長岡市との合併で山古志の地名は消滅したが、中越地震で復興の代名詞となり、旧山古志村の全区長14人が地名復活の要望書を提出することに決定した。
2月18日 新潟日報、河井継之助記念館が長岡市長町の屋敷跡に整備されることになった。藩政改革で知られ、司馬遼太郎の「峠」で全国的なフアンも多いことから新たな観光名所として期待される。
22日 山古志の赤字バス路線の一部運行休止を検討中と越後交通の田中直紀会長が発表。国会議員でもある田中会長の発言は、9月帰村を目指している住民に波紋を広げている。
25日 小千谷市の熱気球大会「小千谷風船一揆」が復活した。白い雪原から抜けるように晴れ上がった青い空に次々と熱気球が舞い上がった。
3月 1日 気象庁は今冬の大雪を「平成18年豪雪」と命名。大雪に名前が付くのは「昭和38年1月豪雪」以来43年ぶり2回目のこと。
7日 中越地方で地震発生、長岡市などで震度2
14日 JR信濃川発電所が完全復旧。この発電所山手線など首都圏電力の4割を供給している。
24日 長岡市は歌手の小林幸子さんに多額の復興資金の寄付で感謝状を贈った。
30日 中越地方で地震発生、柏崎市高柳町で午後5時頃震度3、午後11時頃魚沼市で震度2、まだ中越地震は終息していない。
4月 1日 埼玉県坂戸市の慈眼寺で昨年に続き小千谷の慈眼寺復興支援のジャズコンサートを開催。境内にある満開のしだれ桜は天然記念物。
14日 小千谷市の全避難勧告が1年5ヶ月ぶりに解除された。十二平、上ノ山、ひ生の避難勧告を解除、これで中越地震以来出されていた市内の全避難勧告が解除となった。
24日 中越地方で地震発生、小千谷市などで震度3
26日 長岡市妙見の崩落現場の県道復旧工事の安全祈願祭が行われた。震災前と同じルートで今年度末開通を目指す。
5月 2日 中越地方で地震発生、小千谷市などで震度2新潟気象台はこの地震で中越地震の余震(震度1以上)は1000回と発表。本震から1ヶ月間で810回、1年間で984回を記録
31日 新潟県は5月31日現在の仮設住宅入居者数をまとめた。これによると2202世帯、7024人。
6月 4日 小千谷市小栗山の闘牛場で1年8ヶ月ぶりに牛の角突きが行われた。2500人の大観衆が闘牛の復活を喜んだ。
10日 新潟日報、「朝日山古戦場」を復興させようと、小千谷市浦柄に全国から20団体130名のボランティアが集まり、旧道や案内看板の整備をした。長岡藩とともに戦った東軍の会津、桑名からも参加があり、復興の強力な援軍となった。
7月 1日 小千谷市十二平住民の集団移転が始まる。三仏生に自宅を再建し、千谷の仮設住宅から移る。
4日 長岡市議会は住居表示の「古志」を「山古志」に変更することを可決した。11月1日実施。
9日 岩手大教育学部付属中が修学旅行で小千谷市を訪れた。復興の現状を学びたいとのことで、体験学習を行いながら同市に滞在する。
8月 2日 長岡市の信濃川河川敷で中越地震復興を祈念して、昨年に引き続き超大型ワイドスターマイン「フェニックス」を打ち上げた。打上箇所10箇所で延長約2kmの不死鳥をかたどった花火が夜空に舞った。
10日 大相撲の元関脇寺尾の錣山(しころやま)部屋が長岡市悠久山の蒼柴神社相撲場で合宿を行った。参道脇にある中越地震の仮設住宅の空き部屋に寝泊りし、被災者と交流をはかっている。
24日 毎日新聞、全国からの支援で慈眼寺が復興したと載った。司馬遼太郎の「峠」で知られる慈眼寺は、中越地震の復興の象徴的な存在であり、「会見の間」の見学再開が注目されていた。
朝日新聞、毎日新聞、新潟日報、小千谷会談に関係する長岡市と高知市が、復興なった慈眼寺「会見の間」で、「和解会談」を開催することについて両市長が前向きに検討している。戊辰から138年ぶりの和解になるか注目されている。
28日 中越地方で地震発生、小千谷市、長岡市、十日町市で震度2中越地震の余震とみられる。
9月 1日 旧山古志村役場が長岡市の山古志支所として業務を開始した。
 3日 旧山古志村(現長岡市)の幹線道路である国道291号線が、1年10ヶ月ぶりに全線開通した。小千谷市、魚沼市と山古志を結ぶ動脈であるため、山古志の復興に弾みが付くことが期待される。
9日 本堂で狩野泰一篠笛コンサートを開く。
17日 1年11ヶ月ぶりに旧山古志村に闘牛が帰ってきた。山古志闘牛場で「全国闘牛サミット」が開かれ、県内外から3500人の観客が詰めかけた。栃尾(現長岡市)では謙信公祭が9年ぶりに開かれた。
18日 大般若法要を開き、御本尊に復旧を奉告しました。
22日 新潟県は中越地震の直接被害額を1兆6千憶円と発表。これは昭和39年(1964)新潟地震の約3倍(現在価値に換算)にあたる。
26日 中越地方で地震発生、小千谷市で震度2中越地震の余震とみられる。
10月 3日 中越地方で相次いで地震発生、魚沼市で震度3と震度2中越地震の余震とみられる。
10 中越地方で地震発生、魚沼市で震度2中越地震の余震とみられる。
16 下関市長が慈眼寺を訪問。
17 長岡市は旧山古志村の帰村見込みは7割と発表。帰村済みは245世帯、今後帰村予定243世帯、計488世帯(1579人)で、地震前の690世帯の約7割にあたる。
21 国土交通省の調査で、妙見堰から川口町にかけ信濃川や魚野川の一帯が最大70cm隆起と発表。
23 中越地震から2周年、長岡市で合同追悼式。

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