「(この空の青さ、まぶしさ)と、継之助はいつもながらただこれだけのことに感動した。冬のうち、鈍色にとざされている越後の空をおもうと、江戸のひとびとがみな極楽に住んでいるように思えるのである。愛宕下の藩邸にゆくと、義兄の梛野嘉兵衛が玄関までとびだしてきて、『継サ、きたか』と、抱きつきたいような様子をした。」 (司馬遼太郎「峠」より)
長岡藩中屋敷は港区西新橋3丁目にあった。(イ)の位置で広さは約3600坪である。目の前に江戸で最も高い山である標高26mの愛宕山があり、そこからの眺めは絶景で、桜の名所にもなっていたという。山頂には徳川家康が、江戸の防火の願いをこめて建立した愛宕神社があり、歴史にもたびたび登場する場所である。
男坂と呼ばれる86段の石段は、丸亀藩の曲垣平九郎の「出世の石段」として知られている。
3代将軍家光が家臣に、馬で境内の梅を持ってくるように命じた。しかし家臣全員がしりごみするなかで、平九郎は馬で駆け上がり、梅の枝を折って駆け下り、家光に差し出した。このあっぱれな丸亀藩士は、日本一の馬術名人と賞賛されたという。
また万延元年(1860)3月3日には、水戸浪士が愛宕神社に集まって祈念し、桜田門外に向った(桜田門外の変)という。
さらには慶応4年(1868)3月13日、勝海舟と西郷隆盛の会談がいきづまった時、二人は愛宕山から町を見おろし、江戸を戦火から救うことで想いが一致したという。
愛宕神社の南に隣接して、NHK放送博物館がある。愛宕山はNHK発祥の地である。 |