長岡開府400年(前編)

2018年に長岡は開府400年を迎え、それを記念する各種行事で賑わっている。
5月27日(日)には中心行事の長岡開府400年式典がアオーレ長岡で開催された。
元和4年(1618)、豊臣系大名の堀直寄が築城中だった長岡城に、上州大胡(現前橋市)から越後長峰(現上越市)を経由して譜代大名の牧野忠成とその家臣団が移ってきた。
長峰城も築城中であったが、元和2年(1616)に高田城主の徳川家康の6男松平忠輝が改易となり,、高田城の抑えとした長峰城が不要になり、越後の中心地長岡へ牧野家の移転であった。
長岡城と城下町づくりを堀家から引き継いだ牧野家は、以後明治維新に至るまで長岡から動くことはなかった。
長岡駅の改札口から1階に下りる 長岡駅
記念式典は2018年5月27日 次の100年のスタート

長岡は城下町なのだが、その面影はどこにもない。これは全国の他には例を見ないことである。
北越戊申戦争で長岡は焼け野原になり、明治31年(1898)には本丸跡に北越鉄道の長岡駅ができた。牧野家は長岡の発展を願い、長岡城本丸の土地を提供した。
太平洋戦争では山本五十六の出身地として米軍の大空襲に遭い、ふたたび長岡は焼け野原になった。
今は幻の名城長岡城 長岡駅が城の本丸跡
式典会場のアオーレ長岡は二の丸跡 歴代藩主の幟が並ぶ

    長岡開府400年の式次第
長岡開府300年は大正6年(1917)に開催された。市民の努力と石油の産出で、焼け野原から奇跡的によみがえったが、まだ娯楽の少ない時代の式典は盛大だったと伝わる。
北越戊申戦争、太平洋戦争そして平成16年(2004)の中越大震災から三たび復興した長岡は、5月27日に400年式典を開催した。まさに不死鳥を思わせる土地と人々である。
アオーレ長岡の式典会場は満杯 いよいよ式典開始
オープニングは勇壮な悠久太鼓 次の100年を担う子供たち
磯田達伸長岡市長の挨拶 初代長岡藩主牧野忠成公
三州牛久保から伝わる常在戦場の教え 武装中立の夢が破れた河井継之助

式典ではビデオメッセージで「親愛なる長岡のみなさん」と姉妹都市のホノルル市長が語りかけた。
今回の記念式典は未来を担う子供が中心、元気な歌声で第1部が終了した。
親愛なる長岡のみなさんと語りかけるホノルル市長 恩讐を超えて今はみなさんが一番の友人
未来に届け!元気よく歌う子供たち 私の夢は・・・きらきら輝く瞳

第2部は小和田哲男静岡大学名誉教授による記念講演であった。
「戦国・近世初頭長岡の歴史的位置」の題目で、豊臣秀吉による上杉家の会津への国替えによる堀一族による越後支配と、その後の堀氏の失脚そして家康の6男松平忠輝と牧野氏の越後支配をわかりやすく講演し好評であった。
この後、休憩をはさみ第3部の「長岡から全国で活躍する、若者の祭典」に移るが、外の行事も気になり式典会場を出た。
小和田哲男静岡大学名誉教授 越後の中心に譜代大名の牧野氏を据えた

   「長岡開府400年のあゆみ」をまとめた冊子

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