越後長岡藩「五間梯子」 バッジ

柏友会(旧長岡藩士会)で、越後長岡藩に因む「五間梯子」のバッジを発売しました。五間梯子を中央に、「常在戦場」と「越後長岡藩」の文字が入ったデザインになっています。
観光用とはチョッと異なりますが、誰でも自由に付けていただきたいと思います。長岡コンベンションセンター(大手通り)や河井継之助記念館で、1500円で販売しています。
「常在戦場」バッジ(1.5cm×3cm)

 越後長岡藩の「五間梯子」について
旧越後長岡藩主牧野家は、古代から現代の当主まで連綿と続く由緒正しい家系です。
戦国期の三河国牛久保城主の時代、周りを今川氏、武田氏、織田氏、松平氏等の大勢力に囲まれ、奮闘と緊張の毎日でした。
荒波を乗り越え生き抜いた体験から「国が興り守るのはより多くの人材づくり」と確信し、常に守るべき生活信条を家訓に定め明文大書きしました。家訓を「牛久保の壁書」といい、「常在戦場」はその第一条です。

「常在戦場」精神をシンボル化したのが「五間梯子」の旗印です。牧野家の不滅の軍旗として桶狭間の戦い、長篠の戦いなどで勇敢に駆け巡り栄光をもたらしました。
「登り梯子」は、城壁を攀じ登り、堀や川を渡る実践的な道具ですが、誇りと勇気を持って障害を乗り越え、希望と幸運に向かって駆け上る心意気と堅実さ、縁起の良さを表しています。

元和4年(1618)、初代藩主牧野忠成公は晴れて長岡城主に任命され、長岡開府の町づくりと、常に自己を磨く教育の大切さとして「常在戦場」精神と「五間梯子」の旗印を長岡に伝えました。
その精神は、藩校崇徳館教育で結実し、河井継之助、小林虎三郎、山本五十六、長岡商人等により実践され、長岡藩は消滅しても、現代長岡の教育に遺憾無く注がれ、今やあらゆる長岡人の血肉となって不死鳥の如く力強く発揮され、長岡の地にシッカリ根付いています。

「参州牛久保の壁書」 十八カ条
一、常在戦場の四文字 一、武士の義理、士の一分をたてよという事
一、弓矢御法という事 一、士の魂は清水で洗へという事
一、礼儀廉恥という事 一、士の魂は蔭ひなたなきものという事
一、武家の礼儀作法 一、士の切目、折目という事
一、貧は士の常という事 一、何事にても根本という事
一、士の風俗は、外聞に係るという事 一、日陰奉公という事
一、百姓に似る共、町人に似るなという事 一、荷ない奉公という事
一、進退ならぬという事 一、親類は親しみ、朋友は交わり、傍輩中は
一、鼻は欠くとも、義理は欠くなという事    附き合ふという事、又一町の交り、
一、腰はたたずとも一分をたてよという事    他町の附き合いという事
                               柏友会東京史談会
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